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在宅医療のこと [読書]

 

 

最後の時を自分らしく―在宅医療ができること

最後の時を自分らしく―在宅医療ができること

  • 作者: レシャード・カレッド
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 2017/05/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

『最後の時を自分らしく-在宅治療ができること』レシャード・カレッド著を読みました。

年齢もありますが、家人を含めて最後をどう過ごすかということが現実の問題になっています。最後を自宅でという人の希望が高いそうですが、現実は2割にも満たないという。ですが、高齢化の進行では病院でという希望も難しいのではないでしょうか。

 著者はアフガニスタン出身で日本に帰化されています。

 

「私は、在宅医療がこれからの地域医療にとって大事になってくると考えていますが、 これらの例だけからもわかるように、問題は単純ではありません。必要とする人に医療や介護が届いていないという例では、家族の姿勢の問題である場合もあるでしょうが、その家族が抱えている問題も、単に「姿勢をあらためなさい」といえば済むといえるような場合は少ないかもしれません。そこには、仕事や収入などの経済的な問題、生活上の問題、親子関係を含む人間関係の問題など、医療や介護のスタッフが対応できる範囲を超えたものもたくさんある気がします。また、それとは別の大きな問題として、在宅医療の担い手の問題があります。在宅医療を行うには、患者を訪ねて診療や看護、介護をするスタッフが必要です。在宅医療を行う医師、訪問看護、訪問介護などのスタッフです。スタッフの確保と養成には、当然ながらお金と手間ひまがかかりますが、現状ではその面で十分とはいえません。スタッフが十分にいない状況でも、高齢社会は待ってくれませんので、限られた人的資源を有効に活用するため、病院・診療所・訪問看護ステーションなどの間の、あるいは介護関係者との連携も必要です。これも連携の整備が十分かどうかということについては地域差があるように思われます。」

 


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新聞から [読書]

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人の生きざまは [読書]

 

 

 


『ダウンタウンに時は流れて』(多田富雄著)を読む


 

ダウンタウンに時は流れて

ダウンタウンに時は流れて

 

 

多田富雄氏の若い頃の留学時の思いが描かれています。多田氏は私とは無縁の方ですが、脳梗塞という共通項があります。そのときのことを次のように述べています。

 

「とにかく、死地を脱した私は生き残ってしまった。次の試練は、自分の置かれた状態の認識であった。麻痺した右半身はもう元には戻るはずはない。私も医師の端くれだから、そんなことくらいはわかる。構語障害や嚥下障害は、根気よく訓練すれば少しは良くなるだろう。そのためのリハビリの長い長い苦しみを思うと絶望感が胸を潰す。幸い掛け算も、物の名前も覚えている。認識能力に異常はなかった。これで生きてゆかなければならない。

リハビリはまもなく始まった。初めのころの苦痛は筆舌に尽くせなかった。ベッドに座ることもできない。1分も座ると体が傾いてくる。それを直すことができないのだ。力なくベッドに倒れこんでしまう。車椅子に乗り移ることもできない。人に抱えられてリハビリ室に通う。立つことはもちろんできない。それを無理やりやらせる。5分もすると汗だらけになる。理学療法士は容赦してくれない。私は口が利けないから、指示に従うほかなかった。その間

に過酷な検査が続いた。管につながれて、私は強制的にこれを受けた。 死の誘惑がしつこく訪れた。」

 

若い頃にアメリカコロラド州デンバーに留学し、そこで出会ったチエコのことが印象的に描かれています。デンバーは日系人が多いという。だが、チエコは移民でなく、戦争花嫁。日本に進駐した米兵と結婚した日本人のことです。チエコの夫は働かなかった。それからつらい人生が始まる・・・。

 


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筑紫野から [読書]

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「影ぞ恋しき」を読みました [読書]

 

 

西日本新聞での葉室麟氏の連載が終わりました。まとめて読んでみました。そして、連載を終えての葉室氏の感想みたいなものを読みました。

 

「蔵人は生きるべきだ

「影ぞ恋しき」

連載を終えて 葉室麟

 

―色も香も昔の濃さににほヘども植ゑけむ人の影ぞ恋しき

 

「古今和歌集」にある紀貫之の和歌からタイトルをとったのは、亡くなったひとを懐かしど 思い出すという心情をテーマにしたかったからだ。 もともと主人公の雨宮蔵人は 佐賀の武士で物語の中に「葉隠」の語り手である山本常朝も登場するように、「武士道とは死ぬ ことと見つけたり」むいう葉隠 精神を潜在的なテーマとしてきた。 というよりも、主君に仕えて、 おのれを犠牲とすることに反惑し、「天地に仕える」という蔵人は「葉隠」に背を向けた武士いうことになる。しかし、わたしは「死の美学」とされる「葉隠」は死を前提として日々、生きることを充実させるべきだ、という「生の哲学」ではないかと思っている。()

また、今回が三部作の最後となるだけに、主人公の蔵人を死と向かい合わせてみようと思った。正直なところ、蔵人は死ぬのではないか、と連載を始めたころむは書きながら考え続けていた 。それが変わったのは連載をしている途中で、西行の、

 

―君にいかで月にあらそふほどばかりめでり逢ひつつ影を 並べん

 

という和歌を知ってからだ。 蔵人と咲弥の影は並んだほう がいい。どちらかひとりが欠け てはいけない。 蔵人は生きるべきだ、と思った。 小説としての出来栄えについては読者の感想を待つしかない。だが、作者としては、蔵人が生き抜き、さらには新たな友も得ることができた、ということでほっとしているというのが正直なところだ。主人公とともに走り抜くことができたという意味において、わたしにとって幸せな連載になった。

読者には最後までお読みいただき、感謝の言葉しかない。」(201784日西日本新聞)

 

赤穂浪士の大石の遺児や、吉良家の光芒など知らないことが描かれています。楽しく読めました。

 今書いているのは6日、広島のことを思いながら・・・。

 

「きのこ雲上る 忘れ得ぬ光景 79

広島原爆からあさって6 日で72年。月日が過ぎても、忘れてはならない日である。 この日が近づくと、平和の思いが大きくなる。広島の街は閃光と炎に包まれ、 罪のない多くの命が奪われた。地獄絵だった。原爆の 破壊力はすさまじい。惨状は想像を絶する。人道上使用してはならない核弾頭が、世界で約1 5千発も保有されているという。もし核戦争が起きたら人間だけでなく、地球に存在する生き物全ての命を奪ってしまう。46億年前にできたという地球は水のある惑星。信じられないほどの長い年月をかけて人間が出現し、進化してきた。その人間が使ってはならない核兵器を広島と長崎で使用し、今もまた製造、保有している。原爆で被爆した人は高齢化、伝承者の記憶も少しずつ薄れている。風化の危機である。私はあの目、広島の南に一位置する周防大島(山口)からもくもくと上がるきのこ雲を見た。終生、忘れることはできない光景である。平和の大切さを訴えていく一人でありたい。」(同前)

 

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集団就職とも重なって [読書]

 

 

 

 

集団就職とも重なって

 

 

 

朝ドラ『ひよっこ』で集団就職が話題になりました。その人たちが読んだであろう「人生雑誌」と呼ばれる『葦』『人生手帖』などの歩みと背景をまとめた

-「人生雑誌」と読者のゆくえ』を読みました。

 

本の紹介には次のように記されています。

 

「「高度経済成長が進む中で、経済的な理由で進学を断念し、町工場や商店などに就職した若者たち。低賃金、長時間労働、そして孤独な日々。そんな彼ら彼女らが熱心に読んだのが「人生雑誌」と総称される雑誌だった。その代表格『葦」『人生手帖』 は、それぞれ八万部近く発行されるまでになった。「生き方」「読書」「社会批判」を主題とするこの雑誌に、読者は何を求めたのか?人生雑誌の作り手側にも光を当てながら、この雑誌とその読者がいかなる変容を遂げていったのかを描き出す。戦後史の空白を埋める貴重な労作である!

 

 

 

私の兄弟姉妹は5人。長男は後継ぎとして当時は珍しい大学に進学。1960年当時で大学進学率は10%程度だというのですから親の期待感が分かります。でも、貧乏です。奨学金などと後の子どもの支出を抑制するしか方法がなかったのだと思います。私が高校受験期を迎えた1960年代でも高校進学率は57%程度だそうです。進学には前向きにならない親に対して先生が進めたのが国立商船・電波・大企業内専門校・少年自衛隊でした。同じ村の同級生は大工や農家を継いだりしましたがサラリーマン家庭でしたので告ぐべき仕事はりませんでした。中学を卒業すれば就職する人も少なくない時代でした。人生雑誌はそんな進学したくても許されない人たちの「鬱屈」した思いが読者を広げたという。やがて、高度成長期が最盛期を迎えるとともに衰退していったという。当時の若者の思いがこもったものだったようですが、熱心な読者ではなかったので記憶が定かではありません。

 

 

 

 

 

 


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北御門さんは読んだ [読書]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「傘寿の同窓会 時忘れ5時間  80

傘寿となりました。80年、 雨露しのぎ、古くなったが、 骨丈夫と天寿への道を歩んでいます。 今春、小学校の同窓会を半世紀ぶりに開催しました。良き季節に、21人が出席しました。皆さん、久々の 同窓会とあって、とても80歳の老人とは思えない喜びよう。足取りも軽く、さっそうとしておられました。

この年でも、楽しい人生が芽生えます。新たな出発点を発見しました。80歳の大きな節目。本当の「幸輝好齢者」目指し、元気でまた来年も今年以上の同窓会をと誓い合いました。

歌に踊りに話に酔い、精いっぱい盛り上がりました。時聞を忘れました。何と宴会は延々と5時間も続きました。疲れも知らず、年も忘れて、楽しみを分かち合った同窓会でした。」(

201767日西日本新聞)

 

若い頃、ロシア文学を読みました。トルストイ・ドストエフスキー・エセーニンなど。ほとんど理解はできていなかったと思いますが・・・。

 

「風車  ロシア文学と九州

九州ゆかりのロシア文学者といえば、鹿児島県奄美大島の昇曙夢(のぼりしょむ)、熊本県の北御門(きたみかど)二郎が知られている。昇は明治期からの翻訳・研究者として先駆的な業績を残し、北御門は故郷の球磨郡で農耕生活のかたわらトルストイの翻訳を続けた。絶対非暴力の反戦平和主義を貫いた。 ほかにも、宮原晃一郎(鹿児島市)、 中島清(佐賀)、井上満(福岡県久留米)、遠藤喜久郎(同県朝倉市)、稲田定雄(北九州市)など、ロシア文学を翻訳した九州出身者は意外と多い。もっとも宮原、中島はドイツ語から、遠藤はフランス語からの重訳ではあった。彼らは、1905年から17年に至るロシア革命と,その思想に触発される。日本文化ヘも「サーニズム」や「シェストフ体験」として痕跡を残す。 蓜島亘『ロシア文学翻訳者列伝』 (東洋書店、2012)の翻訳年表では、60年までの彼らの仕事が総覧 できる。また、二葉亭四迷をはじめ として、日本近代文学に与えた影響 が一目瞭然となっている。(以下略)」(同前)

 

北御門さんも読みましたが・・・。

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黒島に魅せられた人たち [読書]

 

    

 

朝ドラ「ひよっこ」のオープニング映像は今までに見なかったものです。そろばんの団地などの他に人物は動きます。動きはCGの監督がいるがミニチュア写真家は鹿児島在住だという。そこに流れる桑田佳祐さんの歌声。オープニングだけでも得したように思う。

 

得した気分で読んだ本が『

—特攻隊を語り継ぐこと』でした。著者の城戸久枝氏は、『あの戦争から遠く離れて—私につながる歴史をたどる旅』を読んでからのファンです。それは、城戸氏が「中国残留孤児2世」であり、その視点から「残留孤児」と言われた父が、帰国事業が始まる前に幾多の困難を経て帰国した経過を書いたものです。「孤児」は産まれてそんなに年数が経っていない人が多い。自分の意思で「残留」した訳ではない。これは国の詭弁です。

 今回は、鹿児島県三島村という離島(竹島・硫黄島・黒島)。黒島は人口200人に満たない。なぜ、特攻隊と関係してくるのか。特攻隊の基地は知覧など鹿児島にあって、黒島あたりが通過地点で、沖縄に向かう特攻隊員が最後に見る陸地だったという。そこに墜落したところから始まり、島の人と助けられた特攻隊員との交流が今も続いていること。それを映像化した人たちとの長く続いた物語です。

 そこには、体験者が語る戦争の記憶から、伝えられた人がどう受け継ぐかという強い問題意識があるようです。そのことに刺激を受けました。再読したい。

 


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「この失敗にもかかわらず」 [読書]

 

 

昨晩、「ハートネットTV」でがんカフェの紹介があっていました。ひたすら傾聴するという。その間、痛みを感じないというのに共感しました。痛みが心の動きに関係していることを示していました。

 

「この失敗にもかかわらず   茨木のり子

 

五月の風にのって

英語の朗読がきこえてくる

裏の家の大学生の声

ついで日本語の逐次訳が追いかける

どこかで発表しなければならないのか

よそゆきの気取った声で

英語と日本語交互に織りなし

 

その若々しさに

手を休め

聴きいれば

 

この失敗にもかかわらず……

この失敗にもかかわらず……

そこで はたりと 沈黙がきた

どうしたの? その先は

 

失恋の痛手にわかに疼きだしたのか

あるいは深い思索の淵に

突然ひきずり込まれたのか

吹きぬける風に

ふたたび彼の声はのらず

あとはライラックの匂いばかり

 

原文は知らないが

あとは私が続けよう

そう

この失敗にもかかわらず

私もまた生きてゆかねばならない

なぜかは知らず

生きている以上 生きものの味方をして」

 

思い出すたびに赤面するような失敗をどれだけしたのでしょうか。この詩を読むたびに自己嫌悪に陥ります。「この失敗にもかかわらず/私もまた生きてゆかねばならない」で救われます。

 

いただいた金谷美穂子歌集からです。難病との生活を描きながら

 

・夫も子も無ければ背かるることもなもなし一人気侭に曳く車椅子

・病む故にひと日の愛し寒茜木々燃え立たせたちまちに消ゆ

函館の青柳町に憧れし十五の頃の懐かしきかな

 

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貧しい教師が [読書]

 

 

奨学金が日本を滅ぼす (朝日新書)

奨学金が日本を滅ぼす (朝日新書)



』という本を読みました。

大学新卒で600万円の借金とる人もいて、大学生の5割が奨学金受給者という。こう述べると私みたいな年寄りから高卒で働けばいいなど、世代間ギャップが出てくるという。予断抜きにして高齢者の意識改革が求められていることを知りました。

 

「『最近の若い先生は貧しい』と言ったのです。 私は、近年増加している非正規教員の話かと思いました。学校現場では常勤講師、非常
勤講師など、正規ではない教員が増加しています。彼らは正規の教員よりも給料やボーナ スが安いですから、「その方たちのことですか?」と聞くと、その先生は「違います」と言うのです。
「非正規教員は当然貧しいのだけれども、正規の先生も貧しいのです」と言われるので、
私は「どうしてですか?」と尋ねました。すると、「最近の先生は奨学金を返しているからです」と言われたのです。

そこで私は「はつ」と気がつきました。戦後長い問、小・中・高校の教員、大学での研

究職は奨学金返済の「免除職」でした。小・中・高校の教員の場合、一定期間勤務すれば、

奨学金返済が免除されたのです。

小・中・高校の教員が奨学金返済を免除される制度は、19983月末に廃止されました。そのことをすでに私は知っていました。しかし、現場の教員から「最近の若い先生と聞いたことで、あらためてこの問題に気がついたのです。」

 

私の身内も教師になり免除されました。今より貧しい時代でしたが、お金の使い方が今とは違うということでしょうか。


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