ディ一セント・ワークの具体的な課題は [社会保障]
ディ一セント・ワークの具体的な課題は
障害者分野でもディ一セント・ワークが課題として取り上げられています。ディ一セント・ワークとは「働きがいのある人間らしい仕事」と説明されています。例えば
「福島第一原発で事故処理にあたっている現場下請労働者は十分な安全対策がとられないまま被曝の危険にさらされ、かつ五重、六重に及ぶ請負構造(間接雇用)のもとで中間搾取状態におかれている。日本社会の病ともいうべき「雇用の劣化と働き方の貧困」がここに凝縮されている。今回の大震災からの復興にあたっては、「雇用の劣化と働き方の貧困」をもたらすもととなっている輸出に偏重した、いびつな経済・産業構造への回帰ではなく、その転換をめざすべきである。」(『ディ一セント・ワークと新福祉国家構想』)とされています。しかし、このような実態は今に始まったものではありません。『ディ一セント・ワークと新福祉国家構想』によれば、憲法が保障する勤労の権利、生存権、個人の尊重、幸福権の追求などを包摂するものとされ、ディ一セント・ワークとして課題として挙げられるようになったのは、雇用環境のこの20年のさらなる悪化によるものだとされています。ディ一セント・ワークという理念が、今の経済構造の中で実現可能なものか、という根本的な疑問もあります。ここ10年前以上の「労働ビッグバン」として日本型雇用形態が壊れて、非正規雇用を主流とするものになってきています。それには、労働組合運動の衰退・堕落が重なります。これらを総合するとディ一セント・ワークと呼ばなければならないものは何か。具体的な課題は何かを示さないと力にならないように思う。ディ一セント・ワークと福祉国家が連動して語られています。『新たな福祉国家を展望する』では、社会保障基本法が提示されています。すると、ディ一セント・ワークは福祉国家でしか実現が難しいのであろうか。これらの著作には、生活していくうえでの様々な困難と制度の不備が鋭く提起されています。それでもなお、ディ一セント・ワークの定義がどのようなものであり、どのようにして実現していくのか。そのことをこれらから私は理解できなかった。特に、障害者分野では「きょうされん」などがこの問題にアプローチしています。さらなる具体的な課題設定と当面する目標を掲げる必要があるように思う。なぜなら、国との和解内容でさえ、あっさりと否定されてしまう政治。そうすると、最低限、必要な仕組みは「社会保障基本法」として獲得されるべきものだろうか。
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