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このブログは障害者問題を中心に退職者の日々の思いや脳梗塞後遺症とのつきあいの日々をつづります。この下の記事からが本文です

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西日本新聞より
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前の20件 | -

医療者と患者を誰がつなぐ [医療]

 

 

医療者と患者を誰がつなぐ

 

 

 

 

 

「がん患者に対話と交流を 「がん哲学外来」樋野氏講演

 

病気になっても病人になってはならない。「がん哲学外来」の提唱で知られる順天堂大医学部の樋野興夫教授(63)、が福岡市で講演し、がんを告知されて死を意識したときの生きざまを説いた。日本人の2人に 1人ががんにかかるといわれている。樋野教授は「どんな境遇でも役割がある。困っている人に手を差し伸べて」と呼びかけた。(略)

 

樋野教授は「人間には最後に『死』という大切な仕事がある」と表現。「若い時に華やいだ生活をしようが苦しい生活をしようが、人生は最後の5年間をいかに過ごすかで決まる」と指摘し「がんも一つの個性。人間には使命があり、病気でも病人にならない社会づくりが必要」と語った。医師に対しては「患者と同じ目線を」と訴えた。(以下略)」(2017424日西日本新聞)

 

 

 

がんカフェの様子をテレビで見ましたが、患者と家族の声を傾聴する場が必要ですね。その意味では、下記の報道は残念ですが、新しい動きが必要ですね、

 

 

 

「苦情が医療者の認識変えた

 

患者の権利オンブズマン

 

活動18年 福岡市で解散報告集会

 

 

 

患者や遺族から苦情を受け付け、医療機関などに対応を迫ってきた福岡市のNPO法人患者の権利オンブズマン(久保井摂理事長)の解散報告集会が23日、同市、・天神であった。「苦情 に学ぶ」を合言葉に、患者 側と医療機関が対立する訴訟ではなく、対話による解決を目指した活動を関係者が振り返った。514日の臨時総会で解散する。欧州の苦情解決制度を参考に、19996月に発足。研修を積んだボランティアが相談に応じ、医師や看護師、弁護士らが助言 して約6600件を受けてきた。同様の取り組みは関 東や関西などにも広がつた。 同集会では冒頭、副理事長の平野亙・大分県立看護科学大准教授が解散の背景に入手不足や財政難などがあったと説明した。 続いて5人がパネル討 論。発足時からの相談員、 福山美音子さんは「話をするたびに元気になり対医療機関の『気持ちを理解できず申し訳なかった』という、一言で納得された相談者がいた。患者や家族の思いを 受け止める場がいかに大切かを知った」と報告。医師 として活動に協力してきた熊本市西区の病院長、赤木健利さんは、患者によるカルテ開示請求が珍しくなくなったことに触れ「活動は

 

医療者の認識を変えた」と評価。宮若市の病院長、有吉通泰さんは「医療には近年厳しい目が注がれておりこうした組織はより必要になるのではないか」と解散を惜しんだ。」(同前)

 

 

 

 

 

「がん患者に対話と交流を 「がん哲学外来」樋野氏講演

病気になっても病人になってはならない。「がん哲学外来」の提唱で知られる順天堂大医学部の樋野興夫教授(63)、が福岡市で講演し、がんを告知されて死を意識したときの生きざまを説いた。日本人の2人に 1人ががんにかかるといわれている。樋野教授は「どんな境遇でも役割がある。困っている人に手を差し伸べて」と呼びかけた。(略)

樋野教授は「人間には最後に『死』という大切な仕事がある」と表現。「若い時に華やいだ生活をしようが苦しい生活をしようが、人生は最後の5年間をいかに過ごすかで決まる」と指摘し「がんも一つの個性。人間には使命があり、病気でも病人にならない社会づくりが必要」と語った。医師に対しては「患者と同じ目線を」と訴えた。(以下略)」(2017424日西日本新聞)

 

がんカフェの様子をテレビで見ましたが、患者と家族の声を傾聴する場が必要ですね。その意味では、下記の報道は残念ですが、新しい動きが必要ですね、

 

「苦情が医療者の認識変えた

患者の権利オンブズマン

活動18年 福岡市で解散報告集会

 

患者や遺族から苦情を受け付け、医療機関などに対応を迫ってきた福岡市のNPO法人患者の権利オンブズマン(久保井摂理事長)の解散報告集会が23日、同市、・天神であった。「苦情 に学ぶ」を合言葉に、患者 側と医療機関が対立する訴訟ではなく、対話による解決を目指した活動を関係者が振り返った。514日の臨時総会で解散する。欧州の苦情解決制度を参考に、19996月に発足。研修を積んだボランティアが相談に応じ、医師や看護師、弁護士らが助言 して約6600件を受けてきた。同様の取り組みは関 東や関西などにも広がつた。 同集会では冒頭、副理事長の平野亙・大分県立看護科学大准教授が解散の背景に入手不足や財政難などがあったと説明した。 続いて5人がパネル討 論。発足時からの相談員、 福山美音子さんは「話をするたびに元気になり対医療機関の『気持ちを理解できず申し訳なかった』という、一言で納得された相談者がいた。患者や家族の思いを 受け止める場がいかに大切かを知った」と報告。医師 として活動に協力してきた熊本市西区の病院長、赤木健利さんは、患者によるカルテ開示請求が珍しくなくなったことに触れ「活動は

医療者の認識を変えた」と評価。宮若市の病院長、有吉通泰さんは「医療には近年厳しい目が注がれておりこうした組織はより必要になるのではないか」と解散を惜しんだ。」(同前)

 

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少しの援助で自立生活が [障害者福祉]

 

 

少しの支えがあれば自立した生活が送れます。

 

「(ひととき)感謝、笑顔、幸せの日々 2017421日朝日新聞

 

 私には生まれつき障害がある。脳性マヒで手足の動きや言葉が不自由だ。でも両親や周りの人たちのおかげもあり、短大でのキャンパス生活も、プログラマーとして働くことも経験できた。縁にも恵まれ、同じく障害者で優しい伴侶と結婚し、今はヘルパーさんたちに支えられつつも、夫婦2人だけで生活している。

 これまでつらく苦しいことももちろんあった。いじめもあったし、6年前には障害が重くなり、それまで自分でできていた食事や入浴に介助が必要になった。以来、夕食は夫に食べさせてもらっている。でも生来の性格なのか、まったく悲観していないし前向きだ。

 上肢のしびれはあるが、まだまだ自分の意思で動かせる左手に絵筆を持ち、食べ物や花など身近なものを絵手紙風にして描いている。もともと絵は好きで学生時代も描いていたが、本格的に描くことを勧めてくれたのは、自分も色鉛筆で素晴らしい絵を描いている夫だ。将来もっと動くのが大変になった時に、家で完結できる趣味を持つのは大切だと。そして、僕はあなたの絵のファンだとも。 絵を描き、見てもらうことで誰かを笑顔にできる。それが何よりの幸せだ。 (兵庫県赤穂市 無職 42歳)」

 

国が推奨する「共生型サービス」になったらどうなるのでしようか。生産性を福祉の現場に求めるのだが、結末はどうなるのでしょう。

 

話題はごろりと変わって・・・。

 

「純文学は既存の価値観を壊す」藤野可織さん

「エンタメは社会への問題提起」千早茜さん

女性作家対談

同世代の女性作家2人 が11日、佐賀市であった「九州芸術祭文学カフエin佐賀」で、「作家を志した瞬間~想像から創造ヘ」をテーマに語り合った。話題は 小説を書くようになった経緯から純文学と娯楽小説の違い、創作の訓練法にまで及んだ。1980年生まれの藤野さんと79年生まれの千早さん。藤野さんは2006年に「いやしい烏」で文学界新人賞を、千早さんは08年「魚神」で小説すばる新人賞をそれぞれ受賞し、デビューした。(略)

創作におけるテーマについて、藤野さんは「既存の価値観を壊すのが純文学。 全然違う価値観を提案できる」一方、千早さんは「エ ンタメは社会の不条理や虐げられた人の苦しみに主題 がいく。問題提起の部分が 大きい」と語った。「小さい頃からメモ魔」 という千早さんが「映画を見ながら情景を文字でスケッチする。映画をいかに文字で書くかを練習している」と話すと、藤野さんも「それは小説を書く上で役に立つ訓練。感情は要らないから、見えたものを見えたまま正確に書き起こすことが大切」と応じた。(江藤俊哉) 」(2017217日西日本新聞

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祈る [支え合う社会]

祈る

 

「理解できない 教育勅語称賛  70

  41日付「春秋」を書き写していたら、途中でペンが止まりました。「教育勅語の愛国教育を『素晴らしいと聞いている』と言う首相や『教育勅語の核の部分を取り戻すべきだ』と国会答弁する防衛相」との文章があったからです。エープリルフールかと錯覚しました。教育勅語は親・ 孝行や友愛など、現代社会 で希薄になっている大切なことも説いています。それは前段だけ、本質は天皇を頂点とした国家体制であり、軍国主義です。その悲惨 な結末は周知の事実です。にもかかわらず、なぜ逆戻りの発想が浮かぶのでしょうか。いかなる理屈を並べても到底、理解できるものではありません。「森友学園」問題を政権が必死になって火消しに奔走する姿。そこには何らかの意図、疑念すら感じます。教育は国家の基本です。同じ過ちを繰り返さない固い信念を持つべきです。」(2017420日西日本新聞

 

ちょっと前の時代ではこんな発言したらどうなっていたのでしょうか。事態の急展開についていけません。

 

久しぶりに 「SWITCHインタビュー 達人達(たち)422日土曜」を観ました。 

福島智×柳澤桂子」でした。番組HPでは次のように説明しています。

 

障害者を取り巻く問題を当事者として研究する東大教授の福島智。難病と闘い、思索と執筆を続ける生命科学者の柳澤桂子。自らの体験を交え「生きるとは何か」を語り合う。

 

9歳で視力を、18歳で聴力を失った福島。指点字という方法で周りとコミュニケーションをとりながら勉強を続け、バリアフリー研究者となった。一方、柳澤は女性の大学進学がまだ珍しかった時代に米国留学、最先端の遺伝子研究に取り組むが31歳で突然、原因不明の難病に襲われた。以来、病と闘いながら生命科学について思索をめぐらせている。番組では福島が2日間にわたって柳澤の自宅を訪ね、命と存在をめぐる対話を重ねる。

【出演】バリアフリー研究者、東京大学教授…福島智,生命科学者柳澤桂子,【語り】吉田羊,六角精児」

 

福島氏の発言にはいつも触発されます。昨日はたしか柳澤さんからだったと思いますが、紙などとは無関係に「祈る」ことの意味が語られました。自分の力ではなんともしようがない運命に遭遇した二人にとっての「祈る」ということはどういうことでしょうか。人間としての希望を見出すためにも「祈る」ことで希望をつなぐということか。そんなものとも違うように聞いた。なんと説明したらよいか。

 

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博多塀 [歴史]

 

 

福岡市の「赤煉瓦文学館」で開かれている立石光世写真展「博多べい」を見に行きました。いろいろと教えられました。そこで配布された資料には次のように述べられています。

 

「博多のシンボルとも言える『博多べい』 (正式名称「博多練り塀)は、1587(天正15)に豊臣秀吉 が多々良浜の戦いや島津氏侵攻の戦いなどで荒廃した博多の町を復興するために行なった『博多町割り』の際、兵火による焼け石、焼け瓦を粘土で固め築いた土塀ですが、『博多べい』の外観は瓦を積み重ね築かれた熱田神宮の『信長塀』に極めて似ており、私はこの『信長塀』が『博多べい』の原型ではないかと考えて います。さらに、『博多べい』には韓国伝統的な土塀の要素も加えられたのではないかと想像しています。 秀吉の朝鮮出兵の折に朝鮮から連れて来られた陶工が、有田の窯業地で窯や仕事場周辺を取り囲むように築いた『トンバイ塀』や遣新羅便の航路上に位置する山口県上関町の祝島で見られる石積土塀の存在が その大きな理由です。このことは歴史的観点からも当時の日本と朝鮮を結ぶ大きな手掛かりになるのではないかと信じています。また、韓国の慶州や安東河回村には現在も『博多べい』に似た風情を持つ石積土塀 が多く見られることから推察しても、『博多べい』のルーツの一端は朝鮮半島にあるのではないかとの想 像に至りました。

『博多町割り』にも関わったとされる嶋井宗室は、酒造販売業、金融業、朝鮮貿易などを生業とし、時の 大名である黒田如水、毛利輝元、茶人の千利休との親交や、晩年の織田信長にも面識があったことなどから 政治的にも大きな影響力を持っていたと推察されます。

また、博多の復興は秀吉の朝鮮出兵(592年・文禄元年)に備えての拠点、づくりで、あったことは明らか で、当時宗室は秀吉の朝鮮出兵には強く反対し、その状況を回避すべく対馬の宗義調(そうよししげ)、義智 (よしとし)らと協力して博多聖福寺の住職景轍玄蘇(けいてつげんそ)に日本の国使として朝鮮との交渉役を委ね、町割り開始の翌年1588(天正16)には宗室本人も派遣団の一人として朝鮮に同行するなど 奔走しています二それだ、け宗室が隣国の朝鮮を大切に想っていたことが窺えます。 こういった背景から宗室は、日本と朝鮮の平和を願い宗室独自のアイデアでこの『博多べい』を築いた のではないでしょうか。

結局、当時は1592(文禄元年)1597(慶長2)の二度にわたる日本軍の朝鮮侵攻により朝鮮の 国土は荒廃、民衆の心のよりどころである寺院は全て焼き払われたのです。平和を願っていた宗室や朝 鮮派遣団一行の想いは残念ながら叶いませんでした。(一部引用)

 

「信長べい」「トンバイ塀」「祝島」及び韓国との関連については初めて聞きました。

 

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太宰府馬車鉄道 [歴史]

 

 

 

連載「天神大牟田線物語」は「鉄路延ばす『宰府詣で』」です。

 

「県内で初めて、道路に敷設したレール上を運行する「軌道」で開業したのは太宰府馬車鉄道でした。1902(明治35)年の菅原道真公千年忌大祭に合わせ、二日市駅から天満宮参道まで開通させています。天神大牟田線も、最初は
福岡市と太宰府天満宮や二日市温泉を結ぶ電気軌道として構想されました。久留米市までのインターアーバン(都市間鉄道)に変更された後も「宰府詣で」の需要は経営の大きな要素で、太宰府軌道(動力を蒸気機関に変えて馬車鉄道から改称)と早々に経営を一体化させました。菅公1025年忌大祭の1927(昭和 2)年、線路を敷き変えて 電化したのが現在の西鉄太宰府線です。
乗り合いバスも同じよう な歴史があります。都市内 の輸送が先行したと思われがちですが、県内で最初の バス路線は1913(大正 2)年の国鉄二日市駅-太宰府。やはり「宰府詣で」の輸送が目的でした。2番目のバス路線は鉄道で結ばれていなかった福岡-飯塚で、福岡や北九州の都市内にバス路線が開設されるのはもっと後年のことになります。(西鉄広報課吉富実)」(2017419西日本新聞

 

これだけの信仰を集めた菅原道真公の力とは・・・。鉄道でなく、歩いての参拝者も多かったという。そのルートを解明した本も出されています。

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40歳で衰え [支え合う社会]

 

 

「仲畑流・万能川柳  毎日新聞2017418日 東京朝刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

 

☆消音で見ると愉快なトランプ氏 いわき バッパさん

さすらいの旅の途中か蟻一匹 安曇野 荻笑

景品が尽きて5等は美女のチュー 白石 よねづ徹夜

有識者便利屋さんのように見え さいたま 高本光政 (以下略)」

 

40歳でも大変になのだ。

 

「人生相談 40歳独身 身体の衰え感じる=回答者・高橋源一郎

 毎日新聞2017417日 東京朝刊

昨年40歳になり、これからの人生に漠然とした不安を覚えています。夜中にトイレのため目覚めるようになり、白髪も目に付くようになりました。身体面の衰えだけでなく、仕事や生活についても不安があります。独身で、介護が必要になったらどうしようかなどと思ってしまいます。還暦までの20年、どのような心構えが必要なのでしょうか。(40歳・男性)

 (以下略)」

 

私の息子たちもいつのまにか40歳を超えています。夜中のトイレ起きは1回では済まなくなった私。白髪は消え、紙そのものが消滅寸前です。だが、私たちの時代は働きすぎなどは労働組合がありましたが、今は歯止めがない。改革と叫んでも100時間の残業は認めるという。

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名前を書きたい [社会]

 

 

「読み書き」を学ぶことができなかった人たちがいることは衝撃的でした。それに増してそのことの苦難と書ける・読めることの喜びの大きさにも。

 

「震えて書いた、ひらがなの名前

  初めて自分の名前を書いた時のことを覚えていますか。
多くの人は、幼くて覚えていないかと思います。 よみかき教室の生徒さんの願いは実にさまざまですが、 おそらく一番多く、かつ一番切実な願いは、名前と住所を書けるようになりたいというものです。多くの生徒さんは、ひらがなも十分に書けませんでした。初めて教室に来られた方には聞き取りを行うのですが、開校当初は「ひらがなも書ききらん」「名前も書ききらん」という方がほとんどでした。
おそらくいろんな葛藤がある中で、勇気を奮って教室ヘ来られています
。せっかくですから、自分の名前を書く経験をしてもらおうと、スタッ フがその方の名前をうすい線
で書き、それを鉛筆でなぞってもらおうとしました。 しかしながら、鉛筆を持ったことのない方は、その持ち方も力の入れ方も分かりません。力を入れ過ぎて芯が何度も折れます。また、私たちスタッフが見ていますので、ものすごく緊張されます。そのために手が震えます。
「書けん」と言いながら、何度も何度も書き直し、ものすごく時間をかけて、初めて自分の名前をひらがなで書き上げた瞬間、その方の目には涙が浮かんでいました。ひらがなではありますが、初めて書いた自分の名前、なめらかな線は一つもなく、震えてゆがんでばかりだけれど、その字には生徒さんのこれまでの人生がぎゅっと詰まっているように思えました。私も、涙をこらえきれませんでした。(よみかき教室スタッフ、九州大教授)」(2017418西日本新聞

 

次に テロ対策は現行法でもできると言われる。何のための法制化が進められているのでしょうか。

 

「保安林キノコ採取処罰も「テロ対策」

対象犯罪の数え方曖昧

法相「ルールない」答弁

金田勝年法相は17日の衆院決算行政監視委員会で、「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案の対象犯罪277について「数え方に一定のルールはない」と述べた。政府は廃案となった従来の共謀罪法 案よりも対象犯罪を半数以下に絞り込んだとしている

民進党の山尾志桜里氏「以前は別罪としていたものが今回まとめて1罪とカウン卜されている」と指摘。

(略)

犯罪実行の「計画」とともに共謀罪の成立要件とさ れる「準備行為」に関し、 金田氏は「計画内容を紙に書き留める行為は実行準備行為に当たらない」との見解も明らかにした。
安倍晋三首相は「共謀罪」法案について「G7(先進7カ国)で日本だけが国際組織犯罪防止条約に入っておらず、国際的な要望があるテロに関する情報の共有犯罪者の引き渡しに必要

だ」と強調した。(豊福幸子)」(同前)


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残されるもの [高齢者]

 

 

エッセイストの吉沢久子さんは、かつて「女一人残されたら大変」だと夫に言ったら「男だって同じだ」と言われたという。大方、そうだと思いますし、自分が先だと勝手に決めていますが・・・。

 

敬愛する詩人・茨木のり子氏の「梅酒」という作品の中では次のように記されています

 

「後に残るあなたのことばかり案じてきた私が

 先に行くとばかり思ってきた私が

 ぽつんと一人残されてしまい

 梅酒を見るのも厭で

 台所の隅にほったらかし

 梅酒は深沈と醸されてとろりと凝った琥珀いろ」(一部引用)

 

残された茨木氏はたくさんの業績を残してくれました。

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テレビの動き [テレビ]

 

 

最近読んだ新聞のコラムなどからです。

 

NHK番組名「やばいっす」 72

「あさイチ」「ひるブラ」「ごごナマ」「シブ5時」「ロクいち!福岡」・・・。これは情報番組を含む一日のNHKテレビ番組のタイトルだ。

何とびっくり、今どきの若者言葉の羅列。わが国唯一の公共放送機関として、日本語使い方には違和感を禁じ得ない。明らかに民放意識してのネーミングだろうが、私たちの受信料で運営されている中で、こんなにも視聴率を気にしなければならないのか、甚だ疑問だ。先月、作家五木寛之氏の
講演会で日本語の持つ意味深さを再認識した。長い歴史を経て、心に深く刻まれ た日本語文化を後世に伝え ることが大切との憂いある 論調が心に染みた。

NHKが、正しい日本語 を使うことは大事ではない か。民放とは違うのである。
最近のNHKの番組タイト ル「まじーやばいっすよねえ」・・・。」(2017417日西日本新聞)

 

このなかのいくつかの番組を観ますが、タイトル名については思いが至りませんでした。次のコラムを読むと、視聴率を相当気にしているようです。どんな番組にも芸人をかり出すのが仕組みとして定着しているとの指摘もあります。

 

「風車

春のテレビ番組改編が出そろったが、中にはドラマ番組以上にドラマチックな編成の内幕が話題になっている報道系の番組もある。
例えばNHKの夜の改編である。 深夜に近い午後11時「ニュースチェック11」のキャスターコンビが、その人気上昇ぷりから、そのまま夜の 顔「ニュースウオッチ9」に起用された。そのあおりで「ニュースウオッチ9」の男性キャスターは降板、女性キャスターは午後7時「ニュース7」に回り、「ニュース7」のキャスターは「クローズアップ現代+」をウイークリーで担当することになった。

放送界の事情通によると、起点は3月までの有馬嘉男・桑子真帆コンビ「チェック11」の魅力にあったらしい。あえてラジオのスタジオのような狭い室内空間を設営し、そこに醸し出される若々しく歯切れのよい話 運びがネット空間でも話題になって
注目度を高めていた。その活力をそっくり、不振にあえぐ「ニュースウオッチ9」に持ち込むことから動いたのが今春の編成替えだった、という。
新「ニュースウオッチ9」はまずまずの滑り出しのようだが、玉突きで急ごしらえの関連番組は何かとほころびを見せている。「チェック11」 キャスターに起用された海外取材の 経験豊富なベテラン記者が、若い気象予報士から画面を邪魔する頭の位置をいじられたり、カメラ目線と同調できず視線が浮いたりで、不慣れな役柄をこなしきれずにいる。女性アナ日替わりの「クロ現+」は1年でダウン、その救援キャスターの表情も硬い。大河ドラマ不調のNKが、報道番組編成の裏話でドラマっぽい話題を提供しているのは、春の異変だろうか(竹若丸)」( 2017413日西日本新聞)

 

「ニュースウオッチ9」は政権の意向をくんでの放送が多いとも聞く。ほとんど見ないが、このコラムを読んでから見てみました。桑子アナは「ブラタモリ」で親近感があります。2度ほど見ただけではよく分かりませんが、テンポは心地よいと思いました。

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「この失敗にもかかわらず」 [読書]

 

 

昨晩、「ハートネットTV」でがんカフェの紹介があっていました。ひたすら傾聴するという。その間、痛みを感じないというのに共感しました。痛みが心の動きに関係していることを示していました。

 

「この失敗にもかかわらず   茨木のり子

 

五月の風にのって

英語の朗読がきこえてくる

裏の家の大学生の声

ついで日本語の逐次訳が追いかける

どこかで発表しなければならないのか

よそゆきの気取った声で

英語と日本語交互に織りなし

 

その若々しさに

手を休め

聴きいれば

 

この失敗にもかかわらず……

この失敗にもかかわらず……

そこで はたりと 沈黙がきた

どうしたの? その先は

 

失恋の痛手にわかに疼きだしたのか

あるいは深い思索の淵に

突然ひきずり込まれたのか

吹きぬける風に

ふたたび彼の声はのらず

あとはライラックの匂いばかり

 

原文は知らないが

あとは私が続けよう

そう

この失敗にもかかわらず

私もまた生きてゆかねばならない

なぜかは知らず

生きている以上 生きものの味方をして」

 

思い出すたびに赤面するような失敗をどれだけしたのでしょうか。この詩を読むたびに自己嫌悪に陥ります。「この失敗にもかかわらず/私もまた生きてゆかねばならない」で救われます。

 

いただいた金谷美穂子歌集からです。難病との生活を描きながら

 

・夫も子も無ければ背かるることもなもなし一人気侭に曳く車椅子

・病む故にひと日の愛し寒茜木々燃え立たせたちまちに消ゆ

函館の青柳町に憧れし十五の頃の懐かしきかな

 

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本質とは違う [支え合う社会]

 

 

相模原障害者施設事件を理由に措置入院などの問題があるとして改正法案が審議されているが、改正理由からその理由を削除したという。事件を利用したと言われても仕方がない。

そんなことが他にも、道徳教育強化で「いじめ」をなくすというが・・・。

 

「『尾木ママ』こと尾木直樹さん は「道徳教育をどんなに強化しても、いじめの克服には役立たない」と強調する。 尾木さんは、道徳を教科化するきっかけとなった2011年 の大津市での中2男子いじめ自 殺事件で、第三者調査委員会の 委員を務めた。
「いじめがいけないことだと 分かっていない子どもはいない」というのが尾木さんの 持論。なぜいじめがいけないか を尋ねたり、議論したりすることにあまり意味はないという。
いけないことだと分かって いるのにいじめてしまう心理や、格差や子どもの貧困といっ
た社会的な背景を考えることが 重要で、いじめ問題を道徳に封じ込めたら駄目
」と言い切る。また、教科化に伴い、教諭は子どもたちを「評価」することになる。「道徳という心の内面を評価できるのか」といった声に対して、合田課長は「O×かではなく、子どもたちがいかに自分のこととして考えているかを先生には見てほしい」と言う。ただ、尾木さんは、高い「評価」

を得ようと「いい子」を演じようとする子どもたちがこれまで以上に増えることを懸念する

「いい子を演じる子の中には、自己嫌悪に陥って苦しむ子も多い。文科省は全く現場を知らず、大津の事件を教科化の理由に挙げることに強い怒りを覚えます」(伊東秀純)」(2017416西日本新聞

 

尾木さんの意見がまともだと思う。道徳教育を強化して子どもを育てたい政権が事件を利用しているように感じます。

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貧しい教師が [読書]

 

 

奨学金が日本を滅ぼす (朝日新書)

奨学金が日本を滅ぼす (朝日新書)



』という本を読みました。

大学新卒で600万円の借金とる人もいて、大学生の5割が奨学金受給者という。こう述べると私みたいな年寄りから高卒で働けばいいなど、世代間ギャップが出てくるという。予断抜きにして高齢者の意識改革が求められていることを知りました。

 

「『最近の若い先生は貧しい』と言ったのです。 私は、近年増加している非正規教員の話かと思いました。学校現場では常勤講師、非常
勤講師など、正規ではない教員が増加しています。彼らは正規の教員よりも給料やボーナ スが安いですから、「その方たちのことですか?」と聞くと、その先生は「違います」と言うのです。
「非正規教員は当然貧しいのだけれども、正規の先生も貧しいのです」と言われるので、
私は「どうしてですか?」と尋ねました。すると、「最近の先生は奨学金を返しているからです」と言われたのです。

そこで私は「はつ」と気がつきました。戦後長い問、小・中・高校の教員、大学での研

究職は奨学金返済の「免除職」でした。小・中・高校の教員の場合、一定期間勤務すれば、

奨学金返済が免除されたのです。

小・中・高校の教員が奨学金返済を免除される制度は、19983月末に廃止されました。そのことをすでに私は知っていました。しかし、現場の教員から「最近の若い先生と聞いたことで、あらためてこの問題に気がついたのです。」

 

私の身内も教師になり免除されました。今より貧しい時代でしたが、お金の使い方が今とは違うということでしょうか。


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洞海湾の古城 [歴史]

 

 

西日本新聞によれば、若戸大橋の下にかば島(パソコンで出てこない「ば」という字)で通称「中ノ島」とも呼ばれたという。そこに福岡藩の出城として「若松城」があったという。幕府による一国一城令により廃止された。明治の頃には工場などがあったという。1940年に安全航行のために削り取られたという。大戦が始まる前です。

北九州市のネットの説明もありました。

 

「もともと、地方の一村落でしかなかった若松村が水運の拠点として大きな役割を担うのは、遠賀川の上流一帯で産出される石炭の積出港になってからである。
(略)

 洞海湾の湾口、若松、戸畑間にかば島(通称 中ノ島)があり、藩政時代は、黒田藩三宅若狭家義の小城が築かれていたが城は後に壊された。

 この島は幕末当時、台場があり、明治大正期には造船所数件と貯炭場などがあったが、昭和1410月当時の内務省が切り取り工事を開始、昭和1512月に完了し、今はその姿をとどめていない。(北九州風土記による)

 また、奥洞海湾入口(八幡製鉄所の西側)に葛島があり葦が生い茂っていたが、埋め立てられ八幡製鉄所と陸続きになり植樹され緑の小山になっている。」

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豊前国と筑前国の境になり、そのための防衛のためのものだったのではないか。

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介護も、葬式も・・・ [介護]

 

 

「手話言語条例県内で初制定  直方市議会が可決

直方市議会は21日、手話が言語であると宣言する市手話言語条例案を可決した。聴覚障害者の基本的人権を擁護し、社会参加を促すのが狙い。市によると、同趣旨の条例は全国74自治体(2月末現在)で制定されているが、県内では初。41日に施行する。

同市の条例は、目的として聴覚障害者が安心して暮らせる地域社会の実現を挙げ、手話への理解や普及を図るための施策を行うとしている。今後、市職員の手話研修や市民向けの講習会の充実などを検討する。この日の採決は、市内外の聴覚障害者ら約50人が傍聴席で見守った。直方手話の会の渡辺登茂栄会長(56)は「これがスタート。絵に描いた餅にならないよう市の施策を見守りたい」と話した。
同様の条例案は22日、朝倉市でも採決予定。(木下良弘) 」(2017322日西日本新聞

 

少し明るい話の後ですが・・・。

介護しないとすれば、公的な介護を利用してということになります。それができればいいのですが。葬式は不要ですし、相続もしないでいい。何か寂しい社会ですが。

 

「介護も葬式も 相続もしない  79

 高齢者が多く、当然ながら葬儀が増える。毎朝、本
紙筑後版「おくやみ」欄に 目を通す。掲載申し込みをしない家族も多くいることだろう。 ところで、内輪だけの家族葬が年々、増加している。 反比例して多くの若者が結婚しないのも、由々しき現実である。ならば、告別式で親族が少ないのも自然の理である。お寺さんもじり貧で、通夜の席では、葬儀や先祖の大切さを切々と説かれる。テレビで、若者の「新三無主義」が放映された。親の介護はしない。葬式はしない。その代わり、遺産も相続しないと。親を捨て、現在の自分たちの生活を守る。どこで、歯車が狂いだしたのだろうか。」(同前)

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人生はどげんでんなる? [高齢者]

 

 

 生きることは厄介なことも多い。予定通りと言う人もいるかもしれませんが、ままならないと思う人も多いでしょう。亡き人を思いながら、思索した人のメッセージです。

 

「亡き家族との物語込めた思い

「生きる力」を伝えたい

闘病の妻との日々をつづった 安武編集委員

人生どんげんでんなる

認知症の母を描き連載100回岡野さん

 

漫画家岡野雄一さん(67)長崎市= が、91歳で亡くなった認知症の母光江さんを中心に家族の物語を紡ぐ「ペコロスの陽だまりの時間」(毎週火曜掲
)4日、連載100回を重ねた。
この節目に、岡野さんと、同じ生活面 の連載「はなパパの食べることは生きること」(20159月から173)を終えたばかりの安武信吾編集委員(53)が、亡くした家族について伝える意味などを語り合った。(井上真由美)

 

安武

亡くなったお母さんを描くってどういう作業ですか?

岡野

自分を産んでくれた人間を思い返すことで、自分の歴史を見返すような気がする。僕の場合、 いろんなトラウマ(心的外傷)を越えるというか、なぞっていく感じ。

安武

分かります。僕は、連載の最後から2番目に書いた「妻とと暮らした最期の日々」は、最初に理由書こうとして書けなかった。後悔がずっとあったから。書く前に、千恵(享年33)を診てくれた在宅医の二ノ坂保喜先生に会いに行った。僕が一方的にしゃべって、最後に「あれがあったからこそ、本当の夫婦になれた気がした」と言った途端、涙があふれた。先生は
「それは意味のあることだと思い ます」と。自分を肯定できた気が して、最期の日々が書けた。

岡野

僕は母が亡くなった直後、天国に行った母ちゃんばかり描いて、ただただしおれている漫 画が続いた。4カ月たったころ、 ギャグを入れたらすごく読者の反応があった。やっとよみがえった。 漫画を描きながらよいしょっと立ち上がった。

安武

悲しみを乗り越えたのではなく、大切に抱きながら生き続けることができるようになったという気がします。

岡野

漫画を描き、講演をして、亡くなった親が認知症だったとか、介護中とかいう人が日本には多い、とあらためて気付く。講演の最後に必ず歌うのが自作の「どんげんでんなる」。「生きとこうで。生きとけばどんげんでんなる」という母の口癖から作った歌です。(以下略)」(201744日西日本新聞

 

「どんげんでんなる」はどうにかなるという意味です。救われるような気がします。

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なぜ切れるか [寛容な社会]

 

 

新聞の投書からです。

 

「切れた老人の激しさに不快  67

バスを待っていると、2人のおばあちゃんがおしゃべりしながら列に並んだ。おしゃべりはバスの中でも 続いた。 途中から乗り込んできた おじいちゃん。しばらくし
て、突然彼女たちに怒鳴り始めた。「やかましいと思 っている人もいるんだ」。それは、頭の血管が切れるんじゃないかと思うほど激しいものだった。そんなに気になるほどでもなかったのに・・・。車内にいた20人ほどの客の間に、 急に不快な空気が漂った。注意するにも、もう少し冷静にできないものか。最近、切れる老人が多いとか。 激しさを目の当たりにして
びっくりである。 思い出してほしい。子どものころのじいちゃん、ばあちゃんには、優しい雰囲気が漂っていたではないか。われわれも人生経験を生かして高齢社会を楽しく生きるべきである。」(201745西日本新聞)

 

私が住む場所は昔のニュータウンです。主力は高齢者です。昼間のバスでは、スーパーの近くのバス停から乗り込むおばあちゃんや少ないがおじいさんもいます。顔見知りがあればおしゃべりが始まります。お年寄りなので声も大きくなります。耐えられない人もいるでしょう。降りるバス停になってもしゃべり続けている人もいますので、バスもスムーズに進みません。そんな光景をよく見かけます。若い人には耐えられないかもしれません。切れる年寄りにも、様々な生活条件があるでしょう。一人暮らしかもしれない。急いでいるのかもしれない。子どもの声がうるさいという人も少なくないという。ワンマンバスのマイク音がうるさいという人もいます。ですので、車外に音声が出ないようにしているバス停も少なくないです。すると、視覚障がい者にはバスが来ているかどうか分かりません。運転手が確認するようにはなっていますが。

ですが、周囲を驚かせるほどになると・・・。乗り物での赤ちゃんの泣き声さえ遠慮しないといけないという話も聞く。世代をつなぐ赤ちゃんさえ拒むのはなぜか。それは、高度成長期以前にはなかった風景ではないか。

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「多死社会」 [高齢者]

 

デスク日記  

 

 「元気出して」。口にしがちな言葉だけにどきりとした。家族などを失った人にこんな声掛けをすると、本人はかえってつらいのだそうだ。

 最近、愛する人と死別した悲しみを癒やす「グリーフケア」について考える機会があった。ドキュメンタリー「在宅看取(みと)りとグリーフケア」(豪田トモ監督)は、妻をがんで亡くした初老男性を描く。「後悔を伴った悲しみはピュアな悲しみではない」と、別れの前に思いを語り合えるみとりの重要性を訴える。」

 福岡市の在宅医二ノ坂保喜さんの寄稿「続・死を見つめて生きる」(本紙生活面で木曜掲載)にも夫をみとった妻の「最期の時間はハネムーンだった」という印象的な言葉があった。その時間が悲嘆を思い出に昇華させたという。

 日本はやがて高齢社会の次に訪れる「多死社会」を迎える。みとりの時間は旅立つ人のためだけではなく、残された人の生も左右する、と知っておきたい。 (井上真由美)

2017/04/11付 西日本新聞朝刊=」

 

人口減社会の予測に、政策で減が鈍化していることを強調させる官邸の動きがあったという報道がありました。ベビーブームが二度ほど続いたのですから減は避けられません。基本は貧困社会にあるのだと思いますが、そこに焦点をあてていないのが問題では。

 

 

「『看取り難民』

実際に亡くなっている場所をみると、病院と診療所が七七・八%を占め、自宅十二.%、 老人ホーム五・三%介護保健施設が一・九%で、その他が二・二%。自宅と施設を合わせた「在宅」での看取りは二0・一%にとどまっている(O一三年現在)。 国の財政的制約で病院のベッド数はそうそう増やせない。このままでは急増する高齢者
の看取りの場を確保できない恐れがある。厚生労働省は、「死亡場所別、死亡者数の年次 推移と将来推計」で、二OO年には医療機関、介護施設、自宅を除いた「その他」での 死亡者数が約四七万人に達すると予想している。 「その他」とは、いったいどこなのか。無認可の介護施設か、はたまた路上なのか。日本
にもムクティ・パワンのような宿泊所がつくられるというのだろうか。「その他」について厚労省は詳しい説明をしていないが、語感から「看取り難民」が大量に発生する危機感が伝わってくる。四七万人という数字の根拠はともかく、厚労省は看取りの場の不足に警鐘を,鳴らしたいのだ。」(『長生きしても報われない社会』)

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与田準一氏を思い出した [自分史]

 

 

まさかこんな人脈で与田準一氏が出てくるとは・・・。

 

「近況往来  児童文学作家 岩崎京子さん

 

淡い藍色の入った久留米絣のブラウスコートを羽織りローヒールの靴でトー
クショーの舞台にさっそう と現れた。代表作「かさこじぞう」など多数の作品を'送り出してきた児童文学のペテランも現在、94歳。

父は筑後の人間で、私 が小学生のころ修身の教科書に(久留米絣の祖の)井上伝が載っているのをめざとく見つけて大喜びしましてね。何かと筑後を娘に宣伝して爆弾三勇士も自慢。この辺に来ると懐かしい」長年の友人、絵本作家の長野ヒデ子さんを対談相手に先月、福岡県大木町で開かれたイベントでは筑後地方との関わりや創作についておっとりとした口調でざっくばらんに語った。(略)

筑後地方とは縁が深い。 自身は東京生まれだが、父の故郷が旧三井郡大城村 (久留米)。児童文学の世界で師事したのも旧瀬高町出身の与田準一氏。 「きちんと日本語の勉強 をしなさいと言われ、ご自宅の玄関に原稿を置いてきては翌週取りに行くといった具合でね」文学は人間を書くものだ。もっと窓を開けて世間をみなさい、とそれは怖い先生だった」

井上伝の半生を描いた小説「久留米がすりのうた」など各地の民話や伝統文化を取材し、すがすがしい筆致の作品で定評がある。目下、
福岡県北部の芦屋ゆかりの話を素材にした物語に取り組む。旧東海道沿いにあった横浜の腰掛け茶屋が古い伊万里焼を大事に使ってい

なたのを不思議に思って話を聞き、芦屋との縁を知った。 「幕末に芦屋の商人が茶わん船を仕立てて売りに来 ていたそうです。ご飯炊き
で少年も乗り込んで。その 少年が主人公  

ね」と水を向けると、すかさず「東京じゃ 詳しい資料がなかなかなくて、芦屋に行って取材しないとね」。ひょうひょうと言つてのけた。(神屋由紀子)」( 201745日西日本新聞)

 

岩崎京子氏のことは名前は知っていますが、詳しくは知りませんでした。与田準一氏は若い頃、瀬高町の隣の当時の八女郡水田村の下妻小学校の教員をされたということで作詞されたと聞きました。作曲はかの有名な中田喜直氏です。校歌ができたのが1953年。この年には筑後地区の大洪水があり、それでたまった土砂で「築山」ができたとHPで記されています。そこで築山に駆け上った記憶がよみがえりました。

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足が上がらず [高齢者]

 

 

 

「人は年を取る 現実は厳しい  70

 「こだま」に掲載された「みよちゃんと50年後に再会」。うれしくて、掲載後すぐに幼なじみのみよちゃんヘ手紙をしたためた。心待ちにしていた、返事が届いた。相変わらず流麗なし墨字の表書き。胸をときめかせながら封を切った。衝撃だった。今、整形外科に入院中とあった。「えっ、まさか」と頭が一瞬、
真っ白になった。詳しいことは書いてないが「現在、 歩く練習中で、もう大丈夫」 とあった。でも、とても心配である。私も少b前、雑草を取り、
しようけで運んだ。近道をしようと思ったのが大間違い。足が上がっておらず、 石につまずいですね、あの「弁慶の泣き所」を打った。それはもう、痛いのなんのってーl

みよちゃんとの思い出はほんわかと50年前のまま。しかし、人生の現実を突然に突き付けられた。人は皆、年を取るということを。」(201748西日本新聞

 

足が上がりません。散歩していてもこする音に気づき直します。

 

「知命」  茨木のり子



他のひとがやってきて

この小包の紐 どうしたら

ほどけるかしらと言う

他のひとがやってきては

こんがらがった糸の束

なんとかしてよ と言う

(はさみ)で切れいと進言するが

(がえん)じない

仕方なく手伝う もそもそと

生きているよしみに

こういうのが生きているってことの

おおよそか それにしてもあんまりな

まきこまれ

ふりまわされ

くたびれはてて

ある日 卒然と悟らされる

もしかしたら たぶんそう

沢山のやさしい手が 添えられたのだ

一人で処理してきたと思っている

わたくしの幾つかの結節点にも

今日までそれと気がつかせぬほどのさりげなさで

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忘れている人生が山ほどなのに [認知症]

 

 

 

「オトコの介護 何とか1人暮らし3年半

電車を降りて自宅まで約5分の帰り道、父(81)携帯電話を鳴らした。きょうはどうだろう、近頃は電話を取るのも難しくなっている。、おっ、
珍しい。ちゃんと出た。 「何してる?」「今どこよ」 「会社から帰る途中だよ」「これから来んの(来ないの)?」 「平日だから無理だよ」「そうや、ごめんごめん」「また 近いうちに帰るから」
父は15年前に母が亡くなっ て以来、鹿児島市の実家で1人暮らしだ。201311月、アルツハイマー型認知症と診断され、その後も介護保険制度の訪問介護ヘルパーやデイサービス(通所介護)施設などを利用して何とか1人暮らしを続けている。散髪や歯科受診などはケアマネジャーさんと電話で相談しながら、予約や同行するヘルパーさんの、段取りをつけてもらう。自宅のある福岡市から帰省するのは月に1回ほど。福岡県内に住む兄(54)と交代で検診に付き添い、施設側との介護検討会に同席する。
帰省したときの夕食は車で 5分のスーパーの総菜が定番 だ。おかずを並べて、さあ食べようというとき、父が「どら、トイレに行たっくつで(行ってくるから)」とソファか ら立ち上がろうと・・・いや、立ち上がれない。前のテーブル
の縁を持ち引き付けるように、反動をつけながら、ようやく立ち上がった。一層脚力が失われているのが分かる。おもむろに台所の方に向かう。そっちじゃないよと思っていると、冷蔵庫のドアを開けようと手を掛けた。慌てて「違うよ」と声を掛けて、トイレの方に導いた。

いよいよ1人暮らしが危うくなってきたなあ。そう考えながら福岡に戻った。周囲に支えられ約3年半。その生活を壊す事故が父を襲ったのは1カ月後だった。(SF)

 

認知症の父親の遠距離介護を記者(52)がつづる。2014年、1516年に掲載した連載の続編。木曜掲載。」(201746日西日本新聞)

 

この連載をよく読んでいるつもりです。それは教科書でなく実践編だからだと思いますが、内容を記憶しているかと言えば自信がありません。

私は、幼いころの記憶が少ないです。病気のせいかどうかは分かりませんが、今を生きるのに大した不自由はありません。ですが、認知症を恐れています。記憶が無くなるのではと言う漠然たる不安です。

 

「覚えてる」って大切

だが、私のことはこの日、クリスティーンはセミナーの間は、わからないようだっつた。少しさみしい気がした。だが、彼女の「結婚相談所に、電話して!」の表情にはっとして、以前、彼女 が言った言葉を思い出した。

「覚えているかと聞かないでください。覚えていることがそんなに大切でしょうか?私は、今を、この瞬間をこんなに楽しんでいるのに。そのことが大切だと思うのに」その通りだと思い直した。そもそも私たちは生まれてからこれまでの人生のことをすでにたくさん、忘れている。もちろん現実に、家族や大切な人に私の名前や存在も思い出してもらえなくなったらどんなにか切ないだろう。その経験のない私にはわからない。けれど、彼女の「覚えていることがそんなに大切でしょうか。私は、今を、この瞬間をこんなに楽しんでいるのに」という言葉は、改めて、重く私の胸に響いた。」(『希望の人びと』)

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