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まさかのミス [スポーツ]

 

 

 

ニュース川柳

・蔦若葉ドラマ織りなす甲子園

・税金を姿見せずに取り立てか

・ 列島を天変地異が覆う夏

・防衛費増やすネタには事欠かぬ」(2017824日西日本新聞

 

たまたまテレビ見ていました。

 

「まさかの失策周囲は静観を 61

そこでゲームセットのはずだった。全国高校野球3回戦。九回裏、1点を追う仙台育英は2死一、二塁。遊ゴロで万事休す、と誰もが思ったが、送球を受けた大阪桐蔭の一塁手がベースを踏み損ねた。そこから生まれた劇的な逆転サヨナラ打。その瞬間、私はテレビを消した。あの一塁手の絶望と涙をとても見ていられなかったからだ。彼は自分のせいで負けた こと、これから長い間、苦しむことだろう。心ない人たちから、責められるかもしれない。けれども、やっと私にも分かってきた。野球は誰かの一つのミスで負けるのではないということを・・・。その試合で、いやもっと前から小さな要素が少しずつ積み重なって、無情にも負けるという結果をもたらす。野球の神様は時に誰かを選んで、とんでもないドラマを演出する。決して個人の問題ではないんだよと、彼に言ってあげたい。彼が忘れたい記憶ではなく、懐かしい甲子園の記憶として再び、心から野球を楽しめますように野球好きなおばちゃんは祈っています。どうか周囲も静かに見守ってやってほしい。」(同前)

 

当然、泣き崩れました。私もテレビを消そうかと思いましたが、しばらく見ていました。楽天などの監督をした野村さんが、野球はミスをどれだけ少なくするかだと言っていたことを思い出しました。いいバッターでも7割はヒットになりません。それをどう減らすかだと言っていました。このゲームでもたくさんのミスがあったのです。最後に分かりやすいミスだったので記憶に残るでしょうが、野球という神髄にふれられたと思ったらいかがでしょうか。時間をかけても・・・。

 

 

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横綱の張り手が気になる [スポーツ]

 

 

台風5号は福岡などではほとんど影響がなかったように思いますが、避難するなど被災地は大変だったようです。生活の再建が見えてこないようです。

 

新聞の投稿欄からです。

 

「農家の再建温かい支援を  62

北部九州を襲った記録的豪雨。土砂にまみれた集落の姿に言葉を失った。 家屋を押しつぶした濁流、積み重なった大量の流木。田んぼは川に姿を変え、水稲に大きな被害が発生している。被災から約1カ月たった今も、被害の全容は把握できていない。インフラなどの復旧は徐々に進んでも、農業の再興には、程遠い。このままでは、営農意欲をなくす農家が続出するのではないかと、 危惧する。被災地は山の姿が変わり、川でないところが川に変化した。多くの人が変わり果てた古里の姿に途方に暮れている。特産の柿も被害が大きく、生活維持の危うさに直面した農家も多かろう。再び収穫ができるまで、国による特別な支援が必要になる。現地には、農業に前向きな人たちが多かった。今、彼らは復興への道筋を描けずに困惑している。生活再建への温かい取り組みが必要だ」(201787西日本新聞)

 

話は違いますが、同意見の方の投稿がありましたので引用します。

 大横綱であることは間違いありませんが、それだけに気になります。

 

「横綱の張り手甚だ興趣欠く 80

大相撲通算最多勝を達成した横綱、白鵬関のその強さは隔絶しており、称賛されるべき大横綱であることは言うまでもありません。でも、その実績に伴うべき品格において、私は疑問を呈したいと思います。大相撲で「張り手」は禁じ手ではありません。しかし、好ましからざる技とのと認識は一般的に存在していると思います。特に、最高位を極めた横綱が多用する 技ではありません。白鵬関はこの張り手をします。相手は大横綱への遠慮、尊敬から張り返すことはしません。強者にアドバンテージがあるというかたちは甚だ興趣を欠くものです。育った文化の違いもあるでしょうが、わが国の伝統文化である大相撲は正々堂々と勝負すべしが大原則でしょう。時代は21世紀、外国人力 士の存在抜きに大相撲は語れなくなりました。大相撲に品格を求めるのは、八十 路男のないものねだりかも としれませんが・・・。」(同前)

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横綱になって [スポーツ]





 



「仲畑流・万能川柳  毎日新聞2016122日 東京朝刊



☆印は秀逸(仲畑貴志選)



 



☆遺言で花笠音頭流す通夜 勝浦 ナメロー



 



母親は自分のことで泣きはせぬ 安曇野 荻笑



 



級友の死で知らされる我が余命 さいたま 影無



 



5パー引きポイント5倍どっち得? 東京 恋し川



 



若い頃さぞや美人は褒め言葉? 大分 春野小川
(以下略)」



 



九州場所が終わりました。散歩コースに田子の浦部屋の宿舎ができ、稀勢の里関・高安関などが稽古していました。場所が始まるまで朝稽古を保育園生やお年寄り、高齢者施設の方なども見学されました。そこで、稀勢の里関を応援しました。横綱3人破りましたが優勝を逃しましたが、年間最多勝でした。こんな投書がありました。



 



「(声)稀勢の里は「名大関」でいい 74歳 2016122日朝日新聞



 



 大相撲九州場所は横綱鶴竜の優勝で終わった。横綱白鵬の独壇場が続いた大相撲も、今年は大関の琴奨菊や豪栄道の初優勝があり、ファンを楽しませてくれた。



 ただ大関になって5年が経った稀勢の里は九州場所でも平幕に取りこぼし、年間最多勝となったものの、またもや優勝できなかった。しかし、それでも私は稀勢の里の相撲が好きだ。



 稀勢の里の相撲には品格があるからだ。最近の相撲は品がなくなってきた。首から上を集中的に攻撃する相撲にはついていけない。格闘技といえど、どんな手を使っても勝てばよいというものではない。特に横綱、大関の相撲は強さとともに品格が必要だ。その点、稀勢の里の相撲は横綱相撲を思わせる堂々としたものだ。時に慌てふためくが、それはそれで人間的で好感が持てる。



 横綱昇進には2場所連続優勝または準ずる成績が必要だが、その基準を変える必要はない。稀勢の里も、今の相撲を変える必要はない。横綱になれないのなら、それでよいのではないか。



 「名大関稀勢の里」「時の横綱でも歯が立たなかった大関」として名を残せばいい。」



 



でも、やっぱり横綱を目指してもらいたい。そして、来年も宿舎は同じところで、稽古してもらいたい



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「筑後で・・」 [スポーツ]

 

 

シーズン最終戦に登板した松坂大輔投手の口から出た「筑後で・・」。ソフトバンクホークスのファームがあるのが筑後市です。久しぶりの1軍では四死球の連続とヒットで5点を失う。最後は三振をとったが、二軍行きを告げられたようです。松坂は久しぶりの1軍で緊張すると言っていたそうです。私の感慨は故郷筑後市の名前が大投手の口から出たことです。

筑後市の市役所は羽犬塚にあり、ホークスの二軍のある船小屋は温泉地です。次は羽犬塚と言う地名についてです。

 

「羽犬塚」由来は犬追物? 郷土史・民俗学研究家の坂田さんが自説 [福岡県]

名前の由来がはっきりと分からない筑後市の地名「羽犬塚」。豊臣秀吉の九州平定時の愛犬説や、妖犬退治説などがあるが、郷土史・民俗学研究家の坂田健一さん(84)=同市常用=が9月9日に同市で開かれた筑後郷土史研究会の歴史講座で興味深い自説を披露した。16世紀半ばに地元武将が開いた「犬追物(いぬおうもの)」に由来するというものだ

 坂田さんの犬追物由来説は、約30年前からの持論だ。犬追物は、武士の騎射練習のため平安末から鎌倉期に始まった行事。これまで筑後地方での犬追物についての文献が少なく、立証が難しかったが、近年になり中世から近世末にかけ武家社会で実際に催されていたことが分かったという。坂田さんは羽犬塚の地名について「犬追物の的の『ハヤイヌ』が『ハイヌ』に変化した」と説明する。

 明治期の地籍図には、同市羽犬塚の石塔「犬之塚」がある宗岳寺の近くに「射場(いば)の本」という地名が記載されており、説を裏付けるとみている。「地元の武将が有力な豪族を招き、犬追物を供覧。その記念碑として犬之塚を建立したのではないか」と話す。

 犬追物を主催したのは筑後15家の一つ河崎氏と推定。招いた豪族は「宗岳寺の宗の字から戦国武将の大友宗麟だった可能性もある」と考えている。

 坂田さんは、中学校の国語教師だった40歳ぐらいから歴史や民俗学を研究。これまで市内の地蔵像の分布や、昭和初期に船小屋鉱泉組合が募集した幻の「船小屋小唄」などについて調査してきた。「地名は歴史の生き証人で、地域文化の記憶遺産。今後とも調査を重ね、説を補強していきたい」と話している。=2016/10/01 西日本新聞朝刊=」

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カヌーを忘れないで [スポーツ]

 

 

オリンピックにカヌーがあることさえ自覚していませんでした。羽根田卓也選手の活躍には驚きました。

 

「カヌーの快挙 人生懸け10年 68

 

 リオデジャネイロ五輪。人気スポーツだけでなく、マイナーな競技も多く知りました。カヌーもその一つです。
そのスラロームで、羽根田卓也選手が何と銅メダルを獲得しました。アジアで初の快挙とか。高校を卒業後、単身でカヌー大国スロバキアヘ留学。「独り渡る怖さよりも、日本で埋もれてしまう方が怖かった」自然のコースしかない日本では、世界相手に限界が
あったと思います。人生を懸けた10年。欧州では誰よりも練習を積んだ。現地の大学に通いながらの競技生活。「体も精神面も技術も全てがたくましくなった」とコーチ。卓越したパドルさばき。「10年間の努力が報われた」と29歳は万感の思いをかみしめていました。支援面を含め、マイナーゆえに経済的には苦しいものがあったことでしょう。彼の号泣する姿、健闘を祝福する外国選手たちに感動しました。」(2016825西日本新聞

 

人工コースがないので外国留学していたという。

人間を含めて動物は動くことができるが植物は基本的には動けない。羽根田卓也選手は環境を変えるために動いた。植物は「その場所で生きるしかない」という。羽根田卓也選手もカヌーという場で生きることを選択したので植物的な生き方かもしれない。

 

「植物は動かない。この性質を「固着性」と言う。 植物は、自分で栄養を作ることができるから、動物のようにエサを求めて動き回る必
要がない。だから、ときには「動かない」ではなく、
動物は敵が来れば逃げることができるが、植物は害虫がやってきても逃げることがで
きない。また、動物は居心地が悪ければ、より適した生息場所を求めて移動することも
できるが、植物はそこがどんな場所であっても、移動することはできない。固着性のある植物は、そこに根を下ろしたら、その場所で生きるしかないのだ」(『植物はなぜ動かないのか』)

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スポーツの魅力は [スポーツ]

 

 

スポーツの苦手な私などは先入観で見てしまいます。ですが、オリンピックのトラック競技での銀メダルは信じられません。前回銅メダルのときも思いましたが、今回は世界レベルでいえば9秒台の選手がいるわけではありません。だが、バトンパスに力点を置き、世界と戦ったのです。一時、サッカーもフィジカルの差はどうしようもないなどと言われましたが、今、そんなことを言う人はいません。

 オリンピックの陰で高校野球を見ていません。

 

「母校の監督で甲子園に出場 46

 

5年前、勤務していた高校が夏の甲子園に出場、貴重な経験をさせてもらった。今年、その高校が出場することになり、当時を懐かしく思い出している。

夕方、学校に集合し、夜通しバスで甲子園に向かう。高速道のサービスエリアで時間を調整。甲子園の駐車場を利用できる時間が決められているからだ。アルプス席に入場する際も、前の試合の進行状況によっては、炎天下で長時間待たされることもある。試合が終わったら、近くの温泉施設で汗を流し、再びバスで帰途に就く・・・。若い生徒はともかく、引率する教師には過酷な体験だった。
その際、ばったり出会った人がいる。彼は当時、愛
知県で教員をしながら佐賀県の教員採用試験を受け続
けていた。甲子園まで自分の母校である私たちの学校
の応援に来ていたのだ。彼は努力のかいあって、その後佐賀県の採用試験に合格。そして母校の監督に就任、ついに今年の夏の甲子園出場を果たした。」(2016818西日本新聞

 

高校野球には地元対抗の要素が欠けていてなんか親しみが無くなってるのは私だけでしょうか。遠方からの生徒の参加。だが、選出は地域単位。その建前と実態の差をどこかで埋めて欲しい。

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50歳のイチローも今のままでは [スポーツ]

 

 

「西日本詩誌評 岡田哲也

 

早苗饗(さなぶり)、お盆や正月。鹿児島ではハレの日、鶏が潰されました。鶏は刺身・揚げ物・煮物・焼き物・出し汁と、まこと捨てるものは鳴き声くらいだと言われたものです。
わがやでも、鶏たちの受難の日は、私たちには特別の日でした。特別の日だから鶏たちが供されるのでなく、贄にされた鶏のかなたに、格段の家の行事というものが祭壇のようにぼんやりと浮かびあがってくるのです。たとえば、お盆だから里帰りをしたというより、帰省して昔懐かしいおふくろの手料理にありついて、あ
あ帰ってきたなあ、と思うようなものです。過去やふるさとや好きな人と、食べ物や匂いや肌ざわりで繋がっていると確かめられることは、大いに冥加なことです。知や理を超えた血のくびきと導きといいましょうか。それこそ信じるに足るものです。逆にだからこそ、鶏が苦手だ、トラウマだ、という人もいるんでしょうけどね。(以下略)」(2016818日西日本新聞

 

「さなぶり」というのは知らないが「さのぼり」というのがありました。田植えの後の休みというか、ご苦労さん会みたいなものですが、それとは違うのでしようか。地域で異なるのかもしれませんが。

 

「代打増えたが日本人の誇り  76

 

イチロー選手のメジャー通算3千本安打達成。野球の本場、米国での大偉業に「日本人の誇り〕と感動した
彼は日本のプロ野球9 年間活躍し、7年連続の首位打者となった。数々の記録を残して27歳で大リーグ に移籍。その後の活躍は日覚ましく、今やメジャーリ ーガーからも、実力を認められ、尊敬のまなざしで見られている。

現在マーリンズには、若く力のある選手が多い。「第4の外野手」として、先発出場する機会が少なく、代打
で出ることが多くなっている。それでも、日々の練習を怠らず、いつでも出場できるよう毎試合、体づくりを入念にやっているそうだ。現在、42歳。50歳まで現

役でプレーすることを目指す。私生活でもはめを外さず、万全の準備を怠らない。状況を見る限り、十分に今後も活躍できると確信する。われわれファンのためにも、頑張ってほしい。」(同前)

 

イチローでさえ代打になる。それが齢を重ねるということでしょうが、リスペクトは変わらない。50歳のイチローを見れるかは己の寿命の問題が大きい。

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知らないオジサン? [スポーツ]

 

 

オリンピックの話題のひとつに卓球があります。女子卓球は3人の選手のことが繰り返し放送されました。感激された方も多かったでしょう。

 

「(声)泣き虫愛ちゃん、勝利の涙に感激 532016818日朝日新聞   

 

 泣き虫だった少女は冷静沈着なアスリートに成長していた。卓球の福原愛選手。泣き顔で相手にしゃにむに立ち向かっていた幼い面影がよみがえる。

 リオデジャネイロ五輪は、悲願の個人メダルには手が届かなかった。世界の壁は厚く険しい。福原選手が敗れた中国と北朝鮮の選手の周到な試合運びは圧巻だった。私自身、中学、高校と卓球部に所属していた経験はあるが、卓球というスポーツの神髄を改めて見せつけられる思いだった。

 しかし、福原選手の準々決勝までの快進撃には目を見張るものがあった。私は、団体戦でのメダル獲得に手ごたえを感じた。そして見事な銅メダル。言葉にならないほど感動した。

 日本の福原愛、石川佳純、伊藤美誠選手の攻撃力、精神力、チームワークの良さは筋金入りだ。後輩をもり立てる福原選手の姿には、厳しさと包容力を兼ね備えた風格が漂っていた。

 試合後のインタビューで、久しぶりに号泣する愛ちゃんを見た。歓喜の涙の中に、これまで歩んできた努力と試練の道のりが垣間見え、胸が熱くなった。今なお進化を続ける27歳に、心からの感謝と拍手を届けたい。」

 

気になっていたのは、福原選手の横で応援するオジサンのことをどこのテレビでも紹介してくれません。誰だろうとずっと気にしていましたら、18日の新聞で村上監督・58歳退任の意向だと伝えていて初めて知りました。柔道の井上監督などはよく放送でも取り上げます。女子卓球の快挙をなしとげた監督にエールをおくりたい。

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古き良き時代の豪傑打者 [スポーツ]

 

 

平成の大合併まで、国境の島と呼ばれる対馬は、北部を上県(かみあがた)南部を下県と呼んでいました。ところが対馬藩の城主は厳原(しもあがた)にいたのに、なぜ、「下」なのかということについて、次のような説明がありました。古代の航路は、宗像・壱岐・対馬の北端の比田勝を通り釜山あたりに到着するのが主な航路だったという。下県地域を経由するのはメインではなかったので、そうなったのではないかというのだが。果たしてどうなのでしょうか。

 

また、訃報です。福岡のプロ野球球団・西鉄ライオンズといっても知らない人が多いと思うが、稲尾時代何度も日本一になったチームです。そのなかで、中西太とともにあった豊田さんが亡くなったという。

 

「豊田泰光さん死去、81歳 西鉄黄金時代の強打者

 

 プロ野球西鉄ライオンズの黄金期の遊撃手で中軸打者として活躍した豊田泰光(とよだ・やすみつ)氏が14日午後に誤嚥(ごえん)性肺炎のため、川崎市内の病院で死去した。81歳だった。茨城県出身。通夜は23日午後6時、葬儀・告別式は24日午前9時半から、いずれも東京都品川区の桐ヶ谷斎場で。喪主は妻峯子(みねこ)さんと長男泰由(やすゆき)氏。

 1953年に水戸商高(茨城)から西鉄に入団。三原脩監督(故人)の下、1年目から遊撃の定位置をつかみ新人王を獲得した。3年連続日本一の初年となった56年は打率3割2分5厘で首位打者。大舞台にも強く、巨人を相手に3連覇した日本シリーズでは、56年に最優秀選手に選ばれた。

 62年には中西太新監督を補佐する助監督に就任。投手コーチは稲尾和久氏(故人)。いずれも選手兼任で「青年内閣」と呼ばれたが豊田氏は1年で辞任し、国鉄スワローズに移籍した。69年限りで引退。通算成績は1814試合に出場し打率2割7分7厘、263本塁打、888打点だった。

 引退後は72年のみ近鉄のコーチを務め、主に野球評論家として活躍。歯に衣(きぬ)着せぬ辛口評論で人気を博した。2006年に特別表彰で野球殿堂入りした。=2016/08/16 西日本新聞朝刊=」

 

福岡城の中にあった平和台球場を本拠地にしていました。社会人になった頃、当時、弱小球団だった近鉄戦などはお客さんが大変少なかった。西鉄ファンもいたのだからある程度は集まっても不思議でないのに、閑散としていました。ネット裏でも少なかった。そして、豊田・中西・関口・仰木などが活躍していました。球場は鴻臚館跡地として調査が続いています。戦後、20年頃の平和な昭和の光景です。

 

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桜開花 [スポーツ]

 

福岡市の気象台が19日開花宣言したという。この日筑後市ではホークスのファームの根拠地のこけら落としというか

 

「筑後沸く 夢膨らむ ベースボールパーク ファン続々20160320西日本新聞

 

 筑後市で19日にオープンした「HAWKSベースボールパーク筑後」。詰めかけたファンたちは大人も子どもも、新しい施設や間近でプレーする選手たちに目を輝かせていた。

 メーン球場の「タマホームスタジアム筑後(タマスタ筑後)」を見た地元の少年野球チーム「松原ライオンズ」の主将(11)は「大きくてきれい。プロ野球選手になってホークスで活躍できるように頑張りたい」と笑顔を見せた。(以下略)

 

JR筑後船小屋駅のそばです。ここから車で5分もかからず恋木神社があります。元々は水田天満宮ですが、神社の方が有名になりました。

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