
近くでも開花 [生活]
福岡でも開花宣言です。夕方まで会議に参加して今日もまた自宅まで車で送ってもらいました。その後、犬と散歩していていましたら桜が一輪咲いていました。
往きの電車で完全禁煙の表示にいよいよ大変だなと思いました。5年前までは1日40本はすっていて、この灰皿にもずいぶんお世話になりました。愛煙家にはいよいよ大変な時代に。駅前の大きなタバコ屋さんも苦節の時代になるのかも。
朝刊から [生活]
先日紹介しました特別支援学校の子どもが地域の子供会に加入できないという投書に対して、反応が掲載されていて、加入できるはずだというものでした。それはひとまず安心ですが、そう思ってしまうところにまだまだノーマライゼーションというのが染み渡っていないようにも思えました。
昨日、寝るときに、ふと、作家辺見庸氏の随筆「水の透視画法」を読まないなと思いました。同年齢で同じ頃に脳梗塞を煩っているという親近感と視点に教えられることが多く、楽しみにしています。もしかして、再発しているのではないかと案じながら寝たのです。今朝、その随筆が掲載されていて一安心しました。電車内で吐瀉するお年寄りと介助する青年。知らぬ顔をする他の乗客。そんな場面をとらえていました。つき1回程度掲載される随筆を楽しみにしていきたいと思います。
西日本新聞の「水の透視画法」の隣は、連載の「倭人伝を読み直す」で、山門郡(ヤマト)瀬高町のことや、奈良でも「ヤマト」を山門と書くこともあると指摘されています。もひとつ、邪馬台国を八女地方(福岡県上妻郡コウズマ)とする説が紹介されています。私が育ったところが下妻(シモツマ)と呼ばれます。八女には磐井の墓があるとされています。
食品表示は [生活]
今週のイチオシ「いわせてもらお」(朝日新聞)から
「過剰演出
妻がスーパーへ買い物に行くというので、ついていった。精肉コーナーで物色していると、売り場に置いてあるラジカセから、牛の鳴き声がエンドレスで流れていた。もの悲しい気分になり、「今日は魚でいいよ」と言うと、「そうだね」と妻も同感のようだった。(愛知県刈谷市・何だかモウしわけなくて・47歳)」
過剰演出かもしれないし、受け手の感情抜きの押し付けかもしれないが、売り手としてはとにかく振り向いて欲しかったのでしょうね。こういうミスマッチはあちこちであるかも。思いが強いとなおさら。
この記事の横に「中国産食品を購入していますか」で「購入している」が24%あり、その理由は安いということです。ところが、食品表示の「原産国」は加工された場所で、原材料の場所ではないという。こうなると産地では判断できない。これで良いのかと思う。産地偽装はなくならないということか。 朝刊にロシア産しじみを宍道湖産として売り出していたのを摘発したと伝えています
戦いは、自分ひとりでやるしかないという人 [生活]
たまたま『渥美清』という本が出てきて、読み直しています。寅年というわけでもないですが、死後10年以上たっても人気は続いています。その人のもうひとつの姿を吉永小百合さんは語っています。
「渥美清は退院当座にとどまらず、のちのちまで病院時代の日々を忘れずにいた。「なにかことある度毎に、ぼくはその頃のことを思い出すことにしている。ぼくの戦場であった病院生活での闘いを。それがぼくのスクリュウになっているのです」。渥美は病院生活で初めて孤独を骨身に浴みて味わった。「誰に慰められても、どうにもならない。結局、戦いは、自分ひとりでやるしかないんですよ。自分というのは要するに自分だけなんだな」
病院生活で身につけた孤独感は渥美清の体から終生消え失せることがなかった。彼とつき合った者の多くが、その孤独感を強く感じ取った。「男はつらいよ」シリーズの「柴又慕情」と「寅次郎恋やつれ」で二度、渥美と共演した吉永小百合は、生身の渥美から受けた印象をこう語っている「渥美さんは、たまたま『男はつらいよ]の寅さんで、ああいう形になったけれども、恐ーい役もできるし、ニヒルな面ていうのも持ってらっしゃった方。とってもね、いろいろお話ししてくださるけれど、フッとこう一人でセットの片隅にいる時、ほんとにニヒルで、近寄りがたいものをもってらっしゃることがあるんですよね。孤独感のようなもの、クールですよ。なんかあのニヒルさみたいの、すごいなあーと。人間の心の闇を知ってらっしゃった方だと思いますね」
昭和三十一年四月、渥美清は春日部の病院を退院して浅草に戻った。そして、浅草寺の観音堂の脇にある出世観音に、役者として成功できるなら、酒、煙草、博打をやめる、という願をかけた。そのとき買ったお守りは、のちのちまで長らく肌身離さず持っていた。フランス座に復帰してからの彼は実際に酒、煙草、博打をやめて、芸の精進のみを考えて生きるようになる。入院前の不良っぽさ、無頼性はすっかり影をひそめた。』
濃淡はあれ、「心の闇」みたいなものをもっている人は多いと思う。人間を単純化させないよいとの戒めにも聞こえますが
今年の終わりですが [生活]
夜中も風が強くて雨戸が音を立てていました。朝も雪が積もっていて、相変わらずの寒さです。
先日、がん患者のレポートの番組を少し見ました。がんと分かって「仕事を失った人」が35.4%もいて、この国では、病気や障害を持っている人が働きにくい社会であることを示していました。また、病気になって「精神的な支えをなくした」人が最も多いそうです。1年を振り返ってみると、いろんなことがありましたし、考えさせられることも多かったです。皆既日食もありました。障害者自立支援法の廃止を大臣が発言するという事態も生まれました。かといって何かうまくいっているわけでもなく、様々な差別構造が根強くあることも示しています。
来年もまた、健康であれば、いろんなことを考えていけるように思います。
みなさん 良いお年をお迎えください
もう師走で [生活]
自分に問うてみても [生活]
昨日
会議が終わったのは15時30分頃でしたが、もうすでに夕暮れの気配でした。
先日から気になっていたコラムです。
コラム・聴診記(医療班から)
焦土で与えられた役割
[更新日時]2009年11月23日
長崎に勤務していたとき、カトリックの人たちと出会いを重ねた。原爆や平和を考えるにあたって、爆心地浦上(うらかみ)の信仰と歴史を知ることは欠かせないと思ったからだ。親しくなった修道士の小崎(おざき)登明(とうめい)さんから先日、半生を描いた漫画の本が送られてきた。
病弱だった幼少時、17歳のときの兵器工場での被爆、孤児となり修道院に入っての日々…。かつて伺った話が、しおうらしんたろうさんの生き生きとした筆致でよみがえり、ひと息に読み終えた。
原爆を語るとき、小崎さんは自分の弱さをさらけ出す。1945年8月9日。母を案じて焦土をさまよう小崎少年は、倒壊した建物から助け出された女学生を担うも、上空に飛行機の音を聞くや怖くなって置き去りにした。日ごろ自分をいじめていた同僚が内臓までも飛び出して苦しみもがき、助けてくれとうめくのを、ざまあみろとさげすんだ。歩けないから連れていってとすがりつく幼子を、おれも急いでいるからと見過ごした-。
原子野の人々との出会いが、小崎さんの生涯の傷となった。戦争がいけなかったのだ、しかたなかったのだと納得しようとしても、助けて…、助けて…、という声は耳から消えない。平時の想像をはるかに超えた「生き地獄」を、母を奪った原爆とともに己のなかに見るのだという。
http://qnet.nishinippon.co.jp/medical/column/post_434.shtml
全文はHPで
このように自らを問うことは大変ですね。でも、時々 自分に尋ねてみるのも良いかもしれません。
いい天気になって [生活]
ここ数日の寒さに呼応して血圧も高くなり、痛みも強くなったりして、気が滅入りそうでしたが、今日は暖かくなり、体調も戻ったような感じです。放射冷却で朝は冷えましたが。テレビで愛媛県立動物園の白熊「ピース」の人による保育の記録を見ました。おびえたり、飼育員が留守をすると「けいれん」を起こします。人間の場合も「心因性のけいれん」があります。見分けはなかなかつきませんが、誰もかまってくれなかったりすると発作が始まる人がいました。発作時間が長くて、処置をどうしたものか悩むことがありましたが。
読んだ本の中に『通勤電車でよむ詩集』があり、次の詩に出会いました。石垣りんさんの詩で読んだ記憶があるように思いましたが・・・。古い詩なので「知能のおくれた」という表現がありますが。
「家 石垣りん
夕刻
私は国電五反田駅で電車を降りる。
おや、私はどうしてここで降りるのだろう
降りながら、そう思う
毎日するように池上線に乗り換え
荏原中延(えばらなかのぶ)で降り
通いなれた道を歩いてかえる。
見慣れた露地
見慣れた家の台所
裏を廻って、見慣れたちいさい玄関
ここ、
ここはどこなの?
私の家よ
家って、なあに?
この疑問、
家って何?
半身不髄の父が
四度目の妻に甘えてくらす
このやりきれない家
職のない弟と知能のおくれた義弟が私と共に住む家。
柱が折れそうになるほど
私の背中に重い家
はずみを失った乳房が壁土のように落ちそうな
そんな家にささえられて
六十をすぎた父と義母は
むつまじく暮している、
わがままをいいながら
文句をいい合いながら
私の渡す乏しい金額のなかから
自分たちの生涯の安定について計りあっている。
この家
私をいらだたせ
私の顔をそむけさせる
この、愛というもののいやらしさ、
鼻をつまみながら
古い日本の家々 にある
悪臭ふんぷんとした便所に行くのがいやになる
それで困る。」
家に束縛されながら、家族を慈しむ気持ちとの葛藤が見えます。愛というもののいやらしさに終わりがあるのでしょうか。
思いが屈折することも [生活]
思いあぐねたときに 茨木のり子詩集を広げることが良くあります。人間は自分以外のすべての人がストレスの要因になるそうです。
癖 茨木のり子
むかし女のいじめっ子がいた
意地悪したり からかったり
髪ひっぱるやら つねるやら
いいイッ!と白い歯を剥いた
その子の前では立往生
さすがの私も閉口頓首
やな子ねぇ と思っていたのだが
卒業のとき小さな紙片を渡された
ワタシハアナタガ好キダッタ
オ友達ニナリタカッタノ
たどたどしい字で書かれていて
そこで私は腰をぬかし いえ ぬかさんばかりになって
好きなら好きとまっすぐに
ぶつけてくれればいいじゃない
遅かった 菊ちゃん! もう手も足も出ない
小学校出てすぐあなたは置屋の下地っ子
以来 いい気味 いたぶり いやがらせ
さまざまな目にあうたびに 心せよ
このひとほんとは私のこと好きなんじゃないか
と思うようになったのだ
高橋まゆみの人形には、様々な癖を持つ人たちとの生活を重ねてきた人たちの表情があるようにも見えました。(テレビから)
やがて一人になるのですが [生活]
与田準一という児童文学者を知っている人がどのくらいいるか分かりません。私は小学校の校歌の作詞者で、かつて、この学校の教員だったから知っているわけです。新聞に出身地旧瀬高町下庄(しものしょう)の図書館にコーナーができたという。与田氏の長男が作詞家橋本淳(与田準介)さんで、「ブルーライト横浜」「雨のエァポート」・「モナリザの微笑」など多数のヒット曲を作ってきたという。そんな記事を読んでから散歩に出かけました。連休の初日、散歩で出会うのはお年寄りが多いのですが、時々声をかけられます。川沿いのコスモスの写真を撮っていたら「コスモスですか」と、そして、その近くでふと目が合っただけで深々と頭を下げられました。そういえば、育ったところなどは集落で知らない人はいませんが、ほとんど話さなくても頭は下げていたかもしれませんし、挨拶ぐらいはしていたかと思ったりして、田舎のことを思い出しました。仕事をしていた頃には、見ず知らずの人と挨拶したりすることはありませんでした。家の近くで壁にボール投げしていた小さな子どもが「こんにちは」と声をかけてくれました。この子は連休でも留守番なのでしょうか。一人で遊んでいます。
一人で暮らすということが大変なことが多いということを、年を重ねれば実感として分かります。それは、現実に一人の人が多いのと、独りになったときのことがイメージしやすいからかもしれません。新聞の随筆にこんな話がありました。祖母が亡くなった。祖父は祖母が亡くなった朝でも新聞を読んでいた。「おじいちゃんそれ昨日の新聞だよ」と声をかけてみる。いろんなことが分からなくなってきている祖父。祖父は戦争で死んだ兄の代わりに再婚した。あの頃は多い話ではありますが。「我が家に流れる優しいけれど遠慮深い空気はそのことに原因があるのかな」と高崎卓馬さんは思う。そして、祖父は、葬式は何時に終わるのかと繰り返し尋ねてきます。骨を拾うと「もうさっさとバスにのって。 おじいちゃんは家に帰りたくて帰りたくてしかたのないわがままな子供のようだった。すべてが終わって食事が出てきたころ、僕はそれが仕方ないことだとわかっていても、おじいちゃんがすこし嫌いになっていた。「おじいちやん、先に帰って寝てる?」それは優しさとかじやなく。「おじいちゃん、先に帰って寝てる?」もういちど僕がそういったとき。僕の目の前で、おじいちゃんが号泣していた。ちいさな肩が揺れてひゅーひゅーなっていた。しわしわの頬に涙がたくさん。僕の目の前で、おじいちゃんが号泣していた。よかったね、おばあちやん。」(西日本新聞)おじいちゃんは一人で生きていくのかどうか分かりませんが、一人の無聊をなぐさめるには犬や猫も良いのではとお節介なことを思ったのでした。 この随筆のすぐ下に辺見庸氏の随筆がありました。辺見氏も多分お一人だと思いますが次のようにかかれています。
これはよくないな、よくないなとおもいつつ、ぷちんぷちんと夜爪をしていて、ふと怖気だった。夜爪にではない。自分のいる場と時間が流砂のようにずれはじめ、夜爪する躰ごとほの暗い斜面をすべりおちていく感覚におちいったのだ。ずれるとは、あるべき位置から外れるということだ。だが、滑落感ではなく、私のばあい「あるべき位置」じたいがどこかわからなくなる。それが怖い。じつはあるべき位置などとうになくし、心も躰も現実から日々ズルズルとずれていっているのに、いかにもあるべき位置にいるふりをして生きているだけなのかもしれない。それが、おもえば恐ろしく、いたたまれなくなる。夜半におちいるこの状態をひとり「流砂の夜」と名づけ、以前からおびえていたのだけれど、そんな夜が近ごろめっきり増えた。









