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老いは宿命 [高齢者]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「『北』巡る報道客観姿勢必要 72

ここにきて北朝鮮情勢に関するメディアの過熱ぶりが気になる。米軍の原子力空母が対馬沖を通る様子を 実況中継し、自衛艦の米艦防護の映像を派手に報じる。東京の地下鉄運転中止でも北朝鮮危機をあおる。まるで「開戦前夜」だ。 ここはもう少し冷静に米国と北朝鮮とのあつれきの 本質や外交課題、さらにそれを取り巻く中国やロシアとの国際情勢など、客観的な現状分析が必要ではないか。一方的に不安だけをあおりたてるべきではないでしよう。 そもそも、私たちは北朝 鮮の国情をどれだけ正確に知っているでしょうか。世 界の80%の国々が北朝鮮と 国交を結んでいます。 かつて米国大統領に言わせた「悪の枢軸国」の目線ではなく、今回の軍事的緊張には、平和憲法を持つ日本外交の大きな役割として

米国や北朝鮮に対し、その暴走を止めるためのあらゆる外交努力を発揮すべき時ではなかろうか。 メディアも踊らされず、 その論調を今こそ、大いに 展開すべきである。」(2017520日西日本新聞)

 

北朝鮮の消息通という人たちがテレビで勝手にしゃべり、共募罪などはほとんど取り上げません。多くの年寄りはテレビが大事な情報源です。

 

「老い宿命なら自然に歩もう 70

3月で定年となった。気が付けば、既に古希とは・・・。次に何をなすべきだろうか。

五木寛之氏は著書「新老人の思想」の中で「老化は自然の成り行きなので『アンチ・エイジング』ではなく、『ナチュラル・エイジング』を目指すべきだ」と 述べられている。 そこで自分のしたいことを整理してみる。テニスは今まで週1日だったのを2回に詩吟は 今まで通り月曜午後に練 習。昨年入った漢詩研究会の充実③デイサービス慰問は時間に余裕ができたので、訪問施設を増やして4カ所に。皆さんと一緒に歌って楽しみたい④載ればうれしや「こだま」の投稿。生活のリズムであり、さら にアンテナを磨きたい。 老いは生きるものの宿 命、誰も避けられない。こ の4点に力を注ぐことが、 私の「ナザチュラル・エイジン グ」である。」(同前)

 

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90歳過ぎても [高齢者]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「コンセントの 先に原発あり 67

起床後、すぐ明かりをつけます。洗濯物が少ない時には手で洗いますが、シー ツなど大物があれば洗濯機を回します。今や電気なくしては始まらないのが私たちの日常生活です。福島の原発事故以来、原 発でつくられた電気は使わないと決め、行動されている方々もいます。家電製品 を減らし、自家発電設備を 設置し、自分で使用すると いうものです。 自然エネルギーには太陽、風力、地熱といろいろ ありますが、これらで発電 した電気をロスなく蓄電で きれば、原発は不要ではと の素人考えが浮かんできます。 再稼働が話題になっています。あの大きな事故から 6年。喉元過ぎれば何とか でしょうか。私たち一人一人がコンセントの先に原発があることを忘れてはならないと思います。」(2017518日西日本新聞)

 

毎週楽しみにしている遠距離介護の話です。知人のお母さんは入院されているそうですが、順調に回復されていて、話も理路整然としているそうです。100歳時代ですね。スゴイと思わずでました。ただ、転倒は怖いですね。病院によっても対応が大きく違うというのはよく聞く話です。私もバランスを崩すことが増えました。

 

「オトコの介護 入院1週間 夢うつつに衝撃

「お父さんの手術は金曜に 決まりました」。鹿児島の自宅前で転倒して右脚の太もも を骨折した父(81)の主治医か ら携帯電話に連絡が入った。 手術を翌日に控えた木曜 夕、仕事を終えて新幹線で帰省し、病院に向かった。ベッドに横たわる父は天井の一点 を見つめてボーッとしていた。夢うつつに見える。ブツ ブツ言う中に「パスケ」とか 「黒人が」とか、やっと聞き 取れる単語も脈絡はない。 何で、こんな状態になったのだろう。刺激のない病室で1週間。これほど悪化するというのか。薬で感情を抑え込んだせいでは、と疑った。思い当たる節があった。以前、認知症の進行を抑える薬を追加したことがあった。父はその後、異様なほどの食欲,を示す。冷蔵庫から冷凍食品が消え、パン6個入り1袋が一晩でなくなった。医師に相談してその薬をやめると、間もなく異様な食欲は消えた。 不安になって看護師さんに 尋ねた。「環境が変わったからですね」。つじつまの合わないこともおっしゃるので、 との説明に「当たり前だろ、 認知症なんだから」とムッと して聞いていると、認知症の 入院患者に向精神薬を処方することは多いという。 後日、専門医に尋ねた。手術前後の管理を考えると必要 だという。立ったり歩いたり すると傷口が聞く。夜はきち んと眠ってほしい。ただ、ぼんやりするとか無表情になる などの副作用はある。イライラを弱め、睡眠を整える効果が期待できるとすれば、やむを得ないのかもしれない。(以下略)」

(同前)

 

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夫婦愛か・現実か [高齢者]

 

 

阿川佐和子さんが結婚されたという。まずはおめでたい。テレビを見ていたらスポーツ新聞か、週刊誌の見出しだったか定かではありませんが、「老後婚」とありました。100歳時代の言葉かと思えましたが、「老老介護」をイメージしたのは夢のない年寄りの妄想ですが・・。

こんな投稿がありました。

 

「介護されたら 増えた気付き 74

  福祉新聞を読んでいる。 私は約8年間、介護職で食事介助や入浴介助、おむつ交換に携わった。定年退職後5年間、デイケア勤務にも就かせてもらった。同居のしゅうと、しゅう とめ、実家の両親には介護が行き届かず、後悔ばかり。福祉新聞のコラムにアルツハイマ―の妻を12年間介護した男性の映画が紹介され「怒りには限界があるけど、優しさには限界がない」の言葉にじーんときた。13年前、京都で聞かれた国際アルツハイマー病協会国際会議に出席した越智俊二氏の妻、須美子さんの「夫が認知症にならなかったら、今より幸せだったかもしれない。夫が認知症にならなかったら、幸せに気付かなかったかもしれない」も心に響いた。約4千人を前に「奥さん、いつもありがとう」と語った俊二さん。その5年後、62歳で亡くなられた。須美子さんは「深い夫婦愛」と称賛されることに違和感を覚え、自著に「懸命にその日その日を生きてきた。それ以上でもそれ以下でもない」とつづった。私はパーキンソン病になり、介護される立場になった。振り返れば、気付かなかったことばかりだ。」(2017517日西日本新聞)

 

介護を家族の問題に押しとどめるという意味で夫婦愛の称揚はいただけません。そういう環境にあればありがたいというだけで、介護の問題は社会全体のことだと思います。生意気ですが・・・。

 

こんな川柳も

仲畑流・万能川柳

 クラス会女房自慢嫌われる

 毎日新聞2017517日」

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80歳まで働く? [高齢者]

 

 

AI仕事代行教育は再考を  16

 「東ロボくん、東大入学を断念」。新聞の記事である。さまざまな分野で人間と対決し、勝利している人工知能(AI)だが、東大には受からなかったらしい。しかし、国内の8割の大学には合格したという。デスクワークがAIに置き換わるのはまだまだ先と考えられてきた。しかし、金融機関で次々とAIの導入が始まっている。人間より正確に業務をこなし、効率アップを貝込んでいる。ミスをすることもないので、企業にとっては理想の働き手だ。 だが、担当部署の人員は減る。AIは人間のように休む必要もなければ、文句も言わない。さらにコスト 面でも有利となれば、企業 はAIを採用し、人間が失業する時代が来るかもしれ ない。だから、AIの導入 に反対する意見もある。AIは善か悪か。これまで人間がやってきた仕事をAIに任せ、人間は人間にしかできない仕事で社会を豊かにする。これがAIのあるべき姿と。そう考えると、教育はAIでできないことを教えるべきだろう。教育方針を根本から考え直す必要もあるのではないか。(長崎県諌早市・高校生)」(2017513日西日本新聞)

 

AIが働けば人間は不要になるのか。人生100年時代というのに・・。そして、80歳まで働かないといけなくなるという。寿命は延びても健康でなければ。そういう社会をイメージしているとは思えない社会ですが・・・。

 

「人生100年の設計図

九州大法学部のわがゼミに集まった20人の中には、公務員志望の学生が少なからずいる。それはこの学部の伝統でもあり、大企業の東芝でさえ経営がふらつくご時世だから、学生からすれば「一生安泰」と見える公務員に人気が集まるのも無理からぬ話である。ただ、「人生100年時代」を前に今、長い時間軸で人生設計を求められているのもまた、事実だろう。 日本ではこの50年で寿命が14年余り延びた。医学の進歩が主な要因だろうが、その進歩は加速度を増し、「2007年生まれの半数は100歳以上生きる」という研究論文もある。健康寿命が長くな ければいくら長寿でも、と思うのは早合点で、臓器の細胞を若返らせるタンパク質は既に発見済み。臨床実験用に、言ってみれば「若返りの薬」を製造している日本企

業も存在する。「世界の思想家50人」に選ばれ続けているロンドン-ビジネススクールのグラットン 教授の著書などによれば、100 歳まで生きる場合、所得的には80歳まで働く必要があるという。 超長寿社会が現実化するであろうことは、歴史が教えてくれてい る。ただ、それに備えて社会保障 制度や働き方などがスピード感を持って議論されているかと言えば否だろう。「80歳まで働くようになるそうだよ」。そう聞かされたゼミ生たちの反応は当然、「エエッ、冗談でしょ」だった。(九大本紙寄付講座教授・田端良成)」(2017514日西日本新聞)

 

 

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お年寄りもいろいろ [高齢者]

 

 

 

「(声 どう思いますか)高齢者の言動に様々な反響2017510日朝日新聞

中村小百合さん

   

 中学生による「『キレる高齢者』にどう対すれば」と、高校生による「お年寄りはなぜ病院に集まるの」を、3月21日に掲載しました。キレる高齢者に何かできることはないかと自問したり、診察後も病院にとどまる姿に疑問を投げかけたりする内容でした。若い世代の率直な思いに、様々な年代の方から計52通の反響が寄せられました。(略)

 「老い」のメカニズムについて、大阪大学大学院の佐藤眞一教授は、脳の前頭葉の機能が低下して強い感情を理性で抑制しにくくなったり、複数の情報の同時処理が難しくなって周囲に配慮する余裕がなくなったりすると説明されました。

 今回は、私たちに何ができるのか、どうすればいいのかを考えた、4人のご投稿を紹介します。

 ■距離置かず話しかける勇気を 大学生 21

 高齢者がキレるのは、「寂しさ」からではないかと思います。

 自宅近くの食料品店の休憩スペースに立ち寄った時のことです。カートを引いた70代ぐらいの女性がやって来ました。「狭くて通れない」と一人つぶやきはじめ、次第に怒りを帯びてきました。

 通れるスペースはあるのに、ただわめく女性に休憩所にいた人たちは困惑。私も思わず目を伏せた時でした。「あら、大丈夫?」と、60代ぐらいの女性が声をかけてあげたのです。先ほどまで怒っていた顔が、満面の笑みになりました。

 仕事も辞め、子も巣立ち、一人暮らしになると必然的に話す機会が減ってしまいます。そんな寂しさから、キレてしまうのかもしれません。私たちが距離を置くのではなく、話しかける少しの勇気と、相手の立場を考える姿勢があれば、解決できる問題だと考えます。(以下略)」

 

年寄りと接する機会が今の社会では少ないですよね。お年寄りもいろいろですが、病気も多くは抱えています。日々の生活で精いっぱいの人も少なくありませんし、1日人と会話することなく過ごしているという。ある人は生活が困難な年寄りを「下流老人」と呼んでいます。

3000万円の貯金があった人でも病気や介護などであっと言う間に貯金がなくなったという。そんなことも影響していないかと思いました。

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死の先鋭化というが [高齢者]

 

 

震災などは大量の死と向かい合うことになります。

 

「人間というものは、生きている間にどれだけの「死」を見続けなければならないのか。これほど大量の「死」を見せつけられるということに、どれほどの意味があるのだのだろう 生きているということは、「死」を忘れているということなのかもしれない。もし、いつも死を思っていたら、人はあれほど屈託なく笑ったり、一所懸命仕事に励んだり、蓄財したり、努力したりすることができるのかもしれない。」(『俺に似たひと』 平川克美)

 

しかしながら、東日本大震災時は大量の死と死臭があるのに画面としても、記事としても隠しながら、死を伝えることはされなかったという。それは死を忌み嫌うことからきているのでしようか。

かつての日本では死は村落共同体の死であり、全体で受け止めたという。今は、家族だけとなり、死とは無縁の生活を送ってきた人たちにとって衝撃的な出来事になっているという。それも自然の摂理とは違うのではないか。そんなことを先の本を読んで考えました。

 

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向こうからやってくる [高齢者]

 

 

臨終とどう向き合うかは在宅死が増えることになれば重たい課題になるように思われます。新聞の相談欄からですが、引用させてもらいます。

 

「身近な人の臨終どう向き合う

Q 私はまだ身近な人の臨終に立ち会ったことがありません。その時が近いと虫の知らせがあったときも、子どもが小さかったりしてすぐに会いに行きませんでした。比呂美さんは米国と日本という遠距離なのに、お母さま、 お父さま、パートナー愛犬たちを全て看取っていらっしゃるのがすごいと思います。そのことに対して、どう感じていらっしゃいますか。

(50)

 

 A それぞれの死に方、看取り方がある

まず誤解をときます。すべて看取ってなんかいませんよ。母が死んだとき、あたしはカリフォルニアにいました。一匹の犬はあたしがいないときに死にました。あたしは自分のやり方介護にかかわってきただけ。 で、すごいなんて言われると ちょっと違う。人には人の、介護のないしは看取りのやり方がある。それぞれの事情のもとに人はそういうやり方をしてるわけで、あの人がああだから自分もああしなくちゃなどと思うことはない。

ご相談のポイントは、おそらく、身近な人の臨終に居合わせなかった後ろめたさかなと思うのですが、それもまた、 感じる必要はないんです。臨終というものは、そんな大げさなものじゃなく、感傷的なものでもなく、ただ線のこっちから向こうヘヒラリとまたぐようなそんな感じ。 生体が刻々死に向かって近づいていき、一線を越し(つまり死に)、でもその後もやはり刻々と変化をつづける、 そんな感じなんです。 昔、両親がまだ生きていた 頃、死に目に会えないかもと 親のかかりつけ医に言った ら、こんなことを言われまし た。「病院の中でどんなにスタッフが気をつけていても、誰も気がつかないうちに亡くなっているということはある。それはもうしょうがないことですから、『死に目』は気にしない方がいいですよ」と。ほっとしましたね。あと、看取りに大切なのは、 「自分ができることをする、できないことはしない」。死を看取るというのは決して特別なことじゃなく、毎日あることじゃないけど、日常の生活の中に普通にあるべきものです。そして何人も見送ってみて気づくのは、誰もが、死ぬそのときまで生きている、精神的に健康な状態なら 「生きたい」と思っているということです。 つまり死んでいく人たちは精一杯生きている。後に残るわれわれも精一杯、それを見守り、伴走する。見届けて、 その死を受け入れる。 伴走はたいへんです。死ぬ人は全力でよりかかってくる から、こっちは巻き込まれか ねない。巻き込まれずに自分 を保つには「できることはする、できないことはしない」でやっていくしかない。あなたももう少ししたら、周囲で人が死ぬ年になる。そのときには「人にはそれぞれ

の生き方がある。それぞれの死に方がある。それぞれの看取り方がある」、そういう心構えで臨んでください。(詩人・伊藤比呂美、絵はペコロスおかの)」(201759日西日本新聞)

 

私の両親の臨終は病院でした。どちらも傍にいての最後ではありませんでした。向こうからやってくるという印象が強いです。こちらの気持ちを忖度することはありませんでした。まだ、働いていましたので思い返すこともありませんでした。退職後、耳が遠くなっていったりすると父親にそっくりな仕草に驚いたり、屁理屈をこねては、また、父の我儘が甦ったりして、死者との交流が繰り返されます。悪いところは親から受け継いだことにして責任を免れようとしています。逝った人を思い起こし、交流することは増えてきました。生と死はわずかな違いだと思うことが多いです。

 

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特養の受け入れが進まない 政策誘導の結果だ [高齢者]

 

 

 

「単身高齢者家賃保証 北九州でNPOと企業が新事業 - 西日本新聞」は珍しい取り組みですね。

 

特養の待機者が増えたら、要介護1.2を除外した。政府としては要介護3は入れないということではないという。詭弁だ。政策で誘導した。基本には介護報酬の低さがあるのではないか。

 

「<特養>要介護3、受け入れ敬遠 2割以上に空き 毎日新聞 5/5()

特別養護老人ホームの約2割が要介護3の入所を見合わせていることが毎日新聞の全国アンケートでわかった。国は2015年に入所者を要介護3以上に制限したが、介護報酬の加算や要介護認定の不確かさを理由に施設側が受け入れを敬遠した形だ。2割以上の施設に空きがあるとみられ、要介護1、2でも認知症のある高齢者の受け入れ要望も多く、入所政策の見直しが迫られそうだ。

  アンケートは2月、東京都大阪府と全国の政令市で特養ホーム計1000施設に実施、359施設から回答を得た。要介護3を「将来の退所の可能性を考慮して入所を見合わせる例があるか」との問いに66施設(18.4%)が「ある」と回答。うち6割程度が「次の認定で2以下に下がりそうなら見合わせる」(首都圏の施設)とした。

  また国は、過去半年~1年の新規入所者に占める要介護4、5を7割以上にすれば介護報酬で高い加算をつけており、3割程度が「算定できなくなると厳しい」(九州の施設)ことも理由とした。

  回答した施設からは要介護1、2でも「徘徊(はいかい)のある認知症や老老介護などで施設入所が適当な例も多い」(関西の施設)との指摘が多数寄せられた。

  一方、満床の維持が難しいとされる「施設定員に対する待機者の割合」が50%以下となった施設が13.6%あり、一部で入所が容易な実態がわかった。厚生労働省の委託を受けた「みずほ情報総研」の昨年の調査でも26%の特養が「空きがある」と回答。うち9.8%は「申し込みが少ない」ことを理由とした。国の入所制限は、特養ホームの一部が入りやすく空きもある実態とかけ離れており、整合性が問われる。

  厚労省高齢者支援課は「各施設の判断で要介護4、5の方ばかり入れるのは悪いとは言えないが、国としては3を入れないという政策はない」と話す。介護保険に詳しい伊藤周平・鹿児島大法文学部教授は「国が入所制限を厳しく誘導している実態が明らかになったが、これで介護難民が減ることはなく、入所者や家族に不安を呼び起こしている。小手先の政策はもう限界で、公費を増やし、施設を拡充する抜本見直しが必要だ」と指摘する。【斎藤義彦、稲田佳代】

【ことば】要介護1、2の入所制限

  特養ホーム待機者は2014年発表の調査で約52万人に上ったため、国は15年4月、特養を「中重度を支える機能に重点化する」として、一部特例を除き入所を要介護3以上に制限した。制限や施設の乱立で今年3月の発表で、待機者は約36万人になった。」

 

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「ひよっこ」の時代の定年 [高齢者]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「将棋と新聞に 共通するもの 86

 将棋の最年少プロ棋士、 藤井聡太四段(14)が注目の的である。彼は中学3年生。昨年10月、プロ入りして公式戦14連勝の新記録で勝ち進んでいる。46日付本紙に彼が登場していた。「局面見極める目を養う」を読んで驚嘆した。新聞を読むことは何が大事か考えること。将棋の先を読むことと同じで、共通点があるという。まさに慧眼であると思う。普段の情報源は新聞で、テレビは見ない。インターネットは将棋の研究以外にはあまり使わないという。ちまたの中学生たちとは、まるで異質の存在だ。最年少プロとして面目躍如たるものがあり、近い将来、記録的な若さでタイトル獲得も夢ではない。公式戦ではないがあの

羽生善治3冠も破った。いやはや、目が離せない逸材である。」(2017429日西日本新聞)

 

藤井聡太四段が破った加藤一二三氏も若かりし頃は天才的なデビューだったと思いますが凄いですね。

 

朝ドラ「ひよっこ」を興味深くみています。生きた年代が近いからかもしれません。集団就職していく場面ですが、高度成長期に就職した私にとっても仕事が得やすい時代だったと思います。夜間大学・夜間高校に行く人も多かったように思います。それは学歴で給与や出世が決まりやすい時代にとって必然的な動きだったように思います。50年前、まだ、定年は55歳が主流だったと思います。資料によれば大正時代の頃も定年は55歳で、男性の死亡年齢が61.1歳だったという。定年後5年程度死亡しています。働くために生まれてきたように思います。平成21年では男性の引退が65歳、男性の死亡 80.8歳で、定年後15年という。近所の方は55歳定年で90歳超えている方がいます。この方の老後は35年を超えています。老後の生活を支える仕組みが時代に合っているか考えさせられます。『下流老人』によれば生活保護費以下の状態で暮らす人たちが少なくないという。さらには、若い人もまた老後の不安から消費せずに貯蓄にまわす傾向があるとも指摘しています。

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なんでも遅くなる [高齢者]

 

 

なんでも遅くなる

 

 

 

女性の投稿欄からです。

 

 

 

「紅皿 ゆっくりでいいよ

 

 

 

今年も熊本県南阿蘇村に「一心行の大桜」を 見に行った。昨年は阿蘇を訪ねた1週間後に、 あの地震が起きたので、本当に驚かされた。 行きの車からも、あちこちに満開の桜が見て 取れた。山裾の緑の中、堤防に1列に並んで咲く姿が実にきれいだ。道中どこも満開だったので、現地に着くとがっかりしだ。まだ二分咲き程度で満開には程遠かったのだ。 気晴らしになればと1人暮らしの母も連れてきていた。「残念だったね」と声を掛けると「年取ると何でも遅くなるからね」と母は言う。そりゃ、そうだ。樹齢430年の桜の木。「年を取る」なんて言葉では言い表せないほど古い。頭が下がるほど古い。それでも、大きく長く伸びた枝の先まで、数え切れないくらいのつぼみを、びっしりつけている。まるで、これからもここでちゃんと生きていこうという意欲を見せているようだ。きっと木が、自身の持てるエネルギーを隅々まで行き渡らせるのに、とても時間がかかるのだろう。「ゆっくりでいいよ。満開を見たいと思ったのは私の勝手。いつ満開にするかはあなたの勝手。頑張れ 心の中で呼び掛けた。(61歳)」(2017425日西日本新聞

 

 

 

高齢者になれば、できるまでの時間がかかったり、できなくなったりします。

 

読者の投稿欄では、「健康不安」という避けられないものも待っています。

 

 

 

「山に向かって すすり泣く夫 71歳

 

 幼いころ、祖父を見舞った。馬屋からぶつぶつ言う声が聞こえた。競走馬を育てている病気の祖父が、馬と話をしているのである。「早く大きくなってレ一スに出るんだよ」。じいちゃんが独り言を言っている。馬に話したつて返事しないのにと思っていると「ヒヒィ!ン」と鳴いた。祖父はその1カ月後、逝った。それから65年、今2階の窓から見える耳納の山は、話し掛けても何も言わないが、心が落ち着く。昨年、夫は重い病に侵された。決して弱音を吐かず、元気に振る舞っていた。ある日、外出から帰ると、すすり泣く声。「何でこんな病気になったのか」と肩を震わせ、山に向かって独り言を言っている。それから3カ月後、夫は黄泉の国に旅立った。頭では誰でも、永久の別れが来ることは分かっている。私も山に向き合う。寂しい。祖父の馬のいななきのように、夫の声が返ってきたら、どんなにうれしいだろうか。」(同前)

 

 

 

 ある作家のお父さん韓国から日本に来た人だったという。亡くなったときに医師から相当痛みがあっただろうに一言も痛いなど言わなかったと驚嘆していたという。作家は息子に何かを伝えようとしていたのかもしれないと思ったという。誰もいないところで泣いたことがあってもいいのではないか。「終末、死」とも向かい合うことになります。高齢者の生活には、悠々自適とは少し違う生活もあるのでしょうか。総決算になるのでしょうか。

 

 

 

 

女性の投稿欄からです。

 

「紅皿 ゆっくりでいいよ

 

今年も熊本県南阿蘇村に「一心行の大桜」を 見に行った。昨年は阿蘇を訪ねた1週間後に、 あの地震が起きたので、本当に驚かされた。 行きの車からも、あちこちに満開の桜が見て 取れた。山裾の緑の中、堤防に1列に並んで咲く姿が実にきれいだ。道中どこも満開だったので、現地に着くとがっかりしだ。まだ二分咲き程度で満開には程遠かったのだ。 気晴らしになればと1人暮らしの母も連れてきていた。「残念だったね」と声を掛けると「年取ると何でも遅くなるからね」と母は言う。そりゃ、そうだ。樹齢430年の桜の木。「年を取る」なんて言葉では言い表せないほど古い。頭が下がるほど古い。それでも、大きく長く伸びた枝の先まで、数え切れないくらいのつぼみを、びっしりつけている。まるで、これからもここでちゃんと生きていこうという意欲を見せているようだ。きっと木が、自身の持てるエネルギーを隅々まで行き渡らせるのに、とても時間がかかるのだろう。「ゆっくりでいいよ。満開を見たいと思ったのは私の勝手。いつ満開にするかはあなたの勝手。頑張れ 心の中で呼び掛けた。(61歳)」(2017425日西日本新聞)

 

高齢者になれば、できるまでの時間がかかったり、できなくなったりします。

読者の投稿欄では、「健康不安」という避けられないものも待っています。

 

「山に向かって すすり泣く夫 71歳

 幼いころ、祖父を見舞った。馬屋からぶつぶつ言う声が聞こえた。競走馬を育てている病気の祖父が、馬と話をしているのである。「早く大きくなってレ一スに出るんだよ」。じいちゃんが独り言を言っている。馬に話したつて返事しないのにと思っていると「ヒヒィ!ン」と鳴いた。祖父はその1カ月後、逝った。それから65年、今2階の窓から見える耳納の山は、話し掛けても何も言わないが、心が落ち着く。昨年、夫は重い病に侵された。決して弱音を吐かず、元気に振る舞っていた。ある日、外出から帰ると、すすり泣く声。「何でこんな病気になったのか」と肩を震わせ、山に向かって独り言を言っている。それから3カ月後、夫は黄泉の国に旅立った。頭では誰でも、永久の別れが来ることは分かっている。私も山に向き合う。寂しい。祖父の馬のいななきのように、夫の声が返ってきたら、どんなにうれしいだろうか。」(同前)

 

 ある作家のお父さんは韓国から日本に来た人だったという。亡くなったときに医師から相当痛みがあっただろうに一言も痛いなど言わなかったと驚嘆していたという。作家は息子に何かを伝えようとしていたのかもしれないと思ったという。誰もいないところで泣いたことがあってもいいのではないか。「終末、死」とも向かい合うことになります。高齢者の生活には、悠々自適とは少し違う生活もあるのでしょうか。総決算になるのでしょうか。

 

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