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消えて欲しいニュータウン? [街で]

 

 

地域消滅を提示した「増田レポート」は衝撃的ですが、ショックだとされた過疎地域だけでなく、都市圏のニュータウンも消滅の危機にあるのではないかという。

 

「明治初期に約4千万人だった人口が、二一世紀初頭には一億二八OO万人にまで膨れあがった。近代グローバル化の中で三倍に増えたことになる。この狭い列島の中での持続可能性を考えれば、あるところで人口増を抑制し、安定化させる必要がある。その意味では人口減少社会への転換は必ずしも危機とはいえず、大きなチャンスにもなるはずだ。では増えた人口は何か。 どこを、何をスリム化するべきなのか。 明治維新前まで各藩に分かれて互いに断絶していた共同体群は、明治維新以降にはその境界を外されて日本列島の人々はとりあえず一つの集団となった。そのサブ集団のうち、増えすぎ、選択(淘汰)の対象になるべきものをあげるなら、次の三つがありそうだ。

まず第一に、人口としては、団塊世代と団塊ジュニア世代。とくに団塊世代はいま労働者と

しての役割を終え、高齢化し始めているので、「選択」論はこのままいけば「団塊世代こそ早く死ねばよい」という議論に行き着くことになる。実際、団塊世代が早く退出し次世代に財産がわたれば、若い世代に余裕ができて結婚出産も容易になるだろうという議論もある。「選択と集中」論を突き進めれば「年寄りは早く死ね」になりうるし、知恵や技能のある人さえ確保できれば、残りの高齢者は余計な厄介者になる。筆者がそう思っているのではない。

「選択と集中」を突き詰めれば、そういう議論になりかねないという意味である。

2に地域レベルで見れば、多くの人が「地方消滅」という言葉からイメージする地方農山村や中心市街地ではなく、郊外住宅団地が選択の対象になるべきであろう。また、産業面では第一次、第二次産業ではなく、第三次産業、とくに後で追加されたサービス業や情報産業が無用になるはずだ。」(『地方消滅の罠』三宅祐介)

 

私が住む地域も40年前の大規模宅地造成でできたニュータウンです。当時30歳代の人たちも70歳代以上です。住む人がいなくなった家もありますし、火災になり、駐車場になったりもしました。心配した急速な空き家ということはなく、1区画を2分割した宅地に若い人が住むようにもなりました。もう少ししたら高齢化のスピードは速まるかもしれませんが今のところ深刻な懸念はないと思います。三宅氏が指摘する「団塊世代」がどの程度生き残るか。それでも変わってくるように思う。「増田レポート」の本当の狙いは何か。政治的に地域の選択と集中を強行していくことなのかもしれません。

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旧薬院駅 [街で]

 

 

『ブラタモリ』書籍版の博多篇では次のように描かれています。「薬院駅を発車するとき、電車は『ジャジャジャ、デデデダダン』と独特な音をあげるんです」。番組での説明者西鉄の吉富さんは新聞の連載では次のように説明しています。「『ダンダダダダダダダッダン』。番組で案内役の私が録音テープの音を紹介すると、タモリさんはとでも喜んでくれました。」2017628日西日本新聞)。

書籍版では発車するときとありますから、天神方面から下りの電車だと分かります。薬院駅が高架になる前の路面電車があった頃、西鉄大牟田線と路面電車(城南線)の「直交」という交叉している場所があったのです。この平面交差は「ダイヤモンドクロッシング」というそうです。(同前)。私の記憶では、交叉部分は短い間隔で切れ目があり、出勤時、寝ている人たちも、この音にはさすがに起こされ、次の天神終点での降りる準備をすることと、薬院駅での下車は後ろの車両が改札に近くになるので多く、一駅掛けられることがあったことです。ですが、薬院駅の利用客が増えるのは高架が実現したころからのように感じていますが、どうでしょうか。

「薬院駅南のダイヤモンドクロッシングは路面電車が廃止される75(昭和50)11月まで続き、珍しい光景を生みました。」(同前)

 

さらに新聞では

 

天神大牟田線 タモリさんも興味津々

一昨年103日に放送されたNHK番組「ブラタモリ福岡と鉄道」をご覧になりましたか。冒頭、福岡市出身のタモリさんが薬院駅のそばで、鉄道に興味を持つようになった原点を語 ります。それは西鉄大牟田線と路面電車(城南線)の「直交」でした。

大牟田線が現在のように高架になる前は、薬院駅の南で路面電車の線路が直角に交差していたので、路面電車が通過すると独特の音がしていました。「ダンダダダダダダダッダン」。番組で案内役の私が録音テープの音を紹介すると、タモリさんはとでも喜んでくれました。 この平面交差は「ダイヤモンドクロッシング」と呼ばれます。薬院駅の南にできた1927(昭和2)年前後の時期は、九州鉄道急行電車(福岡久留米)の二日市(太宰府軌道)、朝倉街道(朝倉軌道)、小郡(中央軌道)、櫛原(三井電気軌道)、久留米(筑後軌道)にもありました。 高速運転が売り物の急行電車にしては違和感を覚える構造ですが、九州鉄道の出自が路面電車と同じ「軌道」であった証左です。大牟田線が法律上の「鉄道」に変更されたのは38(昭和13)年になってからです。ちなみに、異なる会社による直交は70年代まで京阪電気鉄道と大阪市電、京都市電などにもありました。京阪も出発点は軌道です。薬院駅南のダイヤモンドクロッシングは路面電車が廃止される75(昭和50)11月まで続き、珍しい光景を生みました。

50年代から70年代にかけて、路面電車は車体の修理や改造が必要になると夜間に大牟田線に入り、電車に牽引されて花畑の西日本車 両(現西鉄テクノサービス) 久留米工場に運ばれていま した。そんなことができた のは、平面交差の手前の大牟田線から「安全側線」と 呼ばれる線路を延ばし、路面電車の線路とつなげていたからです。 大牟田線から宮地岳線

(現貝塚線)ヘ転籍する車両は、逆に路面電車の線路を通って貝塚ヘ送られました。大牟田線の車両を引っ張るのは路面電車。夜間の道路交通量が少なかった時代の懐かしい思い出です。(西鉄広報課吉富実)」(同前)

 

 

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春日原総合(野球)運動場 [街で]

 

 

現在、春日市には春日公園の中に野球場などがあり、高校野球の県大会などあっています・それとは別の春日原の電車駅から近くの福岡銀行から入ったところの竜神池一帯に総合運動公園があり、そのなかに野球場もあり、西鉄ライオンズが一時期ホームグラウンドにしたという。

 

「沿線大牟田線物語 沿線に「九州甲子園

急行電車を開業した九州 鉄道は、阪急を範にして沿線の開発を始めます。春日原周辺に広大な住宅用地を取得し、三沢や大保周辺では工場誘致を視野に地元資産家と合弁会社を設立しました。しかし、当時は福岡市でさえ人口は15万人弱。第1次大戦後の不況もあって需要のめどが立たず、方針を変更します。1924(大正13)7月、九州鉄道は野球場や行楽施設のある春日原総合運動場(現春日市)を開設 しました。5千人収容のスタンドを備えた野球場は、中等学校野球大会などの会場となり「九州の甲子園」と称されました。その後、競馬場や豊川稲荷 九州別院最勝山東慶院を誘致し、県内有数のレジャーランドとして親しまれました。

戦後、創生期の西鉄ライオンズのホームグラウンドにもなった春日原野球場ですが、経済復興に伴う宅地需要の急増で、当初計画した住宅分譲地として再開発することになります。

春日原総合運動場は53(昭和28) 年に廃止され、周辺11.5ヘクタールは数年を かけて300

戸余りの住宅に生まれ変わりました。(以下略)」(2017621日西日本新聞)

 

ネットの紹介によれば

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Darts/7539/yakyujosi/kyushu/kasugabaru.htm

 

「春日原(かすがばる)は、夜須野原、曽根原と並んで、「筑前三大広野」の一つにあげられる。近世から近代にかけては、松林、原野、沼地、溜池が点在する広野であった。

 春日原の開発は、九州鉄道(現西日本鉄道大牟田線)の開通に始まる。当地にはもともと農業用溜池が3つあって「三つ池」と呼ばれており、開発計画では南側の2つを埋めて住宅経営を目的としていたが、不景気と緊縮政策のため野球場・競技場にすることになり、北側の池(龍神池)は遊園地にすることになった。なお、野球場(あるいは住宅地経営)は、京阪地方の宝塚や鳴尾を視察して可能性を確信したという。」

 

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驚く日本人 [街で]

 

 

 

「花時計

自転車での通勤中、いつも歩行者が数人立ち止まり、車の途切れるのを待っている横断歩道がある。道路交通法は、人がいれば車は一時停止しなくてはいけないと定めるのに、車はまったく気にしない。以前、自転車で渡ろうとしたら、走ってきたタクシーにクラクションを鳴らされた▼自転車だって大して変わらない。例えば自転車走行レーンは車道と同様、左側通行が決まりなのに、逆走する自転車にぶつかりそうになった。せっかく レーンがあるのに、隣の歩道を猛スピードで駆け抜ける自転車もいる▼悪気があるとかふざけているとかではなく、認識があるかないかの問題なのだろう。そして、こうした小さなことこそ、うまく伝え、行動を変えてもらうのは難しい。新聞も考えるべき大きな課題だと思う。(飯田崇雄)」(2017614西日本新聞)

 

以前、横断歩道を歩いていると子連れの母親が渡るのに時間がかかり、クラクションを鳴らした車は、そこにいたパトカーに交通違反でつかまりました。私は運転しないので分かりにくいのですが、曲がる車を優先することが多いです。歩くのが遅いからですが、10人に1人は頭を下げますが、知らん顔で過ぎ去ります。もっと気になるのは、舗装道路でもへこんでいるところが多く、雨水をはねて通っていきます。スピードを下げるか、少し寄ればはねる水は少ないのに、そうしない人の多さにも驚きます。最近でも、立派な日本人というテレビ番組が増えています。自画自賛しなければならない国になり下がったという意見もあります。「おもてなし」という五輪誘致は何だったのでしょう。共謀罪の口実にされたようにも見えますが。

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タバコの煙が [街で]

 

 

桜がきれいな団地の横を歩いていると、においがしてきました。どこか分かりませんが気になる自分に苦笑い。13年の前までは、1日二箱以上のヘビースモーカー。路上喫煙もしていました。病を得て喫いたくなくなり、少しは肺がきれいになったかもしれないと思っていたのですが、においが気になることは少なかったですね、

 こんなコラムがありました。

 

「花時計

朝起きて、ベランダ側の窓を聞けて換気をしていると、気になることがある。外から漂ってくるたばこの臭いだ。体に悪いような気がするし、洗濯物にもその臭いが付きそうで、いい気持ちはしない。お隣さんがベランダでたばこを吸っているらしいのだが、トラブルが怖くてなかなか言い出せない▽そんな私と同じように、近隣住民の喫煙による受動喫煙で悩む人 たちが、被害者の会を設立したという報道があった。「ベランダ喫煙禁止法」の制定を目指す他、自治体に対して条例制定を求めるという▽法整備を求めたくなる気持ちは理解できる。私は今のところ深刻な被害はないが、心身共に苦しむ人がいるのだろう。ただ、愛煙家にもう少し配慮があれば、お互いに気持ちよく過ごせるだろうと思うのだが・・。(岡部由佳里)」( 2017525西日本新聞

 

受動喫煙防止のためにオリンピックに向けて喫煙制限が法制化されるかどうかでまとまらないという。タバコが気になるのなら「働くな」という言葉まで出て、詫びるが取り消さないという。何を詫びたのか。公衆の中での喫煙は日本みたいにゆるやかなところはないそうです。日本は素晴らしいというテレビ番組が多くなっているのに、こんなことではと嘆く論評もありましたが。

 

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情報を信じて? [街で]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「紅皿 恐ろしや

携帯電話の着信音が鳴った。洋裁のお稽古仲間のNさんのものだ。「えっ!まさか」。声が上ずっている。電話を切るなり「ここ1週間 以内に九州で震度7の大地震があるって・」。 電話をしてきた息子さんが勤める会社は早速、地震対策を始めたという。それを聞いてスマー トフォンを取り出しYさんは「出てる、出てる」とネットを検索して確信を深めている。 習い事に集まっていたみんながパニックになり、口々に「寝床には水と靴」「奇数日の明日が危ないらしい」と慌て、まだ時間は 時間あるのに、早々に帰り支度を始める。 緊張感を引きずって帰宅すると、誰もいない茶の間の防災ラジオから大声が聞こえてくる。市が大雨に備え避難所を開設したという。ぎょっとして外出中の夫に連絡すると、「大地震の正確な予測は人間にはできない、落ち着け!」と諭された。部屋のパソコンで信用できるサイトを調べ、テレビニュースも確認する。何のことはない、確たる情報はなかった。やれやれ?誰が最初に広めたものやら。こうやって巧妙に不安にさせられるのだ。恐ろしや、恐ろしや!翌日は、珍事を吹き飛ばす勢いで空は晴れ渡っていた。(主婦・69福岡県久留米)

2017523日西日本新聞)

 

SNSで知りましたが、そんなはずがないという思いと、もしかしてという思いが交錯しました。この投稿だけでも、企業が地震対策をし、習い事から早々に引き揚げています。いとも簡単に私たちは情報に振り回されます。正確ではありませんが、つい最近まで「テロ等準備罪の要件を・・・」とマスコミは言っていたのが「共謀罪の趣旨を盛り込んだ・・・」に代わっています。安易な情報操作で世論が変わっていく恐ろしさも経験しています。

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泊まれる本屋に [街で]

 

 

「家事に励む夫けがの功名か 68

買い物帰り、車止めにつまずき~まさかの転倒。一 瞬、何が起きたのやら、すぐに起き上がれない。両膝をすりむき、右手首が痛み、 見る見る腫れた。 翌日、右手薬指の骨折で 全治1カ月半との診断が下る。さあ、大変。「明日から高校生の孫の弁当を作らなければ」と意気込んでいた矢先なのに・・・。家事の不安が頭をよぎる。夫はこれまで、台所仕事は私任せだったのに「今晩のおかずは何にするか」と張りきり、洗い物もやってくれる。息子も孫の弁当を作ってから出勤する。今で は厚焼き卵がとても上手に なった。けがの功名かと苦笑する。 でも、右手が使えないことは不便極まりない。おしゃれも外出もおっくうだ。

私の教訓は「足元を見て歩け」、夫は「足をもっと上げて歩け」だって。」(2017517日西日本新聞)

 

家事力のなさは長年のツケですが・・・。

「泊まれる本屋」という発想がすごいとまず思いました。それを決断した経営者に敬服します。昼間の利用もできるという。

 

「『泊まれる本屋』天神で体験 「異空間」寝るまで読書 [福岡県]

 「泊まれる本屋」なるものが4月末、福岡市にオープンした。本を読みながら、いつの間にか寝てしまう瞬間の「至福体験」を売りにしている。こたつに潜ったり、カーペットの上で横になったりし、本を読むと眠気に襲われ、家族に起こされる私にとっては最適な空間ではないか。開業前日にあった報道陣向けの内覧会で、お泊まりしてみた。(略)

 先行して開業した他店では意外にも、普段本を読まない人の来店が多く、「感覚的に取って読みたくなる本を置きました」と力丸さん。「世界のトイレ」「おじさん図鑑」などのタイトルが目を引く。

 さあ、この中から何を読もう。これから眠くなるまで、何者にも邪魔されずに本をむさぼるのだ-。

     ZZz…

 そう思っていると、支配人の月成若葉さん(30)が話し掛けてきた。少々面食らったが、せっかくなので雑談に応じ、月成さんお薦めの本を聞いてみた。

 選んだのは、自宅でお店を開くための指南本と、福岡のうどんを紹介した本。いずれも、福岡市内の店などが取り上げられ、地元をアピールしてくる。

 「京都店に勤めていましたが、お薦めの店をよく聞かれるんですよ」。私は福岡市民だが、遠くからの宿泊客には、観光情報を提供する意義があったのだ。

 店内には本棚沿いの通路に腰掛けることができ、オープンスペースになっている。ほかの客の話し声も聞こえるし、音楽も流れる。「友人同士でお泊まり会をする人もいるし、スタッフは話し掛けるようにしているんですよ」と月成さん。(以下略)

       ◇

 1泊4800円(税抜き)から。1泊6800円(同)の部屋は2人利用も可能。日中も1時間500円(同)などで滞在できる。福岡店=info-fukuoka@bookandbedtokyo.com

2017/05/17付 西日本新聞朝刊=」

 

 

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40年?前の福岡 [街で]

 

 

ニュース川柳

日本海カール・ビンソシやがて着く

・裁決は潮騒もどき農と漁に

・ふるさとは30ロ圏再稼働

沖縄の心も埋める辺野古沖」(2017429日西日本新聞)

 

新聞の「随筆喫茶『そこに油山がある限り』」で門田 陽氏が昔の福岡市の繁華街について記しています。

 

「変わらないようでいて変わるのが福岡です。那珂川沿いにあった城山ホテルはいつなくなったのかなあ?このそばを通ると僕のカラダの血流は時をかける少女になります。 その昔この辺にはピカデリ1とピカデリ2という映画館がありました。中学時代、初デートをして異性と初めて手をつないだ場所。それがもうありません。あの日は確か「ベンジー」〈小犬が活躍する映画)を観た後に中洲の交差点そばにあったカレーの湖月でランチをして健全に帰りました。ふだんは着ないボタンダウンのシャツで出かけましたっけ。流石にまるで昨日のようにとは言いませ んが、まるで40年前のことのようにはっきりと甦ります。親不孝通りのどん突きにあった水域学園の近くや今はソラリアプラザになった福岡スポーツセンターのそばを歩いても同様の記憶が一気に駆け巡ります。

懐古主義ではないです。新しもの好きでも あるのですが、僕の中のどこか一部がまだ昭和のままなのかもしれません。ミーナ天神は 今でもマツヤレディスな気がするし、福岡パルコは岩田屋本館のほうがしっくりきます。 ジュンク堂よりも積文館や金文堂で買わなく ちゃと思ってしまう。文房具ロフトやハンズではなく、とうじや復古堂じゃなきゃいか んでしょ。 変わるのは仕方ないし、変わって新しくなったものはどれも素敵です。そんな中、いつ 帰省してもあの油山だけはいつもの姿で僕を 迎えてくれます。相変わらずの冴えない感じでやさしく迎えてくれるのです。麓のほうは以前よりずいぶん開けて家も増えましたがそれ以外は昔のまんま。ただ心なしか「オレは変わらずここにいるぜ!」とそびえ立っているように見えます。ま、気のせいでしょう。(一部引用)」(同前)

 

私の記憶から消えていたのは「ピカデリー1と「ピカデリー2」。12では入り口の色が違っていたように思いますが?カレーの湖月は馬出で復活したとあります。まだ、てんかん協会と出会っていなかった頃の福岡です。

 

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夕暮れは心細い [街で]

 

 

今でも心細い。

 

「夕暮れ 田尻久子

夕暮れどきが苦手だ。夜の帳が下りるころ、空がだんだんと光を失っていくさまを見ていると心細くなる。誰もがそう感じると勝手に思っていたが、
そうでもないらしい
子供の頃から、そうだつたような気がする。昼寝から目が覚めた時に日が暮れそうになっていると、悲しくさえなった。暗くなるのが嫌だというわけではない。今日という日が終わるのが、物悲しいのだろ
うか。でも、夕日が沈んでいく姿には 見とれてしまうから矛盾している。 心細いと書いて、小さい頃のことを思い白した。祖父母の家に遊びに行った時のこと。近所の学校で、きょうだい達とかくれんぼをしていたのだと思う。気が付くと誰もいなくて、泣いて一人で帰ろうとしていたら、姉たちが
出てきた。いたずらだったらしい。前 後の出来事は覚えていないのに、無性 に悲しかったその瞬間だけが、はっきりと記憶にある。定かではないが、夕暮れ時だった気がする。
暮れていく時聞は心許ないが、完 全に闘がくれば平気になる。月が煙々 と浮かんでいれば、うっとりと眺める。 家に着いて玄関を開ける前は、月がどこに見えるか確認する。上弦の月、下
弦の月、三日月、満月。月は、満ちて いても欠けていても見飽きない。月仲 間がいて、特別な月が見える時は連絡がくる。いま、月見てる?それぞれの場所にいても見上げる月は同じ月だ。新しく引っ越した場所は、窓がたくさんあるので外の様子がよくわかる。近くを通る路面電車も見えるし、ランチに向かうサラリーマンの姿も見える。陽が陰って昼-から夕刻へと移り、少しずつ夜が空を侵食していくのもわかる。だから、仕事に追われていても、時間を忘れるということがあまりない。日が

暮れはじめると、近所の飲食店から美味しそうな匂いが流れてくる。階段の電気を付けたり、お客さんを見送ったりして外に出ると、ふいに匂いが届く。子供の頃帰り道に嗅いだ匂いを想い出す。だから、夕暮れ時もあまりさみしくはない。(書店、喫茶店主。挿絵は豊田直子さん) 」(201731西日本新聞

 

東京に行ったときに、その頃の就業時間は1730分だった。すぐに事務所を出ても冬場は夕暮れは終わり、街灯がついていました。福岡だとまだ明るい時間です。何か損した気分になりました。福岡の冬に向かう1730分は夕暮れでした。それは寂しい時間でした。誰にも言えない悩みを抱え込んで呻吟していた日々は心細い日でした。

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