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一遍の死は  [読書]

わが屍は野に捨てよ―一遍遊行 (新潮文庫)

わが屍は野に捨てよ―一遍遊行 (新潮文庫)

  • 作者: 佐江 衆一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/01
  • メディア: 文庫

 

「病を得ながら精神は衰えず、身のまわりの一切を焼き捨てて、勤行の途中に息絶えた一遍の死こそ憧れのものです。瀬戸内寂聴」(『若きに薔薇を摘め』)

 

図書館でたまたま佐江衆一氏の『わが屍は野に捨てよ―一遍遊行』を見つけ読み始めました。先の瀬戸内寂聴の言葉は再読したものにありました。『わが屍は野に捨てよ』では、最初の修業の地として選ばれたのが大宰府だったという。

「大宰府の北にこんもりとそびえる四王寺山の東麓、御笠川と原川にはさまれた小高い丘の、筑紫郡原山というところに、聖達上人は庵を結んでいた」とあります。原山と言う所をネットでさがしていたところ、新聞に詳しい案内が載りました。

 

「尊氏再起の寺」本堂確認 礎石の規模、古図と照合 太宰府市教委

 福岡県太宰府市教育委員会は8日、同市三条の原遺跡で、9~14世紀の山岳寺院「原山」の本堂とみられる礎石建物跡を初めて確認したと発表した。原山は足利尊氏が室町幕府を開く前に身を寄せ、再起を図った場所といわれる。

 原山の跡は大宰府政庁跡の背後にそびえる四王寺山の麓にあり、天台宗の僧、円珍の弟子が開いた四王院の別院といわれる。「原山無量寺」や「原八坊」とも呼ばれる。

 2015年度の調査で建物の基礎の盛り土(基壇)とみられる遺構や階段跡が確認され、礎石はその西側で見つかった。建物は東西8メートル・南北12メートルと、東西14・5メートル・南北11メートルの2棟があり、大きい方が新しい。いずれも13世紀の建物で、東向きだった。

 市教委は、規模が古図に描かれたように大きいことから「本堂跡の可能性が高い」と判断した。付近には本堂跡を伝える石碑があり、土製の仏像や五輪塔の破片などが出土している。今回の調査で石塔跡とみられる遺構も発見された。

 14世紀半ばの歴史書「梅松論」には、新田義貞軍に追われて九州に逃れた尊氏が「原山」に滞在し、再び京に攻め上ったと記録されている。(以下略)=2018/05/09付 西日本新聞朝刊=」

 

原山で修業した一遍の寺と足利尊氏再起の寺が同一かは確認てきていません。偶然ですが情報がつながりましたので・・・。

 

  


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詩誌「筑紫野」より [読書]

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遍路への憧れ? [読書]

奇跡の四国遍路 (中公新書ラクレ)

奇跡の四国遍路 (中公新書ラクレ)

  • 作者: 黛 まどか
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2018/03/07
  • メディア: 新書

 

新聞の書評を読んで注文したのが、黛まどか著『奇跡の四国遍路』を読みました。いろいろと感じたことがありますが、黛氏は「おわりに」のなかで次のように述べています。

 

「遍路を終えて半年余りが経つ。「遍路とは自分との和解である」。1400キロ歩き継いで辿り着いた、私なりの答えの一つだ。一巡で和解できなければ、二回、三 回と巡る。歩行による円環運動は、巡礼者を螺旋状に少しずつ高みへと引き上げてゆく。 やがて桎梏から解き放たれ、自らを赦し、和解を果たしていくのではないか。 結願の後、三か月間にわたって『東京新聞』で遍路での経験を連載した。連載を通じてわかったのは、いつか「歩き遍路」をしたいと願っている人が、潜在的に多くいることだ。新聞の一般読者はもちろんのこと、私の周辺にも「実は以前からお遍路をしたいと思っていた」「遍路をしたことがある」など、思いがけない反響があった。」

 

遍路は憧れますが1時間の散歩さえ気合を入れないといけませんので生涯実現することはないでしょう。可能性を残しているのは車で回るということぐらいでしょう。黛氏は歩いて88か所巡っています。言われる円環運動による螺旋状に昇るというのは想像さえできませんが・・・。だが、読んでいる中で感じることがいくつもありました。お薦めしたいです。

 


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「自分との和解」 [読書]

 

 

久しく見なかった母の夢を見ました。その母が余りにも小さかったのでとまどいました。心配をかけた私からすれば、もっとオオキク手元盲のですが。

 

新聞の書評からです。書評を読んで感動することはありませんが、引き込まれました。

 

「黛まどかさん

『奇跡の四国遍路

奇跡の四国遍路 (中公新書ラクレ)

奇跡の四国遍路 (中公新書ラクレ)

  • 作者: 黛 まどか
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2018/03/07
  • メディア: 新書

自分と和解する1400キロの旅

弘法大師ゆかりの霊場八十八カ所を巡拝する四国遍 路。俳人の著者は、昨年4 月から6月にかけて全行程 の約1400キロを歩いた。 遍路へと旅立つ人たちは それぞれ事情を抱えていた。亡き家族の供養や深い 悩みを持ったり、重い病を患ったりしている人もいた。著者には「決定的な動機があったわけではない」が、両親の看病による過労、仕事や家事など、「心身に澱のようなものが積もり積もっていた」。

事前に足腰のトレーニングをして臨んだが、歩き始めてまもなく足を痛め、病院に駆け込んだ。靭帯の炎症と診断された。回復を待って再開し、早朝から真っ暗になるまで40キロを歩く日もあった。ふと気づくと、一歩ずつ踏み出す自分に影のように付いてくるものがあった。自分自身だった。日常に行き詰まり悲鳴を上げていた自分だ。「結局、自分からは逃れられない。ところが暗闇の山道でも、イノシシに遭遇した時も、どんなに苦しい時も、決して離れずにいてくれたのもまた自分でした。その時に初めて煩わしかった自分が頼もしく思えたんです」(以下略)。 (伴野昭人 中央公論新社・886)」(2018331日西日本新聞)

 

自己否定から肯定に至るドラマがありそうです。読んでみたいと思います。遍路などかなわぬ身ですが。


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葉室麟さんが逝ってから [読書]

 

 

 

葉室麟さんが亡くなって読んだ本の1冊が広瀬淡窓と弟久兵衛を主人公とした「霖雨です。

どちらかというと弟に焦点があるようにも思いました。

 

新聞のコラムからです。

 

「結末が見えるまでは 

葉室麟さんが逝った。痛恨の極みだ。 ちょうど2年ほど前、大分・日田で対談をした。タイトルは「広瀬淡窓と咸宜園」。淡窓と弟久兵衛を主人公とした「霖雨」を著していた葉室さんは淡窓の話をし、私は耶馬渓を挟んで向かい合う中津出身ゆえに、福沢諭吉の話をした。 淡窓は諭吉より53歳年上だが、諭吉が21歳までは生きており、諭吉の中においても淡窓は大なる人であっただろう。淡窓は16歳の頃、福岡で亀井南冥、昭陽に学んでいるが、日田に戻ってからは日田を動かず、咸宜園を創り日本中の子弟の教育に邁進する。将棋でいえば「不動の穴熊」である。かたや諭吉は19歳で長崎ヘ行き蘭学を学び、20歳で大阪の適塾(緒方洪庵)ヘ学ぶ。23歳で江戸に出る。24歳で蘭語を棄て、英語を独学で会得し、咸臨丸に乗り米国ヘ行く。28歳で「西洋事情」を著す。将棋で いえば「自由振り飛車」の人である。(略)

葉室さんはことのほか 淡窓が好きで、「在野にあって、地位を求めず、もって人々のために尽くす人が好きです」と云った。対談の後、食事会となり、「最初の1行目が決まれば書きだしますか」と尋ねると、「私は結末が決まってから、書き始めます。結末が見えるまでは手を下しません」と答えた。享年66歳、あまりにも結末が早すぎに。草葬の侍が好きな人だった。(中洲次郎)」(20171229日西日本新聞)

 

歴史学者磯田道史氏は、女性の大河ドラマ主人公候補に立花闇千代(ぎんちよ)を挙げています。福岡柳川藩の初代藩主立花宗茂の妻です。柳川では宗茂を大河ドラマにと動いているようですが、葉室氏の『無双の花』で闇千代のことを知りましたので両方でも良いかと思うのですが。

 

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明日も [読書]

 

 

葉室麟氏のご逝去後、図書館などで借りたり、文庫本を買ったりして読み続けています。今週は『

螢草

螢草

  • 作者: 葉室 麟
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2012/12/19
  • メディア: 単行本

』を読みました。主人公は武士の娘でありながら不遇な菜々。女中として奉公にあがった風早家では、正義漢の武士の夫と、魅力的な奥さんがいます。健気な生き方がさわやかです。葉室ファンにとってはたまらない物語です。明日も頑張ろうと思わせるものでした。

 

さて、朝刊によれば原発避難していた福島県のお年寄りの自殺について、原発が引き金として東電に賠償を求める判決が出たという。被災者支援機関の話では「福島への関心が薄れれば自殺者は増えるだろう」という。今年も3月11日がきます。明日も生きていくと思える環境になれば・・・。


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「漫画 君たちはどう生きるか」を読んで [読書]

 

 

 

「漫

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

  • 作者: 吉野源三郎
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2017/08/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

画 君たちはどう生きるか」を読んで

 

 

 

この年になって読む本ではないと思ったのですが、評判の本だということと、懐かしさから読んでみることにしました。

 

 最後の方でコペル君(おじさんからコペルニクスからとった愛称の主人公)は次のような結論に至ります。

 

「宇宙が地球を中心に回っていないように、世の中が自分を中心にして回っているわけじゃないっていうこと・・・」

 

 だが、私の経験からすればそのように理解することは容易なことではないということですが、それだけに大切だということだと思う。自己防衛の「本能」みたいなものもあるので、自分の物差しで考えます。

 

 

 

話を別の角度から見てみます。報道によればJR常磐線で停車した電車のなかで出産したという。発車させないでと叫んだ女性。床に横たわった女性を45人の女性が取り囲んだ。出産経験のある女性が取り上げたという。後で車内にいた医師と看護師が駆け付けたという。一人の赤ちゃんが生まれるのに直接的には10人近くの人が関わり、乗客を含めるとさらに多くなります。一人では生きていけないようになっているのに自分のことにこだわります。それはある意味仕方がないことのように思います。ですが、コペル君が到達したように自分中心には回っていないことを思い出すことが肝要かと・・・。

 

だが、この本の値打ちは違うようです。TBS「サンデーモーニング」は平和が壊される予兆だととらえていました。

 

 


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博多のアレコレも [読書]

 

 

今年最初に読んだ本は昨年末亡くなられた葉室麟氏の『

』です。博多の絵師里緒と里緒付のお文の男女の愛と肉親との愛憎を軸に様々な愛が登場します。気が付いたのは『濡れ衣』の発祥とされる「濡れ衣塚」ことなど博多の蘊蓄が随所に出てきます。

箱崎という地名があますがそのいわれについて

「神功皇后が三韓征伐から帰国し、宇美の地で応神天皇を産んだ際、その御胞衣(おえな)を箱に入れて浜に埋め、その印に植えた松を筥松(はこまつ)と呼んだことに由来するといわれる。」

宇美(うみ)というのは現在の糟屋郡宇美町の宇美八幡宮が応神天皇が産まれた地としてまつられています。また、筥松というのは以前は「箱崎松原」などという地名があったと思います。

 次に博多山笠の関りで

「山笠をゆっくりと引いて町を練り歩くのがかつての習わしだったが、かねてから仲が悪かった恵比須流と土居流の山笠が、お互いを追い越そうと走ったことが評判になって、速さを競う 勇壮な〈追い山〉が行われるようになったという。」

さらに山笠の安全を祈った「〈お汐井取り〉は、山笠の時期に筥崎浜に祭の無事を祈るお浄めの砂、〈真砂〉を取る行事で、男たちは小さな竹籠に砂を入れて持ち帰る。日差しの中、締め込みだけの男たちの姿は精悍な 空気を漂わせている。」

もうひとつ「福岡藩には街道が六筋あり、二十七か所の宿場町が設けられている。長崎街道に属するものを<筑前六宿>といい、それ以外を<筑前二十一宿>と呼んだ」と。

 

物語は作者のやさしい眼差しに包まれて展開します。


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73歳 まだ若いとは言えず [読書]

 

 

『90歳。何がめでたい』というのが2017年の最初に読んだ本で、最期に読んだのが『

』(萩本欽一著)です。両方とも分かりやすいのが助かります。登場人物がたくさんになってくると誰が何をしているのかなど分からなくなってしまいます。それと、言葉が難しいと読むペースが遅くなります。2016年が67冊。購入金額が4万円弱で2017年も65冊と金額も100円台が違うくらいです。限界がよく分かります。

読んだ冊数はもっと多いのですが、半分以上が図書館のものですから、表紙だけを見て借りますので自分の好みとは違うことも多いです。欽ちゃんの本によれば70代はゴールだと思っていたという。だが、75歳になってスタートだという。大学にもいかれていますし。わたしはゴールだと思っていますが、それでは面白くないかもしれませんね。 


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「死ぬために上る」 [読書]

 

日本人の死生観を読む 明治武士道から「おくりびと」へ (朝日選書)

日本人の死生観を読む 明治武士道から「おくりびと」へ (朝日選書)

  • 作者: 島薗 進
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2012/02/10
  • メディア: 単行本


『日本人の死生観を読む/明治武士道から「おくりびと」へ』を読みました。著者の島薗進氏のお父さんの島薗安雄氏は医師で、てんかん学会の理事長もされた方です。死生観に影響を与えたという映画「おくりびと」は2008年の上映です。見た時の衝撃は今もあります。


ふとしたことから納棺師(おくりびと)を仕事にします。


妻は嫌悪します。


 


「美香「ふつうの仕事をしてほしいだけ」


大悟「『ふつう』って何だよ。誰だって必ず死ぬだろ。僕だって死ぬし、君だって死ぬ。死 そのものがふつうなんだよ」 死を人聞が生きていく上で避けられない当たり前の事実だとする考えが一不されている。死を避けて見ないようにする態度では何かが足りない。日本でこの見方が広まってきたのは新しいことだ。」


死は忌み嫌われています。 


「また、妻の美香が実家に帰ってしまって沈みがちな納棺師生活を続ける主人公、大悟と銭湯の 常連、実は火葬場の職員の平田正吉が橋の上から川面を見つめながら語り合う場面がある。上流 へと遡ろうとする何匹かの魚の横を同種の魚の死体が下ってゆく。 大悟「何か切ないですよね。死ぬために上るなんて。どうせ死ぬなら何もあんなに苦しまなくても」


正吉「帰りてえんでしょうの。生まれ故郷に」


 


無性に「ふるさと」に帰りたいのでしょうか。上映されてからしばらくして2011年3月11日の震災。テレビの画像からは死体が消され、棺桶が足りず奔走した人たちの話は無視された。表面的には死生観は動いたかもしれないが、文化としては動くほどまでいったかどうか。著者は「生と死は表裏一体」だという考え方がこの映画にはあるという。


 

 


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