So-net無料ブログ作成
検索選択

メッセージ

このブログは障害者問題を中心に退職者の日々の思いや脳梗塞後遺症とのつきあいの日々をつづります。この下の記事からが本文です
3373 001.jpg
3373 002.jpg
ボランティア.jpg
m_P1130038.jpg
前の15件 | -

2.13緊急フォーラムアピール [障害者自立支援法]

障害者自立支援法違憲訴訟の基本合意を完全実現させる!

2.13緊急フォーラム アピール(案)

 

障害者自立支援法(以下「自立支援法」)は、多くの障害者、関係者の反対の声を押し切って、2005年政府が強行的にスタートさせたものでした。応益負担を原則とするこの法律は、これまでの障害施策の考え方を根底から変えるもので、憲法および障害者権利条約に明記されている、人間としての尊厳や地域生活の権利を否定するものでした。

2008年~2009年、全国の障害者ら71名が原告となり、障害を障害者個人の責任とする自立支援法は、基本的人権を侵害し、憲法に違反するとして、法律を制定した国を被告とした違憲訴訟を全国各地で起こしました。

2009年秋、総選挙で政権交代があり、政府・民主党から、訴訟団に対して和解の申し入れがありました。訴訟団は何度も何度も話し合い、「自立支援法を廃止し、新法をつくる」という基本合意文書を国と交わし、2010年この違憲訴訟は和解により終結しました。私たちはその後の「障がい者制度改革」「総合福祉法」実現に大きな期待を寄せたのです。

そして、201228日、「障がい者制度改革推進本部(本部長・野田総理大臣)」の下の「推進会議 総合福祉部会」第19回会議に、厚労省が新しい法案を示し、翌9日、訴訟団に対して厚労省政務官から説明がありました。

しかし、厚労省案は、自立支援法を廃止することなく、一部を「改正」するというもので、自立支援法そのものを延命させ、恒久化させるものです。これは、国と訴訟団とが公文書で交わした「基本合意」に明確に反するものです。また、総合福祉部会の55名の委員が一つになってまとめ上げた「骨格提言」を棚上げするもので、大きな怒りを禁じ得ません。

公約も制度改革の閣議決定も「基本合意」も裁判所に対する約束さえも全て反故にしようとする、こんなことが国の名の下に許されるならば、国のありようまでもゆるぎかねない異常事態です。あってはならないことです。断じて納得することはできません。

私たちは、国(厚生労働省)、国会に対して、以下のことを強く要求します。

 

 

1.    障害者自立支援法は、国が訴訟団と「基本合意」で交わしたように、20138月までに廃止すること。その際、「障害者自立支援法廃止条項」を明記すること。

 

2.    新法は、総合福祉部会で出された骨格提言を反映させたものとすること。

 

以上

 

2012年2月13日

障害者自立支援法違憲訴訟 訴訟団

基本合意を完全実現させる! 2.13緊急フォーラム参加者一同


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

教育行政の独立性も思った [障がい者問題]

 

月に1回の古代史講座の日でした。近くにある平野神社は京都と同じで「今木 ( いまき ) ( のすめ ) 大神 ( おおかみ ) 」「 久度 ( くど ) 大神 ( おおがみ )」「古開 ( ふるあき ) 大神 ( おおかみ )」「 比賣 ( ひめの ) 大神 ( おおかみ ) 」を祀っていて、 「 久度 ( くど )」はカマドのことだそうです。小さい頃、「くど」と言っていましたし、まだ、かまどは現役でした。

51 001.JPG

 

今日の新聞の投書欄は若い人の特集でしたる

 

「ぼくたちにも 手話は不可欠  13

 

3学期になってすぐ、 二つの人権学習をしました。一つは「インターネットと人権」ということで、パソコン携帯電話を使うときの注意や危険性について学びました。スライドや動画を見ながらの講演はとてもわかりやすく、会員登録などをしたら、お金がかかったりするのであぶないと思いました。利用の説明をしっかり読んで注意して楽しくパソコンをしようと思いました。 二つめは「手話の学習」、 です。あいさつや自己紹介、そしてみんなの名前について勉強しました。手話は耳が聞こえない人が考え、思いなどを伝えるためにできたと思っていました。でも、ぼくたちにも欠かせないものだと思いました。二つの人権学習を通して、自分の生活を見直すためのとてもいい勉強になりました。」(2012214日西日本新聞)

 

手話は聴覚障害者に必要というだけでなく、周りの人たちに求められているのだという理解は、子どもたちに対する教育の大切さを教えてくれます。大阪では、首長が教育に介入する仕組みが提起され、東京都では裁判が続いています。そこで、教育の介入に対する節度を求める判決も出されました。現在の憲法が教育の独立性を確保しようとしたのは先の戦争の反省からです。それを否定する動きはどうなのでしょう。

 

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

弱くてもろい社会 [自殺]

弱くてもろい社会

 

昨日は会議がありでかけました。天神で本屋さんに寄ってきました。帰ったらメールで

「だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会 報告会」の案内が届いていました。障害者差別禁止条例の各地の取り組みに連動するものですが、大分では地道に事例の収集などが続けられています。インターネット中継という便利なものが出来て、同時に聞けるのはありがたいですね。「だれもが・・」というのは障害者以外の人もかという質問もあっていました。分かりやすさという面では課題がありそうですが、理念としては分かりますね。「障害者を締め出す社会は弱くてもろい社会である」と国連・国際障害者年が30年前に掲げた思想が流れているように思います

 

22 002.JPG

先日からGKB論争という浅い論議がされた「自殺」問題もまた大きな問題だと思います。テレビコメンテーターの三屋さんだったと思うが、アフリカで飢餓や戦争などで亡くなって大変ですねという意味の話をしたら、日本はもっと大変ですねと言われたそうだ。飢餓も、戦争がなくても、毎年、3万人も死んでいく社会こそが大変だというような趣旨の発言をされていました。私たちにそうした視点が欠けていることを思い知らされました。昨日の朝日新聞社説は「ストップ自殺―足立区の努力に学ぼう」でした。

「政府の分析では、無職の人が半分を占める。なかでも中年男性の自殺死亡率が高い。妻や夫と離婚や死別をした人も、率が高い。仕事や家庭での「役割喪失感」にさいなまれるのではないかという指摘もある。」として人とのつながりを作る足立区の様子を紹介しています。

 

 人との接点が少ないと、気持ちが傾いたときに歯止めがかかりにくいのかもしれない。だとすれば、接点を作ることで救える命があるのではないか。

 参考になる取り組みの一つが東京の下町、足立区にある。

 区は09年までの5年間で自殺者が都内最多だったことから、NPOのライフリンクと手を結び、対策に力を入れた。昨年は自殺者が145人いたが、前年に比べれば2割も減った。

「自殺を考える人の多くは、失業、多重債務、うつなど複数の悩みを抱えている。自殺者の7割は何らかの相談窓口を訪ねていたという調査もある ならば、相談に来た人からリスクの高い人を見つけて支えよう。そう考えて窓口や相談機関のネットワーク化を進めた。

 例えば、失業してハローワークを訪れた人が多重債務や不眠を打ち明けたら、弁護士や保健師につなぐ。それだけでなく、必要な支援を次の窓口で受けられたかまでフォローする。 ハローワーク職員や弁護士、保健師らの専門家がそろう総合相談会を定期的に開いている。危険に気づく力を養うゲートキーパー(門番)研修も区職員の3分の2が受けた。

 心を病み、窓口に行く気力もない人もいる。来年度からはNPOに委託し、そういう人に寄りそって一緒に窓口をまわる専門員をやとう予定だ。

 

22 006.JPG

ワンストップの相談窓口が必要だと思います。それは、先に書いた知的障害者の凍死につながった生活保護の問題もあります。それより以前に、行政も、市民も、戦争がなくても3万人も不自然に死んでいく社会がまともかという問いかけからスタートする必要があるように思うのだが。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

知的障害者の凍死 その3 [障がい者問題]

凍死 011.JPG

知的障害者の凍死 その3

 

札幌市での知的障害者の女性の死亡には生活保護行政の問題のほかに、地域で暮らすための障害者福祉の課題も示しているように思われます。

ひとつは、親がよく願う兄弟姉妹に面倒を見てもらいたいと思いが、非常に危うい条件でしか成り立っていないことです。凍死した女性もまた姉との二人兄弟でした。両親は既に他界。親は姉に託したと思いますが、姉の体調不良と死亡で妹の生命もまた断たれました。このような状況は、団塊の世代と言われる家庭では標準世帯は親子で4人とされてきました。これは、子供二人を「理想」としての人口減誘導政策だったのです。今になって人口が減って社会保障がどうのこうのというのは笑止千万です。例えば、2050年頃には世界で最大人口になります。そのときに、TPPで食糧が自給自足できなくなっていれば世界的な食糧争奪戦で負けてしまいます。少し脇道に入りましたが、二人兄弟姉妹だと、物理的に離れて暮らす人も多いですし、どちらかが健康を害したりすれば、今回のようなケースになるのは早いことだと思われます。

二つ目には、障害者支援施設との関係が切れると援助の紐が途切れることがあります。今回も、札幌に行くまでは作業所みたいなところを利用していたそうなので、長期に来なければなんらかの連絡が届いた可能性があります。しかし、作業所の余裕もないので、例えば、通わなくなった障害者との地域施設とのつながりをつくることが大事かと思います。それは、地域の相談機関だと思います。

 

凍死 006.JPG

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

凍死した知的障害者 報道特集で [貧困]

凍死した知的障害者 報道特集で

 

札幌市で姉が病死したあと、知的障害者の妹が凍死した事件がありました。TBSの「報道特集」が11日、詳しく伝えました。

    姉は3度生活保護の申請に行っていますが、3度目も、本人からの申請がなかったということで保護費が支給されることはなかったが、非常用の食事の提供がされていた。市は短期的に困っていたと認識していたという。2回目の時でも、手持ち金は千円だと記録されている。

    姉は不安定な雇用で、転職を余儀なくされ、就職活動を続けたが、体調不良になり思うようにならなくなった。両親は早くに他界。

    白石区では25年前に母子家庭の人が保護申請を断られ餓死している。今回は申請さえ受けていない。保護法「(申請保護の原則)第七条  保護は、要保護者、その扶養義務者又はその他の同居の親族の申請に基いて開始するものとする。但し、要保護者が急迫した状況にあるときは、保護の申請がなくても、必要な保護を行うことができる。」

として緊急対応が求められているが、今回はまだ「倒れている」という状態ではないと市役所は説明している。 しかし、ガス、電気も止められているのである。

    妹の障害年金6万6千5百円程度で、家賃5万5千円を払うと、残りは公共料金で消えてしまう状態であった。

    暖房にはガスを使用していたが、滞納で止められていた。氷点下の札幌での凍死だった。

    保護が適用されていたなら姉も治療を受けることができ、妹が凍死することもなかった可能性が高い。

    25年前の受給を受け付けなかった理由として「人間は簡単には死なない、なぜかといえば死なないための努力をする」と上司が述べたと証言しています。体を売ってでも努力するだろうとし、「保護したら努力を奪うつまり親切ではないこう言った課長がいる」とも述べています。ここに、貧困層に対する差別観が如実にあらわれています。

    国民健康保険も未加入であったことを市は知っていた。

 

凍死 021.JPG
凍死 025.JPG
凍死 027.JPG
凍死 030.JPG

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

3.11を想起する [震災]

3.11を想起する

 

震災の記憶が遠ざかりつつあります。被災地出身の辺見庸氏は次のように当時の様子を書いています。

 

「わたしが通っていた小学校の、震災直後の写真を見ましたが、言葉を失いました。三階建ての校舎が 全部焼けただれていて、校庭にはまだ死体があるのです。黒こげの車が何十台も校庭に山積みになっていて、窓から教室に突っこんだのもある。アブストラクトアート(抽象芸術)のようであり、地獄のようでもありました。車の中には焼けただれた人もいたのです。こんなことは報じられないでしょう。しかし、311日の現実は、まさに超現実だったのです。被災地ではまた、燃料が足りず、死者を火葬できなかった。臭くなるので、身元確認もできていない死体を埋めてしまうわけです。埋めざるをえない。 手、耳、片足だけの部位を埋める。死者は陸だけではありません。どれだけの人間が今、海底で暮らし

ているのか。」(「週刊金曜日」)

続けて

「これが真景なのです。こうした現実は報道されません。ですから、報じられたものは偽造なのだと。 なぜマスメディアは死を隠すのか。地獄や奈落と向 き合わないのか。それは、死に対する敬意がないか らだと思うのです。「死者・行方不明者二万人」と 報じる。」

 

014.JPG

先日、家族を喪った人が語っていました。「復興できないものを失った」と。原発の事故の全体像も分からないまま再稼働に進んでいます。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ディ一セント・ワークの具体的な課題は [社会保障]

ディ一セント・ワークの具体的な課題は

 

障害者分野でもディ一セント・ワークが課題として取り上げられています。ディ一セント・ワークとは「働きがいのある人間らしい仕事」と説明されています。例えば

福島第一原発で事故処理にあたっている現場下請労働者は十分な安全対策がとられないまま被曝の危険にさらされ、かつ五重、六重に及ぶ請負構造(間接雇用)のもとで中間搾取状態におかれている。日本社会の病ともいうべき「雇用の劣化と働き方の貧困」がここに凝縮されている。今回の大震災からの復興にあたっては、「雇用の劣化と働き方の貧困」をもたらすもととなっている輸出に偏重した、いびつな経済・産業構造への回帰ではなく、その転換をめざすべきである。」(『ディ一セント・ワークと新福祉国家構想』)とされています。しかし、このような実態は今に始まったものではありません。『ディ一セント・ワークと新福祉国家構想』によれば、憲法が保障する勤労の権利、生存権、個人の尊重、幸福権の追求などを包摂するものとされ、ディ一セント・ワークとして課題として挙げられるようになったのは、雇用環境のこの20年のさらなる悪化によるものだとされています。ディ一セント・ワークという理念が、今の経済構造の中で実現可能なものか、という根本的な疑問もあります。ここ10年前以上の「労働ビッグバン」として日本型雇用形態が壊れて、非正規雇用を主流とするものになってきています。それには、労働組合運動の衰退・堕落が重なります。これらを総合するとディ一セント・ワークと呼ばなければならないものは何か。具体的な課題は何かを示さないと力にならないように思う。ディ一セント・ワークと福祉国家が連動して語られています。『新たな福祉国家を展望する』では、社会保障基本法が提示されています。すると、ディ一セント・ワークは福祉国家でしか実現が難しいのであろうか。これらの著作には、生活していくうえでの様々な困難と制度の不備が鋭く提起されています。それでもなお、ディ一セント・ワークの定義がどのようなものであり、どのようにして実現していくのか。そのことをこれらから私は理解できなかった。特に、障害者分野では「きょうされん」などがこの問題にアプローチしています。さらなる具体的な課題設定と当面する目標を掲げる必要があるように思う。なぜなら、国との和解内容でさえ、あっさりと否定されてしまう政治。そうすると、最低限、必要な仕組みは「社会保障基本法」として獲得されるべきものだろうか。

 



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

看板だけかけかえても障害者自立支援法改正の中身では [障害者自立支援法]

看板だけかけかえても障害者自立支援法改正の中身では

今日は暖かい。散歩していても気分が軽い。でも、震災から11か月にもなっています。

だが、障害者総合福祉法をめぐって国会議員への意見の表明など休日返上で動いている人たちがいます。

盲ろう団体の福島智東大教授は次のように指摘しています。

 「みなさん、思い出してください。

 その直後に障がい者制度改革推進会議が発足したときのあの熱気を。

 そして、同年4月にはこの「総合福祉部会」が設置されたことを。

 推進会議とこの総合福祉部会で、何十人という障害者やその関係者が、いったいどれだけ膨大な時間とエネルギーを費やして、議論を重ねてきたかを。

 そうして、昨年20118月には、この総合福祉部会の55人の構成メンバーの総意として、総合福祉法制定にむけての「骨格提言」を策定したことを。

 多くの傍聴者があり、ネットでの配信もありました。

 私たち自身の背後に、傍聴のみなさん、そして、ネットやさまざまなメディアで私たちの議論に注目してこられた方々がいったいどれだけの数おられたことか。

 こういう背景を踏まえたとき、「総合福祉法」は、この「骨格提言」の趣旨を最大限に反映したものでなければならないのは当然の流れだと思います。

 ところが、仮に名称は「総合福祉法」であったとしても、今の厚生労働省案では、実質的に「自立支援法の一定程度の改正」といわざるを得ない内容に留まっているのではないでしょうか。」

そうです。障害者総合福祉法という名称を使っても、障害者自立支援法改正の域を出ない中身です。民主党のワーキングチームの議員でさえ、障害者自立支援法の改正だと説明したとツイッターで伝えています。福島での原発事故で働く人の被曝量を緊急時として大幅に引き上げたように、自分たちの都合に合わせて変更することに何の痛みも感じていないのでしょう。被曝して、将来がんなどになったときに政府は労働者に立証責任を負わせるのだろうか。障害者総合福祉法の構図も政治の縮図かもしれません。

010.JPG

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「こんなバカな世の中に」 [平和]

「こんなバカな世の中に」

 

改正臓器移植法で移植の対象は広がりましたが、家族が「脳死」とされる人の意思をどう代行するのか、難しい問題だと思います。先日のテレビの報道によれば、「本人の意思表示なし」が8割を占めるという。家族にとっても悩ましいことだという。

 

演出家の蜷川幸雄さんが、外国で上演しているというのを新聞で知りました。その一部からですが。

「演出家の蜷川幸雄さんが今年末、イスラエルギリシャ悲劇「トロ イアの女たち」を公演する。戦争で愛する者を失った女たちの酷薄な 運命を叙情的に描いた作品で、ユダヤ、アラブ、日本の役者がそれぞれの言語で演じる。「他者との共存の実験」という捲川さんに、演劇や文化が政治に与える可能性について、テルアビブで聞いた。」とあり、

「国内外で相変わらず精力的に 活動していますね。」という質問に対して

 休むと途端に年相応のじじいになる、と分かった。マグロのように 回遊魚になって仕事をし続けた方が いいみたいです。それに、こんな馬鹿な世の中になってしまって、僕は 何のために何十年も芝居をやってきたのか。まだ死ねないですよ。何にも進歩していないし、何も成就できていない。ひとり勝手にいらだっている」(2月4日 朝日新聞)

 

私は、既に年相応の「じじい」にのなってしまいましたが、「こんなバカな世の中に」という思いは共有できます。だが、何かができるかというと、なんにもできません。そんなバカなことの中のひとつが、義務教育での武道の必須化です。なんかのためにするのか。ふと、戦前に武道が奨励されたのを思い出しました。柔道での事故が多いのに、その対策も練らずに文科省は予定通り実施するの一点張り。モノにつかれたような動きだと思いました。

565 007.JPG
06.jpg
565 013.JPG

 

NHKテレビより
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

福島さん怒る [障がい者問題]

http://www.youtube.com/watch?v=SltreKVT0dA&feature=related


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

共助と呼べるのかどうか [自分史]

共助と呼べるのかどうか

Eテレで、震災で子どもを失った親たちの自助グループの放送をみました。そのなかで「復興できないものを失った」という言葉がありました。そこに喪失の深さを表しているようでした。その前に、RKBテレビの「豆ごはん」という地域番組があるのですが、その冒頭に名越という精神科医がコメンテーターの紹介がありました。司会者がここにも「そうした人たちがいるので」というような話をして医師は「そういうにおいがする」などと話しました。「そうした人」というのは精神障がい者を指しているのだと思います。おもしろくしようという趣旨の話なのでしょうが、当事者・家族にしたら「におい」で分かるというのはどうなのでしょう。精神科医の言葉としても信じられませんでした。

003.JPG

「懐かしき古き良き共助の時代 68

寒さが厳しい冬。そんな日には古き良き時代を思い出す。約60年前、弁当を持参していた小学生のころのことだ。 学校の教室の片隅に木箱の「弁当温め器」が置いであった。2時間目が終わる頃、用務員さんが赤々と炭火がおこった 火鉢を温め器に入れてくれる。弁当は温められ、昼近くの教室にはぷーんとえも言われぬにおいが漂う。空腹のため、時にはおなかの鳴る音まで聞こえる。昼、ぽかぽかに温まった弁当を食べる。「今日はかまぼこやちくわが入っていてうまかった」と母に言うと、「それは入れていない。他人の弁当を食べた だろう」と言う。同じ形のため間違えて 他人の井当をよく食べていた。そんな翌 日の弁当を母は丹精込めて作っていた。 友にお返しするために。「昨日はごめん。でもうまかった」と間違えた友と大 笑い。当時は、弁当を持ってこられない 友もいた。先生はみんなにご飯とおかず を少しずつ分けさせ、みんなで食べた。生活は貧しかったが心は豊かで、いじめや不登校などとは無縁のおおらかで古き良き共助の時代であった。近頃の世の中はぎくしゃくしているように感じる。大人も子どもも、もっと他をおもんばかる心のゆとりを持ちたい。」(201229日朝日新聞)

007.JPG

ほぼ同じ時代と似たような体験があります。記憶に間違いがなければ小学校2年生までが弁当で、それ以後は給食になっていったように思っています。この方は不登校とは無縁だとされていますが、今とは違う意味になるかもしれませんが、貧困などで行けなかった人がいました。誘いに行ったときに子守りをしていた姿を今も記憶しています。どういう訳か、私のいた集落の多くの同級生が既に他界しています。こんなに長寿になったこの国で。みんなとどのような人生を過ごしたかと語り合う前に。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

法治国家とは言えない・障害者総合福祉法提言無視の国で [障がい者問題]

 

法治国家とは言えない・障害者総合福祉法提言無視の国で

昨日、厚生労働省総合福祉部会で、部会がまとめた障害者総合福祉法の骨格提言に対する政府案が出た。それは、提言を無視したものであり、障害者自立支援法の延長でしかありませんでした。朝日新聞は次のように伝えています。

「障害者自立支援法 改正案に批判噴出 

 専門家ら「提言反映されていない」

8日に開かれた政府の障がい者制度改革推進会議の総合福祉部会で、政権が進める障害者福祉制度の見直し案に異論が噴出した。障害者自立支援法の改正案に対し、専門家や障害者団体の委員は「推進会議の提言がほとんど反映されていない」などと批判。ただ、厚生労働省は民主党内の議論を経て、法案を3月中旬に国会に提出する構えだ。

会合の冒頭、部会長の佐藤久夫・日本社会事業大教授は、昨年夏に推進会議が提言した60項目のうち、厚労省案に反映されたのは「共生社会を実現する」とした法の理念など三つだけだと指摘。「提言と落差が大きい」とも述べた。厚労省の津田弥太郎政務宮が「段階的、継続的に実現していく」と釈明したものの、委員からは「工程表を示すべきだ」と注文が相次いだ。民主党が公約し、障害者が起こした違憲訴訟の和解協議でも政府が約束した障害者自立支援法の廃止ではなく、法改正で対応する点にも異論が続出。福島智・東大教授は「和解のために国が結んだ合意までないがしろにされたら、国民は何を信じればいいのか」と問いただした。(有近隆史)

細かいことは別にしても

    民主党が公約した障害者自立支援法廃止ではない。

    違憲訴訟の国との和解文書にあった障害者自立支援法が障害者などを傷つけたというお詫びと障害者自立支援法廃止という約束も反故にされた。

障害者自立支援法廃止としていたのに、民主党の議員すら「ありえない」とした障害者自立支援法の改正なのです。

福島智・東大教授の文書では次のように指摘しています。

「ところが、仮に名称は「総合福祉法」であったとしても、今の厚生労働省案では、実質的に「自立支援法の一定程度の改正」といわざるを得ない内容に留まっているのではないでしょうか。

 たとえば、「障害程度区分の見直し」について。

 「法の施行後5年を目途に、障害程度区分の在り方について検討を行い、必要な措置を講ずることとする規定を設ける」とありますが、結局これは、この問題を5年間先延ばしにすると言っているだけのことではないでしょうか。

()

 こうした「法案」を読んで感じることは、民主党の誠意の乏しさです。これは、信義を守ること、つまり「信義則」に反することと言わねばならないでしょう。昨年8月の「骨格提言」策定以後、いったい民主党は何をなさっていたのでしょうか。」

さらに、違憲訴訟弁護団の藤岡氏は次のように指摘しています。

「今回制度改革で制定しようとしているのは、障害者権利条約の国内法ですから権利保障法です。

 しかし、障害者自立支援法の骨組みは、市場原理にサービス供給を委ね、法は支援サービスメニューを羅列するだけと違憲訴訟で批判されました。

障害者支援の実行と障害者の生存権を保障しようという法の姿勢が希薄過ぎるのです。

ですから、今回の改革で骨格と土台から作り直そうよということになったのです。

今回の厚生労働省案はそのことの意味が理解出来ていないのです。土台に手を触れず温存することしか考えていません。総合福祉部会からの宿題の答えとして赤点と言わざるを得ない。赤点どころか、万一、このようなものを法律化してしまえば、治すべき欠陥を埋めるどころか恒久化、固定化してしまう恐るべき事態です。」

ここで言えることは、民主党に政権与党としての能力がないことを証明したかのように見えることです。これだけの公的な約束を反故にされても、何も対応できないでいるのです。民主党の意地を見たいのですが??


nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

終末期医療・「まごころ駐車場」窓口を市町村に [寛容な社会]

終末期医療・「まごころ駐車場」窓口を市町村に

 

今朝も雪が少し舞っていました。登校する子どもたちを誘導するお年寄りがいました。大変ですね。

 

消費税8%では、社会保障費改善にまわすのは0.5%しかないと今日の新聞が伝えていました。本当にマスコミは知らなかったのでしょうか。今になってと思いました。一体改革でそのように示されていたはずです。何か、情報操作されているように思いました。

 

117 002.JPG

先日のNHK在宅ホスピスの話。78.4%病院で亡くなっているそうです。そこで、「地域包括ケアシステム」として取り組んでいる山崎章郎氏の取り組みを紹介していました。在宅だと痛み止めの麻薬がほとんど使用されないという。台所の母の調理の音、寝室から見る朝日の楽しみなどという、日常の効果に注目しました。胃ろうをつけている人をエイリアンと表現したと政治家が非難されていますが、それで終末期の医療を語るのをタブーにしないが良いと思いました。

 

117 001.JPG

福祉用駐車場 窓口の拡大を  64

 

福岡県が、障害者や歩行困難な高齢者などを対 象にした福祉用駐車場制度「まごころ駐車場」を スタートさせるという。車いす生活の私は、長年の不自由な思いが解消される喜びでいっぱいだ。 バリアフリーの普及と ともに、各地で障害者専 用の駐車スペースが設け られるようになった。 しかし、現実は健常者 などの車両が駐車していて利用できないケースも 多かった。こうした不都合を無くそうと、県があらかじめ申請した人たちに利用証を発行し、優先的に使用できるようにしたものである。

公共施設や居舗、病院など1233カ所の施設が参加し、利用証を表示していない車が駐車しないよう管理するものらしい。確かに画期的な制度だが、課題もある。それは、申前窓口が区役所と県や県の出先事務所に限られていることだ。これでは、私のような 地方在住者には不便だ。 郵送による申請もできる そうだが、手続きが煩わしい。自宅近くの町役場

などでも申請できるようにしてほしい。」(201229日西日本新聞)

 

折角の方策がこのように手続きが不便なために利用価値がなくなるということがなぜか県庁の施策には多い。市町村と連携すればすむものではないかと良く思う。市民と接していない感覚のずれをよく思うことがあります。再考願いたい。

 

 

 画像はテレビから


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

大河ドラマでの観光振興は成功しますか [街で]

大河ドラマでの観光振興は成功しますか

 

太宰府天満宮の飛び梅が開花したそうですが、今年は特に遅いそうです。今、こちらも雪が舞っています。

 

「菅原道真をNHK大河ドラマにできないかな:コラム> デスク日記

 「菅原道真をNHK大河ドラマにできないかな」。最近、福岡県太宰府市内の全く別の場所で、そんな話を続けて聞いた。「地域の観光活性化につなげたい」という思惑なのだろう。

 太宰府天満宮に祭られている平安時代の貴族、政治家の道真は和歌や漢詩に秀で、遣唐使廃止などの改革を進めたが、右大臣から大宰府に左遷された。

 激動の人生とはいえ、ドラマチックな展開を一年中続けるのは難しそうだ。また、観光客の増加も一過性。一昨年放映された「龍馬伝」の舞台となった長崎県では昨年、一部の施設で反動減が起きたとも聞く。

 ただ、地域住民が粘り強く運動することは大きな意味があるだろう。たとえドラマにならなくても、地域の良さを見直すきっかけにはなる。「太宰府は観光だけじゃない。街角のあちこちに歴史がある」。大河ドラマの話題を持ち出した商店主の言葉を生かしたい。(根井輝雄)=2012/02/08 西日本新聞朝刊=」

 

013.JPG

長崎市の状況がどうかよく知りませんが、ランタンまつりやさるくなど独自の活動が続けられており、大河ドラマの影響は一時的なものではないかと思う。こうした風任せみたいなものでは地域振興にならないのではないか。この延長線上に、原発の誘致・基地依存みたいなものがありそうに思います。太宰府市でも今年から「大宰府検定」が始まります。息の長い取り組みで持続性のあるまちづくりに取り組んでいくことのほうが力になるように思うのですが。

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

戦でなくても年間3万人が死ぬ国は [自殺]

 

「学び合い」という授業形態をとる「28の瞳」というテレビをみました。作家の重松清氏の進行でしたが、この授業では「わからない」ということを生徒が発することから展開できるようになっているようです。子どもたちの生き生きとした姿が印象的でしたが、重松氏は「わからないということが先にあれば想定外」ということはありえないと原発政策についてもふれていました。

 

009.JPG

また、寒くなりそうですね。土日、障害者総合福祉法制定について多くの人たちが国会議員を訪問して要請されたようです。頭が下がります。

 

さて、石原自民党幹事長が胃ろうの人を見て「エイリアン」という感想を述べたということが伝わってきています。もうひとつは「GKB47」という表現も問題視されていますが、本質の論議がされているようには思えません。言葉の不快感もあるようですが、それにとどまらず

 

010.JPG

「自殺対策強化月間に政府が企てる「GKB47」に対する抗議声明」では次のように述べられている部分があります。

 

「2)相談支援の受皿がないことを知りつつ、「気づいて」「相談しよう」はあまりにも無責任

生きるのがつらい」「もう死にたい」と思い悩んでいる人たちが必要としているのは、「相談しよう」などという抽象的なメッセージではありません。「どこに相談すればいいか」という極めて具体的な情報です。そうした情報がないために、「相談したくても相談できない」人が大勢いるのです。自殺念慮を抱えた人を支援する者にとっても、必要なのは「つなぎ先」に関する具体的な情報です。「周囲の人の変化(自殺のサイン)に気づいて」と言われても、実際に気づいたときにどうすればいいのかが分からなければ、支援者は自殺念慮者を支え切れずに疲弊し、共倒れしかねません。そうしたリスクを背負うのが怖いから、多くの人は「気づきたくても気づけない」のです。「みんなもゲートキーパー!」と呼びかける前に(せめて同時に)、「現代版 命の駆け込み寺」のようなシェルターを全国に整備すべきです。」

 

自殺基本法で、相談の必要性は語られましたし、精神保健福祉センターなどに相談窓口はできというのが行政の感覚かもしれません。しかし、現場の人たちはシェルターが必要だとしています。啓発だけで終わらせたい行政と、より具体的な政策との距離感があるようです。総理が、言葉に対する違和感を述べたと言うのであれば、何も議論していないのと同じだと思われます。朝のテレビでコメンテーターが言ってました。南アフリカはこわいところだと思っていたと話したら、現地の人から「戦みたいなことでなくても3万人も死ぬ日本が怖い」と言われたと。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感
前の15件 | -