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多くの「野際」さんがいた [職場]

 

 

次のコラムを読んだときに、「多くの「野際」さんがいた」時代があったと思いました。

 

「春秋

 1959年9月、伊勢湾台風が東海地方に迫っていた。作家の下重暁子さんはその年、NHKに入局したばかり。名古屋放送局に配属されて3カ月の新人だった

▼局では男性陣が徹夜で待機する中、下重さんと1年先輩の女性アナウンサーは「女だから」と先に寮へ帰らされた。報道に携わる者に男女の別はない。差別的な理由は納得できない。2人は「寮の食堂で文句を言いながら食事をした」と下重さんはコラムに書いている

▼女性の社会進出の先駆けだった時代だろう。まして男性職場との意識が根強かったマスコミの前線である。テレビで拝見した柔和な笑顔の陰には、人知れぬ涙の乾いた跡があったかもしれない

▼野際陽子さんの訃報を聞いた。先の夜、寮で不平を言い合った1年上の先輩その人だった。享年81。少し上の世代には「キイハンター」でのクールな姿が、ちょっと下の世代には一転して濃厚な冬彦さんの母親役が思い浮かぶ

▼折しも、倉本聰さん脚本のドラマやすらぎの郷(さと)」に出演中だった。テレビ界で活躍した往年のスターたちが集って、晩年を共に過ごす物語。5月中旬に入院していたとは気付かないほど、普段と変わりない野際さんに見えた

▼朝日新聞に倉本さんのコメントがあった。病状を案じてせりふの差し替えを相談したが、「大丈夫」「とにかくできるから」と答えたそうだ。最期まですてきな女性を演じきって逝った。=2017/06/19付 西日本新聞朝刊=」

 

私が就職した50年ほど前、高卒の18歳の職員に先輩女性職員から「湯呑を用意してください」と言われました。毎朝、そして、15時もだったと思いましたが、先輩が一人一人のお茶を配りました。女性というだけでそれだけの理由で。その後、労働組合婦人部の要求で自動給茶機が備えられ、お茶くみは廃止されましたが、21世紀を迎えるころ復活しました。非正規の女性派遣職員が増えたからです。時代はまっすぐには進みませんでした。

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腐らない [職場]

 

 

福祉新聞」のコラムからです。

 

「三念帖

サッカーは社会の縮図。人生を学べる教科書だそうだ。 他のスポーツでも言えることなのかもしれないが、サッカーを愛する意外な芸能人、歌手で女優の小柳ルミ子さんの独自の見方には敬服するものがある▼小柳さんは15試合、休みの日には10試合も見るほど、世界のサッカ ーチームをチェックしているという。選手の発言、解説者評、自身の分析など、 ノートに書き留めてもいる。テレビやラジオで見聞きする限り、そのノートはぜひとも読ませてもらいたい内容だった▼一人ひとりが責任を持たないとゴールという利益は生まれない。芸能界で言えば、 マネジャーが居て、スタイリストやヘアメイクが居て、照明や音響スタッフが居て・・・と重なる。サッカーの場合、自分でボールを持ちすぎる選手は「俺ってすごいだろ」というのが見え、活躍しきれないらしい。圧倒的な個の力がなくとも圧倒的な組織力を持てば勝ちに行けると▼ノートの1ページが奥深い。「『い』の法則」はサッカーだけでなく仕事や生き方にも通じるという。「うまい」「速い」「強い」などは当然のこと、「修正」「柔軟性」「創造性」「緩急自在」などハッとする言葉が70近く並ぶ。福祉の仕事にも通じる。一つ自分も挙げるなら、「腐らない」はどうだろう。「自信と謙虚は必要、驕りと卑屈は不要」という考え方を見習いたい。(三宅祐子)

 

福祉の現場も低賃金・少人数など過酷なところではありますが、見方を変えれば遣り甲斐があります。でも、専門職として睥睨する人もいます。それでは続かないし、いい仕事はできないでしょう。ここで挙げられています「腐らない」というのも大事では。困難なこともあるでしょうが、障害者や高齢者の思いを基礎として考えられるのなら腐らなくてもすみそうです。でも、いつも強いばかりではないので愚痴はこぼしてもいいと思います。

「腐らない」という言葉を支持したのは、『集団就職』という本を読んでみてさらに感じたからです。同世代の貧困世代は中学校卒業時に選択を求められていました。親は家に仕送りしてくれる人が欲しい。ある人は年季奉公といって親が漁業の網を買うのにまとまった金が要るからとして就職でなく年季奉公に出ます。1年分の奉公代が得られるからです。早朝から午後11時ぐらいまで働き続けます。脱走する人もいたとか。親もつらかったでしょう。それでも「腐らない」で働いてきた人が多かったと著者は記しています。そこには楽天的で、向上心を保ち続けた人たちが高度成長を支えてきたのだと思う。その裏では過疎化が進んだのですが、それは政治の問題ですが。

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「YOUは何しに・・・」から [職場]

 

 

「YOUは何しに日本へ」を見ていて羨ましいのは短期の休暇をとって来日してくる人の多いこと。忙しいことを美徳とする国との違いを感じます。

 

「気流

終業時刻の5分後にはオフィスの照明が消える。仕事に使っているパソコンの電源も強制的に切断された。テレビ番組で紹介していた中国地方のスーパー本部の取り組み。終業時刻が迫り慌ただしく動く従業員の姿が印象に残ったワークライフバランスを重視する「働き方改革」。その一つが長時間労働の是正。地場企業でも取り組みが進む。残業を事前申告制にしたり、残業部屋を設けて終業時刻後に働く人をそこに集めたりしている会社もある。光熱費削減に加え、周囲の目を意識させ、だらだら残業を減らす効果もあるそうだ▽長時間労働を減らすには仕事量の見直しも必要。そうすれば毎日のように居残り残業する人は減るはず。ただ残業削減で手取りが大幅に減れば従業員の生活に影響が出る恐れもある。「早く帰れ」だけでは解決しないのが難しい。」(201768日西日本新聞

 

残業代は小遣いにも影響する。働き方改革だけだと残業規制だけが進むのでは。同時に働く側の意識改革も必要。ドイツでは年間150日の休暇があるという。そして、仕事の情報を共有化して休んでも支障がない体制があるという。情報を囲い込んでいないかも問われているのでは・・・。

 

 

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「 治安維持法 「キネマ旬報」が特集 「共謀罪」に危機感反映/東京新聞」という。間に合うかどうか。

      


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末は公務員か、正社員か [職場]

 

 

 

81歳の母元気 引退宣言撤回   55

 

春先、なかなか治らない 風邪に「もう潮時だ」と仕事からの完全引退宣言をしていた81歳の母。しかし、 風邪が治ると「疲れた」 だの、「腰が痛い」だの言いながらも、引退宣言を撤
回した。
それどころか、張り切っている。思いがけず、私が
入院したためだ。「あの予
約のお客さんはどうすればいいと?」と、分からない ことは携帯に電話をかけてくる。

病院に来ても仕事の話ばかり。同室の方は家に残した年老いた両親を気に掛けている。家族の食事を心配する。つくづく母が元気なことがありがたい。

母の元気の秘訣は歯が丈夫なことだろう。いまだに、全部自分の歯だ。硬いものをかむ力も衰えていない口腔外科病棟に入院中の私は、口の健康の重要性をあらためて感じている。

まずは虫歯がなくて歯医者に行くことを勧めたい。かんで食べることの幸せを、今ペースト状の食事一ばかりに飽き飽きしている私はかみしめている。」(20161110日西日本新聞)

 

羨ましい。

時代が違うといえば、そうですが。1980年だの半ばごろから富裕層の減税や消費税の導入など格差拡大施策がとられ、貧困層が拡大してきました。もうかったのは誰かと問うこともなく。

 

80年代ヘ郷愁 傾向は世界的 59

 

 今、1980年代を舞台にしたスマートフォンのCMが、若者には活気に満ちた新鮮な光景に映っているという。
実はこの傾向は世界的ではないかと思う。レーガンやサッチャーの時代を米英の国民が懐かしんでいることは、米国のトランプ現象や英国の欧州連合離脱からも分かる。停滞からの脱出のため、社会主義を敵としで強硬姿勢で臨んだ時代だった。しかし、一方で解放されたはずの東欧でも80年代ヘの郷愁がある。息苦しさから自由を求め、社会主義体制を崩壊させたはずの国々が、情緒的な思いを込めて「あのころだって、今より悪くなかった」と考えるようになっている。ドイツでは「東への郷愁」という意味の「オスタルギー」という造語も生まれた。かつての東ドイツ車トラバントが今、人気という。ネットでも社会主義グツズが高値で取引されている。私個人にとって、80年は教師になった年である。思えば、少なくとも、あのころは小学生が将来の夢を「公務員か正社員」と答えるような時代ではなかった」(同前)

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働く環境を問う炭じん爆発事故53年 [職場]

 

 

パソコンまではなんとかついていきましたが、スマホで乗り切れませんでした。

 

「アナログ生活不足感じない  79

 

毎日、団地の中を歩いていると、垣根越しにお話する相手が増えてきた。そして、ふと気付いたことがある。 私たち夫婦は共に山登りとウオーキングであちこち
に出掛ける。特に気にしなかったが、わが家には車がない。1戸建てなので、娘たちがやって来る間だけ、

車庫に車がある。普段は妻が買い物に使用ずる古びた自転車が1台あるのみである。人さまの車庫を見ると、2台ある所が多い。 また、私たちはスマートフォンを持っていない。シルバー用の携帯電話だけ。 歩数計とカメラ機能があり、時刻さえ分かれば、それで十分。買い物はリユツ
クを使うか、手に持って歩くだけだ。

パソコンもなし。インターネットもやらない。自分の手足を信じて、ずっとやってきた。親友からは「君はアナログ生活」と言われる。でも考えたら、それで何の不足も感じない。足るを知るのみ。」(20161022日西日本新聞)

 

アナログ生活とは言えませんがスピードには乗り遅れました。

 

53年前のことで抗議を続けている人たち気がいることに驚き、尊敬しました。自分たちのような労働災害などに遭わないようにという強い意志を感じました。

 

「三川鉱炭じん爆発事故53年 荒尾市で抗議集会20161107日西日本新聞

死者458人、一酸化炭素(CO)中毒患者839人を出した福岡大牟田市の三井三池炭鉱三川鉱炭じん爆発事故から53年を迎え、「第53回三池大災害抗議集会」が6日、荒尾市であり、労働組合関係者など県内外から約120人が参加した。

 1963年11月の爆発事故による後遺症に苦しむ患者や家族たちでつくる「三池COと共闘の会」などが主催。メンバーが順番に壇上に立ち、若者らを使い捨てる「ブラック企業」の存在や非正規雇用の増加など、現在の労働環境の課題などを報告した。

 実行委の宮崎勝会長は「今なお事故の後遺症に苦しむ仲間が大勢いる。人間らしく働き続けられる社会に変え、二度とあのような災害を起こさせないようにしよう」と呼び掛けた。」

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耐えることを強いる社会 [職場]

 

 

「電通、長時間労働が常態化の疑い 労働局立ち入り、支社も対象20161014西日本新聞」。だが、だらしがないという声が続く。国民の意識か長時間労働を支えていることを示しています。

 

こんな投稿もありました。

 

「人生ご褒美も悲観しないで  48

 

日本財団が20歳以上の男女約4万人を対象とした自殺に関する大規模意識調査結果で、4人に1人は「本気で自殺したいと思ったことがある」という。過去1 年以内に自殺未遂を経験した人も53万人超との試算結果も明らかになった。とても驚いた。同時に、私も20年前に家庭の問題で、とても死にたい気持ちになったことを思い出している。悩みが重なると、人間は絶望的になる。そこから逃げたくなる。若年層ほど、将来を悲観する傾向がある。これから
先も悩みから解放されることはない、と思いがちだか
らだろう。

しかし、悩みはいつか解決する。だから「死」を安易に選ぶことなく、どうすれば「生」が可能かを真剣に考えてほしい。高齢化で生きる年数が長くなると、つらいことや苦しいことも多々、出てくる。でも、その合間にうれしいことも待ってくれている。そう、ご褒美のごとく。」(20161015日西日本新聞)

 

どうだろう。死を選ぶ人たちにとって「生の入り口」が見えないのではないか。

 

1016日西日本新聞では、フィンランドの労働事情を紹介しています。1日の労働時間が7.5時間だという。残業規制があり4カ月間で138時間、年間250時間と定められているという。経済の低迷で逆風の兆しも見えるそうです。残業を企業への忠誠心・または忙しいことは仕事ができることなどの錯覚があるように思う。モーレツ社員をなつかしい人たちもいるのではないか。

そして、死して鞭打たれる人も少なくない。

 

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育休はとれる環境ですか [職場]







介護など福祉施設の職場は少人数が多く、人間関係や職場の環境づくりは遅れていると思います。その根本は報酬の低さから人件費が削減されているところからきているのだという確認がないと、単なる嫌な、そして低賃金職場だとしてか見えないでしょう。仕事のやりがいを見つけて、どうしたら職場環境を変えられるかという視点がないと継続は厳しいと思います。





「(職場のホ・ン・ネ)環境よしあし、上司次第 2016219日朝日新聞



 



 今年に入って、職場の雰囲気に耐えきれず、介護施設を辞めました。10~40代のスタッフが半分以上ですが、一部は先輩を敬う気持ちが見られず、新人に仕事を押しつけるなどは日常茶飯事。昨年末には入って4カ月の新人がストレス性胃腸炎と診断され、上司に相談したものの、上司は既存のスタッフをかばうだけでした。「定年まで働くつもり」と言っていたのに、変わらない職場を見切り、先に辞めてしまいました。良好な職場環境になるかは上司の意識次第だ、とつくづく感じました。(福岡県 60代女性)」





さらに、そこでの育休などを利用することは、少人数職場で、小規模事業所が多いので、同僚や上司の理解を得るのは難題であることは変わりがありません。まずは意識が壁ですが、育休から復帰して働いている姿はいいものです。





「気流





九州朝日放送(KBC)のローカル番組「アサデス。」が先週、経済部に取材に来た。15日朝に放送され、今週は「テレビに出てたね」と多くの知人から冷やかされている。さすがに人気番組だと実感する▽特集コーナーの主役は先月紹介した男性記者だ。1月中旬から1カ月間の育児休業を取得し、本紙経済電子版qBizで「ヒロシの育休奮闘記」を27回も連載した。その内容を番組担当者が読み、男性の育休取得の現状と課題を紹介したいとの
ことだった▽テレビに映るのは嫌いだ。決して「イクボス」でもない。上司として質問に
上手に答えられず、今も自己
嫌悪に陥っている。救いは、今週から復戸帰した彼が精力的に仕事に取り組んでいることだ。3月には育休中の女性記者が約1年ぶりに職場復帰する。彼らがどんな特ダネを書くか、大いに期待している。」(2016219日西日本新聞)

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狭い囲いの中で [職場]

 

 

ニュース川柳

・また巡りくる八月忌

・ご存じか後方支援敵の的

・軽口は総理のもとで教わった

甲子園球史新たに百年目」(201586西日本新聞

 

セミの鳴き声で会話にも不自由するぐらいの時があります。でも、道に転がっているセミの亡骸をみると、生ききった感じが漂っています。産まれて、生きたという感じです。人は、そう簡単にいかないのかもしれません。

 

「花時計

 

中小企業うつ病などの受診が2014年までの5年で3割増えている」という記事を少し前に書いた。休職した人を支援する医療機関の職場復帰プログラムも広がっており、先日、体験者の話を聞く機会があった。私立高校教諭の50代女性は、学年主任など要職を掛け持ちし「休みを取った記憶がない」ほど多忙な毎日を送った末、うつ病になった。休職中のプ ログラムで自分の行動を
ゆっくり振り返る時間を持てたことが、復帰の転
機になったという。「人にどう評価されるかを気 にしすぎて、頑張りすぎた。今後は自分が幸せを感じる働き方をしたい」と思い、仕事もうまくいくようになったという。人の評価は誰でも気になるかもしれない。だが、人生の満足度の評価は自分しかできない。女性に教えられた。(井上直樹)(同前)

 

うつの人たちの職場復帰プログラムは随分前からあったと思いますが、大企業だけかと思っていましたが、広がっているようですね。職場というのは実は狭い社会ですから、息苦しくなることは多いのだと思います。職場が500人と言っても毎日仕事で関わる人は多くても30人程度ではないでしょうか。正規の勤務時間8時間・残業や飲み事で2時間となれば、家族と過ごす時間は通勤時間2時間とすれば、5時間程度です。でも、持ち帰りの仕事や、仕事のことを考える時間も少なくないから、まともに家族と向き合う時間は少ないです。そうした環境でどう仕事と向きあうか。意外と難題ですね。

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田舎は不自由だった? [職場]

 

 

「埋め立てで

中国非難し

辺野古で進む」(川柳見習い生)

 

「増田レポート」第2弾は東京圏の年寄りの地方への移住促進だという。これが進むとは思えないが、勝手に都会に出たのだから協力せよという圧力が強まるのかもしれません。

 

「いまでも高度成長期世代の人たちに会うと、「自分は田舎から出てきたけれど、田舎は縛りが多く自由がなかった」という人たちがいる。
しかし私は、そういう話を聞くたびに不思議な気持ちになってくる。(一部引用)」(現代日本の閉塞をつきくずす「地方」の価値と力)内山節)

 

私の世代もそうですが、穀倉地帯だった私の田舎でも、田舎は不自由だったという。たしかに、まだ、バスが通っていた時期、バスから降りて家まで行く間に、誰かと一緒だったりするとたちまち噂になりました。風呂が共同風呂だったので、夜までには集落の相当の範囲で情報は伝わりました。たしかに、不自由でしたが、田舎を出た理由は、当時、兄弟姉妹が5人程度は珍しくありませんでした。田んぼが1ヘクタール以上のところもありましたが、それでも、長男が農業を継げば、その他子どもは、どこかに働き出るしかない状況になっていました。内山氏という学者がこの論をまともに取り上げるとは思いもよりませんでした。内山氏の論旨は自由を求めて出てきた都会の労働者には不自由な社会だったのに反発しなかったのはなぜかということですが・・・。

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非常識を教えてくれる人もなく [職場]

 

 

新聞の戦争体験特集からです。

 

「『後は頼んだ』 父親との別れ 81

 

 昭和218月、旧ソ連軍から突然、父との面会を許可するとの連絡がありました。父は同3月、中国・大連市の関東州庁外事警察に勤めていたときの職務上の責任で逮捕されました。在職中、旧ソ連のスパイ網を壊滅させた「張本人」として、旧ソ連軍が指名手配して捜していたそうです。警察署の一室で旧ソ連軍幹部と通訳の監視の中での面会でした。私たち母子5人は会えたうれしさで、すがりつきました。父は子どもたち一人ずつ順に抱きしめ、限られた時間内にこれからの家族の生き方、引き揚げ船がある間に自分を待たずに帰国するよう話し「子どもたちを頼む」と母の手を握りました。

それから私に、ここで面会を許されたのは今まで一度もなかったとして「これが何を意味するか分かるだろう。おまえは長女だからお母さまを助け、後のことは頼んだよ」と私の肩を強く抱き締めました。この面会の2カ月後、40歳の父は旅順で銃殺処刑されたそうです。これが父と私たち母子との生涯の別れとなりました。今は福岡県に住んでいる大連時代からの友人が「あなたの経験は貴重だから、これに書きなさい」と原稿用紙を渡されましたので、書いてみました。」(20141031日西日本新聞)

 

話は職場での教育の話です。

 

「オピニオン > デスク日記

 

 「非常識が服を着て歩いている」と会社の先輩に叱られていた20代のころ。世の常識や取材に必要な知識を街の人たちによく教わった。

 公職選挙法199条の2もそうだった。例の「うちわ」や「ワイン」で話題の「寄付の禁止」を定めた条項。教えてくれたのは、なじみの商店主。ちょっと政治が好きな普通のおじさんである。

 たとえ少額でも、政治家や立候補予定者が選挙区の有権者に物を配っちゃいけない。なのに、疑わしいことをしている人がいる-。公選法違反といえば買収くらいしか知らない私は、茶飲み話の重大性にぴんとこなかった。しばらくして事件になり、199条の2は体に染み込んだ。

 寄付行為が禁止されてから20年以上たつ。今もって「うちわ」や「ワイン」が政治活動の日常だったことに驚くほかない。このあしき慣習を絶つには、有権者があらゆる寄付に「非常識」と声を上げるのが一番だ。 (前田隆夫)=2014/10/26 西日本新聞朝刊=」

 

50年と程前、私などは田舎の高校を卒業して就職したのでネクタイの結び方から分かりませんし、いつもネクタイをするということもなしに、ラフな格好で仕事をしていました。自由な雰囲気の職場でしたのでさほど問題になったわけではありませんが、社会人としてのマナーは知りませんでした。先輩たちにいろいろと教えてもらってあいさつの仕方なども身に着けていきました。だが、20年ほど前ぐらいからおかしくなったと思います。人員がぎりぎり削られ、職場の余力がなくなり、即戦力しか求めなくなりました。この頃から職場で育てるという雰囲気は消え始めたように思います。

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