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寛容な社会であってほしい [寛容な社会]

 

 

寛容と言ってもイメージがわかない。高度成長長期にはこんな音楽がありました。

 

「上を向いて歩こう」や「こんにちは赤ちゃん」に代表される六・八コンビ作品からは、シンプルでナチュラル、そして清潔さと品の良さが感じられる。それゆえに歌謡曲という言葉にはくくりきれないということで、当時は一部のマスコミではホームソングと呼ばれていた。 そんな健全な歌が生まれてくる場となった「夢であいましょう」は、出演者の黒柳徹子や渥美 清といったレギュラー陣によって、収録のスタジオは普段から和気藹々とした家庭的な空気に包まれていた。したがって「シスターボーイ」として名を知られた異色のシャンソン歌手、丸山明 宏を出演させることはそれなりに冒険であったと思われる。 丸山明宏が「夢であいましょう」の「今月のうた」に登場したのは、カムバックを賭けたリサ イタルが終わってから、まだ一か月も経たない12月七日のことだった。

ジャズの名曲「テイク・フアイグ」の印象的なリズム・パターンと、繰り返されるリプを下敷 きにしたジャズ・コンポによるサタンドにのせて、二行詞の物語が音頭で展開していく。日本調 の四七抜き五音階によるメロディーに、女性コーラスによるスキャットが絡む。うたわれている歌詞はクールに突き放された、「あいつ」と呼ばれる男の、ぶっきらぼうなまでの生と死である。変拍子ともいわれる四分の五拍子なので歌手にとっては難易度が高く、実験的な楽曲だった。」(『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」』)

 

永六輔・中村八大そして歌手の坂本九・丸山明宏がいました。「夢であいましょう」にとって代わる番組があったでしょうか。『ブラタモリ』は迫っているでしょうか。

 だが、社会の底流には貧困を侮蔑する思想もまた作られていったのかもしれません。

 

 

「餓死・孤立死が頻発する事態に

20121月には札幌の白石区で姉妹孤立死事件がおきました。この年、餓死・孤立死が頻発す る異常な事態となり、新聞報道で確認されただけでも、1月~4月の間で12件にのぼりました。私 たちは、この国の社会保障が深刻な状態になっていて、生活保護の復権と社会保障充実のための大運 動をやらなければいけないと思い、「全国『餓死』『孤立死』問題調査団」(団長・井上英夫金沢大学教 授=)も組織して、とりくみました。 ところが、これに対し、人気お笑いタレントの母親の生活保護受給を週刊誌が報じたことを契機に、 生活保護制度と制度利用者全体に対する大パッシングがなされます。は私たちの予想を超えた攻撃で、その先頭に立ったのが、自民党の生活保護プロジェクトチ-でした。」(『ここまで進んだ格差と貧困』)

 

 

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AI時代は素晴らしいか [寛容な社会]

 

 

「オピニオン   論説委員の目 人工知能は銀行を変えるか

 

 預貯金の引き出しは現金自動預払機(ATM)が便利だ。窓口の手続きが多かった送金も、インターネットバンキングの利用が増えてきた。

 メガバンクが人工知能(AI)の活用で人員や店舗の大幅な削減を検討するなど銀行業務は急激に変化している。今後も融資の情報分析をはじめ幅広い分野でAIの導入が予想される。そのうちに店舗から行員が消え、AIが大半の業務をこなすようになるのではないか。そんなことまで想像してしまう。利用者にとっては有益なのだろうか。

 AIは、地方銀行でも積極的に活用され始めている。用途も顧客の相続相談や融資先の開拓などさまざまだ。(略)

 ビッグデータと呼ばれる膨大な情報を解析し、人間の脳のように物事を学習したり、意思決定したりするのがAIだ。人手のかかる事務手続きの負担が軽減できるため、業務効率化やコスト削減につながり、銀行経営にとってメリットは大きいだろう。

 ただ、業務の効率化を追うあまり、顧客との関係が薄れてしまっては本末転倒だ。

 銀行の存在意義は企業や顧客を支援して育て、経済を支えていくことにある。そのためにはフェース・ツー・フェースの付き合いが欠かせない。AI時代も同じと思うが、どうだろう。=2017/11/12付 西日本新聞朝刊=」

 

総務省資料によれば2030年では「人口の3.2人に1人が65歳以上、5.2人に1人が75歳以上で、高齢者に対する生産年齢人口の比率は、11.85となっています」とあります。企業がコストダウンに走るのは当然ですが、高齢者にとっての情報格差が気になります。テレビで中国の買い物がキャッシュレス化が急激に浸透しているという。インタビューに出てくる人は若い人たちですが、お年寄りはどうしているのでしょうか。

 

 

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庶民の苦境は [寛容な社会]

 

 

20171027日西日本新聞では「『保守』は疲れた日本人の癒やし 2017衆院選 選択の時を終えて 施 光恒」のサブタイトルは「背景に庶民の苦境 本当に守られる政治を」たでした。

 

「例えば、しばしば指摘されることだが、日本を称賛するテレビ番組が近頃あふれでいる。治安の良さ、人々の勤勉さ、丁寧なモノづくり、多様な地方文化の豊かさ、思いやりの心など、日本の良さを褒める番組が連日、放映されている。疲れた日本人の癒やしとなっているのではないか。」という。さらに平穏無事な生活を望む若者が増えているそうです。

そして「1990年代後半以来、日本でも経済のグローバル化が推し進められ、構造改革路線がとられるようになった。それから今日まで日本経済はほとんど成長していない。実質世帯の平均所得の下落は著しい。例えば、世帯の平均所得は、ピークだった1994 年の6642千円に比べ、 2016年は5458千円と約18%も下がった(国民生活基礎調査、厚生労働省)。非正規雇用の労働者は急増し、地方の荒廃、過疎化も進 んでいる。 今回の選挙結果で日本人の 疲れは緩和されるだろうか。 なかなか難しいはずだ。経済 のグローバル化路線、つまり構造改革路線を主に担ってき たのは、日本では、「保守」 政党だと考えられてきた自民党である。」

ですが、苦境の源であるはずの自民党が支持されているのです。たしかに小選挙区制という民意を反映しない仕組みもありますが、なぜか気になる指摘です。

 

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「普通とは何か」 [寛容な社会]

 

 

「翁長氏「基地造らせない」 辺野古工事差し止め訴訟

20171010日西日本新聞

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡り、県が国を相手取って工事差し止めを求めた訴訟の第1回口頭弁論が10日、那覇地裁(森鍵一裁判長)で開かれた。翁長雄志知事は法廷で「県民は誇りと尊厳を持って新基地反対の声を出し続けている。多くの県民の負託を受けた知事として辺野古に造ることは絶対に許さない」と意見陳述した。

(以下略)」

 

11日にはもうひとつのヘリコプター基地東村で学校から2キロ近くで墜落した。こんなことが続いても沖縄を無視続けていいものか。

 

新聞のコラムからです。

 

「 デスク日記

 長男は、高校3年生で受験勉強に取り組んでいるはずだった。2年前の春、めまいを発症。学校に行けなくなった。1年間、学校を休み、今春、復学を試みたが、めまいが再発。今秋、別の高校の通信制に2年生のまま転校した。

 自分の子どもが学校に行けなくなる。想定外だった。いじめ? サボり? いくつか病院にも通った。長男と何度も話した。私は、原因を探すことに必死だった。

 今になって思う。そんなもがきは、長男のためではなく、自分の不安をかき消すためだったのかもしれない。「早く普通の高校生に戻ってほしい」。「普通とは何か」を考える心の余裕はなかった。

 長男は、新しい道を歩みだした。知り合いのすし店で週4日のアルバイトも始めた。生気が戻ったように見える。原因究明はどうでも良くなった。「人間、いろんな生き方がある」。分かっていたはずのことを、長男に教えてもらった。(斉田康隆)=2017/10/12付 西日本新聞朝刊=」

 

それでも普通にであって欲しいと願うものかもしれません。

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避難所があれば [寛容な社会]

 

 

「(声)養護教諭、いつも誰かの力に 50歳 20171011日朝日新聞

 

 私は養護教諭です。学校にほぼ1人の専門職で、つらく苦しいこともあったが、それ以上にやりがいが大きい。日々生徒から、家庭や友達など思春期の様々な悩みを打ち明けてもらえて、私も若い感性からたくさんのエネルギーと学びを得ている。定年退職の日を、今から寂しく感じている。

 小さい頃から悩み多き人生だったが、おかげでこの職に巡り合えた。少し前に病気を患ったが、仕事を続けていられるのは、多くの人々の支えがあったからだ。

 家族、友人、生徒、同僚……。私のまわりには多くの愛情が常にあふれている。今しみじみと感謝の気持ちをかみしめている。

 学校では縁の下の力持ちの存在。いろいろな環境の中で苦しんでいる養護教諭がいるかもしれないが、私はエールを送りたい。

 スポットライトを浴びることは少ないけれど、一人ひとりがすてきな光を放つ存在です。その光は、いつも誰かの救いと力になっているはずです。

 私は今、生きていることに感謝して、周囲の人や未来ある子どもたちに、少しでも光を届けられる自分でありたい。「笑顔で共に」生きていきたい。」

 

養護教諭のことで思い出したのは職場の医務室の看護師さんです。二日酔いで医務室で寝る人もありましたが、私は職場でのてんかん発作でかつぎこまれることが何回かありました。看護師さんが見守ってくれましたので救急車を呼ばれることはありませんでしたし、ありがたかったのは穿鑿することを一切しない方でした。それは職務上のこともあるのかもしれませんが、大変救われました。

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著作権とは何か [寛容な社会]

 

 

「(声)音楽教室は「演奏」でなく「教育」 52歳 2017918日朝日新聞

 

 音楽教室での演奏に著作権が及ぶかを争う裁判が東京地裁で始まった。大手音楽教室で電子オルガンを習っている私は、この裁判にとても関心がある。

 日本音楽著作権協会(JASRAC)は、音楽教室での演奏に、公衆に直接聞かせる目的で演奏する「演奏権」が及ぶという。音楽教室側は、演奏は練習段階であり演奏権の対象とはいえないと主張する。

 私は教室で弾くとき「演奏」とは思っていない。教室では部分練習がほとんど。1曲通すときの目的は「公衆に直接聞かせる」ではなく「合格」だ。

 教室が演奏権の対象になるなら、家での練習も心配になる。音が外に漏れるから「公衆に直接聞かせる目的」にならないか。

 スキル、情操、自己表現など音楽教室で学ぶことは多い。だからくりかえし練習する。できるようになるために。これは演奏ではなく「教育」ではないか。

 コンサートに著作権料がかかるのは当然だ。だが、教室で音楽に真摯(しんし)に向き合い、学ぶ過程に、なぜ著作権料が発生するのだろう。」

 

この問題はよく分かりません。演奏権というものがどういうものかも知りません。こんな時評もありました。

 

「社会時評 吉見俊哉 JASRAC裁判 文化の基盤崩す著作権ビジネス

そもそも文化を誰が創るのかという問い

 

音楽はいったい誰のものなのかーその根本を問裁 判が全国の音楽教室と日本音楽著作権協会(JASRAC)の間で始まった。JASRACがレッスンでの 生徒の演奏か4らも著作権料を徴収しようとするのに対、教室側が57万人の署名 を集め、教育の場からの徴収権限がないことの確認を 求めて提訴したのだ。 1980年代末以降、JASRACは自らの権益拡大のための法廷闘争を重ね てきた。全国のカラオケスナックから著作物使用料を取り立て、相手が応じなければ容赦なく裁判に訴えた。(略)

さらに彼らはダンス教室 にも対象を広げ、市販CD をプレーヤーで再生して無断でレッスンに使用するの は違法と訴えた。これにつ いても裁判所は、ダンス教室のレッスンでの音楽使用 は「営利に結びつく組織的 継続的な公衆に対する使 用」という協会の主張を認 める判決を下した。 そして今回の音楽教室である。JASRACからすれば、カラオケ、BGM

ダンス教室と進んできた先に、当然、全国の音楽教室が浮上しでくる。徴収の根拠は、「公衆に直接聞かせる目的で演奏する権利」の専有を認めた著作権法22条である。つまり争点の第一は、受講生が練習する未完成の演奏まで「聞かせる」 目的に相当するのかという 点。第二は、教室の生徒たちが、果たして著作権法の いう不特定多数の「公衆」 に相当するのかという点で ある。(略)

また教室の生徒は、無試験でも先生の承認を経ており、不特定多数の公衆ではない。JASRACの強欲 は、すでに私たちの常識が 許容できる限界を超えている。 さらに、この問題はそもそも文化を誰が創るのかという問いも提起している。 文化はコミュニケーション の一部であり、作者はこの関係の外に存在する神ではない。作者の権利が保護されるべきだとしても、その根底には、文化を創造する共同的な関係が存在する。教育の場は、そうした創造の基盤であり、JASRACの容赦なき徴収はそうした創造性の基盤を弱体化させ、長期的には日本の音楽を先生に指導してもらう。 他の生徒がそこにいるのは 共に学ぶためで、この生徒 相互の関係は商品をやりとりする関係ではない。著作 権は、そもそも著作物が商 品として取引される場合に作者の権利を定める制度であり、これは自らの学びのためにある作品に取り組む行為とは根本的に異なる。(以下略)2017916日西日本新聞」

 

吉見氏が指摘する文化はどう作られるのかという視点は大事だと思う。そうした論争に発展することを切に願う。

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自転車も怖い [寛容な社会]

 

 

「仲畑流・万能川柳 毎日新聞2017914日 東京朝刊☆印は秀逸(仲畑貴志選)

☆職質に川柳家だと言い「署まで」 東京 ホヤ栄一

シッカリに疲れタメ息姉ひとつ 北九州 はな

三世代トンビがトンビまたトンビ 佐倉 繁本千秋

「休みます」電話入れたら「辞めたでしょ」 白石 よねづ徹夜

オムツしてしまえば後に見栄はない 静岡 石垣いちご  (以下略)」

 

日の出が遅くなり朝7時から8時の間に散歩するようになりました。すると、歩道も、車道には高校生らしき自転車が増えます。後ろから来る自転車が怖いです。前から来る自転車を避けようとしてつい動きます。すると後ろからも来ています。びっくりします。ラジオで歩車分離信号になって事故が増えたというが、相変わらず歩行者の信号時間が短く渡り損ねる人をみかけます。このように車中心の仕組みを押し付けて、県警が「協力ください」とラジオで言っているのを聞くと腹が立ちます。

 

「(声)今の車道は自転車には怖すぎる 45歳 2017914

 

 歩道を走る自転車への指摘をよく目にする。「自転車『凶器』にしない」(8月26日オピニオン面)には「『自転車は車道』という原則を徹底する時期が来ました」との専門家の見解もあった。

 だが、この原則と車道の現状との板挟みで、自転車は「車道にも歩道にも居場所がない」というのが、自転車通勤する私の実感だ。

 車道左端を走っていると、追い越して行く車のバックミラーが体をかすめ、大型車だと風圧も受ける。車道の端は水はけ用の傾斜がつき、アスファルトとコンクリート部分の段差もある。小石や空き缶などの行き場も路肩で、車輪を取られやすい。駐停車している車は車道中央寄りに避けねばならない。ドライバーもこうした自転車を不安視していることが運転ぶりから伝わってきて、気をつかう。

 自転車を、歩道からこうした車道へ追い出そうとしても、自転車利用者には怖すぎる。車向けの道路環境の整備が最優先され、自転車向けは後回しにされた結果だ。歩行者の安全を守る規制の強化は、自転車専用の道路を新設するなど、自転車向けの根本対策も同時に進めて、双方の安全を確保しつつ取り組んでほしい。」

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排除なき社会で [寛容な社会]

 

 

とても気になる記事でした。

 

「顧問教諭が不適切発言

熊本県立高の女子バスケ部

生徒は先月転校

熊本県の県立高女子パスケットボール部で6月、学校側への不信感から転校を考えていた女子生徒に顧問の50代男性教諭が「あなたが触ったボールに触りたくない生徒がいる」と発言、二県教育委員会が厳重注意していたことが4日、同校などへの取材で分かった。学校側は謝罪したが、女子生徒は7月に県外の高校に転一校した。県立高などによると、6月初めに女子生徒ら部員数人が県内の大会会場で他校の生徒から嫌がらせを受けるトラブルが起きた。(以下略)」(201785日西日本新聞)

 

微妙な問題ですので具体的なことは書けないと思いますが、生徒同士のいじめがあり、教師の差別的態度と排除する社会が広がっていないでしょうか。

 

そんな社会で生きる障害者の断面です。

新聞の女性投稿欄からです。

 

「紅皿 息子の一人旅

「今度の土曜日、お兄ちゃん、福岡ヘ遊びに来んかなあ」。それは、娘からの突然の誘いでした。以前、うちに遊びに来た職場の先輩と2人で、息子を 「接待する」というのです。当の息子は「行ってあげてもいいよ」と簡単に言います。そこで、障害がある息子の初めての一人旅「福岡外出大作戦」がスタートしました。 一人旅といっても、娘が港まで迎えに来るので、 実際は船中だけが1人なのですが、強気だった息子もさすがに不安になったのでしょう。「待ち合わせはどこ?」と何度も聞いてきます。何とか手を振りながら船に乗り込みましたが、表情は少しこわばっています。

それでも福岡での一日はとても楽しかったようで、実況中継のように送られてくる娘からの写真には、どれも笑顔の息子が写っています。夕方港ヘ迎えに行くと、戻ってきた息子は朝とは別人。娘たちのコーディネードで、頭の先から足の先まで大変身です。本人もすっかりお気に入りの様子で、満面の笑みとよく続くおしゃべりが、それを物語っています。息子ヘ。自信にもなってよかったね。そして娘ヘ。本当にありがとう。(49歳 長崎県壱岐市)」(同前)

 

娘さんを介して同僚が接待という。こうした積み重ねが大事なのでしょうね。

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家族の喪失 [寛容な社会]

 

 

少子化の文脈で語られたことでありますが、小津映画を観たことのある人にはうなづける人も多いのではないか。

 

「そのテーマとは、「家族の喪失」である。

戦後の70年とは日本の伝統的な家族制度が崩壊してゆく歴史でもあった。小津の戦後の映画は、ほとんどが、家族をテーマにしている。行き遅れそうな娘を早く嫁にやろうと周囲がやきもきする挿話や、娘が嫁に行ってしまったあとで、独り残された老人の孤独が、実に味わい深く映像化されている。(略)そこにあるのは、家族の幸福ではなく、人間の孤独であり、人生の残酷である。

昭和の時代につくられた小津の作品は、現代になってますます重要性を増しているように思える。昭和から平成になる頃より、日本の中でひとつの重大な変化が静かに進行して いた。日本的な3世代家族から、夫婦二人だけ、あるいは夫婦と子ども世帯への移行 であった。核家族というやつである。」(『路地裏の民主主義』平川克美)

 

少子化は貧困の文脈で語られることが多いがそうだろうかというのが著者の見解であるようです。

 

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夢幻の中に生き [寛容な社会]

 

 

西日本新聞の葉室麟氏の連載小説「影ぞ恋しき」が731日で終わりました。肥前の竜造寺家につながる武士・蔵人と妻咲弥が主人公です。そのなかで咲弥は言います。「ひとは皆夢幻の中に生きている」と語ります。10年前ならこの言葉にひっかかることはなかったかもしれません。だが、今は、理解はできませんが感じることができます。それは運命とも呼ばれるものかもしれませんが・・・。 

 新聞の投稿欄からです。生死を分けた出来事です。

 

海で悪ふざけ 思わぬ事態に67

猛暑の夏です。水の犠牲者が少しでも減るよう祈ります。というのも、私は中3の時、海で遊泳中は溺死しそうになった経験があるからです。体の異変、疲労からではありません。強い潮のせいでもありません。その日、A君に誘われ、B君も一緒に泳ぎに行った。向こうの島まで渡ろうとなり、ゆっくり進んだ。中間付近に来たとき、私は 突然、海中に引きずり込まれた。A君が私の両足を抱えて、深く潜ったのだ。多量の水を飲んだ。苦しい。 振りほどこうにも、足を固められて動かせない。そのうちB君が助けてくれたのか、A君も息苦しくなったからか知らないが、体が自由になって失神寸前に浮上した。A君は思惑通りだ

ったのか、満面の笑み。抗議すると「あれくらいで死ぬか」と逆ぎれされた。一歩間違ったら、私は死んでいた。悪ふざけで済まなくなった事例は意外と多い気がする。気を付けよう。」(2017731日西日本新聞)

 

宗教とは無縁なとこで生きてきました。今もそうですが、神社仏閣に出会えばお詣りすることは欠かしません。私たちの生活には想像もできないものがあります。そのことを含めて生かされているのではないかと思うとが増えました。

 

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