教育行政の独立性も思った [障がい者問題]
月に1回の古代史講座の日でした。近くにある平野神社は京都と同じで「今木 ( いまき ) 皇 ( のすめ ) 大神 ( おおかみ ) 」「 久度 ( くど ) 大神 ( おおがみ )」「古開 ( ふるあき ) 大神 ( おおかみ )」「 比賣 ( ひめの ) 大神 ( おおかみ ) 」を祀っていて、 「 久度 ( くど )」はカマドのことだそうです。小さい頃、「くど」と言っていましたし、まだ、かまどは現役でした。
今日の新聞の投書欄は若い人の特集でしたる
「ぼくたちにも 手話は不可欠 13歳
3学期になってすぐ、 二つの人権学習をしました。一つは「インターネットと人権」ということで、パソコンや携帯電話を使うときの注意や危険性について学びました。スライドや動画を見ながらの講演はとてもわかりやすく、会員登録などをしたら、お金がかかったりするのであぶないと思いました。利用の説明をしっかり読んで注意して楽しくパソコンをしようと思いました。 二つめは「手話の学習」、 です。あいさつや自己紹介、そしてみんなの名前について勉強しました。手話は耳が聞こえない人が考え、思いなどを伝えるためにできたと思っていました。でも、ぼくたちにも欠かせないものだと思いました。二つの人権学習を通して、自分の生活を見直すためのとてもいい勉強になりました。」(2012年2月14日西日本新聞)
手話は聴覚障害者に必要というだけでなく、周りの人たちに求められているのだという理解は、子どもたちに対する教育の大切さを教えてくれます。大阪では、首長が教育に介入する仕組みが提起され、東京都では裁判が続いています。そこで、教育の介入に対する節度を求める判決も出されました。現在の憲法が教育の独立性を確保しようとしたのは先の戦争の反省からです。それを否定する動きはどうなのでしょう。
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