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共助と呼べるのかどうか [自分史]

共助と呼べるのかどうか

Eテレで、震災で子どもを失った親たちの自助グループの放送をみました。そのなかで「復興できないものを失った」という言葉がありました。そこに喪失の深さを表しているようでした。その前に、RKBテレビの「豆ごはん」という地域番組があるのですが、その冒頭に名越という精神科医がコメンテーターの紹介がありました。司会者がここにも「そうした人たちがいるので」というような話をして医師は「そういうにおいがする」などと話しました。「そうした人」というのは精神障がい者を指しているのだと思います。おもしろくしようという趣旨の話なのでしょうが、当事者・家族にしたら「におい」で分かるというのはどうなのでしょう。精神科医の言葉としても信じられませんでした。

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「懐かしき古き良き共助の時代 68

寒さが厳しい冬。そんな日には古き良き時代を思い出す。約60年前、弁当を持参していた小学生のころのことだ。 学校の教室の片隅に木箱の「弁当温め器」が置いであった。2時間目が終わる頃、用務員さんが赤々と炭火がおこった 火鉢を温め器に入れてくれる。弁当は温められ、昼近くの教室にはぷーんとえも言われぬにおいが漂う。空腹のため、時にはおなかの鳴る音まで聞こえる。昼、ぽかぽかに温まった弁当を食べる。「今日はかまぼこやちくわが入っていてうまかった」と母に言うと、「それは入れていない。他人の弁当を食べた だろう」と言う。同じ形のため間違えて 他人の井当をよく食べていた。そんな翌 日の弁当を母は丹精込めて作っていた。 友にお返しするために。「昨日はごめん。でもうまかった」と間違えた友と大 笑い。当時は、弁当を持ってこられない 友もいた。先生はみんなにご飯とおかず を少しずつ分けさせ、みんなで食べた。生活は貧しかったが心は豊かで、いじめや不登校などとは無縁のおおらかで古き良き共助の時代であった。近頃の世の中はぎくしゃくしているように感じる。大人も子どもも、もっと他をおもんばかる心のゆとりを持ちたい。」(201229日朝日新聞)

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ほぼ同じ時代と似たような体験があります。記憶に間違いがなければ小学校2年生までが弁当で、それ以後は給食になっていったように思っています。この方は不登校とは無縁だとされていますが、今とは違う意味になるかもしれませんが、貧困などで行けなかった人がいました。誘いに行ったときに子守りをしていた姿を今も記憶しています。どういう訳か、私のいた集落の多くの同級生が既に他界しています。こんなに長寿になったこの国で。みんなとどのような人生を過ごしたかと語り合う前に。


2012-02-10 09:11  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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