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このブログは障害者問題を中心に退職者の日々の思いや脳梗塞後遺症とのつきあいの日々をつづります。この下の記事からが本文です

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見た目 [高齢者]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「見た目で判断間違いのもと 80

近所の方からウドを頂きました。長い人生、これまで一度も食したことがなかった。漢字で「独活」。ウコギ科の多年草で香りがある。茎は緑色の長寸でがっしりと硬そうです。これまで縁 がなかったのは「うどの大木」と不名誉な比喩も関係していたと思います。 さて、目の前の新鮮なウドを天ぷらにしてみます。揚げたては「おいしい」。 次々と箸が進みます。優しい晩春の味覚です。翌日、残りを白あえにします。ウドと豆腐、ゴマの相性がよい。なかなかの滋味に納得 です。外見とのこのギャップ。 ふと20年ほど前、ラ・フランスという果実に出合った時のことを思い出しました。おしゃれな名前にふさわしくない、いびつな形にさえない皮の色。そう思いながら、口にした時の驚き。上品な香りに、ジューシーで程よい甘さ。みつきになりました。何ごとも外見で判断してはならないと気付かされました。」

2017615西日本新聞)

 

見た目が大事だと言われ続けています。年寄りが、歯が欠けたままだと貧相だと。平均寿命男性8075歳だという。するとあと8年のために投資する意味がないとか、屁理屈をこねています。本当は面倒なのと、時間がもったいない。特別急ぐ仕事があるわけではありませんが、年寄りなりの平凡な時間の流れがあります。それを大事にしたい。テレビを見ればかつてのスターが若々しく登場しています。それも羨ましいがスターでもないのにと・・・。

 

 

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病気と闘うだけでなく [医療]

 

 

がんを患った小林麻央さんが亡くなった。闘病の大変さもあったでしょうが心から哀悼の意を表したい。各局も夫君の会見など放映されましたが、土曜日の朝のテレビで、BBC放送が、世界の人びとに感動や影響を与えた「今年の100人の女性」に選ばれたときに、麻央さんが、がんとの闘病生活以前に結婚子育ての時間があっことなどすべての時間が私にはあったとする趣旨のコメントが紹介された。それに対するコメンテーターの話が全くかみ合っていなことに気づきました。がんとのことだけが小林さんの人生ではないことを本人が語っているのに、それに気づかないでいます。

 その後に聞いた自死を扱ったラジオで、現在は「死は生の終わりの一瞬」だと受け止められているのではないかと述べられていました。死が見えなくなっているという流れの中での藩士ですが、亡くなる瞬間は小林さんはがんとの闘い(この言葉もどうか)だったとしても人生ががんに支配されていたわけではありません。本人を支えてくれた母などの家族との生活、仕事・子育ての・夫との出会いなど人生にはいろんなことがあったという趣旨の言葉が紹介されました。凄い方だと思いました。がんの小林麻央だけが私ではないと述べているのだと思います。

 例えば、がんの〇〇さんとレッテルを貼れば、がんの面からしか見ることができなくなります。どんな障害があっても、日常の生活があります。そこでの生活を捨象して、病名でで可哀そうだとかなどにならないか。人生はそんな薄っぺらではないのではないか。小林さんはそんなことを言いたかったのではないかと思ってみたのでした。

 

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ただ泣けて [高齢者]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「『怪文書』存在代償は大きい 46

安倍政権のおごりを批判する声が聞かれない日はない。といって、野党が過半数を占める状況にもない。閉塞感が漂う。「他よりまし」という理由さえあれば「政策に期待」できなくても、1強の数の力を繰り返し行使されて も、今のままでいいと考える支持者が次の選挙も清き一票を投ずるのだろうか。そんな状況を良しとしない人々を監視する、まことに使い勝手のよい「共謀罪」が瞬く間に成立した。「共謀罪」の産声が聞かれた直後、官邸の最高責任者のご意向が反映された文書が見つかった。「怪文書」はちゃんと省庁に存在したのである。うその代償は大きすぎた。 もう「他よりまし」では 済まないことに、国民は気付いた。」(2017622日西日本新聞)

 

平気で嘘をつく人たちの話ばかりで・・・。その後に、次の投稿を読みました。

 

「紅皿 ただ娘として

今年も県高校総体が終わった。去年は大会初日、学校で勤務中に兄から連絡があった。嫌な 予感がしながら折り返すと、やはり父の余命についてだった。病気が見つかり10カ月。父自身はあと1年と思っているけれど実は23カ月 であること、抗がん剤治療はせず、痛みがひどくなればホスピスに入ること、などを伝えられ たが、正直、あまり実感は湧かなかった。 翌日は佐賀市まで試合の引率をし、夕方帰途 に就く前、車の中から父に電話した。表向きの用件は、2日後に迫った母の誕生日についてだったのだが、途中で父がため息交じりにつぶやいた。「お母さんを置いて逝くのが心残りでなあ。あれは方向音痴やけんバスにも乗れんし」。そのとき何と言って電話を切ったのか覚えていない。ただ電話の後、涙があふれで止まらず、佐賀から唐津までわんわん泣き通しで運転したのを覚えている。通夜より葬儀より、なぜかあのときが一番泣いたような気がする。今にして思えば、社会的立場も人目も関係なく、母としてでもなく、ただ父の娘としてだけ泣くことができた貴重な時間だった。父は宣告通りそれから4カ月後に世を去った。(教員・46歳佐賀県唐津市)」(同前)

 

ご両親の生き方を感じました。

 

 

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春日原総合(野球)運動場 [街で]

 

 

現在、春日市には春日公園の中に野球場などがあり、高校野球の県大会などあっています・それとは別の春日原の電車駅から近くの福岡銀行から入ったところの竜神池一帯に総合運動公園があり、そのなかに野球場もあり、西鉄ライオンズが一時期ホームグラウンドにしたという。

 

「沿線大牟田線物語 沿線に「九州甲子園

急行電車を開業した九州 鉄道は、阪急を範にして沿線の開発を始めます。春日原周辺に広大な住宅用地を取得し、三沢や大保周辺では工場誘致を視野に地元資産家と合弁会社を設立しました。しかし、当時は福岡市でさえ人口は15万人弱。第1次大戦後の不況もあって需要のめどが立たず、方針を変更します。1924(大正13)7月、九州鉄道は野球場や行楽施設のある春日原総合運動場(現春日市)を開設 しました。5千人収容のスタンドを備えた野球場は、中等学校野球大会などの会場となり「九州の甲子園」と称されました。その後、競馬場や豊川稲荷 九州別院最勝山東慶院を誘致し、県内有数のレジャーランドとして親しまれました。

戦後、創生期の西鉄ライオンズのホームグラウンドにもなった春日原野球場ですが、経済復興に伴う宅地需要の急増で、当初計画した住宅分譲地として再開発することになります。

春日原総合運動場は53(昭和28) 年に廃止され、周辺11.5ヘクタールは数年を かけて300

戸余りの住宅に生まれ変わりました。(以下略)」(2017621日西日本新聞)

 

ネットの紹介によれば

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Darts/7539/yakyujosi/kyushu/kasugabaru.htm

 

「春日原(かすがばる)は、夜須野原、曽根原と並んで、「筑前三大広野」の一つにあげられる。近世から近代にかけては、松林、原野、沼地、溜池が点在する広野であった。

 春日原の開発は、九州鉄道(現西日本鉄道大牟田線)の開通に始まる。当地にはもともと農業用溜池が3つあって「三つ池」と呼ばれており、開発計画では南側の2つを埋めて住宅経営を目的としていたが、不景気と緊縮政策のため野球場・競技場にすることになり、北側の池(龍神池)は遊園地にすることになった。なお、野球場(あるいは住宅地経営)は、京阪地方の宝塚や鳴尾を視察して可能性を確信したという。」

 

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ほめほめ週間 [寛容な社会]

 

 

わが家の通りは10軒。現役世代が2軒。あとはリタイア組ですが、独居が2軒。毎日歩いている人は2人。1人は私で、もう1人は糖尿病。二人ともリハビリの習慣からです。もう1人足が不自由な方が毎日ではないようですが歩かれています。

 

新聞コラムからです。

 

「花時計

五月病の取材で精神科医を訪ねた際、カウンセ リングを実際にしてみせてくれた。社歴12年だと言うと「一つに長く勤めるってなかなかできない。小さいお子さんを育てながら頑張ってますね」と穏やかな口調で肯定され、なぜか涙が出た同じ頃ツイッターで、るるてあさんが投稿する「肯定ペンギンのあかちゃん」のイラストを目にする。ペンギンの赤ちゃんが達成した小さなこと を「はみがきしてえらい !」「遅刻で済んだの えらい!」とほめてくれる精神科医によると、 ほめると自尊感情が高まりストレスに強くなる。「新人を鍛えよう」と考えている上司や先輩社員の皆さん、けなしてばかりいませんか?いいところを認めるのも指導の一環。さあ、ほめほめ週間スタートー!あ、毎週実施です。(河津由紀子)

2017620西日本新聞)

 

けなしてはダメと分かっていても・・・・。

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テレビも忖度している [テレビ]

 

 

「仲畑流・万能川柳 毎日新聞2017615日 東京朝刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

☆臆病と言われることに要る勇気 久喜 宮本佳則

化粧に自信ある日の立ち話 川越 麦そよぐ

デザートを店の基準にしてる妻 横浜 萬野肉球 (以下略)」

 

テレビ新聞の系列になっているので政権よりの局もあるように見えます。採決されそうなのに天気の話を延々と続ける局もあります。

 

「(声)「共謀罪」採決の夜、TVに失望 34歳 2017616日朝日新聞

 数年前に訪れた断捨離ブームにのっかり、我が家も家の中を整理した。今では、物を買う時には本当に必要なのか、数年後も役立ってくれるか、飽きて捨てたくなったりしないか、少し逡巡(しゅんじゅん)する癖がついた。

 「共謀罪」法が国会で可決され、成立した。審議の様子をテレビで見ていたが、十分に与野党で議論されたとは言えない。国民の理解も得られぬまま、国民を置き去りにして成立してしまった。

 法律は、一家庭で断捨離する物とは違い、一人の人間の一生どころか、何代にもわたって受け継がれていくものである。それをこんなに性急に、粗雑に決めてしまってよいのだろうか。

 テレビを見ていても、採決されようとしているときに、相変わらず各社のんきにバラエティー番組を放送していた。政治家だけでなく、テレビの制作者側も、危機感を持たない人たちの集まりになってしまったのだろうか

 日本の潮目が変わろうとしているかもしれない夜、隣で眠る我が子の寝顔をながめながら、この国の行く末を案じずにはいられなかった。」

   

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「ビッグイシュー」が読めない [寛容な社会]

 

 

「論説委員の目  雨がほお濡らす野宿の夜

 

 髭戸太(ひげとふとし)さんは、福岡市・天神の街角で雑誌「ビッグイシュー」を販売していた。

 ホームレスの人たちが売って収益を得る、自立支援のための雑誌である。髭戸さんは一枚の紙に川柳を書いて「付録」として添えていた。

 〈老猫と日がな一日ベンチかな〉。クスッと笑って、切なくなる。川柳目当ての常連客も多かった。

 髭戸さんを見かけなくなって7年ほどになる。福岡市内の販売者は1人、2人と減り、2年前にいなくなった。自立がかなったのだろうか。

 ホームレス自立支援法施行から、この夏で15年になる。国と自治体が民間支援団体と連携し、就労支援や住宅確保に取り組んできた。

 厚生労働省によると、2003年に約2万5千人だったホームレスの人たちは今年1月時点で5534人に減った。九州7県は331人で、うち270人が福岡にいる。

 青空が広がった今月13日、福岡市博多区の美野島公園に三々五々、人が集ってきた。ホームレス支援を続けるNPO法人・美野島めぐみの家(瀬戸紀子理事長)が毎週火曜日の昼間、ここで炊き出しをしている。

 めぐみの家は自立支援センターや複数の民間支援団体と連携を深めてきた。「自立に向けて、いろんな機関につなぐ態勢が整ってきた」と瀬戸理事長は語る。

 炊き出しに集まる人は09年3月の300人超をピークに減少した。とはいえ、本年度に入っても毎回、40人前後の野宿者が来場している。

 セーフティーネットからこぼれ落ちる人は後を絶たない。景気が後退すれば、増加に転じる恐れもある。

 時限法である自立支援法を夏から10年間延長することが先週、国会で決まった。官民一丸となった自立支援を息長く続ける必要がある。

 炊き出しのカレーを食べた人々が美野島公園を去る。今夜のねぐらはどこだろうか。梅雨の晴れ間も長くは続くまい。〈夜に雨深い眠りの頬(ほお)濡(ぬ)らす〉(髭戸太)。新

2017/06/19西日本新聞朝刊=」

 

天神での販売は、福岡パルコの角、西鉄グランドホテル前、そして西日本新聞会館前などでしたが、もう2年ほど読んでいません。それは喜んでいいのかもしれませんが、読めないのは寂しい。

 

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「進む、ナガサキと共に 1歳で被爆の和田さんNY行進 「核禁止実現を」西日本新聞」

国際条約交渉に保有国とそれに同調した日本が不参加です。それでも条約の実現はされるのではないかという。NGOなどの役割が高い。


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多くの「野際」さんがいた [職場]

 

 

次のコラムを読んだときに、「多くの「野際」さんがいた」時代があったと思いました。

 

「春秋

 1959年9月、伊勢湾台風が東海地方に迫っていた。作家の下重暁子さんはその年、NHKに入局したばかり。名古屋放送局に配属されて3カ月の新人だった

▼局では男性陣が徹夜で待機する中、下重さんと1年先輩の女性アナウンサーは「女だから」と先に寮へ帰らされた。報道に携わる者に男女の別はない。差別的な理由は納得できない。2人は「寮の食堂で文句を言いながら食事をした」と下重さんはコラムに書いている

▼女性の社会進出の先駆けだった時代だろう。まして男性職場との意識が根強かったマスコミの前線である。テレビで拝見した柔和な笑顔の陰には、人知れぬ涙の乾いた跡があったかもしれない

▼野際陽子さんの訃報を聞いた。先の夜、寮で不平を言い合った1年上の先輩その人だった。享年81。少し上の世代には「キイハンター」でのクールな姿が、ちょっと下の世代には一転して濃厚な冬彦さんの母親役が思い浮かぶ

▼折しも、倉本聰さん脚本のドラマやすらぎの郷(さと)」に出演中だった。テレビ界で活躍した往年のスターたちが集って、晩年を共に過ごす物語。5月中旬に入院していたとは気付かないほど、普段と変わりない野際さんに見えた

▼朝日新聞に倉本さんのコメントがあった。病状を案じてせりふの差し替えを相談したが、「大丈夫」「とにかくできるから」と答えたそうだ。最期まですてきな女性を演じきって逝った。=2017/06/19付 西日本新聞朝刊=」

 

私が就職した50年ほど前、高卒の18歳の職員に先輩女性職員から「湯呑を用意してください」と言われました。毎朝、そして、15時もだったと思いましたが、先輩が一人一人のお茶を配りました。女性というだけでそれだけの理由で。その後、労働組合婦人部の要求で自動給茶機が備えられ、お茶くみは廃止されましたが、21世紀を迎えるころ復活しました。非正規の女性派遣職員が増えたからです。時代はまっすぐには進みませんでした。

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「はだかのいのち」 [障害者福祉]

 

 

時季外れになりましたが・・・。

 

「元気ダネ

山菜やタケノコ、魚のサワラ など、春に旬を迎える食材はたくさんあります。それらをおいしく味わうには、歯が健康でなければなりません。しかし病気やけがのため、歯科への通院が困難で、虫歯や歯周病を放置しているという高齢者は少なくありません。2005年 の厚生労働省の調査では、65歳 以上の高齢者で歯科ヘ通う人の 割合は70~74歳がピークで、それ以上の年齢層は急減します。 そんな人たちに利用してもらいたいのが、訪問歯科診療です。 歯科医師や歯科衛生士が機材持参で虫歯などの治療をしに来て くれる往診サービスです。医療 保険や介護保険が適用されるた、安心して使えます。 利用できるのは自宅から半径 16キロ以内の歯科医院なので、地 元の歯科医師会に問い合わせて みるとよいでしょう。 訪問歯科診療を利用して、旬 の食材をおいしくいただきまし ょう。」(2017511日西日本新聞)

 

命には死が内包されているという事実に気づいていなかったり、避けたりする傾向がありますが、病弱だった私は幼いころから2度死にかけたと言われてきたので、内包というより「そういうものだ」という実感があり、内包というものとも少し違っていました。

 

「死を見つめて生きる 二ノ坂保喜先生

「はだかのいのちが」が引き出す力

生まれたときから障害がああ 水野ひかりさん(23)との出会いを機に始まった地域生活ケアセンター「小さなたね」。私のクリニックで、重度の障害がある 子どもたちを成人後も支える活 動を行っています。 重度障害児者と呼ばれる彼らは、周りの支援がなければ食事も排せつも入浴もできません。 家族、特に母親の日々の介護負担は大きく、日中預かることで、 少しでも負担を軽くしたいとの趣旨です。重度障害児者とその家族が地域の人たちと出会い、交流する中で、地域コミュニティーの思いやりを育む契機にする目的もあります。誕生から6年。全国各地の仲間たちとつながりながら活動を続け、文字通り、小さなたねが芽を出してきました。

センター所長は、ひかりさんの父、水野英尚さん(49)です。水野さんは「はだかのいのち」についてよく語ります。私たちは、生まれてから直線的に死に向かって生き、病気や障害、加齢によって死に近づいていくと考えてい ますが、水野さんは「命には元々 死が内包されている。死を内包した命を、体力やさまざまな能力が包み込んで守っている」と 言います。 障害がある子どもたちはこの 守る力が弱く、いわば命がその ままさらされている「はだかのいのち」だと捉えます。そして、はだかのいのちからの働き掛けが、私たちのケアの力を引き出すのではないか、と考えています。(以下略) (にのさかクリニック院長、福岡)」(同前)

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北御門さんは読んだ [読書]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「傘寿の同窓会 時忘れ5時間  80

傘寿となりました。80年、 雨露しのぎ、古くなったが、 骨丈夫と天寿への道を歩んでいます。 今春、小学校の同窓会を半世紀ぶりに開催しました。良き季節に、21人が出席しました。皆さん、久々の 同窓会とあって、とても80歳の老人とは思えない喜びよう。足取りも軽く、さっそうとしておられました。

この年でも、楽しい人生が芽生えます。新たな出発点を発見しました。80歳の大きな節目。本当の「幸輝好齢者」目指し、元気でまた来年も今年以上の同窓会をと誓い合いました。

歌に踊りに話に酔い、精いっぱい盛り上がりました。時聞を忘れました。何と宴会は延々と5時間も続きました。疲れも知らず、年も忘れて、楽しみを分かち合った同窓会でした。」(

201767日西日本新聞)

 

若い頃、ロシア文学を読みました。トルストイ・ドストエフスキー・エセーニンなど。ほとんど理解はできていなかったと思いますが・・・。

 

「風車  ロシア文学と九州

九州ゆかりのロシア文学者といえば、鹿児島県奄美大島の昇曙夢(のぼりしょむ)、熊本県の北御門(きたみかど)二郎が知られている。昇は明治期からの翻訳・研究者として先駆的な業績を残し、北御門は故郷の球磨郡で農耕生活のかたわらトルストイの翻訳を続けた。絶対非暴力の反戦平和主義を貫いた。 ほかにも、宮原晃一郎(鹿児島市)、 中島清(佐賀)、井上満(福岡県久留米)、遠藤喜久郎(同県朝倉市)、稲田定雄(北九州市)など、ロシア文学を翻訳した九州出身者は意外と多い。もっとも宮原、中島はドイツ語から、遠藤はフランス語からの重訳ではあった。彼らは、1905年から17年に至るロシア革命と,その思想に触発される。日本文化ヘも「サーニズム」や「シェストフ体験」として痕跡を残す。 蓜島亘『ロシア文学翻訳者列伝』 (東洋書店、2012)の翻訳年表では、60年までの彼らの仕事が総覧 できる。また、二葉亭四迷をはじめ として、日本近代文学に与えた影響 が一目瞭然となっている。(以下略)」(同前)

 

北御門さんも読みましたが・・・。

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良く歩けた人が [リハビリ]

 

 

新聞の連載からです。

 

「オトコの介護 パート3

骨折は回復 リハビリの道険し

「それでね、ベッドから車いすに移ったよ。痛い、痛いち言ってたけどね」 父(81)の見舞いに行ってくれている叔母(77)から電話が 来た。右太ももの骨折の手術 翌日、手足の曲げ伸ばしから 始めたリハビリは4日目、やっとベッドを離れるところまできたわけだ。 元通り歩けるようになるんだろうか。気になって日本骨折治療学会のサイトをのぞく。写真や図解付きで部分別に詳しく説明している。これは分かりやすい。「大腿骨転子部骨折の患者には早期からの起立・歩行を目指した訓練が必要。手術翌日からベッド上での座位訓練

が普通」。確かにその通りでした。順調です。「歩行能力の回復にはけがの前の能力と年齢が大きく影響する。よく歩けていた人はより回復しやすい」(以下略)」(2017615日西日本新聞)

 

骨折と侮ることは危険。そのまま老いてゆく人たちは少なくないようです。筋力の鍛錬も必要ですね。

 

血圧が上がるのは老化ばかりではありません。

 

デスク日記

 こんな乱暴なことがまかり通っていいのだろうか。暗たんたる気持ちになる。内心の自由を脅かす恐れがあると言われてきた「共謀罪」法案の成立へ、与党がにわかに動いた。しかも委員会採決を省く極めて異例の形でだ。これほどまでに急ぐ必要があるのか。

 政府、与党が掲げた「テロ対策」という立法の目的は確かに耳当たりはいい。その通りならば異論は挟みにくいはずなのに、こんなにどたばたと成立を急がれると、後ろめたさのようなものを感じてしまう。しかも、成立してしまえば今国会は近々閉会することが確定。加計(かけ)学園問題に幕を引きたい思惑がみえる。

 「忖度(そんたく)」という言葉が飛び交った国会だったが、「共謀罪」法案採決への動きは、加計学園問題を抱えた安倍晋三首相に対する、与党議員の究極の忖度のように思える。本来、最優先すべきは国民の疑問を解消できたかどうか。胸に手を当てて考えてもらいたい。 (宮田英紀)=2017/06/15付 西日本新聞朝刊=」

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驚く日本人 [街で]

 

 

 

「花時計

自転車での通勤中、いつも歩行者が数人立ち止まり、車の途切れるのを待っている横断歩道がある。道路交通法は、人がいれば車は一時停止しなくてはいけないと定めるのに、車はまったく気にしない。以前、自転車で渡ろうとしたら、走ってきたタクシーにクラクションを鳴らされた▼自転車だって大して変わらない。例えば自転車走行レーンは車道と同様、左側通行が決まりなのに、逆走する自転車にぶつかりそうになった。せっかく レーンがあるのに、隣の歩道を猛スピードで駆け抜ける自転車もいる▼悪気があるとかふざけているとかではなく、認識があるかないかの問題なのだろう。そして、こうした小さなことこそ、うまく伝え、行動を変えてもらうのは難しい。新聞も考えるべき大きな課題だと思う。(飯田崇雄)」(2017614西日本新聞)

 

以前、横断歩道を歩いていると子連れの母親が渡るのに時間がかかり、クラクションを鳴らした車は、そこにいたパトカーに交通違反でつかまりました。私は運転しないので分かりにくいのですが、曲がる車を優先することが多いです。歩くのが遅いからですが、10人に1人は頭を下げますが、知らん顔で過ぎ去ります。もっと気になるのは、舗装道路でもへこんでいるところが多く、雨水をはねて通っていきます。スピードを下げるか、少し寄ればはねる水は少ないのに、そうしない人の多さにも驚きます。最近でも、立派な日本人というテレビ番組が増えています。自画自賛しなければならない国になり下がったという意見もあります。「おもてなし」という五輪誘致は何だったのでしょう。共謀罪の口実にされたようにも見えますが。

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腐らない [職場]

 

 

福祉新聞」のコラムからです。

 

「三念帖

サッカーは社会の縮図。人生を学べる教科書だそうだ。 他のスポーツでも言えることなのかもしれないが、サッカーを愛する意外な芸能人、歌手で女優の小柳ルミ子さんの独自の見方には敬服するものがある▼小柳さんは15試合、休みの日には10試合も見るほど、世界のサッカ ーチームをチェックしているという。選手の発言、解説者評、自身の分析など、 ノートに書き留めてもいる。テレビやラジオで見聞きする限り、そのノートはぜひとも読ませてもらいたい内容だった▼一人ひとりが責任を持たないとゴールという利益は生まれない。芸能界で言えば、 マネジャーが居て、スタイリストやヘアメイクが居て、照明や音響スタッフが居て・・・と重なる。サッカーの場合、自分でボールを持ちすぎる選手は「俺ってすごいだろ」というのが見え、活躍しきれないらしい。圧倒的な個の力がなくとも圧倒的な組織力を持てば勝ちに行けると▼ノートの1ページが奥深い。「『い』の法則」はサッカーだけでなく仕事や生き方にも通じるという。「うまい」「速い」「強い」などは当然のこと、「修正」「柔軟性」「創造性」「緩急自在」などハッとする言葉が70近く並ぶ。福祉の仕事にも通じる。一つ自分も挙げるなら、「腐らない」はどうだろう。「自信と謙虚は必要、驕りと卑屈は不要」という考え方を見習いたい。(三宅祐子)

 

福祉の現場も低賃金・少人数など過酷なところではありますが、見方を変えれば遣り甲斐があります。でも、専門職として睥睨する人もいます。それでは続かないし、いい仕事はできないでしょう。ここで挙げられています「腐らない」というのも大事では。困難なこともあるでしょうが、障害者や高齢者の思いを基礎として考えられるのなら腐らなくてもすみそうです。でも、いつも強いばかりではないので愚痴はこぼしてもいいと思います。

「腐らない」という言葉を支持したのは、『集団就職』という本を読んでみてさらに感じたからです。同世代の貧困世代は中学校卒業時に選択を求められていました。親は家に仕送りしてくれる人が欲しい。ある人は年季奉公といって親が漁業の網を買うのにまとまった金が要るからとして就職でなく年季奉公に出ます。1年分の奉公代が得られるからです。早朝から午後11時ぐらいまで働き続けます。脱走する人もいたとか。親もつらかったでしょう。それでも「腐らない」で働いてきた人が多かったと著者は記しています。そこには楽天的で、向上心を保ち続けた人たちが高度成長を支えてきたのだと思う。その裏では過疎化が進んだのですが、それは政治の問題ですが。

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出しゃばることも [支え合う社会]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「甘夏ミカンの酸っぱい魅力   79

夏日になった日、甘夏ミカンを食べた。とても爽やかで、美味であった。近所の家の庭の隅にある大きな に木から取れたものである。 化成肥料を使わず、無農薬で育てられている。落ち 葉や食材の残りで堆肥を作るどのこと。その家の方は害虫にやられず、毎年よく なりますと話しであった。 私もダニやカイガラムシ などがなぜ、発生しないのか分からない。木が元気なので、きっと寄せつけないのだろう。

甘夏ミカンは酸っぱさが嫌われて、最近はあまり人気がない。収穫する人がなく、木になったまま放置されているのをよく見かける。もったいない。その酸っぱは体温を下げてくれる。暑さ対策には、最高の果実である。見直そう。」(2017525西日本新聞)

 

 

「(声)認知症、他人も出しゃばろう 37歳 2017529日朝日新聞

 農作業を手伝いに早朝、実家に行ったら見知らぬ高齢女性がいらっしゃいました。両親に聞くと、一人で歩いていた認知症の方を保護したそうです。独居という彼女を私が車で送ることにしました。

 私は体調不良で退職したものの介護福祉士です。車を出してすぐ、彼女の病気の深刻さに気づきました。まず会話が成立しません。なんとか住所を聞き、送り届けたお宅は実家から9キロ先の山奥。家の前にライトをつけっ放し、エンジンもかけっ放しの車が斜めに止められていました。「車が勝手に車庫から出てきて怖くなったから歩いて逃げた」とおっしゃいます。

 彼女が自宅に入り、玄関の鍵を内側から掛けたのを見届けた足で、私は市役所の高齢福祉課へ参りました。「かなり急を要する事態です。1人にしておくと人命に関わります」とお伝えするために。

 父は私に申しました。「親類縁者がいるはず。他人のお前が出しゃばるな」。でも、あえて申し上げます。皆様、出しゃばってください。一人歩きの彼、彼女は、あなたの助けを必要としています。」

 

でも、専門職だからできることかもしれません。素人がどうするかは行政窓口の周知しかないのでしょうか。

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良き死とは [高齢者]

 

 

「死生学」という学問があるそうです。老いがくれば死はそんなに遠くありません。水俣病で活躍した原田正純先生が亡くなられて5年経つという報道がありました。そんなになるとは思えなかった。あるシンポジウムで拝見したのが最初で最後でした。5年後原田氏の業績を受け継ぐ人たちが活躍しているという。これなどは「良き死」なのでしょうか。

 

「『良き死の条件』はどう生きたか 二ノ坂保喜先生

私が福岡市で在宅医療中心の 「にのさかクリニック」を聞いて21年、在宅でみとった方は8 00人を超えます。それぞれの生き方、逝き方に思い出が残っています。(略)

西津さんの場合、自らの両親をホスビス病棟でみとった貴美子さんの、義父の思いを尊重したいという気持ちが強かった ようです。私たち在宅ケアチームは、患者が病気になって初めて出会います。だからこそ、それまでどのような人生を生きてきたのだろうと、本人のたたずまいや話しぶりなどからいろいろなことを読み取り、家族関係を想像します。西津さんには、新聞記者 としての人生、仲間から慕われる人柄、家族との絆が垣間見えました。 西津さんは在宅ホスピスが始 まって2カ月ほど、抗がん剤治 療を続けました。次第に効果が なくなり、副作用が強くなった ため、家族が主治医に抗がん剤 中止を申し出、主治医も快く受け入れてくれました。 在宅ホスピスには不思議な力があると、私は感じます。徐々に体力が低下し、トイレに行くのもやっとの西津さんでしたが、134月末の小中学校の同窓会に苦労して参加した後、驚くほど元気になりました。ゴールデンウィークには家族と大分・九重にドライブに出掛け、バーベキューを楽しみました。西津さんは「今こそ人生のゴールデンウィーク」と言っていました。(以下略) (にのさかクリニック院長、福岡市)」(201768日西日本新聞)

 

どう生きたかと問われるとたじろぎます。良き死とは無縁なのかもしれませんが。

 

「核兵器禁止条約交渉 長崎市長ら参加要請 岸田外相は拒否

田上富久長崎市長と松井一実広島市長は7日、外務省に岸田文雄外相を訪れ、 国連本部で15日から始まる核兵器禁止条約の第2回制定交渉に参加するよう求める要請文を提出した。田上氏は要請後、記者団に「日本が参加しなければ、核兵器のない世界を実現する大きなチャンスを失うことに なる」と話した。 日本政府は、米国、ロシ アなど核保有五大国が参加しない条約交渉を「核兵器国と非核兵器国の対立をさらに深め、核兵器のない世界を遠ざける」として3月に不参加を表明。岸田氏は要請に対し、あらためて出席しない考えを伝え た。松井氏は記者団に「われわれの思いが届くような対応をしてほしい」と述 べた。 要請文は「被爆者の思い を真撃に受け止め、核保有国と非核保有国の橋渡し役を果たすため、勇気を持って参加するよう求める」などと訴えている。(山口卓)」(同前)

 

 

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介護にお金は使われていますか [介護保険]

 

ニュース川柳

・笑ってはおれぬ政治という喜劇

・ミサイルは外交力で撃ち落とせ

・ 岩盤と共に壊すか民主主義

年金の老いを物価が責めにくる」(2017610日西日本新聞

 

 

要支援1だから我慢せよという声が聞こえてきますが・・・。

 

高齢者福祉にもっとお金を  72

「介護保険」との言葉から、老後に安心して介護が受けられるイメージを抱いていた。 ところが、現実は「介護保険料」で国民が負担する税金である。40歳以上、老人でもみんな介護保険料を払う。でも、期待する介護を受けられない。これは「弱者いじめ」ではないかと思う。介護を受ける折には査定があり、その査定が厳しくなった。介護には、費用の1割負担がある。私の夫はいくつもの病気を抱えていた要介護1であった。年金暮らしなのに、それが2割負担に増え、5月から1段階下 の要支援1なって、思っていた介護も受けられなくなった。 いざ寝たきりになっても、入る施設がなく、受け入れてもらえない人も多く

出ている。国は本当に困っている高齢者の福祉にもつとお金を使うべきです。みんなが「介護保険によって助けられた」と言えるような社会であってほしいと願う。」(同前)

 

「要介護認定における一次判定の5領域」というのがあり、「問題行動」という「差別に近い表現」の区分もあるようです。判定の基礎になるケアマネージャー次第だと言われます。消費税を上げる時だけは高齢者福祉というが そこに回っているとは思えない。きちんと使途を説明してもらいたいのだが。

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「YOUは何しに・・・」から [職場]

 

 

「YOUは何しに日本へ」を見ていて羨ましいのは短期の休暇をとって来日してくる人の多いこと。忙しいことを美徳とする国との違いを感じます。

 

「気流

終業時刻の5分後にはオフィスの照明が消える。仕事に使っているパソコンの電源も強制的に切断された。テレビ番組で紹介していた中国地方のスーパー本部の取り組み。終業時刻が迫り慌ただしく動く従業員の姿が印象に残ったワークライフバランスを重視する「働き方改革」。その一つが長時間労働の是正。地場企業でも取り組みが進む。残業を事前申告制にしたり、残業部屋を設けて終業時刻後に働く人をそこに集めたりしている会社もある。光熱費削減に加え、周囲の目を意識させ、だらだら残業を減らす効果もあるそうだ▽長時間労働を減らすには仕事量の見直しも必要。そうすれば毎日のように居残り残業する人は減るはず。ただ残業削減で手取りが大幅に減れば従業員の生活に影響が出る恐れもある。「早く帰れ」だけでは解決しないのが難しい。」(201768日西日本新聞

 

残業代は小遣いにも影響する。働き方改革だけだと残業規制だけが進むのでは。同時に働く側の意識改革も必要。ドイツでは年間150日の休暇があるという。そして、仕事の情報を共有化して休んでも支障がない体制があるという。情報を囲い込んでいないかも問われているのでは・・・。

 

 

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「 治安維持法 「キネマ旬報」が特集 「共謀罪」に危機感反映/東京新聞」という。間に合うかどうか。

      


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子どもを産むのは [寛容な社会]

 

 

松尾スズキ氏の連載の随筆からです。

 

「少年水死体事件 ㊱ 松尾スズキ 

私は、子供の気持ちに取り入ることを捨て、人生の邪魔をされぬよう彼らをなるたけ視界に入れないように入れないように生き、二度結婚しても子作りすることもなく現在に至 っている。どんな子供も最終的には皆 死ぬのに、なぜわざわざ産むのだろう。 遺伝子を残したいから?その果てを 見ることはかなわないし、どうせ、自殺者だらけの国に生まれるのだ。せえの、で、人類が子を産むのをやめれば、 皆、平等にゆっくり滅び、争いのない 穏やかな世界が訪れるのに。がつがつと子孫を末期まで残そうって根性こそが欲深で下品じゃないか?私は酔っぱらうと、そこまで極端に考えてしまうことがある。そういう意味ではいい 歳をして私はまったく大人になりきれていないわけだが、それもこれも皆、子供のせいだという考えに立ち返って、しまうのである。あの「未来しかない」というようなあさましい輝き加減がいただけない。子供に罪はない、というが、私はあると思う。罪があるのがばればれの顔をしてのうのうと歩いている子供を実際よく見かける。もちろん私にもきっとあった。その罪をつぐなうために大人になってヒイヒイ働いて税金を納めているわけだが、よく考えてみれば子供の時代もそこそこ罰を受けているような修羅場が常態のような感情で生きていたのに、人生罰ばかりじゃないか、ええい、理不尽なり、という思いもある。

(作家、演出家俳優。挿絵も筆者)(一部引用)」(201767日西日本新聞)

 

私もまた若い頃、どうせ死ぬのにと思ったことがあります。それは、自分の能力では解決しきれない環境にいたことからだと思います。親は勝手に子どもを作って放擲しているように思えました。人口減社会の根っこにこんな情念がなければいいのですが。だが、病気や障害などによる本人への影響はネガティブなものばかりでなく、「ストレス関連成長」という世界観などの再構築がされたという。その要素は①性格・性別 ②病気などに対する対処能力がある ③衝撃的なものであったかどうかという。

 

 

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「懐かしい花の贈り物に感謝 66

私の花好きをよく知っている三男はいつも「母の日」 に珍しいアジサイやフジなどの鉢植えプレゼントし てくれる。カーネーション はあまり好きではない。も ともと、定番が好きではない性格でもある。 「今年はとても懐かしい花だよ」。ネジバナを鉢植えにしたものだった。ネットで購入したという。三男が小学校低学年のころ、学校の帰り道に「お母さんの大好きな花だ」と言って、両手いっぱい摘んできて私を喜ばせてくれた。25年前のことなのに、よ く覚えていたものだ。田んぼのあぜ道や土手、公園の芝生に、らせん状にねじれた茎にかわいい小さなピン クの花を咲かせるラン科の植物。雑草扱いされているが、育てるのは難しい。心のこもった花を枯らさず、育てたい。アジサイもフジも元気に育っている。母子家庭になって頑張っていたころが思い出される。」(同前)

 


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抗がん剤をやめるとき [医療]

 

 

薬をやめることは死につながりますが、それでも続けるかどうか。判断が求められるという。大変なプレッシャーですね。

 

「抗がん剤をやめるという決断 二ノ坂保喜

森本義夫さん(享年64) 2012年、腰の痛みが 取れずに整形外科を何軒か 回った後、九州医療センター(福岡)で肺がんの骨 盤転移と診断されました。 既に最も進行した「ステー ジ4」で手術できず、骨盤 の放射線治療全身の抗がん剤治療を受けました。抗 がん剤は効果を見ながら種 類を変えていきますが、9種類自の薬で、担当医に「最後の薬です。今後はどうしますか」と問われました。146月、森本さん夫婦は私の所に相談に来ました。胃がん末期でありながら当院でボランティア活動を続けた池本タエ子さん(連載4回目で紹介)の夫と義夫さんが同級生で、同時期に闘病中だったタエ子さんの在宅療養の話を聞いていたのです。 森本さん夫婦は重い病と 宣告されたとき「最期まで 寄り添って生きていこう」 と決めていました。入院仲 間の話や様子から「この薬 になったら抗がん剤治療を やめよう」とも話し合って いました。 私が診てきた進行したがん患者にとって、抗がん剤治療は薬の選択や副作用対策なども難しいのですが、最も難しいのは「いつやめるか」という見極めです。抗がん剤が効果を表すこともありますが、ほとんどは最終的にがんが体を支配します。次第に体が弱って抗がん剤は効果がなくなる一方、副作用は変わらず体を 襲います。「死ぬまで続け る」という医師は多いので すが、私は少しでも回復力 が残っているときに抗がん 剤をやめればよりよい生活を維持できると考えています。(以下略)(にのさかクリニック院長、福岡市)

 

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6月19日は [平和]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「たくあん添えおにぎり渡す 77

ある春の日、自転車子どもの見守りパトロールをした。海岸で休憩していると、遠足の小学生たちに出会った。すると、1人の子が走り寄って、リンゴ一切れを渡し「おじいさん、いつもありがとう」と言って仲間の方ヘ走り去った。 70年近く前になるか。思い出した。福岡大空襲で両親を失った同級生が小さな漁村の祖父母に預けられ、私と同じ学級に来ていた。 ズックはなく、はだしか草履だった。弁当は時々、サツマイモがあるくらいで、いつも独り外に出ていた。当時級長だった私はほぼ毎日、先生のおにぎり1個を持たされ、自分のたくあんを添えて渡した。みんな一貧しかったけど、いじめはなく、登校拒否もなかった。遠足の時は私と56人からおにぎりをもらい、数個をおばあちゃんにと持ち帰っていた。リンゴ、バナナは絵でしか知らなかった。リンゴ一切れを味わいながら、平和を願った。」

 

619日と20日にかけての爆撃で多くの方が亡くなられました。むごい戦争を始めた人たちは後に免責され、政治の場に出てきた人もいます。亡くなるのは庶民です。


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