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このブログは障害者問題を中心に退職者の日々の思いや脳梗塞後遺症とのつきあいの日々をつづります。この下の記事からが本文です

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後ろ姿 [高齢者]

 

 

 

「ニュース川柳

・星野さん燃え尽きたんだねやすらかに

雨のごと米軍ヘリが降ってくる

・民意より我が意ばかりが先を行き

・明日見えぬ仮設に春の音遠く」(2018113日西日本新聞)

 

新聞の女性投稿欄からです。

 

「紅皿  父母の後ろ姿

父の携帯が壊れた。「店に予約を入れたので、連れて行ってくれないか?」両親と住む兄から 電話があった。父は半年ほど前に車の免許を返納した。病により、記憶がおぼつかなくなりつつある父と、長年の山仕事で足が変形し、動きが不自由な母は、今も農業を続けており、そんな2人を 兄はよく世話してくれている。 約束の15分前に実家に着き「おはよう!来たよぉ!」と、勝手口から入った。ん?居ない・・ あれ?どこだと外を見ると、庭先の石垣に並んで座る2人の後ろ姿があった。いつからその場所で私が来るのを待っていたのか。母の足が悪くなったころ、父は「俺の所に嫁に来たばっかりに・・俺のせいだ」と、行く先々でも母のバッグを持ち、先回りしては母の履物をそろえていた。数日前には「いろいろなことを忘れてしまう。早く死ななきゃ皆に悪い」と、それはそれは何とも悲しい顔をして言っ

た。幸い耳の遠い母には聞こえていなかった。老いてゆく互いを慈しむ。2人の姿は、夫婦の在り方を、私に教えてくれているような気がした。「待たせたねえ、行こうか?」と言いながら、笑顔で振り向く2人に近づいた。(55歳 自営業)」(同前)

 

親は早く逝かないと子どもの負担になると思い、子どもは「生きている」だけで良いと望む。そんな老後でありたいが、どうだろうか。

 

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暴走は誰の責任 [平和]

 

 

人工知能(AI)は自分で考えて行動していくことができるかもしれないし、そうするとAIに人間が指示されることもありうる。それで危険な場面に遭遇したり、暴走した時に、誰が補償などの責任を負うのかという議論があることを『人工知能の核心』のなかで羽生善治氏は紹介しています。ロボットに法人格を与えるという意見もあるそうです。

それに対して暴走を制御できるのかというこことを問うものも読みました。「無事な社会『制御できること』の大切さ」として哲学者・内山 節氏は次のように指摘しています。

 

日本でも、国民は 政治を制御していく手段を失い かけているように思え。 私が原発に賛成できないのは、原発には人間が制御できないものが含まれているからである。事故が起きれば制御できない事態が発生することを、福島の原発事故は明らかにした。事故が起きなかったとしても、使用済み核燃料は長期にわたって危険物質でありつづける。フィンランドでは10万年間地下に貯蔵する計画が進められている、10万年間制御しつづけることが果たして人間にできるのだろうか。とりわけ災害の多い日本では、テロや軍事的な標的に ゆされることも含め、「想定外」のことが起これば、制御できない被ばく地帯が広がってしまうだろう。制御できないものを人間はつくってはいけないのである。だから、新しい技術に対しても、つねに注意深く考える態度が必要になる。遺伝子組み換えは、想定外の遺伝子を持った、制御民できない生物を発生させることはないのか。抗生物質の乱用は、制御不能なウイルスを生みだしてしまうことはないのか。そう いうことに対しても、私たちは、 注意深さを手放してはいけない のだろう。 独裁的な権力がいけないの も、それは制御できない暴走を生みだしてしまうからである。 私たちが制御できないかたちで 展開する軍事的な暴走も、経済 や政治の暴走も、基本的にはすべて悪なのだという視点を私たちは持ちつづける必要がある。今年から、普通の庶民感覚で制御できる社会をつくっていきたいものである。みんなが手をさしのべ合えるような社会も、自律的な制御できる社会だ。もちろん権力の暴走を許さない社会もその基盤だ。人間たちの知恵や行いによって制御できる社会こそが持続性のある社会であり、無事な社会なのである。(一部引用)」(2018112日西日本新聞)

 

AIの暴走も取り返しのつかないものになるかもしれませんが、核廃棄物の廃棄とは時間の可能性としては短いかもしれない。暴走に対する不安感が広がっているのではないか。

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言葉でつながる [介護]

 

 

ソニーの犬型ロボットのニュースを聞きながら、生きている犬を飼うのは自分の寿命との争いになるのでためらわれます。犬がいるのは新規に引っ越してきた若い人たちのうちになっています。アイボなら寿命のことも、散歩も必要ないが・・・。新聞で確認すると本体が20万円程度。その他の経費が10万円だという。とても手が出ないことを知りがっかりしています。アイボは会話はできるのでしょうか。言葉の重みを知る投稿でした。

 

「(ひととき)心に残す、母の言葉   2018112日朝日新聞

 入院中の母から、爪切りを持ってきて欲しいと言われ、病室に持参した。いつの間にか色白で柔らかくなった母の手を取り、爪を切ってあげた。「楽爪(らくづめ)じゃ」と母が言う。仕事をしない手の爪は早く伸びる、ということらしい。

 農家の長男に嫁ぎ、11人の家族と暮らし、毎朝2升の米をとぎ、7個の弁当を作った。皆が朝食を済ませると母の食べる米飯はなくなっていたこともあったという。米と野菜と葉タバコと乳牛と、一日中働いて入浴するのは家族の最後。あまりの汚さに入らなかったこともあったという。

 「煎り豆に花」という言葉も聞いた。有り得ないことが起こることらしい。私は、いい言葉に出会うと、折々の言葉として記録しているが、もうすぐ85歳になる母の言葉には感心させられることが多い。

 あと何年一緒にいることができるだろう。多くの人の世話をしてきた母が、いまは人様のお世話で暮らしているのを見ると、子としては申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 「ええばっかりの人間はおらん。悪いばっかりの人間もおらん」。ありがとうお母ちゃん。しっかり心に残しておくよ。(パート 59歳)」

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未知への不安 [高齢者]

 

 

「クローズアップ現代+」で将棋の羽生善治さんと囲碁の井山裕太さんを取り上げていました。国民栄誉賞の二人から人工知能(AI)が将棋なりの奥深さを教えてくれるという認識だったことを知りました。羽生氏の『人工知能の核心』を読み始めたばかりでしたので参考になりました。

 

高齢者には避けられない「人生のしまい方」の投稿を考えてみます。

 

「人生のしまい方 (会社員・68歳)毎日新聞201818日 西部朝刊

 この町に越してきて、30年近くになる。休日、平日を問わず自分の部屋から庭越しに道路を眺めていると、ほとんど人通りがない。たまに車が通るくらいで庭に遊びに来る小鳥の数の方が多いようだ。この町も人も老いてきたと思い知らされる。

 越してきた当初は、夜遅くまで人通りがあり、子供の歓声も聞こえていた。最近では、ご近所でも家を売り、子供の家や老人ホームに転居する人たちも出てきたし、1人暮らしという人も増えてきた。私たち夫婦も、これからを真剣に考えなくてはならない時期にきた。

故郷に帰り、余生をとも考えたが人生のしまいはどこで暮らしても同じである。やはり、健康で自活ができる限りはこの地で住み続けることになるだろう。

こんな話を聞いたことがある。老いて妻の余命がいくばくもないと知った夫が全財産を処分し子供に「西へ行く」と伝言して消息を絶ったという。その方たちがどういう最期を迎えたのか想像も困難であるが、私には、夫婦の理想的な人生のしまい方ではないかと強く思った。

今、月に1度のペースで故郷の特養ホームにいる母を見舞っている。90歳を超え、認知症を患い、息子の顔さえわからない。心身とも壮健だった母でさえそうなった。老いた身にはいつ、何が起こるかわからない

 しかし、取りあえずは日々、心身を健康に保つように努め、充実して過ごすことしかあるまい。その毎日の生活の中で、自身にとって一番いい終わり方を模索し続けたい。」

 

老いを自覚し、体感すると、予測以外のことが身体的・心理的に襲ってきます。

 

「老いの自覚

自分が老人であると自覚する主観的な年齢は個人差が大きく暦年齢とは必ずしも一致しない。通常,身体的徴候,老眼,毛髪の変化皮膚のしわ,体力の低下などから老いの自覚(老性自覚)が始まる。また 社会的体験たとえば職業からの引退配偶者や近親者との死別、出生などによっても老いを自覚させられる。」(『中高年の心理臨床』)

 

予想以外のことが立ちはだかり、とまどいます。そして、いつまで生きるかという予想もできないので、その日暮らしだと思います。今日もたっぷり時間はあります。

 

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漫画「君たちはどう生きるか」がテレビで [寛容な社会]

 

 

NHK『クローズアップ現代+』で漫画「君たちはどう生きるか」があっているのを偶然知り観ました。原作は80年前の吉野源三郎のものです。当時、日中戦争がはじまり戦争の時代に突入します。今、この漫画が支持されるのは事態の共通性があるというのはジャーナリストの池上彰さんです。何か意見を言えば「反日」だと攻撃し、上を見て忖度する社会ではないかと警告します。タレントのベッキーさんは、不倫騒動で感じ、思いを重ねたことを吐露しました。漫画家の羽賀翔一さんは、原作を現代に合うための工夫について語りました。

 先日、新聞記者のコラムに斜陽産業である新聞と書かれていたのに対し、漫画「君たちはどう生きるか」の動きは、ネットニュースだけでは満足できない人たちが多くいて、そこに向けた発信が可能ではないかと書きました。番組は成人の日を意識した者でしたが、登場したのは若い人だけではありませんでした。そこに番組の意図を感じました。

 

それとは関係ないのですが、気になった新聞記事からです。先の番組でもコメントされていた高橋氏の回答ですが・・

 

ブサイクを利用して結婚を邪魔したいのかもしれませんが・・・。見た目の悪い人の方が多いと思いますので

 

「人生相談

彼をブサイクだとやゆする父=回答者・高橋源一郎 毎日新聞201818

お付き合いしている男性との結婚を意識しています。父は孫をほしがっているようですが、彼の写真を見て「もう少し選んだ方がいいんじゃない?」「子供に遺伝するよ」と言い、ブサイクだとやゆします。普段は父と仲が良いのにケンカになります。彼は愛嬌(あいきょう)があります。それでも、「そんなにブサイクなのかな」と、思ってしまいそう。見た目ってそんなに大事でしょうか。(28歳・女性) (以下略)」

 

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「どう生きるか」が問われていると [支え合う社会]

 

 

社会の底流を知ることができたエピソードです。

 

「漫画 君たちはどう生きるか」(著者 吉野 源三郎 (原作),羽賀 翔一 (漫画))が読まれているという。次の投稿もそのことだと思います。私も読んだ記憶がありますが、内容までは記憶していません。

 

「(ひととき)改めて「どう生きるか」201819日朝日新聞

 吉野源三郎さんの「君たちはどう生きるか」が、再び読まれているという。

 テレビでその本の名を聞いたとき、思わず「私、持ってるー!」と叫んでしまった。

 中学2年の春がよみがえる。町の小さな本屋で見つけた時、タイトルが大人への扉を少し開けてくれるような気がして、本を抱えてスキップしながら帰った。その後、五十余年の長い年月がたち、さまざまな生活の変化があったが、その一冊はなぜか私の書棚の一角にいつもあった。

 久しぶりに手に取ると、ページの周囲は茶色にくすんでいて、昔の表現もいっぱい出てくる。しかし、暴力のこと、戦争のこと、「本当に立派になることとは何か」などなど、色あせないことばかりだ。

 「君たちはどう生きるか」。この本は、あれから半世紀生きた私に、「それで、君はどう生きたのか?」と問いかける。喜びも、怒りも、悲しみも、楽しみもしっかりつまった年月は、決して「あっという間」ではなかった

 これから私は「老い」という未知の世界に向かう。改めて「さて、君たちはどう生きるのか」と問われている気がしている。(主婦 67歳)」

 

67歳の投稿者は「あっという間」ではなかったと言う。自閉症の東田直樹しは「人の一生が、どれだけ短いか、死を前にした人なら誰でもわかるだろう。人生は短く,後悔の連続である。今君の持っている悩みも、いずれ過去になり消え去るだろう」(『自閉症のうた』)

扱っているテーマが異なるので長短比較が適切でもないかもしれません。両方に言えるし、言えないのかもしれません。

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リハビリをあきらめない [リハビリ]

 

 

私が脳梗塞になったのが13年前です。発症して2日目からリハビリが始まりました。リハビリの効果はどうなのかと疑問だったのですが、歩ける距離がどんどん伸びていきました。最近は老化による衰えのスピードが速いし、リハビリに通っていないので衰えるばかりですが・・・。

 

「(コータリンは要介護5)新年の目標は「諦めない」201818日朝日新聞

   ■Reライフ 人生充実

 2018年が始まった。ボクにとっては、さらに新しい何かが始まる年の予感がする。ワクワクしている。

 まあ、身体のほうは、年齢とともに色々な部分が後退していることは否めない。

 が、リハビリは裏切らないというのも本当で、やればやるだけ返ってくる。病直後の1年で、「これからあまり回復は望めない」と宣告されたのは何だったんだろうと思うほどだ。

 そのころのボクはまだ何が何だかわからず、左半身の麻痺(まひ)やノロノロした頭の動きが、自分の中で起きていることとは思えなかった。けれど、周りの人たちは諦めずに懸命にリハビリを計画してくれた。最悪、前進はなくても後退の曲線が緩やかでいられるように。

 ボクが「もういいや、このあたりが限界かな?」と思った地点もあった。だけど、手を替え品を替え、誰かが諦めようとすれば誰かが「もう少し」と言ってくれて、ここまで来た。

 去年の入院では拘縮が進み「こんな短い間に」と驚いたが、それから半年、入院前ぐらいには戻った。「諦めないこと」。それが今年の目標だ。

     *

 こうたり・ゆうじ コラムニスト。愛称コータリン。60歳。2011年秋にくも膜下出血で倒れたが、リハビリをしながら自宅で執筆活動中」

 

ここに書かれているようにリハビリは180日程度までが効果があるとリハビリの期間制限が出されたのが、たしか2006年だと思う。180日という根拠はあいまいなものでしたが強行されました。先のコラムにあるように1年経過しても効果があるものだと思います。診療報酬総額を下げるためのこじつけだったと私は思っています。

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楽しい人生を願う [障がい者問題]

 

 

先日、少し暖かったのでダウンでは暑くなりそうだしと薄手のコートにした。そしたらポケットから名刺入れが出てきました。それには交通系のICカードも入れているのでさがしていたのですが、どこかで落としたものと思っていました。最近失せ物が増えましたが、出てくると嬉しいものですね。

 

次は単純な絵のすばらしいですかね。

 

「次男の絵 福岡県嘉麻市・58歳 毎日新聞201816日 西部朝刊

 次男の翼が通う障がい者施設でお祭りがあった。その帰り道、Y君のお母さんから声を掛けられた。「特別支援学校を卒業し、施設に通い始めて不安だった時に息子が翼君の描いた絵をもらってきてうれしかった。にこっと笑った顔を描いてあり、今も大事に持っているんですよ」と言ってくださった。

 2、3歳児が描くような単純な顔の絵だが、次男の描いた絵をこんなふうに思ってくれる人がいるなんて、私の方こそうれしさがしみじみこみ上げて幸福な気分になった。

 保育園、小中学生の頃は人懐っこくて誰にでも話し掛けたり、同じことを何度言ったりしても許されていた次男。だが、成長するにつれて周りから「変な人」と思われたり、「うるさい」と言われたりして、だんだん人とのコミュニケーションを取るのが難しくなってしまった。

 だから、こうして自分が描いた絵を渡すと「ありがとう」とお礼を言ってもらったり、「上手ね」と褒められたりするので次男の唯一のコミュニケーションの手段になっているようだ。

 本当は人が大好きで関わりたいけれど、うまく関わっていけない次男を見ていると、子供が人見知りするように人付き合いの苦手な私と重なり、何だか切なくなる。

 障がいがあっても人は人生を楽しむために生まれてきたのだから、次男にも楽しい人生を送ってほしい。友達ができたらいいね、好きな楽しみを見つけてストレスを解消できたらいいね、と願う日々が続いている。 」

 

かつて作業所に通っていた自閉症の方が墨で書いた書がありました。台所にかけては1日1回は見ていました。上手なのかどうかは分かりませんでしたが、気持ちが落ち着くのです。そんなことを思い出してなつかしい思いになりました。

 

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子は育つ [支え合う社会]

 

外の顔は育っていた。

 

「(声)仲居になった娘の成長に驚き 57歳 201816日朝日新聞

 娘は、大学を出て旅館の仲居さんになった。なぜかは定かではないが、自分の足で就活を進め、仕事を決めてきた。

 昨年末、職場の忘年会で、娘が働いている旅館を訪れる機会に恵まれた。私が到着すると、娘は玄関で笑顔で待っていた。少し照れつつも、館内の説明をしながら、部屋に案内してくれた。

 私が部屋に入ると、同僚から「玄関でいきなり『いつも父がお世話になっています。小島

です』と娘さんからあいさつされてビックリしました」と言われた。それを聞いて、こちらが驚いた。娘は自分からあいさつすることなど苦手な方だったからである。

 夕食をとる宴会場には、周りの状況を見ながら給仕する娘の姿があった。大学時代は

自分のことすらできず、親からそのことを指摘されると、むっとした表情で素っ気ない返事

を返していた娘が、満面の笑みで、てきぱきと仕事している。(以下略)。」

 

子どもは外ではそれなりに成長を重ねているのでしょうか。そうあって欲しい。

思い出したのが先日読んだ萩本欽一さんのリフォーム会社で働く次男のことです。

「『お父さん、うちをリフォームしていい?』入社以来、営業成績が全く上がらないので、手っ取り早く実家のリフォームを受注しようという魂胆。もちろん怒りました。 「仕事ができないからって親に泣きつくお前は最悪だな。ろくなサラリーマンじゃない。だけど、どんな事情でも、子どもが困っていたら助けるのが親の役目なんだよ。いざとなったら助けるって、子どものころに言っただろう。その話、乗ってあげるからうちを直しなさい」

そう言って僕は先に喫茶店を出ました。翌日、また次男から電話がかかってきたので、「何だ?」と聞いたら、「いや、昨日言い忘れちゃったから・・・どうもありがとう。 それが言いたくて」。そう言って電話を切ったと思ったら、またすぐかけてくるので、「まだ何かあるのか?」と聞くと、「もう一つだけ。体、気をつけてね」。」(『ダメなときほど「言葉」を磨こう』)

 

不器用に生きる子どもへのエールがいい。そして、きちんと分かっている息子も。

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あくせくせず [高齢者]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「西日の輝きに人生を重ねる  54

仕事をしている部屋はこの時季、西日が入る。西日でもその光は暖かく、ありがたい

最近、夫とよく話す。「2人でいられて良かったね」と。昨年、夫は大病を患って緊急入院。あの時、私は1人になるかもしれなかった。今年、私は原因不明の不調に陥った。根気は要るが、体質改善に取り組んで いる。 夕方、スーパーに行くと 助け合いながら買い物をす る老夫婦を見掛ける。長い人生を共にしてこられたのだと温かい気持ちになる。私たちは子育てが終わり、孫もできた。人生の後半に差し掛かったのだ。窓に差す西日の輝きに、人生

への思いを重ねる。やがて、日は沈む。けれども、まだ頑張れる。西日は夕焼けと いう美しい景色も生む。 私たち晩年の景色は夫と 2人して穏やかにつくって いければ幸いである。人の 幸せとは、いるべき人がそこにいることである。 西日は斜陽ではない。」( 20171216日西日本新聞)

 

さしずめ私の西日はとうに大分傾いています。

次の投稿も共感することが大です。

 

「あくせくやめ 足元見直そう  84

福岡県久山町で町政の指標に、自然環境や人間関係、健康を数値化する試みが始 まるそうだ。犬鳴山に連なる奥まった場所だが。九州大学と協力した大規模な健康調査など、ひと味変わった町だなと思っていた。ヒマラヤ山中の王国ブータン。国内総生産(GDP)に替わる国民総幸福量(GNH)を国政、民生の指標にしているそうだ。地勢的に発展しようのない小国の負け惜しみと言う人もある ようだが、真実は知る人ぞ知るである。 富の蓄積競争を生きがい  にする人は多い。しかし仕事に精を出すのも、蓄財に知恵を絞るのも、詰まるところは豊かな暮らしを求めるためであろう。稼ぐあまりに命をすり減らしては、本末転倒である。アベノミクスがスタートして久しい。三本の矢もよかろうが、経済成長、物価2%アップは何のためか。私たちも、そろそろ立ち止まって考える時が来ているのではないだろうか。」(同前)

 

物価2%上がっても庶民はそのまま負担増になっています。

 

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100年前の「陸王」 [テレビ]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「シクラメンに 姉の魂が宿る 65

生花店の店先には、色とりどりのシクラメンが並んでいる。シクラメンを見ると、若くして亡くなった姉 を思い出す。 姉は中学生の時から英語 が大好きだった。私たち兄弟を進学させるため、中学卒業後、昼間は工場で働き、夜は高校に通いながら必死に英語の勉強を続け、卒業後は夕方から板付米軍基地(現在の福岡空港)で夜遅くまで働く、美しく聡明な自慢の姉だった。姉は21歳の夏、体を壊し、病院で検査を受けた。がんの末期と診断された。闘病中も英語の勉強を続ける姉の病室の窓辺には、小さなつぼみの鉢植えのシクラメンがあった。次から次へと花を咲かせるシクラメンのように、一日でも長く生き続けてほしいと願う父母の願いもむなしく姉は22歳の誕生日を迎えた後、春を待たず天国へと召された。 姉の魂はシクラメンに宿りわが家の居間へと帰ってきた。そして、下向きの 小さな紅色の花をいくつも 咲かせてくれた。」(20171230日西日本新聞)

 

年末の「陸王」最終回を観ました。最初の頃は見ていたのですが途中切れていました。足袋会社という伝統商品の企業がマラソンシューズを開発する物語でした。それが実在する話に似通っているという。大手企業と地場産業の開発競争に痛快な気分を味合わせてくれました。

 

「マラソンの父原点の足袋

100年前の「陸王」

金栗さん、日本初のシューズ開発に協力

今冬、高視聴率で話題となった池井戸潤氏原作のテ レビドラマ「陸王」。ランニングシューズの開発に挑む老舗足袋店の企業再生ストーリーが共感を呼んだが、ドラマ内で開発された足袋型のマラソンシューズ「陸王」を連想させるマラソン足袋が100年以上前 に実在した。東京の足袋店「ハリマヤ」の故黒坂辛作氏が1912年ストックホルム五輪に日本で初めて出場したマラソンランナーの故金栗四三氏(熊本県和水町出身)のために作ったもの。九州一周駅伝や箱根駅伝創設にも尽力し「マラソンの父」と呼ばれた金栗氏とマラソン足袋の関係を追った。(以下略)」(同前)

 

 

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略称の脅威 [貧困]

 

 

「アスペ」と使わられていると知りませんでした。

 

「(声)「アスペ」使っていませんか 22歳 20171225日朝日新聞

 

 アスペルガー症候群を略した「アスペ」という言葉を、その障害を持った人や、空気の読めない人への蔑称として使う人が少なくない。SNSを見れば、こうした偏見が当たり前のように扱われていて嘲笑するコメントさえある。

 私は当事者として、このような状況に怒りを感じる。確かにアスペルガー症候群の人は、空気を読むことや、人とコミュニケーションをとることが苦手ではある。だが、それを笑う必要性がどこにあるのか。空気を読めない人を軽蔑するなんて、ただのいじめじゃないか。

 小学生や中学生なら、「人を馬鹿にするようなことをしてはいけないんだよ」と言って許せるだろう。しかし、問題は大人である。大人が、これから世に出ようとする大学生が、平気でこうしたことを書き込む。それが現実だ。(以下略)」

 

障害者差別解消法というのが成立して実行されているのに、このようなことが広がるのはどういうことでしょうか。差別は法律違反なのです。生活保護の人を「ナマホ」と呼ぶのと同じ発想かもしれませんが、呼ばれる側の立場に立てないのは民族差別の発想と似ているのかもしれません。

こうした風潮に乗っかるような政治にも問題があるように思います。

 

「(声)生活扶助費引き下げ、再考して 71歳 20171221日朝日新聞

 

 来年度から生活保護費が引き下げられることになった。食費や光熱費などの生活費にあたる「生活扶助費」の引き下げ幅の上限は5%に抑えられるというが、生活が苦しくなることに変わりはない。

 生活扶助費の基準は、生活保護を受けていない一般世帯の年収下位10%層の生活費と連動している。低所得世帯の生活水準が下がったら生活扶助費も下げるということだ。何とかやり繰りして生きているのに、更に切り詰めろと迫られているようなものだ。

 考え方が間違ってはいまいか。低所得世帯に合わせるのではなく、最低限の生活を送らざるを得ない一般世帯の所得を上げる方策を取るのが先ではないか。生活扶助費の引き下げは、就学援助や住民税の非課税基準などに影響を及ぼす。該当する人々の生活を圧迫するのは目に見えている。何と想像力に欠ける政府か

 生活保護を受ける人の多くは高齢者や障害者、母子世帯といわれている。生活保護の受給は所得格差と高齢化がますます進むこの日本では、誰にでも起こりうる。国民が安心して暮らせるよう、引き下げは再考し、生活扶助基準の算出方法を早急に見直すべきだ。」

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老松神社  [生活]

 

 

西鉄下大利駅絡む電車に乗るときに歩く道の傍に神社があります。公民館の前ですがいつもは急いでいるので神社があるという認識はありましたが、どんな神社かは知りませんでした。見ると「老松神社」とあります。説明板には菅原道真ゆかりの神社とはありますが、詳しくは分かりません。正月だからかきれいにされていました。そういえば近くの御笠川吹きにも老松神社があったと思って検索すると「道真公が大宰府に流されたときに上陸した地」のような説もあるという。他にも、福岡市や山口県などにも同名の神社があるというので詳しいことは分かりませんでした。

 三が日に地元の神社を改めて訪ねましたが、どこもきれいに清掃して大事にされていることに感銘を受けました。維持していくのも大変だろうと思いました。

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博多のアレコレも [読書]

 

 

今年最初に読んだ本は昨年末亡くなられた葉室麟氏の『

』です。博多の絵師里緒と里緒付のお文の男女の愛と肉親との愛憎を軸に様々な愛が登場します。気が付いたのは『濡れ衣』の発祥とされる「濡れ衣塚」ことなど博多の蘊蓄が随所に出てきます。

箱崎という地名があますがそのいわれについて

「神功皇后が三韓征伐から帰国し、宇美の地で応神天皇を産んだ際、その御胞衣(おえな)を箱に入れて浜に埋め、その印に植えた松を筥松(はこまつ)と呼んだことに由来するといわれる。」

宇美(うみ)というのは現在の糟屋郡宇美町の宇美八幡宮が応神天皇が産まれた地としてまつられています。また、筥松というのは以前は「箱崎松原」などという地名があったと思います。

 次に博多山笠の関りで

「山笠をゆっくりと引いて町を練り歩くのがかつての習わしだったが、かねてから仲が悪かった恵比須流と土居流の山笠が、お互いを追い越そうと走ったことが評判になって、速さを競う 勇壮な〈追い山〉が行われるようになったという。」

さらに山笠の安全を祈った「〈お汐井取り〉は、山笠の時期に筥崎浜に祭の無事を祈るお浄めの砂、〈真砂〉を取る行事で、男たちは小さな竹籠に砂を入れて持ち帰る。日差しの中、締め込みだけの男たちの姿は精悍な 空気を漂わせている。」

もうひとつ「福岡藩には街道が六筋あり、二十七か所の宿場町が設けられている。長崎街道に属するものを<筑前六宿>といい、それ以外を<筑前二十一宿>と呼んだ」と。

 

物語は作者のやさしい眼差しに包まれて展開します。


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ラジオで相模原事件を聞く [障がい者問題]

 

 

12月29日の夜、福岡市のRKB毎日放送とTBSラジオで放送された『SCRATCH線を引く人たち』をラジコで聞きました。制作したのはRKB毎日放送、放送記者の神戸金史氏です。神戸氏は自閉症と知的障害のある19歳の子供さんがいらっしゃるという。RKBでも何度か放送されたように思う。長男が障害者でなければ楽に生きていられたのではないかと思うが、19人の障害者を殺した被告の「親は権利ばかり主張している。謝ってから主張すべきだ」との意見に対して、一線を画すことが強まっていると感じます。例えば、関東大震災で朝鮮人が虐殺され、公的な記録にあるにもかかわらず、事実がなかったかのように都知事は過去の慣例を破り、メッセージを送らなかった。私が思うに、こうした小池氏の政治姿勢は分かっていたのにTBSも「小池劇場」としてもてはやした。

 被告と面会した記者は、「人の心を失っている人たち、安楽死などを求めるべきであり、70年ほどの人生にお金を使うのはどうか」という趣旨の発言を繰り返します。そして障害者はむ「人としての感情がない」から殺した。後悔はないという。「落とし物を拾ったから届けるのと同じ」と言い放つ。

 識者へのインタビューでは「奪っていい命はない」「忘れられていく危険」そして「被告も私たちも時代の子」であると語られます。

 殺される側の意見はどうだろう。整理ができない。

 

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73歳 まだ若いとは言えず [読書]

 

 

『90歳。何がめでたい』というのが2017年の最初に読んだ本で、最期に読んだのが『

』(萩本欽一著)です。両方とも分かりやすいのが助かります。登場人物がたくさんになってくると誰が何をしているのかなど分からなくなってしまいます。それと、言葉が難しいと読むペースが遅くなります。2016年が67冊。購入金額が4万円弱で2017年も65冊と金額も100円台が違うくらいです。限界がよく分かります。

読んだ冊数はもっと多いのですが、半分以上が図書館のものですから、表紙だけを見て借りますので自分の好みとは違うことも多いです。欽ちゃんの本によれば70代はゴールだと思っていたという。だが、75歳になってスタートだという。大学にもいかれていますし。わたしはゴールだと思っていますが、それでは面白くないかもしれませんね。 


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空は破れたか? [平和]

 

 

 

「秋の野草散策から

ハギやクズの花つぼみを野道で見かけるようになった。そろそろ秋の七草のお出ましだ。大宰府在任中にハギ、ススキ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジ バカマ、アサガオ(キキョウ)を詠み込んだ万葉歌人、山上憶良ゆかりの地・太宰府市のだざいふ遊園地内にある「七草園」には、環境省レッドリストで準絶滅危倶種指定のフジバカマも植栽されている。 「源氏物語・藤袴」の章を開くと、若い公達が持参したフジバカマの花を受け取って姫君が困惑するシーンに登場する。「おなじ野の露にやつるる藤袴」と境遇に共通点があることを口実に「あはれはかけよ」と言い寄られる薄幸の美少女・玉蔓。この姫君の胸の内を伝える歌で「藤袴」の章は結ばれる。(以下略)」(2017912日西日本新聞)

 

村田氏は「戦争で空が破れたのは今に始まったことではない」としています。ミサイルの脅威は、そのものよりそれを利用する支配者の心持に薄気味悪さを感じさせます。なぜか。その日の食べ物の心配を呑み込んでひとつの装置1000億円を超す武器が2セット買いますと簡単に決まってしまうことの恐ろしさに空が割れそうに感じます。

 

「この世ランドの眺め 村田喜代子

ふと三十年前に亡くなった祖母のことを思い出した。 戦争で空が破れたのは今に始まったことではない。規模の大小はあるが、七十二年前の太平洋戦争末期、祖母は北九州の空 がB29の空爆でズタズタに破れるのを見た。そして祖母の親戚は広島や長崎の空が吹き飛ぶのも見たのだった。 戦争を体験した祖母たち年寄りは、それからどんな孤独を噛み締めて生きてきたろうか。死者となった友達とでさえ、時代を共有できない孤絶感を味わうのに、祖母たちは共に生きていく孫や子にも共有されない記憶を抱えていたはずだ。今や戦争体験のない人間が大半の世の中で、私もその一人だ。政治家のほとんども、総理大臣もまさにそれ。天が破れた話を聞く人もなく、語れる人も稀少になった。人間はわが身の体験がすべて別なのだ。東日本震災で被災に遭った人々の体験を、わが身に置き換えることもできない。

ただ、私たちは今日までは破れた空や海を繕いながら生きてきた。人間は賢いのか愚かなの

か。私は賢い方に賭けたい。(以下略)」(同前)

 

 

 

 

 


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新年のご挨拶

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弔う [寛容な社会]

 

 

NHKの「72時間ドキュメント」の今年の好評番組は、街の小さな葬儀社での模様だったそうです。高齢化社会・多死社会の反映なのでしょうか。2017年の終わりにあたって恒例の今年亡くなられた方の追悼が報道されています。まずは日野原重明さん。通販で買った『生きていくあなたへ―105歳どうしても遺したかった言葉』はまだ読んでいませんが、いろんな言葉に励まされました。林京子さんはヒバクシャで核廃絶の動きがなかなか進まない絶望と苛立ちの声が印象的でした。年末に亡くなられ改めて読み返しています。『実朝の首』を読みました。野際陽子さん。NHKで男社会の働く場での苦闘を下重暁子さんと共にあったというのを知りました。時代の先駆者だったと思いました。

 

新聞の投稿欄からです。

 

「(声)安らかな死になぐさめられて 72歳  20171229日朝日新聞

 今月1日、母方の叔父が102歳で亡くなりました。入院したことも施設に入ったこともなく、自宅で初めて入浴サービスを利用して、気持ちよさそうに眠るように亡くなったそうです。

 13年前、母が92歳で亡くなった時も安らかでした。入院中の病院から知らせを受けて駆けつけると、体はまだ温かく、優しくほほえんで眠っているみたいでした。数日前から積極的な治療はやめ、死の前日はイチゴを少し食べ、おいしいと言いました。

 母の安らかな死は私を癒やし、なぐさめてくれました。19歳の息子を交通事故で奪われ、その傷の癒えない中で58歳の夫も亡くし、心も体も弱り切っていた私は、たまらず入院中の母の元に通って、食事や洗濯の世話をしました。実家の庭の花を届け、母の飼い猫の様子を話してきかせました。猫に会うための外泊も実現しました。うれしかった。

 長生きして寿命を全うした叔父と母は、不幸続きだった私を励ましてくれる。あなたも元気に生きて安らかに死ぬ姿を見せなくてはだめ、と。

 叔父さま、お母さん、ありがとう。元気に生きていきます。」

 

四苦といわれる「生老病死」と言われる亡くなることが安らかであったこと、長寿を全うすることで生きてるものを励ますというこの上もない亡くなり方です。

 映画「おくりびと」に見る死生観については島薗進氏は次のように述べています。

 

「死を「別れ」にたとえるのは珍しいことではないが、「門」にたとえたり、再会を約束するというのは日本の死生観では新しいかもしれない。はかない絆の回復の希望が強調されているのだ。また、「門番」の比喩は平吉という登場人物に高い象徴的な意義を与える役割を果たしている。

筋書き要約の折にも示唆したように、もっとも感動的な場面は、大悟と父の遺体との出会いの場面である。突然、父の死の知らせが舞い込んだ時、大悟は遺体を弔うことを拒否する。自分と母を捨てて去った父への恨みは深い。だが、親は子どものことを深く気づかっていたはずだと察する美香や、自ら愛人のために幼い子どもを捨てて今なお会うことができないでいるNKエージェント事務員、上村百合子(演者一余貴美子)に説得されて、大悟は現地に赴く。

父は段ボール一つの所有物とともに、漁協の小さな部屋に横たわっていた。孤独にさすらう身の父は、漁師の仕事を手伝って小さな部屋を与えられて暮らすうちに静かに亡くなった。悲しい 孤独死である。大悟はその顔にかけられた布を取りのけて、父の死に顔と対面する。 情けないけど覚えていない。おやじの顔、こんな顔してたって見てもわからないんだ。何だ ったんだろう。この人の人生って。七十数年生きて残したものがこの段ボールだけ。 だが、その遺体の身仕度を整えようとして、大悟は父の右手がかたく握りしめられているのに

気づく。左手と組み合わせるため、丁寧にしかし力を入れて何とかその手を開こうとしたとき、その右手から小石がこぼれ落ちた。その時、大悟の脳裏に幼い自分が向き合った父の顔がよみがえる。チェロを教え、石を受け渡した父の面影が。淋しい最期だったが、愛の絆はかろうじて保たれていた。」(『日本人の死生観を読む』)

 

死者が受け渡したものが示されています。それは生きてるものへの救いになります。

 

 

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障害者が生きていける社会こそ [平和]

 

 

「福祉新聞1225日」で近藤原理氏の人が書かれていました。私が関係する団体で15年ほど前に講演をしていただきました。私は「なずな園」のことは知っていましたが、詳しいことは知りませんでした。新聞の訃報などで先駆者の思いを知りました。

 

「先駆者の死去

障害者と共に生き老いる  宮武剛

近藤原理さんが85歳で亡くなった。知的障害者と共に暮らした生涯であった。 かつて炭鉱でにぎわった 長崎県北松浦郡佐々町の丘陵にある自宅を「なずな園」と名付けた。6人の園生を迎えたのは1962年の秋、北欧でもグループホームが生まれた頃だ。行き場のない、主に18歳以上の障害者と「少し大きな家族」をつくった。「誰」 でも家庭で暮らすのが当たり前。どうしても無理なら、できるだけ家庭的な環境で」という揺るぎない信念だった。

原理さんは隣の佐世保市で障害児学級の教員として働いて給与を注ぎ込み、田畑を耕し、豚や鶏を飼い、栗や柿を植えできるだけ自給自足した。寄付は一切断った。逆に園生たちは保育所に草むしりに出かけた。お祭にも行く。選挙の投票もした。「受け身では発達しない。 いま住む町に溶け込んで」。 70年代初め、毎日新聞佐世保支局で駆け出し記者だった筆者は原理さんと知りて合い、なずな園を足繁く訪ねた。一見、牧歌的な共同生活だが、妻も子も妹も巻き込む24時間・年中無休の日々だ。

なぜ、それほどまでに――

原理さんの兄は長崎市で勤労動員中に被爆死した。「母と探して見つけた遺体はどす黒く、泣きながら焼いた。2度と間違った教育をしてはならない。特に障害者が生きていける社会こそ平和の証しと信じて。原理さんとなずな園は長らく孤高だった。60年代後半から障害の種別ごとに専門施設が造られ、巨大なコロニー(集団居住地)の出現に至る。大半は山間部や 海辺に建設され、家族とも 地域とも切り離された。 その大きな流れに抗し、 「なずな障害者教育福祉合宿研究会」(通称・なずな合宿研)を始めた。長崎純心大学教授に転じても各地で開き、参加者は延べ6000人を超えた。 公的な身体障害者の福祉ホーム、知的障害者のグル ープホームが登場するまで20年余の歳月を要した。 (以下略) (本紙論説委員)

 

平和と障害者が生きていく社会との関連で語られることは少ないです。ですが、周辺国の武力脅威をあおることで「選挙に勝った」とし、さらに武器購入を進める動きが、障害者にとって生きやすい時代なのかも問われてるのではないか。

 

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