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このブログは障害者問題を中心に退職者の日々の思いや脳梗塞後遺症とのつきあいの日々をつづります。この下の記事からが本文です

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見守り福祉 [障害者福祉]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「新聞投稿同志彼岸から声援 72

久しぶりの「こだま」掲載。小さな努力が報われ、 胸をなでおろした。そして、すぐにちょっとばかり気落ちした。というのも掲載後、すぐに批評と激励のはがきをくださる方が今春、亡くれなられたからだ。その方は文章がうまく、 いろいろな機関誌にも投稿されていた。難しい法律や憲法も、私でも納得のいくようにつづっておられた。一方では、若かりしころの同窓会の話を面白おかしく披露されていたこともある。新聞でその名前を見つけると、自分のことのようにうれしくなった。もう私の文章を読んでもらえない。はがきが来ることもない。残念で仕方ない。でも、彼岸から声が掛かっている気がする。これからも少しずつ頑張っていこう。」(2017817日西日本新聞)

 

先日の「ハートネットTV」ではコロニーと呼ばれるいくつかの入所施設が集合する国立施設が紹介されました。建設時は理想の施設として歓迎されたという。番組のホームページでは次のように説明されています。

 

「日本の施設福祉の象徴と言われる、国内唯一の国立の知的障害者入所施設「のぞみの園」。群馬県高崎市の市街地を見下ろす観音山の上の広大な敷地に、北海道から鹿児島まで全国から集められた重度知的障害のある人たち約200名が暮らしています。重い障害を理由に地域社会には居られないとして、故郷から遠く離れた山の上に来たのが半世紀前、20代のとき。いま、平均年齢65才、最高齢92才と高齢化が進み認知症なども患う中で最後の時を過ごしています。のぞみの園はもともと、障害者が集団で暮らし理想的な“社会”を作る「コロニー」として計画された場所でした。」

 

地域で暮らすことが目標になっている現在とは異なりますが、職員の見守りと本人たちが望んで来たところではないという言葉が重たい。

 

「受け身でない 見守り福祉を  69

若いころ、特別支援学級の担当をしたことがきっかけで、知的障がい者の会をつくり、今年で35年となる。親も子も高齢化し、難しい問題を抱えながらも、たくましく成長する姿には、感動さえ覚える。 障がい者問題は、制度上は整備されたように見えるが、放置された問題が数多くあり、私も退職後はその対応に当たっている。事業所を変えたことで賃金が大幅アップした例もあれば、虐待防止法に触れる扱い、高齢保護者の福祉機関への連絡、事業所の配慮のない対応、近隣の差別、偏見・・・とさまざま。一番の課題は居住地域での見守りだ。私も民生委員を2期務めたが、高齢者問題が中心を占めているのが現状だ。まずは地元の地域に足を運び、障がい者とのをつながりをつくることが必要である。福祉相談が単なる「調査」や連絡を待つ受け身ではなく、「見つける」という観点で進めれば「見守り」ももっと深化することだろう。」(同前

 

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貧困と肥満は [貧困]

 

 

貧困と健康との関連ではいろいろと語られますが、健康診断の受診率も低いという。

 

「貧困と生活習慣病は両刃の剣

「国民健康栄養調査」を実施する厚生労働省によれば、200万円未満200万円以上~600万円未満・600万円以上と世帯所得別に生活習慣等を調べたところ、次のような結果が出た。

 

・所得が低い世帯は、高い世帯と比較して穀類(炭水化物)の摂取量が多く、野菜と肉類の摂取量が少ない。

・所得が低い世帯ほど、肥満が多い。

・所得が低い世帯ほど、健康診断の受診率が低い。

・所得が低い世帯ほど、喫煙者の割合が高い。

・所得が低い世帯ほど、歯が20本未満の人が多い。

 

つまり、所得が低いほど食生活や健康に費用や時間を割けず、栄養状態も不良で、その結果、健康を損なう確率が高いという相関関係だ。 所得、食生活、運動量、仕事の種類、体質など、健康に影響を与える変数は無数にある。さまざまな要因が複雑に絡み合って、健康はむしばまれる。そこに健康格差が重なれば、 もはや自己責任とは言えない状況ではないか。 ある54歳の営業職男性は部下がいて、ノルマをこなし、年収600万円。責任感が強く、

長時間駅働が常態化している。妻と子ども2人、深夜に帰宅し酒を飲み、空腹時はラー

メンをかきこむ30代半ばからそんな食生活を送っており、高脂血症だから改善しろと言

われ続けている。いつ倒れるかも知れない。そのような働き方を求められても、家族を養

うためどうしようもない。これは、自堕落なのだろうか。」(『貧困クライシス』)

 

どんな生活を作っていくか。発想の転換も必要な気がします。

 

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時間はあるが [脳梗塞]

 

 

6月にひとつの役職を辞任しましたので、時間はできたのですが、体調不良になり、血圧180程度になり、頭痛が続きました。病院に行かなくちゃと思った頃、少し下がり始めましたが、なかなか思うようにいきませんでした。体の方がもう無理だと言っているようでした。なんとか動けるようになったのは8月になってからでした。それでも時間はありますので、準備していた放送大学のテキストで学ぶことにしました。ラジオの講義でラジコを使っています。『高齢期の生活と福祉』『死生学入門』です。私が学びたいものだったので良かったのですが、計算違いだったのは、聞いたことを翌日は忘れているという事実でした。時間は得ましたが、学ぶのには適切な時期があることを思い知らされました。正式な入学ではなく、放送を聞いて、テキストだけを購入しています。

 

関心があるのは「高齢者も参加してのまちづくり」です。西日本新聞が「ここで生きる」として随時掲載しているものと重なります。次のような例もあります。

 

「お年寄りを地域で見守り 「町で暮らす」を支える 山口県平生町

福祉推進主役は住民

町社協 サポート役に徹す

 

山口県東南部に位置する室津半島。その西側を占める平生町は、箕山(標高413M)と大星山( 438M)中心とした丘陵地帯と平野部からなり、瀬戸内海に面した温暖な 気候が特徴だ。全人口(12257人、2017430日現在)65歳以上が占める高齢化率は367(3月末)と高く、平均寿命や、介護などを必要とせず日常生活が送れる健康寿命は県内1(10)。お年寄りが自宅で安心して暮らせる地域づくりが課題となる。そんな同町で平生町社会福祉協議会は高齢者への介護事業を展開、その収益をお年寄りの見守り活動などに還元している。住民自身が地域を支える取り組みを応援し、「ここで暮らして良かった」と思える地域福祉を目指している現場を訪ねた。(木下悟)(以下略)」(2017630日西日本新聞)

 

2学期はどうするかですが、聞いても忘れるだけならと逡巡しています。

 

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9月に大事なこと [自殺]

 

 

「仲畑流・万能川柳  毎日新聞2017814日 東京朝刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

☆だいぶ先思った今日が過去になる 熊本 はる

なぜ人は消えゆく星に願かけた 大分 とんち

乾杯も中締めもやるヤな司会 福岡 小把瑠都

共謀し成立させた共謀罪 今治 へろりん

広報紙なら無料だろ某新聞 横須賀 歯ぎしり (以下略)」

 

夏休みが終わると、また、学校が始まる。始まってほしくない子どもたちがいるという。

 

「 論説委員の目

  9月1日は統計によれば、一年の中でも子どもの自殺者数が突出して多い。学校に行きたくない子どもが追い詰められて死を選ぶのだ。原因はいじめ、教師との関係、親の期待に応えられない自分への絶望-などさまざまだろう。

 私は昨年8月、この欄で子どもたちに向けて「夏休みを延ばしてもいい」という一文を書いた。「死ぬぐらいならずる休みしてもいいんだよ」と呼び掛ける内容だった。

 今年は同じテーマで、孫を持つおじいちゃん、おばあちゃんに向けて書きたい。

 夏休みで息子や娘たちと一緒にやって来た孫が時折暗い表情を見せる。何か悩んでいるようだ。そんな時、どう接したらいいのか。「9月1日の自殺」に早くから警鐘を鳴らしてきた「不登校新聞」の石井志昂(しこう)編集長を訪ね、助言をもらった。石井さんも不登校の経験がある。

 「率直に『どうしたの』と尋ねてください。そして、本人の気持ちを最後まで聞いてください。最後まで」

 途中で打ち切ったり、説教したりするのは禁物。「自分は頑張ってやり抜いた」式の成功体験を持ち出すのも効果はない。子どもの話は繰り返しだったり長くなったりするが、1時間でも2時間でも聞くことに徹するのが肝心だ。

 石井さんは不登校経験者を何百人も取材したが、どん詰まりの状態から抜け出せるかどうかのポイントは「最後まで話を聞いてくれる人に出会ったかどうか」だという。

 「聞いてその痛みに共感する。その共感が伝われば、初めて子どもは救われる」

 「ある意味、アドバイスは要らない。子どもたちは必ず自分なりの答えを出します」

 祖父母の実家が悩める子どもたちの「安全基地」になれば一番いいのだが、実際にはなかなかそうならない。祖父母も共感より「上から目線」になりがちだからであろう。

 子どもたちが最悪の選択をするのを防ぐために、周囲の大人は何ができるか。この夏、おじいちゃん、おばあちゃんも考えてみてほしい。=2017/08/13付 西日本新聞朝刊=」

 

 

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重度は作られる? [障害者福祉]

 

 

精神障害者、知的障害者の地域移行は言われるが遅々として進みません。精神障害者の場合は医療機関が介在するために相当遅れているのかもしれません。スウェーデンの例が下記に記されていますが、自傷他害がある場合は特別の措置をとっているというのですから、日本と比べての差は実態として大きなものではないかもしれません。まずは、住む場と日中活動の場を新たに作っていけば、入所施設から地域に移行するのはそんなに大変なことでしょうか。政策的な決断の力さえあれば変わりうるのではないか。

 

「スウェーデン福祉関係者は、「重度」の人はスウェーデンにはいないという。そうは言っても一定数はいるのではないかと聞くと、「日本から来た人はみんなそう言う」と言われる。自己決定と独立保障するケアを十分にし、すべての人の「固有のニーズ」を満たせば、すべての人に尊厳に値する生活が保障でき、「重度」というレッテルを貼る必要はない。ということである。ただし、ひとつだけ残された問題があり、それは自傷他害のおそれのある場合である。 その人たちだけは、別の建物、別の部屋、別のケアの仕方をしている。他方でスウェーデンのそうした状況の背景に、「重度の人」は生まれる前に人工妊娠中絶によって排除されているのではないか、比較的条件が緩やかなので、その懸念も拭いきれない。

相模原事件を契機に、日本でも出生前診断、中絶、さらには尊厳死問題をあらためて議論する 必要があるのだが、そういう問題がありつつも、生まれ出た人に対しては、十分なケアをしていけば、容疑者が言ったような「重度の障害者は社会の役に立たない」というようなことはなくなるだろう。私たちもそういう社会を目指すことは可能である。}(『生きたかった』)

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待ち時間が [医療]

 

 

「仲畑流・万能川柳 毎日新聞2017812日 東京朝刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

☆ポケットに手を入れてると怒る妻 静岡 石垣いちご

無礼者心で叫ぶ電車内 東京 新橋裏通り

浅田真央全政党が狙ってる 大阪 佐伯弘史 (以下略)」

 

 

待っている時間に様々な想像して不安です。それに付き合う医療関係者の大変さもあるのかもしれません。

 

 「不安な患者に寄り添う笑顔 82

がんの再手術のため、開業医の紹介で初めて大学病院を訪れた。朝9時前というのに、広い一般受付フロアはごった返していた。カウンターで目まぐるしく動いているのは若い職員 さんが多い。てきぱきと声を掛け、分かりやすく説明 している。不安げな患者たちもその笑顔に救われる。各階の診療担当の看護師さんたちもしかり。待ち時間が3時間も4時間にもなるのはざら。本当に疲れる。だが、真摯に応対応してくれる先生や看護師さんの言葉で、不安やつらさも半減する。大きな病院ほど一人のドクター、一人の看護師さんの言葉で安心と信頼度も増幅する。また、その逆の失望もある。 医は仁術。多忙な大病院 だからこそ、高度医療、システム化に委ねず、命を預けた患者の心に寄り添ってほしい。心身の安らぎを願う患者として、そう痛感した大病院の初診日であった。」(2017615日西日本新聞)

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人の生きざまは [読書]

 

 

 


『ダウンタウンに時は流れて』(多田富雄著)を読む


 

ダウンタウンに時は流れて

ダウンタウンに時は流れて

 

 

多田富雄氏の若い頃の留学時の思いが描かれています。多田氏は私とは無縁の方ですが、脳梗塞という共通項があります。そのときのことを次のように述べています。

 

「とにかく、死地を脱した私は生き残ってしまった。次の試練は、自分の置かれた状態の認識であった。麻痺した右半身はもう元には戻るはずはない。私も医師の端くれだから、そんなことくらいはわかる。構語障害や嚥下障害は、根気よく訓練すれば少しは良くなるだろう。そのためのリハビリの長い長い苦しみを思うと絶望感が胸を潰す。幸い掛け算も、物の名前も覚えている。認識能力に異常はなかった。これで生きてゆかなければならない。

リハビリはまもなく始まった。初めのころの苦痛は筆舌に尽くせなかった。ベッドに座ることもできない。1分も座ると体が傾いてくる。それを直すことができないのだ。力なくベッドに倒れこんでしまう。車椅子に乗り移ることもできない。人に抱えられてリハビリ室に通う。立つことはもちろんできない。それを無理やりやらせる。5分もすると汗だらけになる。理学療法士は容赦してくれない。私は口が利けないから、指示に従うほかなかった。その間

に過酷な検査が続いた。管につながれて、私は強制的にこれを受けた。 死の誘惑がしつこく訪れた。」

 

若い頃にアメリカコロラド州デンバーに留学し、そこで出会ったチエコのことが印象的に描かれています。デンバーは日系人が多いという。だが、チエコは移民でなく、戦争花嫁。日本に進駐した米兵と結婚した日本人のことです。チエコの夫は働かなかった。それからつらい人生が始まる・・・。

 


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笑顔に会いに [障害者福祉]

 

 

「仲畑流・万能川柳 毎日新聞2017810日 東京朝刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

☆タコ壺に照れくさそうにイカがおり 白石 よねづ徹夜

働けと言う妻帰れと言う会社 奈良 すいかまん

水難の相が当たったにわか雨 静岡 石垣いちご

保守というよりぬるま湯が好きなだけ 福岡 龍川龍三 (以下略)」

 

働く障害者です。働くことでも変化しているのでしょうか。

 

「(ひととき)君の笑顔に会いに  2017810日朝日新聞

 

 私たちがよく利用する地域センターのレストランには、障害のある若者数人が働いています。みな生き生きと明るく、いつも「いらっしゃいませ」と迎えてくれます。その中の一人、I君はダウン症です。

彼がポイントカードにはんこを押している時、話しかけるのはご法度です。今の仕事に集中しているからです。

水の入ったコップをお盆にたくさん載せて運んで来た時、「全部そこに置いて。まわすから」と言うと彼は拒否します。お客一人ひとりに水を配るのは彼の仕事だからです。

あるとき誰かが「お兄さん!」とよびかけました。彼は腰に下げた名札を掲げて、「お兄さんじゃありません」と言い、名前を伝えました。お客にこびない、まっとうな言い分です。

彼の姿が見えないと、私たちは気になって「I君、今日は休み?」と尋ねます。彼の笑顔が見られないと、何か忘れ物をした気分になります。

 I君と一緒に働く仲間たちにも、おのおのの個性と魅力があるのでしょう。触れ合うことでお互いに理解が深まり、ごく自然なつきあいができるようになるのだと思います。 (東京都杉並区 79歳)」

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戦後の平和に感謝 [平和]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「唯一の被爆国 核禁止不参加  60

国連の核兵器禁止条約が 採択された。昭和208月、 多くの犠牲者を出した広 島、長崎への原爆投下後、 核兵器を違法とする条約が 国連で採択されたのは初めてのこと。私も妻も被爆2世。条約は喜ばしく、心から歓迎したい。

国連に加盟する193カ国のうち、6割を超える120カ国以上が参加、採択では122カ国が賛成した。米国の「核の傘」の下にあるオランダは反対を投じたが、自国の考えを主張した。

一方、唯一の被爆国である日本は、交渉会議に参加しなかった。米国の「核の傘」に頼ることを安全保障の基本としているからだ。被爆国として核廃絶の先頭に立つというのであれば、会議に参加し、核軍縮の議論をリードするべきだ。悲惨な原爆投下から72年。世界にはまだ15千 発を超える核兵器が存在す る。被爆者の母は90歳にな る。「再び被爆者をつくらない」が被爆者共通の願い だ。」(201784日西日本新聞)

 

核兵器禁止条約ができた。だが、日本政府は参加していません。戦後、まがりなりに。沖縄を除いてと言わないといけないのかもしれません。8月は平和の意味について毎年考える好機だと思います。

 

「96歳 戦病死の夫へ恋文 糸島の大櫛さんが平和授業 [福岡県]

 

 「毎日、貴方(あなた)と呼んでラブレターを書いています」。戦後70年を機に戦争で亡くなった夫への恋文を書き続けている糸島市の大櫛ツチヱさん(96)が4日、同市志摩小金丸の志摩中学校(藤井浩幸校長)で平和の尊さを語り掛けた。戦争で引き裂かれながら変わらぬ愛を貫く夫婦の“物語”に生徒たちは真剣な表情で聞き入った。

 大櫛さんは20歳の時に、顔も知らなかった四つ年上の仁九郎さんと結婚した。「いい夫婦になろうね」と仁九郎さんに言われ、美術館や映画館に行き、恋人のようにデートを楽しんだ。しかし、幸せな日々はわずか1年2カ月で終わりを迎える。長男勝彦さん(74)が生まれて間もない頃、赤紙が届き戦地へと旅だった。

 1945年8月、玉音放送が流れた。「無条件降伏してどうなるのかと思ったけれど、夫が帰ってくると思うと喜びに変わったの」。だが無情にも届いたのはパプアニューギニアで戦病死したという連絡だった。幼い子ども2人を抱え、子育てや仕事に励み、夫への思いは封印した。戦後70年のある日、雲を見ていて夫への思いがこみ上げた。「貴方、貴方、貴方」と毎日、恋文を書きつづった。

 約400人の生徒たちは、大櫛さんを取材したテレビ番組のDVDを見た後、大櫛さんの話を聞いた。生徒会長の桃井歩美さん(3年)は「一緒に暮らせることが貴重な時間だと思いました」とお礼の言葉を述べた。大櫛さんも「若い力をいただき元気になった。日本の平和を守ってください」と未来を担う若者たちに呼び掛けた。=2017/08/08付 西日本新聞朝刊=」

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長い鼻 [障がい者問題]

 

 

暑い。とても暑い。死にそうな暑さ。いろんな暑さを想像してみる。

 

新聞コラムからです。

「三念帖

この7月で没後90年を迎えた芥川龍之介の短編『鼻』を 読み返してみた。長い鼻を気 にしていた高僧は、念願がかなって鼻が短くなった。しかし、周囲がそれを快く思っていないことに気付く。他人の 不幸には同情するが、不幸を切り抜けた 人には冷淡になる。人間のそんな二面性 を描いた作品だ▼子どもの貧困対策が脚光を浴びたかと思えば、ブランド品を持つ貧困家庭の子どもがたたかれる。逆境に負けずに努力する障害者は称賛され、「感動ポルノ」なる言葉も浸透してきた。 その半面、仲間と楽しそうに闊歩歩する障害者は通りすがりの人に舌打ちされる。 そんな例は枚挙にいとまがない▼昨年7月の障害者支援施設「津久井やまゆり園」(相模原)での殺傷事件を受け、同園入所者家族の話を聞いて歩いた。事件前も後も、社会の二面性に苦しんでいた。自身の二面性にも向き合い、心情を吐露する人もいた。やり場のない怒りとあきらめがそこにはあった。その言葉の数々にこの事件の本質があるように思えた▼『鼻』の主人公は、結局は元の長い鼻に戻った。そして、ありのままの自分に自信を持ち、気分が晴れる。一方、人間の二面性に恐れを抱いたのか、芥川は35歳の若さで自らの命を絶った。87日は「鼻の日」。芥川が『鼻』に込めたテーマを我が身に照らしながら、この短編をもう一度読むつもりだ。(福田敏克)」(福祉新聞87日)

 

「津久井やまゆり園」での二面性についてはよく知りませんが、車いす使用者の飛行機の乗車についての経過で、この障害者については日ごろからのクレーマーだという非難がネットで繰り返されました。何か物いえばケチをつける。社会の差別構造は岩盤より固い。

 

 

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筑紫野から [読書]

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長崎平和宣言 [平和]

長崎市平和・原爆 長崎平和宣言

Nagasaki City - Peace & Atomic Bomb

 

 

 

長崎市平和・原爆 長崎平和宣言

 

Nagasaki City - Peace & Atomic Bomb

 

 

 

平成29年 長崎平和宣言

 

 

 

 「ノーモア ヒバクシャ」

 

この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

 

 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

 

 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

 

 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

 

 

 

 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

 

 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 

 

 

 日本政府に訴えます。

 

 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

 

 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

 

 

 

 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。

 

 

 

 あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

 

 

 

 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。

 

遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

 

 

 

 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

 

 

 

 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

 

 

 

 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7,400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

 

 

 

 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

 

 

 

 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

 

 

 

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

 

2017年(平成29年)8月9日

 

長崎市長  田上 富久

 

 

 

http://nagasakipeace.jp/japanese/peace/appeal.html

 

原爆資料館

 

 

 

長崎平和宣言に賛同される方は、「賛同」ボタンをクリックしてください。

 

  

 

 


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横綱の張り手が気になる [スポーツ]

 

 

台風5号は福岡などではほとんど影響がなかったように思いますが、避難するなど被災地は大変だったようです。生活の再建が見えてこないようです。

 

新聞の投稿欄からです。

 

「農家の再建温かい支援を  62

北部九州を襲った記録的豪雨。土砂にまみれた集落の姿に言葉を失った。 家屋を押しつぶした濁流、積み重なった大量の流木。田んぼは川に姿を変え、水稲に大きな被害が発生している。被災から約1カ月たった今も、被害の全容は把握できていない。インフラなどの復旧は徐々に進んでも、農業の再興には、程遠い。このままでは、営農意欲をなくす農家が続出するのではないかと、 危惧する。被災地は山の姿が変わり、川でないところが川に変化した。多くの人が変わり果てた古里の姿に途方に暮れている。特産の柿も被害が大きく、生活維持の危うさに直面した農家も多かろう。再び収穫ができるまで、国による特別な支援が必要になる。現地には、農業に前向きな人たちが多かった。今、彼らは復興への道筋を描けずに困惑している。生活再建への温かい取り組みが必要だ」(201787西日本新聞)

 

話は違いますが、同意見の方の投稿がありましたので引用します。

 大横綱であることは間違いありませんが、それだけに気になります。

 

「横綱の張り手甚だ興趣欠く 80

大相撲通算最多勝を達成した横綱、白鵬関のその強さは隔絶しており、称賛されるべき大横綱であることは言うまでもありません。でも、その実績に伴うべき品格において、私は疑問を呈したいと思います。大相撲で「張り手」は禁じ手ではありません。しかし、好ましからざる技とのと認識は一般的に存在していると思います。特に、最高位を極めた横綱が多用する 技ではありません。白鵬関はこの張り手をします。相手は大横綱への遠慮、尊敬から張り返すことはしません。強者にアドバンテージがあるというかたちは甚だ興趣を欠くものです。育った文化の違いもあるでしょうが、わが国の伝統文化である大相撲は正々堂々と勝負すべしが大原則でしょう。時代は21世紀、外国人力 士の存在抜きに大相撲は語れなくなりました。大相撲に品格を求めるのは、八十 路男のないものねだりかも としれませんが・・・。」(同前)

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甘くないか [高齢者]

 

 

高齢者75歳以上にしようという学会もあれば、自民党が提言をまとめたという。宮武氏は評価していますが、そんなに簡単な話だとは思えません。私が自民党幹部であれば、まずは75歳以上を高齢者として、年金支給は65歳を基準にするからいいのではという。そして、それが定着すれば75歳までに引き上げればよい。とりあえず75歳の定着を狙うというのが私の戦略です。働けるだけ働いて納税者でいてください。その代弁をしてくれるとありがたいです。

 こんなストーリーを考えました。外れておればいいのですが。 

 

「論説 高齢者75歳以上 宮武剛

「社会年齢」をぶっ壊せ

自民党の1億総活躍推進本部(川崎二郎・本部長) が、その構築ヘ向けて提言をまとめた(5) 65歳まで「完全現役」、 70歳までは「ほぼ現役」と 位置付け、「本人が希望するならフルに働ける環境を整備する」。そのため定年引き上げや70歳以降の年金受給も可能にする、という。年金制度は65歳支給を基準にするものの、6064歳間の繰り上げ(いわば早取り、減額)6669歳間の繰り下げ(遅取り、増額) もできる。これを70歳以降 に延長して希望すれば加入も受給も可能にして大幅増額の年金を受け取れるようにする。

提言で65歳以降への支給開始年齢引き上げを明確に否定したのも注目される。 スウェーデンの年金は61歳 以降なら受給時期を自由に選べる。その仕組みに近づく「受給年齢自由選択」だ。これに先立ち、日本老年学会等は①6574歳は健康で活力のある人が多い「准 高齢者」②7589歳は「高齢者」③90歳以上は「超高齢者」と新たな定義を打ち出した。

大内尉義・日本老年医学会・前理事長はこう語る。

65歳で引退者とレッテ ルを貼る社会の仕組みを改 め、暗いイメージの超高齢 社会の意識を変えたい」 「75歳までみんな働けなど と提唱したわけではない。健康状態の個人差は大きく、働きたくとも働けない人への社会保障制度を用意し、多様な生き方を認めるべきだ」。 年齢は「実年齢」(暦年 齢)だけではない、と思う。 「肉体年齢」も「精神年齢」 も実年齢より若い人は数多 い。肉体的に衰えても、みずみずしい感性の持ち主は多い。その逆も真である。やっかいなのは、筆者の造語だが、「社会年齢」と 呼ぶべき存在である。本人 の意思を無視して社会が一 方的に押し付ける年齢だ。 その代表が「定年」ではないカ

介護保険で6574歳の要支援・要介護状態は対象年齢層の44%75歳以上になると同243%に跳ね上がる。日本人が生涯に使う平均医療費は約600万円に上るが、そのうち4 割分は75歳以降で使う(2014年厚労省統謝)75歳が一種の節目になるのを裏付けるが、75歳時点で線引きずるなら、10歳引き上げの新たな「社会年齢」を設けるに等しい。むしろ医療・介護のニ一ズが集中する晩年、病気.介護予防に取り組む大事さを教える。若い頃4には保険料負担はつらいが、歳を取ると、若い世代に支えてもらう社会保険の意義を再認識する。その例証と読み取るべきだ。

105歳で逝った日野原重明・医師は「百歳から第3の人生が始まる」と宣言し、超高齢社会の生き方を自ら実践してくださった。(本紙論説委員)」( 福祉新聞2017731日)

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「影ぞ恋しき」を読みました [読書]

 

 

西日本新聞での葉室麟氏の連載が終わりました。まとめて読んでみました。そして、連載を終えての葉室氏の感想みたいなものを読みました。

 

「蔵人は生きるべきだ

「影ぞ恋しき」

連載を終えて 葉室麟

 

―色も香も昔の濃さににほヘども植ゑけむ人の影ぞ恋しき

 

「古今和歌集」にある紀貫之の和歌からタイトルをとったのは、亡くなったひとを懐かしど 思い出すという心情をテーマにしたかったからだ。 もともと主人公の雨宮蔵人は 佐賀の武士で物語の中に「葉隠」の語り手である山本常朝も登場するように、「武士道とは死ぬ ことと見つけたり」むいう葉隠 精神を潜在的なテーマとしてきた。 というよりも、主君に仕えて、 おのれを犠牲とすることに反惑し、「天地に仕える」という蔵人は「葉隠」に背を向けた武士いうことになる。しかし、わたしは「死の美学」とされる「葉隠」は死を前提として日々、生きることを充実させるべきだ、という「生の哲学」ではないかと思っている。()

また、今回が三部作の最後となるだけに、主人公の蔵人を死と向かい合わせてみようと思った。正直なところ、蔵人は死ぬのではないか、と連載を始めたころむは書きながら考え続けていた 。それが変わったのは連載をしている途中で、西行の、

 

―君にいかで月にあらそふほどばかりめでり逢ひつつ影を 並べん

 

という和歌を知ってからだ。 蔵人と咲弥の影は並んだほう がいい。どちらかひとりが欠け てはいけない。 蔵人は生きるべきだ、と思った。 小説としての出来栄えについては読者の感想を待つしかない。だが、作者としては、蔵人が生き抜き、さらには新たな友も得ることができた、ということでほっとしているというのが正直なところだ。主人公とともに走り抜くことができたという意味において、わたしにとって幸せな連載になった。

読者には最後までお読みいただき、感謝の言葉しかない。」(201784日西日本新聞)

 

赤穂浪士の大石の遺児や、吉良家の光芒など知らないことが描かれています。楽しく読めました。

 今書いているのは6日、広島のことを思いながら・・・。

 

「きのこ雲上る 忘れ得ぬ光景 79

広島原爆からあさって6 日で72年。月日が過ぎても、忘れてはならない日である。 この日が近づくと、平和の思いが大きくなる。広島の街は閃光と炎に包まれ、 罪のない多くの命が奪われた。地獄絵だった。原爆の 破壊力はすさまじい。惨状は想像を絶する。人道上使用してはならない核弾頭が、世界で約1 5千発も保有されているという。もし核戦争が起きたら人間だけでなく、地球に存在する生き物全ての命を奪ってしまう。46億年前にできたという地球は水のある惑星。信じられないほどの長い年月をかけて人間が出現し、進化してきた。その人間が使ってはならない核兵器を広島と長崎で使用し、今もまた製造、保有している。原爆で被爆した人は高齢化、伝承者の記憶も少しずつ薄れている。風化の危機である。私はあの目、広島の南に一位置する周防大島(山口)からもくもくと上がるきのこ雲を見た。終生、忘れることはできない光景である。平和の大切さを訴えていく一人でありたい。」(同前)

 

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排除なき社会で [寛容な社会]

 

 

とても気になる記事でした。

 

「顧問教諭が不適切発言

熊本県立高の女子バスケ

生徒は先月転校

熊本県の県立高女子パスケットボール部で6月、学校側への不信感から転校を考えていた女子生徒に顧問の50代男性教諭が「あなたが触ったボールに触りたくない生徒がいる」と発言、二県教育委員会が厳重注意していたことが4日、同校などへの取材で分かった。学校側は謝罪したが、女子生徒は7月に県外の高校に転一校した。県立高などによると、6月初めに女子生徒ら部員数人が県内の大会会場で他校の生徒から嫌がらせを受けるトラブルが起きた。(以下略)」(201785日西日本新聞

 

微妙な問題ですので具体的なことは書けないと思いますが、生徒同士のいじめがあり、教師の差別的態度と排除する社会が広がっていないでしょうか。

 

そんな社会で生きる障害者の断面です。

新聞の女性投稿欄からです。

 

「紅皿 息子の一人旅

「今度の土曜日、お兄ちゃん、福岡ヘ遊びに来んかなあ」。それは、娘からの突然の誘いでした。以前、うちに遊びに来た職場の先輩と2人で、息子を 「接待する」というのです。当の息子は「行ってあげてもいいよ」と簡単に言います。そこで、障害がある息子の初めての一人旅「福岡外出大作戦」がスタートしました。 一人旅といっても、娘が港まで迎えに来るので、 実際は船中だけが1人なのですが、強気だった息子もさすがに不安になったのでしょう。「待ち合わせはどこ?」と何度も聞いてきます。何とか手を振りながら船に乗り込みましたが、表情は少しこわばっています。

それでも福岡での一日はとても楽しかったようで、実況中継のように送られてくる娘からの写真には、どれも笑顔の息子が写っています。夕方港ヘ迎えに行くと、戻ってきた息子は朝とは別人。娘たちのコーディネードで、頭の先から足の先まで大変身です。本人もすっかりお気に入りの様子で、満面の笑みとよく続くおしゃべりが、それを物語っています。息子ヘ。自信にもなってよかったね。そして娘ヘ。本当にありがとう。(49歳 長崎県壱岐市)」(同前)

 

娘さんを介して同僚が接待という。こうした積み重ねが大事なのでしょうね。

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家族の喪失 [寛容な社会]

 

 

少子化の文脈で語られたことでありますが、小津映画を観たことのある人にはうなづける人も多いのではないか。

 

「そのテーマとは、「家族の喪失」である。

戦後の70年とは日本の伝統的な家族制度が崩壊してゆく歴史でもあった。小津の戦後の映画は、ほとんどが、家族をテーマにしている。行き遅れそうな娘を早く嫁にやろうと周囲がやきもきする挿話や、娘が嫁に行ってしまったあとで、独り残された老人の孤独が、実に味わい深く映像化されている。(略)そこにあるのは、家族の幸福ではなく、人間の孤独であり、人生の残酷である。

昭和の時代につくられた小津の作品は、現代になってますます重要性を増しているように思える。昭和から平成になる頃より、日本の中でひとつの重大な変化が静かに進行して いた。日本的な3世代家族から、夫婦二人だけ、あるいは夫婦と子ども世帯への移行 であった。核家族というやつである。」(『路地裏の民主主義』平川克美)

 

少子化は貧困の文脈で語られることが多いがそうだろうかというのが著者の見解であるようです。

 

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代々にわたり耕す [高齢者]

 

 

今回の福岡大分にかけての豪雨被害は山間部の農村を襲いました。あれからひと月経ちました。そして、次々と自然の脅威が迫っています。そして、棚田も多いそうですが、壊滅的な打撃だという。復興を語る方もありますが、私と同世代の人たちは再度復興するには時間が足りないという方もいます。そのなかに、先祖に申し訳ないという方もいました。そんなときに読んだ本の一節です。

 

代々にわたり耕す

生きかはり死にかはりして打つ田かな  村上鬼城

 

2章で鈴木大拙の『日本的霊性』の文章を引きながら思い出していた句だ。「振り上げる一鍬、振り下ろす一鍬が絶対である、弥陀の本願そのものに通じていくのである、否、 本願そのものなのである。本願の『静かな、ささやかな声』は鍬の一上一下に聞えるので ある」という文章から。 田を打つ、が季語である。秋に稲を刈った後、冬を越しそのままにしてある田を動き起 こし細かく砕いて、百を植えられるようにすることだ。日本人の言葉の文化遺産と言うべ き季語には、農事に関するものが多い。(以下略)」(『生と死をめぐる断想』)

 

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夢幻の中に生き [寛容な社会]

 

 

西日本新聞の葉室麟氏の連載小説「影ぞ恋しき」が731日で終わりました。肥前の竜造寺家につながる武士・蔵人と妻咲弥が主人公です。そのなかで咲弥は言います。「ひとは皆夢幻の中に生きている」と語ります。10年前ならこの言葉にひっかかることはなかったかもしれません。だが、今は、理解はできませんが感じることができます。それは運命とも呼ばれるものかもしれませんが・・・。 

 新聞の投稿欄からです。生死を分けた出来事です。

 

海で悪ふざけ 思わぬ事態に67

猛暑の夏です。水の犠牲者が少しでも減るよう祈ります。というのも、私は中3の時、海で遊泳中は溺死しそうになった経験があるからです。体の異変、疲労からではありません。強い潮のせいでもありません。その日、A君に誘われ、B君も一緒に泳ぎに行った。向こうの島まで渡ろうとなり、ゆっくり進んだ。中間付近に来たとき、私は 突然、海中に引きずり込まれた。A君が私の両足を抱えて、深く潜ったのだ。多量の水を飲んだ。苦しい。 振りほどこうにも、足を固められて動かせない。そのうちB君が助けてくれたのか、A君も息苦しくなったからか知らないが、体が自由になって失神寸前に浮上した。A君は思惑通りだ

ったのか、満面の笑み。抗議すると「あれくらいで死ぬか」と逆ぎれされた。一歩間違ったら、私は死んでいた。悪ふざけで済まなくなった事例は意外と多い気がする。気を付けよう。」(2017731日西日本新聞)

 

宗教とは無縁なとこで生きてきました。今もそうですが、神社仏閣に出会えばお詣りすることは欠かしません。私たちの生活には想像もできないものがあります。そのことを含めて生かされているのではないかと思うとが増えました。

 

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その時は [高齢者]

 

 

「仲畑流・万能川柳 毎日新聞2017731日 東京朝刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

カロリーは低いが値段高いのよ 戸田 小松多代

お誘いにノーと言えないワイン揺れ 北九州 お鶴

蚊の羽音耳で追ってる死体役 川越 麦そよぐ

「何してる」「電話とった」と電話口 神奈川 カトンボ (以下略)」

 

相模原施設事件は1周年を迎えました。各地でイベントが開かれましたが「追悼式典」では遺影がなかったという。匿名なのだからというのでしょうが、自分の葬儀に遺影がないことに多くの方は違和感があるのではないのか。遺族に拒む人がいると報道されていますが、4割は公表されてもいいという調査があったと記憶します。施設は立派な活動をされているという。どういう背景で遺影なしになったのか。残念でならない。

 次の方は、お年寄りの私にとっても望ましい「その時」です。相模原のケースは犠牲者なのです。どういう死であったか。胸のわだかまりが消えません。

 

「(声)「その時」を選んで逝った母 56歳 2017731日朝日新聞

 

 母が亡くなった。お世話になっていた施設のスタッフの方々にみとられて。最期を迎える10日前、施設の医師から良くない状態との説明を受けた。母は元気なころから延命を望んでいなかったが、再度確認され、このまま自然に衰えていくのを見守ってほしいと伝えた。

 しかし、最期はいつか分からない。遠方の妹や弟、私自身も見送ることができるか心配だったが、予定が立つわけではない。施設の方にそんな話をすると、こう言われた。「それはご本人さんがそういう時を選ばれたということですから」

 それを聞いて気が楽になった。母が選ぶ「その時」を静かに受け止めようと思った。実際、近くに住む私すら間に合わなかったが、「安らかでした」との報告を受け、素直に現実を受け入れられた。」

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