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「一人で死んでも孤独ではない」 [孤立死]

 

 

そう思ったのは敬愛する詩人・茨木のり子氏が亡くなっているのを親族に発見されるので時間があったというが、茨木さんが孤独死で不幸だと言うのか、と思ったことがあります。孤独死というのが良いのか。私は孤立死と使うようにしています。似たような言葉の暴走に「限界集落」というのもあります。65歳以上が半分以上になれば、今はやりの消滅集落になるという。だが、こうしたレッテル貼りは、貼るだけで思考停止になっています。

 

「発信箱:孤独死は不幸ですか=小国綾子  毎日新聞 20150303

 

 お年寄りの孤独死がすべて悲惨で不幸なことのように語られるのを聞くと、小さな違和感を覚える。本当に不幸な人ばかりなのだろうかと。一人で暮らし、誰にもみとられずに息を引き取る―そんな自分の最期は、夫や息子がいる身であっても容易に想像できる。予測値によると2030年、65歳以上の約4割が単身世帯となるわけだから。

 話題映画「おみおくりの作法」を見た。ロンドンで民生係として働く44歳の独身男性は、担当地区で孤独死した住民の葬儀を執り行うのが仕事。地味な映画が「思った以上にヒット」(配給会社)したのは、単に孤独死という社会問題を扱っているからではないだろう。一人暮らしの主人公の生活が、死者を含む他者との出会いを通して彩りを持ち始める。それがしみじみと美しい。たとえ数多くのにぎやかな友人や家族に囲まれていなくても、誰かとつながっていて、社会で孤立していなければ、孤独じゃない。切ないのは、「孤独死」そのものではなく、寄り添い語り合う相手の誰もいない「孤立生」の方ではないか。鑑賞後、そんなふうに思った。

 葬祭ディレクターの尾上正幸さんは最近、新しい動きに気付いたという。「一人暮らしが増えたからでしょう。身寄りのない友人同士が『いつか先に死んだ相手の葬式を出したいのだが』と生前に相談に来たり、『身寄りのない友人が亡くなった。自分たちの手で葬式を出したい』と相談に来たりするケースが増えてきました」

 一人で死んでも孤独ではない。ひとりぼっちで死を迎えても、孤独じゃない生き方はある。(夕刊編集部)」

 

まったく同感です。消滅集落の虚構と意図についても考えてみたい。

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孤立死の広がり [孤立死]

 

 

「余録:これでまあ/七十年生きてきたわけやけど…毎日新聞 20140101

 

 これでまあ/七十年生きてきたわけやけど/ほんまに/生きたちゅう正(しょう)身(み)のとこは/十年ぐらいなもんやろか/いやぁ/とてもそんだけはないやろなあ/七年ぐらいなもんやろか/七年もないやろなあ/五年ぐらいとちがうか/五年の正身……▲京都の詩人、天野忠(あまの・ただし)の詩「新年の声」である。詩はこう続く。<ふん/それも心細いなあ/ぎりぎりしぼって/正身のとこ/三年……/底の底の方で/正身が呻(うめ)いた。/そんなに削るな。> わが「正身」の声にじっくりと耳を傾けたくなる新しい年の訪れである(以下略)」

私も間もなく70年生きてきたことになります。それは予想もしない長生きになります。ひ弱な子どもだった私がここまで生きるとは家族の誰も思わなかったのではないかと思います。そして、同世代の人たちの孤独死が広がっているという。

  

「限界集落」というのは過疎地のことを指す言葉として産まれたのですが、今は、都心部でも存在するとして挙げられたのが戸山団地などでした。そこの今がどうなっているのか、朝日新聞が取り上げています。

 

「(ルポルタージュ現在)また誰か、亡くなった 新宿の団地、老いて独り」(20131230日朝日新聞)は、「2012年に東京23区内で孤独死したのは計4472人。男性が3057人、女性が1415人だった。03年には男女合わせて3千人を切っていたが、約10年で1・5倍に増えた。平均すると、毎日12人ほどが孤独死している計算だ。」という実態を報告しています。

「今月15日、東京都新宿区の都営戸山団地(百人町アパート)。区から委託を受けた「見守り協力員」の的場実さん(75)は今年最後の見回りを終え、ふうっとたばこの煙を吐いた。16棟ある団地に住む高齢者のうち、80歳以上の一人暮らしの女性十数人を受け持つ。携帯電話には、昼夜問わず電話が入る。「おしるこが食べたい」「買い物に付き合って」。約束を忘れる人も多く、待ちぼうけはしょっちゅうだ。「何度電源を切ろうと思ったか。このままじゃ、俺が先に死んでしまう」」

都心の限界集落はますます大変さを増しているという。団地の自治会は解散している。

 

「■死が日常に

 暮れも押し迫った26日。近所の女性と立ち話をしていると、目の前を白い布に包まれた遺体が運ばれた。「また誰か亡くなったね」。女性は特に気にとめることなく、おしゃべりを続けた。「人が死ぬことに、慣れてしまった」と本庄さんは思う。どこの誰かは、今も分からない。(今村優莉)」

 

少子化といい、高齢化と言うが、どちらも本格的な施策が講じられているとは思えない。背景には高度成長期に都心部に集められた労働力としての世代が高齢者になっていることがあります。そして、地域・コミュニティが機能しなくなったなかでの孤独死が問題になっています。それを私たちは克服できるのでしょうか。

 

 

 

 

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生きづらさを抱える高齢者の支援を [孤立死]

生きづらさを抱える高齢者の支援を

 

孤立死が増えていますが、それは、単身世帯が増えている社会では当然のことです。そのことに目を向けないままの社会があります。多分、それは、例の自己責任だという貼ることで終わり、思考停止になっているのだと思います。

 

「何カ月も誰にも発見されない、孤独な死。団地や古いアパートがその現場となることが 多いのは、1戸建てなどに入居できない中高年単身者の受け皿となっているからでもある。 さらに、そこにも住めない人たちが、車や路上で暮らし、ひとり死んでいく。 彼らは生前、他人とのつながりを拒絶するように、閉じこもって暮らしていることが多い。では、自ら選んだ結果といえるのだろうか 団地では十数年前から、孤独死が話題になり始めた。高度成長期、都市に流れ込む人たちの住宅不足を補うために建てられ、あこがれの的だった団地。ライフスタイルは急速に変化し、昭和四十年代ごろまでに建てられた2DKは現在の家族には手狭になり、高齢者と単身者が暮らす街になった。

『あんしんネット』の石見良教さんは、最近、高齢者の部屋を片付ける『福祉整理』に力

を入れている。遺品整理の現場に足を運ぶうち、認知症や体力の低下でゴミを片づけられ ず、不衛生な状態で暮らす高齢者が少なくいことに気づいた。孤独死にいたる前に、手をさしのべられないかと思うようになったからだ。「声を上げるすべも知らず、苦しみの中で生きている人がたくさんいる。これから十年ほどで、孤独死は爆発的に増えるのではないか。介護医療など、福祉全体のシステムを抜本的に作り上げないと、この問題はますます深刻になる」という。悲惨な孤独死が問題なのは迷惑だからではない。それが、孤独な人間の苦しみの末路だからだ。そこに目を向けることが、いま多くの人が抱える生きづらさを和らげる一歩にもなる」

 

孤族の国 ひとりがつながる時代へ

孤族の国 ひとりがつながる時代へ


朝日新聞出版『弧族の国』からです。高度成長期1960年代には、農村で1ヘクタールのコメ作をしていても、長男だけが継いでなんとかやっていける時代になっていました。コメの値下がりは続き、農村から都市に出るような誘導策がとられました。田舎が嫌で出てきたのだから自己責任だという若い学者がいますが、それは、社会の流れを表面的にしか見ていないように思います。沢山の労働力を受け入れるために、団地が作られたのであり、それを政府系機関が担いました。その末端で私も仕事を得ることができました。その後、1970年代までは、景気対策としての住宅政策としての機能していたと思います。そして、今、膨大な都市部での孤立化が始まっています。決して自己責任などではありません。

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広がる孤立死の背景・障害者が巻き込まれていることの意味は [孤立死]

広がる孤立死の背景・障害者が巻き込まれていることの意味は

つい右手を使い過ぎたのでしょうか、痛みが強くなってきています。使わないでいるしかないですね。

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Eテレ「ハートネットTV」でも取り上げていますが、孤立死は新たな局面を迎えようとしています。従来想定されていた独居の人の孤立死からさらに広まっているようです。

「「孤立死」対策 地域とつながる社会こそ  社説

 自宅で病などに倒れて、誰にも気付かれることなく息を引き取る「孤立死」が、社会に暗い影を落としている。独居老人以外にも、同居中の家族が亡くなって生活の支えを失い、認知症のお年寄りや障害者が衰弱して命を落とす悲劇的なケースが相次いでいるのだ。

 1月には札幌市で40代の姉妹が亡くなっているのが見つかった。姉の病死後、知的障害があった妹が自力で生活できず凍死した。2月にも東京都立川市で、母親が病死して食事が取れなくなった障害のある男児が衰弱死した。

 同様な孤立死は、さいたま市や横浜市でも発覚している。いずれも家族ごと、地域や社会とのつながりを失っていた。何ともやるせない思いがする。

 高齢社会を迎え、確かに独り暮らしのお年寄りの「孤独死」防止の意識は高まった。だが、家族が共倒れして亡くなる孤立死への対応は遅れている。

 しかし、家庭の中で家族の保護を失えば生きるのが困難な生活弱者は少なくない。周囲の目が届かねば、孤立死は九州も含めてどこでも起こり得る。

 2年前には、福岡県小郡市でも足が不自由な70代の母親と視覚障害のある40代の長女が死後1カ月以上たって発見された。決して人ごとではないのである。

 現代は、核家族化の進行で地縁血縁や隣人関係は希薄になってきた。終身雇用制の崩壊などで、会社の組織や人とのつながりも弱くなった。人口の流動化や匿名社会も加速している。 家族ごと地域から孤立する例は、今後も増えるだろう。それだけに、新たな視点で対応を考える必要がある。 まず基本は、私たち一人一人が地域とつながりを持ち続けることだ。行政はもちろん民生委員や住民ボランティアも含め、地域住民の見守りを強めたい。

 現に、緊急通報体制を構築するなど独自の取り組みを進める地域がある。新聞や清涼飲料水の配達員が、郵便物がたまるなどの異変を警察に通報して事なきを得た例もある。多少おせっかいでもいい。このような連携は充実させたい。 ただ、善意頼みだけでは限界もある。札幌市などのケースでは、公共料金滞納でガスなどが数カ月間も止められていたのに、その端緒を生かせなかった。 こうした反省から厚生労働省は、電気やガスの事業の約款に、非常時に個人情報を関係機関に提供する可能性があることを記載し、事前に契約者の承諾を得る仕組みづくりの検討を始めた。 プライバシー保護の問題もあろうが、ここは前向きに考えたい。関係機関が情報を共有し、異変の端緒をつなぎ合わせることは、「孤立死」防止に有効だ。 それにしても、日本社会はどこに向かおうとしているのだろうか。年間3万人を超える自殺者や急増する児童虐待なども、孤立死と問題の根は同じである。 家族とは、地域とは何か。私たち一人一人が考え、問い直す契機にしたい。

2012/04/18 西日本新聞朝刊=」

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さらに、専門家は次のように指摘しています。

「新たな社会問題としての「孤立死」福祉新聞4月16日  青山登志夫

一人暮らし高齢者の「孤独死・孤 立死」が社会的に知られる問題となったのは、高度成長に伴って核家族 化が進行した1970年代からで、 その後も同じような出来事が起こり、たびたびマスコミにも取り上げられてきた。その「孤独死・孤立死」が今、古くて新しい社会問題と なっている。 昨年には、横浜市で70歳代の母親と障害を持つ40歳代の息子が相次いで病死しているのが、息子が利用していた施設職員の通報で発見された。また、今年3月には、東京都立川市の都営住宅に暮らす認知症がある90歳代の母親と、介護していた60歳代の娘が病死しているのが発見された。 二つの事例は、元気な母親や娘に介護されながら地域で生活していた 障害者と高齢者が、介護者の突然死 により、命を落とすといった悲惨な 事例であり、一人暮らし高齢者の孤立死とは違う新しい社会問題だと言 えよう。 また、3月初めの新聞報道では、東日本大震災の被災3(福島宮城・岩手)の警察が把握した仮設住宅における孤立死が22に上り、そのうち65歳以上の高齢者が15人を占めていたことが報じられた。 2010年度の「高齢社会白書」 では、「誰にも看取られることなく 息を引き取り、その後、相当期開放置されるような悲惨な孤立死(孤独 )」を取り上げているが、孤立死問題は以前からあるこうした問題と、新しい問題とを合わせて考えなくてはならない。

孤立死は、住民の日常的なつながりが薄い都市部で発生するとされるが、中山間地などの過疎地や大規模災害の被災地でも発生している。要因には「社会的孤立」現象があろう。つまり、急速な高齢化と相まって、どこの地域においても社会的孤 立状況に置かれている人々が存在しているということである。()

一方、介護事業者や民生委員など からは、福祉サービスの利用情報・ 生活情報を把握しているものの、目的外利用の壁が存在しているために、支え合い活動につなげにくいζ とが課題として出された。電気・ガ ス・郵便・新聞などの事業者も、孤立している人の情報を把握している が同様の壁がある。 こうした壁を越え、住民による支え合い活動を機能させるには、市町 村行政や公的な機関・団体との協働 ・連携が不可欠である。個人情報保 護の時代の中ではあるが、事は人の命にかかわる問題である。さまざまな公共サービスの利用を通して社会的孤立を解消し、孤独死・孤立死を予防するため、市町村行政が中心となり、情報の一元的な把握と必要な情報の適切提供に向けた取り組みを進めることが急務である。新しい社会問題に対応するために、新たな仕組みを構築することが求められている。(日本地域福祉研究所監事)

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    介護者の死亡による障害者の死亡。これは、障害者だけの問題でなく、社会全体に広がることの警告として受け止める必要があると思います。社会の弱い仕組みが、弱いところで表面化しているのだと思えるからです。

    震災地での孤立死。

    過疎地での孤立死。

    生活保護世帯での孤立死。

など、新たな状況が生まれてきています。さらに、世帯の縮小で見守りの体制も弱くなっていくものと思われます。社会のありようを根本的に見直さないと、解決の方向には進まないのではないかと思うのですが。


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再度・孤立死を考えます [孤立死]

今日は冷えましたね。霜が降りていました。

 

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昨日のNHKニュース9」で札幌市での姉妹(42歳、40)の孤立死の背景が取り上げられていて、関心を持ってみました。亡くなったのは1月。そして、妹さんは知的障害者で凍死していたという。家賃・公共料金払えず、ストーブも使えなかったという。番組では、履歴書と直前までつけていた家計簿をもとに検証していきます。姉妹は滝川市に住んでいて、両親を早く亡くしたそうで、父親は炭鉱マンだったという。姉が働きながら妹を支える生活で、姉はがんばりやさんだったようですが、姉が働いていた衣料品店が閉鎖して、札幌に移住。時には二つの仕事をかけもちしながら働いていた。2年前、体の不調から仕事をやめていた。収入は妹の障害年金。2カ月で13万円程度。1年前から公共利用金の滞納などが始まります。その頃、区役所に「生活できない」と相談したが、「求職活動をすること」が条件だと言われ、派遣会社10社に登録していたという。その頃、知人に「まだ、がんはらないと・・」と話していたそうです。区役所は取材に対して、保護の対象のだと思ったが、申請されなかった。求職活動は一般的な条件であり、誤解したのではという。であれば、もう一言の説明があって良かったのではないか。貧困者に対する差別意識がなかったか検証してもらいたい。

やがて、妹も体調を崩したが、障害者支援からのアプローチはなかったという。区役所で生保の相談をしたときに障害者担当に情報が伝わらなかったそうです。それも、個人情報だという。最近、あちこちでできない理由として個人情報保護が挙げられます。災害時でもです。命に勝る個人情報はあり得ないはず。そのことも、検証してもらいたい。

 

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ガス代が払えず、12月15日、妹の年金で家賃を払った後の残金は3円。発見されたのはひと月後。幸いにも遺骨は遠い親戚に引き取られました。2012年の手書きの家計簿が用意されていたそうです。生きていく意思があったことを示しています。弱音を吐けなかったと分析されていました。

 

問題はいくつかあると思います。

    生保の窓口で「申請」を勧めれば救えた命であることです。

    障害者支援からのアプローチも可能だったのにされていない。

    個人情報保護の問題が理由にならないようにすること。

 

石田光規氏は『

孤立の社会学: 無縁社会の処方箋

孤立の社会学: 無縁社会の処方箋



孤立の社会学』で次のように指摘しています。

無縁社会を読み解くカギは「社会的排除」と「親密圏の変容」だとしています。今回のケースも当てはまると思いますが、他の孤立死でも、障害者が巻き込まれていること。弱いところから切り捨てられているように思う。そこには、政治の思いやりも届かないというより切り捨てられいます。

 


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続く孤立死を考える [孤立死]

続く孤立死を考える

 

どんよりとした天気です。障害者総合福祉法をめぐっての民主党の説明会が開かれましたが、またしても「可能な限り」とする法律が出されようとしています。ツマラン。

 

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「7日夜、東京・立川市の都営アパートの1室で、この部屋に住む90代と60代の親子とみられる女性2人が亡くなっているのが見つかり、警視庁は、数日前に病死したとみて調べています。」と報道されています。

市には2日に通報されていたが、市は都住宅供給公社が確認するものだと思っていたという。母は認知症だったらしい。自治会が安否確認を求めていた。今回の現場から100メートル先で、親子3人の死亡が確認されたというのが報道の概要です。

    民生委員が電話で近所の人の確認をしただけみたいな報道もありましたが、民生委員の問題ではないということを明確にすべきだと思います。民生委員はボランティアであり、膨大な仕事・活動があります。行政と地域とのネットワークづくりが課題だと思います。

    NHKだったと思いますが、北九州市の例を伝えていました。よくは見れなかったのですが、新聞配達などで気づいたら市に連絡し、市の窓口が用意されているという。

    2日に連絡したのに7日まで放置したというのも問題ではありますが、担当窓口がないと持続的な対応は難しいと思います。こうした問題が起こり得るものとしての仕組みを作るべきだと提案すべきではないかと思いました。

 

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家庭の機能の見直しも含めて社会的な支える力を [孤立死]

家庭の機能の見直しも含めて社会的な支える力を

 

昨日は友人の葬儀に出ました。岡山の友人も参列してくれることなり、30年ぶりの再会も楽しみでした。が、脳梗塞後、冠婚葬祭には参加していませんでしたので、朝になって礼服のズボンが入らなくなっていました。お腹だけが成長していてあわてました。黒っぽい服を代用してでかけました。天神からバスで行きましたが、想定以上に時間がかかり、着いた時には岡山の友人が先についていました。弔辞を読まさせてもらいましたが、難しいですね。いろんなことが思い出されますが、どれを選んだらよいか。

帰りは、岡山の友人を見送りに博多駅に。そこで、遅い昼食をとりました。蕎麦屋さんに寄りましたが、結構高い値段に年金生活の二人はため息が。新しいビルの名所でお客さんは多い。結構お金持ちが多いなと話しながら別れました。チェロの演奏会を予定しているそうです。

 

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さいたま市での親子の餓死に続いて、東京・立川市で45歳の母親と4歳の知的障害のある男の死亡が発見されたそうです。母親はくも膜下出血で死亡したものと思われ、子どもは自分で食べることができなくなったものと思われるという。行政との接点では子どもおむつ支給がされていて、毎月1回事業所が届けていたという。孤立死の問題は当面は社会的な支援が必要な気がしますが、長期的には家族制度の再構築も必要か気がします。私などもそうですが、個人の尊重ということで、親子であっても、それぞれの意思を尊重して生活に干渉しないできましたが、それは健康な時には機能しますが、いろんな課題を抱えることになると、家庭の支援は難しいですね。もちろん、家族だけですべてはカバーできないでしょうが、先の母子の場合も、家族、親せきとの付き合いが緊密であれば、もっと違った結果になったかもしれませんね。むずかしいことですが、私たちの意識の転換も必要ではないかとふと思いました。

 

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生活保護統計が示さない人の死 [孤立死]

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西日本新聞を読む楽しみのひとつに辺見庸氏の随筆「水の透視画法」があります。随時掲載ですがしばらく読まなかったので具合が悪いのではと心配していましたが、今朝、読むことができ、心が充たされたようでした。

今日の新聞は「生活保護190万人/月」で1955年以来の水準だという。昭和30年、7月には住宅公団が設立され、農村から都市部への労働者の移動が進められ、8月には原水爆禁止世界大会が始まっています。翌1956年の「経済白書」は「もはや戦後ではない」として、高度成長期に突入したことを宣言しています。それから、55年経過した酷暑の夏に76歳の元大工のお年寄りが亡くなった。辺見氏が「直腸熱39度の孤独」と表現するように、「古びた木造平屋のアパートの一室で老人は死んだ。最期のことばは『あつい』『あつい』 だったという。[暑い」か。いや、それをとおりこし「熱い」だったのかもしれない。警察の発表によると、老人の腸は三十九度もの熱があった。生きたからだでは
ない。息をひきとってからしばらくたった遺体の直腸で検温したのだ。死んでなお腸はそうまで熱していたのだから、生前はふつふつと煮えたぎるようであったろう。」

生きてる私の腸の温度はどうなのだろう。体温レベルのだろうか。そうだとすれば・・・。

「老人は北海道出身の元大工で、月額にすれば七万円ほどの年金があった。ずいぶんまえに妻を亡くし、腰痛ではたらけなくなった長男といっしょにくらしていた。二DK 家賃は五万五千円。しかし、家賃をさしひいたら、二人でどうやって食っていけばよいのか。」

年金では成り立たない暮らし。何かが足りないようだ。

「十年ほどまえ、役所に生活保護を申請し、あっさりことわられた。役人はどんな口のききかたをしたのだろう。元大工は怒りと落胆でその後は二度と申請しなかったという。生一本でがんこな職人気質なのだろう。ひっしで工面して公共料金の滞納分をすべて支払い、みずから電気、ガス停止の手つづきをした。それから、懐中電灯とカセット・コンロのくらしがはじまる。人づきあいが苦手で、穴居生活みたいなくらしが死ぬまでつづいた。エアコンはあったけれども電気がこないのだから、ただのオプジェにすぎなかった。」

辺見氏は役人を非難していますが、問題の本質は「生活保護の窓口」であって「貧困対策窓口」でないことではないかと思う。奇妙なことですが、役所は仕組みの窓口であり、国民の生活相談の窓口ではないという仕組みだという事実が問題にされる必要があるのではないかと思う。お年寄りは、公共料金の滞納分を支払い、電気・ガス停止の手続きをしています。それは、社会に対する痛烈な抗議のように思えます。役所の問題もありますが、国民側の責任もあるのではないかと思います。今日のように記録的な生活保護受給者とか報道されると、必ず、保護より低い給料で生活しているのにというパッシングがあります。母子加算・老齢加算廃止でも、政治家から同様なことが語られました。

「老人が亡くなってから四日後だった。国会議員らが百数十人も『研修』と称して軽井沢の緑陰にあつまった。涼風で風邪などひかぬよう上着をつけて、よく冷えた地ビールやワインを飲みかわし、「キアイダー、キアイダーツー」とげびた声をあげて、こぶしを宙につきあげたりした。」と辺見氏は指摘しています。この議員を選んだのも私たち国民であることには間違いない。軽井沢の別荘の持ち主の兄弟は国会議員となり、家柄が良いとする私たちの価値観が支えているように思う。

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だが、統計の190万人に含まれない人たちの「統計」がないのはどうしてだろう。そのことの不思議を明かしてもらいたいと願う。




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おひとりさまの福祉仕様を [孤立死]

 
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上野千鶴子氏は「福祉はおひとりさまの仕様で」と主張されています。障がい者もそうですが、扶養義務とか保護義務とかいうのが民法などにあって、家族を前提にした仕組みになっています。それと同時に成人になっても扶養義務が課せられることになります。作家の高村薫氏は「社会時評」の「行方不明高齢者-家族という幻想の終わり」のなかで次のように述べています。

  

「ありていに言えば、家族は生存や子孫の繁栄に一定程度必要であると同時に、それ以上のものではないのかもしれない、ということである。核家族化とその先にある単身高齢者の増加は、いいも悪いも家族というつくられた幻想の終わりであり、そうだとすれば、私たち日本人の老いはもっと自由にならなければならない、ということである。子は成長すれば親から独立し、親も子育てが終われば自由になる。老いたときは一人で死んでゆくのだし、一人で好きに死ぬ権利もある。家族という単位をその程度にゆるく捉えておかなければ、高齢化社会は誰にとっても地獄になる」(西日本新聞

 
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介護保険も同居家族がいればそちらが基本的に優先されます。上野氏は個人単位の福祉制度でないといけないと主張されます。

 
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「生きる」ことが生きがい という人 [孤立死]

福岡は快晴です。暑くなりそうです。

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今週のイチオシ「いわせてもらお」(朝日新聞)

 

 「撃退法

我が家にはよく、塾や教材の勧誘電話がかかってくる。「お母さんいますか?」と言われるので代わると、母(37 )は説明は一切聞かずに「うちの子、やる気ないんで」とばっさり。この方法だと、相手は「あ、そうですか]と、すぐにあきらめてしまうらしい。(埼玉越谷市・娘心はちょっと複雑です・13歳)」

 
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「『生きる』ことが生きがい」と同じ朝日新聞連載の98歳の日野原重明氏の連載の本日のタイトルです。

講演会を開いたそうです。「日本の代表的な理論物理学者である慶応義塾大の米沢富美子名誉教授と、京都大で宇宙物理学を学んだ後、音楽家へと転身した神谷徹氏の生きがい論を聞くためです。」

米沢富美子さんは「おふみ先生の朗朗介護」という「週刊朝日」の連載があり、何度か読みましたが、91歳のお母さんを遠距離介護されています。女性科学者の魁であり、たしか猿橋賞を受けられていると思います。神谷徹氏はかの有名な精神科医故・神谷美恵子さ
んの次男だそうです。「宇宙の中に今、生きていることこそが、そのまま私たちの生きがいに通じるのです。未知なる科学の世界を垣間見、創造的な音楽触れることで、会場のみなさんがそう実感する講演会となったと思います。」と結んでいます。「生きることが生きがい」になれば自殺者も減るでしょう。でも、そう思えない人が沢山いることも事実です。そう思えるには、健康や最低限の生活の保障もないと厳しいですよね。「生きてるだけで90点」という人もいましたが。

 
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