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義務教育では [障害者福祉]

 

 

義務教育では

 

 

 

「認知症予防に 食生活改善を 70

 

  近くの総合病院主催で健康教室があった。各種検査後、医師による講演が行われた。生活習慣病と並んで興味を引いたのは、認知症についての話だった。「朝食を食べたかどうか、 分からなくなれば認知症。何を食べたか、思い出せないのは、単なる物忘れ」とのことであった。 質問が飛んだ。「朝、薬 を飲んだか、分からない時 がよくあります。これは認知症でしょうか」。ベテラ ン医師はにっこり笑って 「心配ありません。それは 単なる物忘れです。私にも よくありますよ」との温かい返事であった。

 

よわいを重ねることは悪いことばかりではない。弱くなった体は人さまの親切を大変ありがたく感じ、感謝の念が強くなる。物事を考える力も増してくる。病院にかかることはお金と時間を無駄にする。まず食生活を見直し、体と家計ダイエットに取り組もうと思う。何より認知症、予防のためにも。」(2017424日西日本新聞)

 

 

 

衰えるだけではないということか・・・。

 

 

 

デスク日記

 

約4カ月、けいれんが頻発して苦しんでいた障害のある息子(11)の発作がほぼ収まった。特別支援学校への通学を再開したものの、妻がマイカーで行き帰りを送迎する日々も戻ってきた。往復約30キロを1日2回。息子のように、たんの吸引など医療的ケア(医ケア)が必要な子どもは、スクールバスの利用が限られているのだ

 

 学校には医ケアに携わる看護師がいる半面、バスへの配置はなし。調子が良ければたんが出ない息子はここ数年、帰宅時だけバス利用が認められていたが、けいれん騒ぎで様子見…となった。運転を苦にしない妻でも負担は相当なもの。そもそも免許を持たなかったり、不慣れだったりする親も少なくない。

 

 こうした障害児支援のため医療や教育の連携推進を自治体の努力義務とする法律が施行されて間もなく1年。マイカーがなくても子どもの通学を保障する学校が増えてほしいと切に願う。 (三宅大介)=2017/04/26付 西日本新聞朝刊=」

 

 

 

みんながマイカーがあるわけではないし、なければ通学をあきらめるしかないのだろうか。義務教育ではないか。国も義務を負うべきでは・・・。国民だが義務を負うというものなのか。

 

 

「認知症予防に 食生活改善を 70

  近くの総合病院主催で健康教室があった。各種検査後、医師による講演が行われた。生活習慣病と並んで興味を引いたのは、認知症についての話だった。「朝食を食べたかどうか、 分からなくなれば認知症。何を食べたか、思い出せないのは、単なる物忘れ」とのことであった。 質問が飛んだ。「朝、薬 を飲んだか、分からない時 がよくあります。これは認知症でしょうか」。ベテラ ン医師はにっこり笑って 「心配ありません。それは 単なる物忘れです。私にも よくありますよ」との温かい返事であった。

よわいを重ねることは悪いことばかりではない。弱くなった体は人さまの親切を大変ありがたく感じ、感謝の念が強くなる。物事を考える力も増してくる。病院にかかることはお金と時間を無駄にする。まず食生活を見直し、体と家計のダイエットに取り組もうと思う。何より認知症、予防のためにも。」(2017424日西日本新聞)

 

衰えるだけではないということか・・・。

 

「デスク日記

約4カ月、けいれんが頻発して苦しんでいた障害のある息子(11)の発作がほぼ収まった。特別支援学校への通学を再開したものの、妻がマイカーで行き帰りを送迎する日々も戻ってきた。往復約30キロを1日2回。息子のように、たんの吸引など医療的ケア(医ケア)が必要な子どもは、スクールバスの利用が限られているのだ

 学校には医ケアに携わる看護師がいる半面、バスへの配置はなし。調子が良ければたんが出ない息子はここ数年、帰宅時だけバス利用が認められていたが、けいれん騒ぎで様子見…となった。運転を苦にしない妻でも負担は相当なもの。そもそも免許を持たなかったり、不慣れだったりする親も少なくない。

 こうした障害児支援のため医療や教育の連携推進を自治体の努力義務とする法律が施行されて間もなく1年。マイカーがなくても子どもの通学を保障する学校が増えてほしいと切に願う。 (三宅大介)=2017/04/26付 西日本新聞朝刊=」

 

みんながマイカーがあるわけではないし、なければ通学をあきらめるしかないのだろうか。義務教育ではないか。国も義務を負うべきでは・・・。国民だが義務を負うというものなのか。

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なんでも遅くなる [高齢者]

 

 

なんでも遅くなる

 

 

 

女性の投稿欄からです。

 

 

 

「紅皿 ゆっくりでいいよ

 

 

 

今年も熊本県南阿蘇村に「一心行の大桜」を 見に行った。昨年は阿蘇を訪ねた1週間後に、 あの地震が起きたので、本当に驚かされた。 行きの車からも、あちこちに満開の桜が見て 取れた。山裾の緑の中、堤防に1列に並んで咲く姿が実にきれいだ。道中どこも満開だったので、現地に着くとがっかりしだ。まだ二分咲き程度で満開には程遠かったのだ。 気晴らしになればと1人暮らしの母も連れてきていた。「残念だったね」と声を掛けると「年取ると何でも遅くなるからね」と母は言う。そりゃ、そうだ。樹齢430年の桜の木。「年を取る」なんて言葉では言い表せないほど古い。頭が下がるほど古い。それでも、大きく長く伸びた枝の先まで、数え切れないくらいのつぼみを、びっしりつけている。まるで、これからもここでちゃんと生きていこうという意欲を見せているようだ。きっと木が、自身の持てるエネルギーを隅々まで行き渡らせるのに、とても時間がかかるのだろう。「ゆっくりでいいよ。満開を見たいと思ったのは私の勝手。いつ満開にするかはあなたの勝手。頑張れ 心の中で呼び掛けた。(61歳)」(2017425日西日本新聞

 

 

 

高齢者になれば、できるまでの時間がかかったり、できなくなったりします。

 

読者の投稿欄では、「健康不安」という避けられないものも待っています。

 

 

 

「山に向かって すすり泣く夫 71歳

 

 幼いころ、祖父を見舞った。馬屋からぶつぶつ言う声が聞こえた。競走馬を育てている病気の祖父が、馬と話をしているのである。「早く大きくなってレ一スに出るんだよ」。じいちゃんが独り言を言っている。馬に話したつて返事しないのにと思っていると「ヒヒィ!ン」と鳴いた。祖父はその1カ月後、逝った。それから65年、今2階の窓から見える耳納の山は、話し掛けても何も言わないが、心が落ち着く。昨年、夫は重い病に侵された。決して弱音を吐かず、元気に振る舞っていた。ある日、外出から帰ると、すすり泣く声。「何でこんな病気になったのか」と肩を震わせ、山に向かって独り言を言っている。それから3カ月後、夫は黄泉の国に旅立った。頭では誰でも、永久の別れが来ることは分かっている。私も山に向き合う。寂しい。祖父の馬のいななきのように、夫の声が返ってきたら、どんなにうれしいだろうか。」(同前)

 

 

 

 ある作家のお父さん韓国から日本に来た人だったという。亡くなったときに医師から相当痛みがあっただろうに一言も痛いなど言わなかったと驚嘆していたという。作家は息子に何かを伝えようとしていたのかもしれないと思ったという。誰もいないところで泣いたことがあってもいいのではないか。「終末、死」とも向かい合うことになります。高齢者の生活には、悠々自適とは少し違う生活もあるのでしょうか。総決算になるのでしょうか。

 

 

 

 

女性の投稿欄からです。

 

「紅皿 ゆっくりでいいよ

 

今年も熊本県南阿蘇村に「一心行の大桜」を 見に行った。昨年は阿蘇を訪ねた1週間後に、 あの地震が起きたので、本当に驚かされた。 行きの車からも、あちこちに満開の桜が見て 取れた。山裾の緑の中、堤防に1列に並んで咲く姿が実にきれいだ。道中どこも満開だったので、現地に着くとがっかりしだ。まだ二分咲き程度で満開には程遠かったのだ。 気晴らしになればと1人暮らしの母も連れてきていた。「残念だったね」と声を掛けると「年取ると何でも遅くなるからね」と母は言う。そりゃ、そうだ。樹齢430年の桜の木。「年を取る」なんて言葉では言い表せないほど古い。頭が下がるほど古い。それでも、大きく長く伸びた枝の先まで、数え切れないくらいのつぼみを、びっしりつけている。まるで、これからもここでちゃんと生きていこうという意欲を見せているようだ。きっと木が、自身の持てるエネルギーを隅々まで行き渡らせるのに、とても時間がかかるのだろう。「ゆっくりでいいよ。満開を見たいと思ったのは私の勝手。いつ満開にするかはあなたの勝手。頑張れ 心の中で呼び掛けた。(61歳)」(2017425日西日本新聞)

 

高齢者になれば、できるまでの時間がかかったり、できなくなったりします。

読者の投稿欄では、「健康不安」という避けられないものも待っています。

 

「山に向かって すすり泣く夫 71歳

 幼いころ、祖父を見舞った。馬屋からぶつぶつ言う声が聞こえた。競走馬を育てている病気の祖父が、馬と話をしているのである。「早く大きくなってレ一スに出るんだよ」。じいちゃんが独り言を言っている。馬に話したつて返事しないのにと思っていると「ヒヒィ!ン」と鳴いた。祖父はその1カ月後、逝った。それから65年、今2階の窓から見える耳納の山は、話し掛けても何も言わないが、心が落ち着く。昨年、夫は重い病に侵された。決して弱音を吐かず、元気に振る舞っていた。ある日、外出から帰ると、すすり泣く声。「何でこんな病気になったのか」と肩を震わせ、山に向かって独り言を言っている。それから3カ月後、夫は黄泉の国に旅立った。頭では誰でも、永久の別れが来ることは分かっている。私も山に向き合う。寂しい。祖父の馬のいななきのように、夫の声が返ってきたら、どんなにうれしいだろうか。」(同前)

 

 ある作家のお父さんは韓国から日本に来た人だったという。亡くなったときに医師から相当痛みがあっただろうに一言も痛いなど言わなかったと驚嘆していたという。作家は息子に何かを伝えようとしていたのかもしれないと思ったという。誰もいないところで泣いたことがあってもいいのではないか。「終末、死」とも向かい合うことになります。高齢者の生活には、悠々自適とは少し違う生活もあるのでしょうか。総決算になるのでしょうか。

 

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主人と呼ばれて [寛容な社会]

 

 

少し古いAERAを借りて読んでいます。小島慶子氏のコラムを楽しみにしていますが、今回は「主人」。

「『主人』は女性の立場を貶める呼称だから使うべきではないという意見には納得しているのですが、コスプレとしてやってみたかったのですね。やがて自分の気持ちに気づきました。『どう?気が強くて男性と対等に仕事をしている私だけど、こんなできた妻でもあるのよ。ますます優秀でしょ』という本音に(一部引用)

 

わが家ではどうでしょうか。あまり気を付けていませんが「主人」と使っていることもあるようです。訳もなく気持ちよくなっている自分がいます。失敗が多い人生です。無条件に立ててくれる環境があってもいいのでは。女性を貶めることになると言われるとそうかもしれませんが・・・。

 

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医療者と患者を誰がつなぐ [医療]

 

 

医療者と患者を誰がつなぐ

 

 

 

 

 

「がん患者に対話と交流を 「がん哲学外来」樋野氏講演

 

病気になっても病人になってはならない。「がん哲学外来」の提唱で知られる順天堂大医学部の樋野興夫教授(63)、が福岡市で講演し、がんを告知されて死を意識したときの生きざまを説いた。日本人の2人に 1人ががんにかかるといわれている。樋野教授は「どんな境遇でも役割がある。困っている人に手を差し伸べて」と呼びかけた。(略)

 

樋野教授は「人間には最後に『死』という大切な仕事がある」と表現。「若い時に華やいだ生活をしようが苦しい生活をしようが、人生は最後の5年間をいかに過ごすかで決まる」と指摘し「がんも一つの個性。人間には使命があり、病気でも病人にならない社会づくりが必要」と語った。医師に対しては「患者と同じ目線を」と訴えた。(以下略)」(2017424日西日本新聞)

 

 

 

がんカフェの様子をテレビで見ましたが、患者と家族の声を傾聴する場が必要ですね。その意味では、下記の報道は残念ですが、新しい動きが必要ですね、

 

 

 

「苦情が医療者の認識変えた

 

患者の権利オンブズマン

 

活動18年 福岡市で解散報告集会

 

 

 

患者や遺族から苦情を受け付け、医療機関などに対応を迫ってきた福岡市のNPO法人患者の権利オンブズマン(久保井摂理事長)の解散報告集会が23日、同市、・天神であった。「苦情 に学ぶ」を合言葉に、患者 側と医療機関が対立する訴訟ではなく、対話による解決を目指した活動を関係者が振り返った。514日の臨時総会で解散する。欧州の苦情解決制度を参考に、19996月に発足。研修を積んだボランティアが相談に応じ、医師や看護師、弁護士らが助言 して約6600件を受けてきた。同様の取り組みは関 東や関西などにも広がつた。 同集会では冒頭、副理事長の平野亙・大分県立看護科学大准教授が解散の背景に入手不足や財政難などがあったと説明した。 続いて5人がパネル討 論。発足時からの相談員、 福山美音子さんは「話をするたびに元気になり対医療機関の『気持ちを理解できず申し訳なかった』という、一言で納得された相談者がいた。患者や家族の思いを 受け止める場がいかに大切かを知った」と報告。医師 として活動に協力してきた熊本市西区の病院長、赤木健利さんは、患者によるカルテ開示請求が珍しくなくなったことに触れ「活動は

 

医療者の認識を変えた」と評価。宮若市の病院長、有吉通泰さんは「医療には近年厳しい目が注がれておりこうした組織はより必要になるのではないか」と解散を惜しんだ。」(同前)

 

 

 

 

 

「がん患者に対話と交流を 「がん哲学外来」樋野氏講演

病気になっても病人になってはならない。「がん哲学外来」の提唱で知られる順天堂大医学部の樋野興夫教授(63)、が福岡市で講演し、がんを告知されて死を意識したときの生きざまを説いた。日本人の2人に 1人ががんにかかるといわれている。樋野教授は「どんな境遇でも役割がある。困っている人に手を差し伸べて」と呼びかけた。(略)

樋野教授は「人間には最後に『死』という大切な仕事がある」と表現。「若い時に華やいだ生活をしようが苦しい生活をしようが、人生は最後の5年間をいかに過ごすかで決まる」と指摘し「がんも一つの個性。人間には使命があり、病気でも病人にならない社会づくりが必要」と語った。医師に対しては「患者と同じ目線を」と訴えた。(以下略)」(2017424日西日本新聞)

 

がんカフェの様子をテレビで見ましたが、患者と家族の声を傾聴する場が必要ですね。その意味では、下記の報道は残念ですが、新しい動きが必要ですね、

 

「苦情が医療者の認識変えた

患者の権利オンブズマン

活動18年 福岡市で解散報告集会

 

患者や遺族から苦情を受け付け、医療機関などに対応を迫ってきた福岡市のNPO法人患者の権利オンブズマン(久保井摂理事長)の解散報告集会が23日、同市、・天神であった。「苦情 に学ぶ」を合言葉に、患者 側と医療機関が対立する訴訟ではなく、対話による解決を目指した活動を関係者が振り返った。514日の臨時総会で解散する。欧州の苦情解決制度を参考に、19996月に発足。研修を積んだボランティアが相談に応じ、医師や看護師、弁護士らが助言 して約6600件を受けてきた。同様の取り組みは関 東や関西などにも広がつた。 同集会では冒頭、副理事長の平野亙・大分県立看護科学大准教授が解散の背景に入手不足や財政難などがあったと説明した。 続いて5人がパネル討 論。発足時からの相談員、 福山美音子さんは「話をするたびに元気になり対医療機関の『気持ちを理解できず申し訳なかった』という、一言で納得された相談者がいた。患者や家族の思いを 受け止める場がいかに大切かを知った」と報告。医師 として活動に協力してきた熊本市西区の病院長、赤木健利さんは、患者によるカルテ開示請求が珍しくなくなったことに触れ「活動は

医療者の認識を変えた」と評価。宮若市の病院長、有吉通泰さんは「医療には近年厳しい目が注がれておりこうした組織はより必要になるのではないか」と解散を惜しんだ。」(同前)

 

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少しの援助で自立生活が [障害者福祉]

 

 

少しの支えがあれば自立した生活が送れます。

 

「(ひととき)感謝、笑顔、幸せの日々 2017421日朝日新聞

 

 私には生まれつき障害がある。脳性マヒで手足の動きや言葉が不自由だ。でも両親や周りの人たちのおかげもあり、短大でのキャンパス生活も、プログラマーとして働くことも経験できた。縁にも恵まれ、同じく障害者で優しい伴侶と結婚し、今はヘルパーさんたちに支えられつつも、夫婦2人だけで生活している。

 これまでつらく苦しいことももちろんあった。いじめもあったし、6年前には障害が重くなり、それまで自分でできていた食事や入浴に介助が必要になった。以来、夕食は夫に食べさせてもらっている。でも生来の性格なのか、まったく悲観していないし前向きだ。

 上肢のしびれはあるが、まだまだ自分の意思で動かせる左手に絵筆を持ち、食べ物や花など身近なものを絵手紙風にして描いている。もともと絵は好きで学生時代も描いていたが、本格的に描くことを勧めてくれたのは、自分も色鉛筆で素晴らしい絵を描いている夫だ。将来もっと動くのが大変になった時に、家で完結できる趣味を持つのは大切だと。そして、僕はあなたの絵のファンだとも。 絵を描き、見てもらうことで誰かを笑顔にできる。それが何よりの幸せだ。 (兵庫県赤穂市 無職 42歳)」

 

国が推奨する「共生型サービス」になったらどうなるのでしようか。生産性を福祉の現場に求めるのだが、結末はどうなるのでしょう。

 

話題はごろりと変わって・・・。

 

「純文学は既存の価値観を壊す」藤野可織さん

「エンタメは社会への問題提起」千早茜さん

女性作家対談

同世代の女性作家2人 が11日、佐賀市であった「九州芸術祭文学カフエin佐賀」で、「作家を志した瞬間~想像から創造ヘ」をテーマに語り合った。話題は 小説を書くようになった経緯から純文学と娯楽小説の違い、創作の訓練法にまで及んだ。1980年生まれの藤野さんと79年生まれの千早さん。藤野さんは2006年に「いやしい烏」で文学界新人賞を、千早さんは08年「魚神」で小説すばる新人賞をそれぞれ受賞し、デビューした。(略)

創作におけるテーマについて、藤野さんは「既存の価値観を壊すのが純文学。 全然違う価値観を提案できる」一方、千早さんは「エ ンタメは社会の不条理や虐げられた人の苦しみに主題 がいく。問題提起の部分が 大きい」と語った。「小さい頃からメモ魔」 という千早さんが「映画を見ながら情景を文字でスケッチする。映画をいかに文字で書くかを練習している」と話すと、藤野さんも「それは小説を書く上で役に立つ訓練。感情は要らないから、見えたものを見えたまま正確に書き起こすことが大切」と応じた。(江藤俊哉) 」(2017217日西日本新聞

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祈る [支え合う社会]

祈る

 

「理解できない 教育勅語称賛  70

  41日付「春秋」を書き写していたら、途中でペンが止まりました。「教育勅語の愛国教育を『素晴らしいと聞いている』と言う首相や『教育勅語の核の部分を取り戻すべきだ』と国会答弁する防衛相」との文章があったからです。エープリルフールかと錯覚しました。教育勅語は親・ 孝行や友愛など、現代社会 で希薄になっている大切なことも説いています。それは前段だけ、本質は天皇を頂点とした国家体制であり、軍国主義です。その悲惨 な結末は周知の事実です。にもかかわらず、なぜ逆戻りの発想が浮かぶのでしょうか。いかなる理屈を並べても到底、理解できるものではありません。「森友学園」問題を政権が必死になって火消しに奔走する姿。そこには何らかの意図、疑念すら感じます。教育は国家の基本です。同じ過ちを繰り返さない固い信念を持つべきです。」(2017420日西日本新聞

 

ちょっと前の時代ではこんな発言したらどうなっていたのでしょうか。事態の急展開についていけません。

 

久しぶりに 「SWITCHインタビュー 達人達(たち)422日土曜」を観ました。 

福島智×柳澤桂子」でした。番組HPでは次のように説明しています。

 

障害者を取り巻く問題を当事者として研究する東大教授の福島智。難病と闘い、思索と執筆を続ける生命科学者の柳澤桂子。自らの体験を交え「生きるとは何か」を語り合う。

 

9歳で視力を、18歳で聴力を失った福島。指点字という方法で周りとコミュニケーションをとりながら勉強を続け、バリアフリー研究者となった。一方、柳澤は女性の大学進学がまだ珍しかった時代に米国留学、最先端の遺伝子研究に取り組むが31歳で突然、原因不明の難病に襲われた。以来、病と闘いながら生命科学について思索をめぐらせている。番組では福島が2日間にわたって柳澤の自宅を訪ね、命と存在をめぐる対話を重ねる。

【出演】バリアフリー研究者、東京大学教授…福島智,生命科学者柳澤桂子,【語り】吉田羊,六角精児」

 

福島氏の発言にはいつも触発されます。昨日はたしか柳澤さんからだったと思いますが、紙などとは無関係に「祈る」ことの意味が語られました。自分の力ではなんともしようがない運命に遭遇した二人にとっての「祈る」ということはどういうことでしょうか。人間としての希望を見出すためにも「祈る」ことで希望をつなぐということか。そんなものとも違うように聞いた。なんと説明したらよいか。

 

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博多塀 [歴史]

 

 

福岡市の「赤煉瓦文学館」で開かれている立石光世写真展「博多べい」を見に行きました。いろいろと教えられました。そこで配布された資料には次のように述べられています。

 

「博多のシンボルとも言える『博多べい』 (正式名称「博多練り塀)は、1587(天正15)に豊臣秀吉 が多々良浜の戦いや島津氏侵攻の戦いなどで荒廃した博多の町を復興するために行なった『博多町割り』の際、兵火による焼け石、焼け瓦を粘土で固め築いた土塀ですが、『博多べい』の外観は瓦を積み重ね築かれた熱田神宮の『信長塀』に極めて似ており、私はこの『信長塀』が『博多べい』の原型ではないかと考えて います。さらに、『博多べい』には韓国伝統的な土塀の要素も加えられたのではないかと想像しています。 秀吉の朝鮮出兵の折に朝鮮から連れて来られた陶工が、有田の窯業地で窯や仕事場周辺を取り囲むように築いた『トンバイ塀』や遣新羅便の航路上に位置する山口県上関町の祝島で見られる石積土塀の存在が その大きな理由です。このことは歴史的観点からも当時の日本と朝鮮を結ぶ大きな手掛かりになるのではないかと信じています。また、韓国の慶州や安東河回村には現在も『博多べい』に似た風情を持つ石積土塀 が多く見られることから推察しても、『博多べい』のルーツの一端は朝鮮半島にあるのではないかとの想 像に至りました。

『博多町割り』にも関わったとされる嶋井宗室は、酒造販売業、金融業、朝鮮貿易などを生業とし、時の 大名である黒田如水、毛利輝元、茶人の千利休との親交や、晩年の織田信長にも面識があったことなどから 政治的にも大きな影響力を持っていたと推察されます。

また、博多の復興は秀吉の朝鮮出兵(592年・文禄元年)に備えての拠点、づくりで、あったことは明らか で、当時宗室は秀吉の朝鮮出兵には強く反対し、その状況を回避すべく対馬の宗義調(そうよししげ)、義智 (よしとし)らと協力して博多聖福寺の住職景轍玄蘇(けいてつげんそ)に日本の国使として朝鮮との交渉役を委ね、町割り開始の翌年1588(天正16)には宗室本人も派遣団の一人として朝鮮に同行するなど 奔走しています二それだ、け宗室が隣国の朝鮮を大切に想っていたことが窺えます。 こういった背景から宗室は、日本と朝鮮の平和を願い宗室独自のアイデアでこの『博多べい』を築いた のではないでしょうか。

結局、当時は1592(文禄元年)1597(慶長2)の二度にわたる日本軍の朝鮮侵攻により朝鮮の 国土は荒廃、民衆の心のよりどころである寺院は全て焼き払われたのです。平和を願っていた宗室や朝 鮮派遣団一行の想いは残念ながら叶いませんでした。(一部引用)

 

「信長べい」「トンバイ塀」「祝島」及び韓国との関連については初めて聞きました。

 

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太宰府馬車鉄道 [歴史]

 

 

 

連載「天神大牟田線物語」は「鉄路延ばす『宰府詣で』」です。

 

「県内で初めて、道路に敷設したレール上を運行する「軌道」で開業したのは太宰府馬車鉄道でした。1902(明治35)年の菅原道真公千年忌大祭に合わせ、二日市駅から天満宮参道まで開通させています。天神大牟田線も、最初は
福岡市と太宰府天満宮や二日市温泉を結ぶ電気軌道として構想されました。久留米市までのインターアーバン(都市間鉄道)に変更された後も「宰府詣で」の需要は経営の大きな要素で、太宰府軌道(動力を蒸気機関に変えて馬車鉄道から改称)と早々に経営を一体化させました。菅公1025年忌大祭の1927(昭和 2)年、線路を敷き変えて 電化したのが現在の西鉄太宰府線です。
乗り合いバスも同じよう な歴史があります。都市内 の輸送が先行したと思われがちですが、県内で最初の バス路線は1913(大正 2)年の国鉄二日市駅-太宰府。やはり「宰府詣で」の輸送が目的でした。2番目のバス路線は鉄道で結ばれていなかった福岡-飯塚で、福岡や北九州の都市内にバス路線が開設されるのはもっと後年のことになります。(西鉄広報課吉富実)」(2017419西日本新聞

 

これだけの信仰を集めた菅原道真公の力とは・・・。鉄道でなく、歩いての参拝者も多かったという。そのルートを解明した本も出されています。

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40歳で衰え [支え合う社会]

 

 

「仲畑流・万能川柳  毎日新聞2017418日 東京朝刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

 

☆消音で見ると愉快なトランプ氏 いわき バッパさん

さすらいの旅の途中か蟻一匹 安曇野 荻笑

景品が尽きて5等は美女のチュー 白石 よねづ徹夜

有識者便利屋さんのように見え さいたま 高本光政 (以下略)」

 

40歳でも大変になのだ。

 

「人生相談 40歳独身 身体の衰え感じる=回答者・高橋源一郎

 毎日新聞2017417日 東京朝刊

昨年40歳になり、これからの人生に漠然とした不安を覚えています。夜中にトイレのため目覚めるようになり、白髪も目に付くようになりました。身体面の衰えだけでなく、仕事や生活についても不安があります。独身で、介護が必要になったらどうしようかなどと思ってしまいます。還暦までの20年、どのような心構えが必要なのでしょうか。(40歳・男性)

 (以下略)」

 

私の息子たちもいつのまにか40歳を超えています。夜中のトイレ起きは1回では済まなくなった私。白髪は消え、紙そのものが消滅寸前です。だが、私たちの時代は働きすぎなどは労働組合がありましたが、今は歯止めがない。改革と叫んでも100時間の残業は認めるという。

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名前を書きたい [社会]

 

 

「読み書き」を学ぶことができなかった人たちがいることは衝撃的でした。それに増してそのことの苦難と書ける・読めることの喜びの大きさにも。

 

「震えて書いた、ひらがなの名前

  初めて自分の名前を書いた時のことを覚えていますか。
多くの人は、幼くて覚えていないかと思います。 よみかき教室の生徒さんの願いは実にさまざまですが、 おそらく一番多く、かつ一番切実な願いは、名前と住所を書けるようになりたいというものです。多くの生徒さんは、ひらがなも十分に書けませんでした。初めて教室に来られた方には聞き取りを行うのですが、開校当初は「ひらがなも書ききらん」「名前も書ききらん」という方がほとんどでした。
おそらくいろんな葛藤がある中で、勇気を奮って教室ヘ来られています
。せっかくですから、自分の名前を書く経験をしてもらおうと、スタッ フがその方の名前をうすい線
で書き、それを鉛筆でなぞってもらおうとしました。 しかしながら、鉛筆を持ったことのない方は、その持ち方も力の入れ方も分かりません。力を入れ過ぎて芯が何度も折れます。また、私たちスタッフが見ていますので、ものすごく緊張されます。そのために手が震えます。
「書けん」と言いながら、何度も何度も書き直し、ものすごく時間をかけて、初めて自分の名前をひらがなで書き上げた瞬間、その方の目には涙が浮かんでいました。ひらがなではありますが、初めて書いた自分の名前、なめらかな線は一つもなく、震えてゆがんでばかりだけれど、その字には生徒さんのこれまでの人生がぎゅっと詰まっているように思えました。私も、涙をこらえきれませんでした。(よみかき教室スタッフ、九州大教授)」(2017418西日本新聞

 

次に テロ対策は現行法でもできると言われる。何のための法制化が進められているのでしょうか。

 

「保安林キノコ採取処罰も「テロ対策」

対象犯罪の数え方曖昧

法相「ルールない」答弁

金田勝年法相は17日の衆院決算行政監視委員会で、「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案の対象犯罪277について「数え方に一定のルールはない」と述べた。政府は廃案となった従来の共謀罪法 案よりも対象犯罪を半数以下に絞り込んだとしている

民進党の山尾志桜里氏「以前は別罪としていたものが今回まとめて1罪とカウン卜されている」と指摘。

(略)

犯罪実行の「計画」とともに共謀罪の成立要件とさ れる「準備行為」に関し、 金田氏は「計画内容を紙に書き留める行為は実行準備行為に当たらない」との見解も明らかにした。
安倍晋三首相は「共謀罪」法案について「G7(先進7カ国)で日本だけが国際組織犯罪防止条約に入っておらず、国際的な要望があるテロに関する情報の共有犯罪者の引き渡しに必要

だ」と強調した。(豊福幸子)」(同前)


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