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行方不明の人たちがまだ [震災]

 

 

九州の水害から2週間。夥しい流木に杉の植林を国策とした失敗ではないか、広葉樹林をなどとの声が聞こえてきます。素人には判断できないことですが・・。避難所がどうなっているか。熊本からの提言です。

 

「伝えたい熊本から 熊本学園大教授 花田昌宜さん(64

災害弱者に目配りを

災害は元々弱い立場に置かれている人を、さらに弱い立場に追いやる。避難所の隅で、お年寄りや障害者が「迷惑を掛けちゃいかん」と小さくなっていないか。一人一人に声を掛けて目配りする必要がある。熊本地震で、熊本学園大は熊本市の指定避難所ではなかったが、本震直後は約700人の周辺住民が避難した。最大約60人の障害者 を受け入れ、ゆっくり横になれる 専用スペースを設けて、社会福祉学部の教員と学生を中心にケアし た。当初は福祉避難所がほとんど 機能せず、他の避難所からも断られ、障害者は行き場がなかった。 被災者のニーズは、10時間、100時間、千時間と「10の累乗」で変化していく。行政のマニュアルやガイドライン通りには動かない。支援者に求められるのは、一人一人が抱える課題に寄り添った柔軟な対応だ。」(2017720日西日本新聞)

 

まだ発見されない行方不明の方の捜索が懸命に続けられているという。死者の魂が彷徨っていないだろうか。そんなトンボの話です。

 

「死者の魂宿る トンボが飛来  66

近年、すっかり見かけなくなったオニヤンマ。が、 わが家の庭には毎年、飛んで来る。今年も71日に、「暑い夏がやって来ましたよ」と自然の便りを届けるように、その雄々しい姿を現した。普通のトンボの2倍以上はあるだろうか。色彩も青緑が微妙に入り交じり、神々しいまでに美しい。池や水辺が近くにないのに、どこから飛んで来るのだろうか。

田からトンボや蛍には死者の魂が宿るという。身近にも、法要のお経が上がっている間中、トンボが柱にぴたりと止まっていたと。誰しも死者が帰ってきたと思ったそうだ。私にもこれと似た経験がある。トンボはそれほど、私たちの日常の暮らしに溶け込んだ生き物なのかもしれな い。早朝、庭に水を打っている時に見かける神聖なトンボに、今の日本の平和を 祈る。」(同前)

 

木曜日はトコさんのコラムがあります。今週は福岡市・呉服町のレトロな喫茶店「カフェ・デラジレイロ」が紹介されていました。まだ、行ったことがありません。

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忘れたころに [震災]

 

 

福岡は地震が少ない。一番大きいのでも震度3クラスです。そんういう環境に70年程度住んでいますので、現実感がありません。そんなことを言ってるとドカーンときそうですが・・・。非常食など準備が必要ですね。

 

 

「デスク日記

 

 レトルトのカレー、フリーズドライのみそ汁、サバの缶詰…。時々、こんなものがわが家の食卓に上る。温めたり、お湯を注いだりするだけの簡単な食事。昨年4月の熊本地震後に妻が買い集めた非常食である。賞味期限が迫ると、その分を食べ、減っただけすぐに補充するという。

 発生当時の勤務地は熊本県荒尾市。最大震度7が2度観測された益城町などに比べれば揺れはそれほどでもなかったが、断続的に続く余震や緊急地震速報に疲れ果てた人々は少なくない。地震直後、ライフラインは寸断。店頭の水や食料が底を突く光景は今も目に焼き付いている。

 あれから間もなく1年。自宅押し入れには、非常食の他、毛布や簡易トイレなどをそろえ、万一の避難生活に備える。半年前、福岡市に引っ越したにもかかわらず…。すごい破壊力の大地震を経験した者として、教訓を見つめ直し、味気ない非常食をかみしめながら食べる。 (木村貴之)=2017/03/30付 西日本新聞朝刊=」

三池炭鉱 002.JPG

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復興は進んでいますか [震災]

 

 

熊本市の田尻氏の連載からです。

 

「暗闇 田尻久子

 

映画館の暗闇は、いつでもわくわくする。うっすらと音楽が流れる開演前、そして始まりを知らせる音。暗闇に沈 み込むからこそ、そこは日常と切り離
される。高校生の時に、ヴィム・ヴェンダースの「ベルリン・使の詩」を映画館で観た。人間になりたくなった天使の話。
天使たちは人間の傍らにいる。人々に
そっと寄り添い、心の声に耳を傾け、
人知れず慰めたりしている。そして、
心の声のざわつきに疲れたら図書館で
休息する。そこでは、人間たちは穏やかで、心の声も静かだから。私は天使ではないが、本を選んでいるお客さんを毎日見ているので、天使が図書館でほっとする気持ちがわかる気がする。

地震の後、大人数を収容する施設は軒並み使用が出来なくなった。もちろん映画館も。お客さんは映画好きの人 が多いので、再開を待ち構えていた。だから、近所の映画館から上映のスケジュールと映画のチラシが届いた時
は、みんなで盛り上がった。ちょうど、
待ちわびていた映画の上映時間が朝番だった。出勤前に観に行けるので、
早速観にいった。伝説の写真家の最晩年を撮影したドキュメンタリー映画
「写真家ソール・ライター」でも、
その頃はまだまだ余震が頻繁にきてい
た。喜んで出かけたものの、暗い場所に閉じ込められることが不安 でもあった。大きな余震が来たら、 外ヘ飛び出してしまう人もいるのだろうか。久しぶりの開演のベルに、少し緊張する。やはり上映中に何度か揺れるが、誰も席を立つ人はいない。その暗闇は、ひととき現実世界の不安を取り除いてくれた。ソール・ライターのゆるやかな語り口と写真が、ふわふわと頭に残り、映画館を出た時は心が軽くなっていた。いまでも映画館に坐っていると、ブルーノ・ガンツが演じるおじさん天使の姿をときおり思い出す。いたらいいのにな、と思う。もしいるとしたら、映画館の階段あたりで休憩しているに違いないから、観ている間に揺れても怖くないのかもしれない。

(書店、喫茶店や主。挿絵は豊田直子さん) 」(2017217日西日本新聞)

 

余震もあっていますね。

ですが、年末に益城に行った人の感想です。解体が進んでいないのでしょうか。

 

「益城の今見た復興遅すぎる  74

熊本地震をテレビや新聞で見ても、私にはその恐ろしさの実感が湧かなかった。実際の被災地をこの目で、確かめたくなった。
地震発生から7カ月の12 月、車で熊本に向かった。
被害が大きかった益城町の
木山付近の道沿いに、1 の新しい2階建て住宅。裏 庭にいた年配の女性に聞いてみた。家具は倒れ、物が散乱、孫と車で避難所に逃げた。居残った嫁はトイ
レが揺れに強いのでそこで
過ごした。
隣接する3軒の木造家屋 は倒壊し、自宅の壁に突き 刺さってきた。夜は怖くて たまらなかったそうだ。更地の向こうには、屋根がなかったり、傾いたりした家々。道の両側の建物が押しつぶされ、ある家は玄関が上向きで倒れている。テレビとは、その広がりと悲惨さの印象が全く違う。そこに人は住めない。その壊滅的な状況に涙が出る。解体撤去工事はあまりにも遅い。なぜ復興が進まないのか。もっと町外からも撤去工事の応援を求め、被災者の生活再建の迅速化を強力に推し進めるべきだ。」(20161226日西日本新聞)

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福島を深く理解する人が [震災]

 

 

最近、黛まどか氏の『ふくしま讃歌』という本を読みました。県内の民俗などを訪ねての暮らしぶりを紹介するものです。原発避難のこともあり「フクシマ」と安易に表記していたのを恥じ入りました。

 そして、金子勝著『負けない人たち』に登場する俳優 金子あいさんは次のように語っています。

 

「『平家物語』に重ねる福島への思い 

諸行無常の鐘はどう響くのか

 

金子勝

『平家物語』は動乱期にいっそうひびくのでしょうね。

金子あい

一谷合戦では戦争を知らない 若い世代が多く犠牲になっています。これから日本でも起こり得ることで、 そのメッセージはまったく今に通じるんですね。『平家物語』は鎮魂と反戦の物語であり、残された者たちが生きるため の物語だと思います。源平の武将から白拍子まで一人で何役も語ります。何より言葉が美しい。情景描写も心情も鮮やかに描いています。原文を読み解き、場面を立体的に想像できる瞬間はたまらなく面白いです。その面白さを伝えたくて、今は『平家物語』の朗読教室も開き、約50人ほどに教えています。」

 

残された福島の人たちへに寄り添う姿勢が凄いと思いました。

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心が震えたか [震災]





震災以降、福島をフクシマと表記することが私も増えていました。原発に対する危機感でした。ですが、そこには暮らしている人たちがいることを頭に置かず、脱原発の正義から一方的に切り捨てているのではないか。そんなことを強く意識させられた、黛まどか著『

ふくしま讃歌―日本の「宝」を訪ねて

ふくしま讃歌―日本の「宝」を訪ねて

  • 作者: 黛 まどか
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 2016/09/17
  • メディア: 単行本



』という本を読みました。





そして、金澤翔子氏の思いを知り、深く感銘しました。どこか突き放してフクシマを見ている自分に唖然としました。





「小名浜港から四十五分ほどで目的地の金澤翔子美術館に到着した。金澤翔子さんは障害を持ちながらも書家の母のもとでけ研鑽を積み、類まれな才能が注目されている新進気鋭の書家である。その第一号の美術館が、2012年いわき市遠野町に開設されたのだ。美術館の館長でもある母泰子さんの言葉を引く。



被災で荒涼と拡がる瓦礫のなかで、翔子は心が震え泣いた。そしてその瓦礫の中に、小さく真っ赤に咲く花を見つけて『希望の光だ』とつぶやいた。(中略)今は何もできないけれど翔子は被災をされた方々に寄り添って居ます。そんな思いで『共に生きる』を書き、そして希望の光があると云う事を伝えたくて
これから翔子が思いを込め渾身の力で書く作品がこの美術館に集められます。



 美術館の玄関 で、大きな「不死鳥」の書が迎えてくれた。(一部引用)」





福島で暮らしている友人のことを思いながら、福島のことを考えたい。


また、NHKの「小さな旅」で取り上げられた三島町の編み組細工のことも含まれています。

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避難所の運営は [震災]

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「ピース綾部さん、活動拠点米国へ 又吉さんとのコンビは継続 - 西日本新聞」という。才能ある二人の今後の活躍に期待したいです。

 

熊本は震災の後、豪雨があり、阿蘇山の噴火がありと続いています。震災の大変さを教えてくれる報告です。

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仮の住まい益城町から(2) 開かなかったカーテン

 

 足の踏み場がなかった。熊本地震の直後、熊本県益城町の町総合体育館は、千人超の避難者がひしめき合った。アリーナから人があふれ、通路にも毛布や段ボールが敷き詰められた。「避難所の規模が大きすぎた。一つのコミュニティーにまとめるのは不可能だった」。運営を任された秋寄光輝さん(44)は、自戒を込めて語る。

 悩ましかったのは、居住空間を区切る「カーテン」の問題だった。避難者のプライバシー確保に不可欠。副作用として、孤立を助長する側面がある。換気のために開けるよう放送で呼び掛けても、応じない人が少なくなかった。

 秋寄さんは、地震前から体育館の施設管理をしていた熊本YMCA職員。長崎県出身で自宅は熊本県合志市。いわば「よそ者」だった。「閉じたカーテンを、無理やりこじ開けることなんてできない」。過酷な日々を送る避難者に対して、どこか遠慮があった。

 町内の全域から着の身着のまま身を寄せた避難者たち。町の人口は約3万3千人。昔ながらの地縁で結びつく地区もあれば、熊本市に隣接する新住民の地区もある。地域自治に寄せる新旧多様な価値観を束ねるのは難しい。地震前から抱えていたそんな課題が、避難所にも持ち込まれた。

 秋寄さんたちも決して、手をこまねいていたわけではない。

 「よかましきハウス」。6月中旬、避難所の敷地内にプレハブが建った。「避難所の公民館」がコンセプト。避難所で人と人の緩やかなつながりは、仮設住宅に移って生きると考えていた。カラオケ、囲碁、茶話会。毎日のように顔を見せてくれるお年寄りの笑顔に救われもした。

 最大の課題は、大所帯の避難所運営を、応援部隊主導から住民主導へ、いかに移していくかだった。スタッフたちは、元自治会長などに声を掛けた。「とてもまとめきらん」。色よい返事はもらえなかった。(以下略)=2016/10/09 西日本新聞朝刊=」

 

避難所をまとめるのは尻込みしそうですね。誰か担わないといけませんが。

 


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熊本を想う [震災]

 

 

 

「元気ダネ

あせも、汗かぶれを防ぐ

 

痛みを和らげるためコルセットやサポーターをしていると、その部分にじっとり汗をかいてしまう ことがあります。このような状態
が続くと、肌が赤くなったり、水泡ゆができて強いかゆみを感じたりすることがあります。これは「あせも」もしくは「汗かぶれ(汗荒 )」という症状です。かいてつ ぶすと、うんで完治までにかなり
の時闘を要することになります。
「たかがあせも〈汗かぶれ)」と油断しないでください。

予防の基本は、刺激の少ない綿のハンカチやタオルで小まめに汗 を拭き取り、コルセットやサボー
ターなどを清潔に保つよう心掛け
ることです。シャワーやお風呂で
汗を流すのもよいのですが、せっけんを使い過ぎると、肌のバリアー機能が低下します。ますます汗

かぶれが起きやすくなる恐れがあるので、風呂上がりには保湿剤を塗るように心がけることです。(以下略)」(201698日西日本新聞)

 

一介の年寄りには震災支援などできっこありません。Eテレで障害者やお年寄りが大変な生活を強いられているのをみて、嘆いたりすることしかできません。お年寄りが不安な夜の話をしていると涙がこぼれてきます。

 

「あの日から 熊本発

くすっと笑って頑張ろう  アーティスト キタカゼパンチさん

 

この欄の挿絵を描いています。市原辰昭(52)と史恵(50)の夫婦で、熊本県阿蘇市一の宮町に「北風商店」 を構え、イラストや木彫り人形、はんこなどを制作しています。福岡から阿蘇に 移り10年になります。 熊本地震の本震(416)のときは自宅にいまし た。防災用にと、浴槽にためていた水が大きな揺れで 3分の2以上はこぼれ出て、洗面所は水浸し。トイ レのタンクも壊れました。
近所の人と広場に集まり、車の中で夜を過ごしまし

た。幸い、大分県境に近い実家は被害が少なかったので、1週間ほど避難しました。店も大きな被害はなかったのですが、しばらく開けられませんでした。そんなとき、県外の方が

「復興支援のイベントに参.加しませんか」と声を掛けてくれました。宮崎や鹿児.島などで、熊本在住アーテイストの作品を集めたイベ ントに参加しました。 「揺れが少ない場所にいる」ということが、あんな
に安心だとは思いませんでした。また、主催者の方々
が寝る所や食事を用意してくださり、言葉じゃない、
その心遣いがうれしく、本当に励まされました。阿蘇はお盆や夏休みはにぎやかだったけど、完全に観光客は戻っていません。

これから冬に向かうとさらに厳しいのでは、と心配です。まだ揺れることがあるので、全面的に「来てください」とも言えず、もどかしい限り。そんな中、西日本新聞を見て、はるばる阿
蘇まで訪ねてくださる方も
いて、うれしいです。
地震や大雨など怖いこと
もありますが、阿蘇の魅力
はやっぱり自然。私たちは
その自然に固まれ、いつも
の暮らしを取。戻しつつあります。この夏はリオデジ
ャネイロ五輪に興奮しまし
た。あまり考えすぎると、
暗くなります。私たちなり
の「普通」を発信していきたいと思っています。
地震にこだわらず、何げない日常の面白いことを通り過ぎずに記録しているつもりです。震災の後だからこそ、日頃の何げない瞬間の大切さに思いを巡らしてもらえたらとも思います。私たちの絵を見てくすっと笑って頑張ろうと思ったり、震災で落ち込んだ気持ち、かりかりした気持ちがほっと和んだりすればいいな、と願っています。(聞き手・井上真由美)」(同前)

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息長い支援を [震災]

 

「元気ダネ

知ってる?「ねんりんピック」

 

リオデジャネイロ五輪が終了し 「自分も何かに挑戦してみたい」 と思っている方もいるかもしれま
せん。オリンピック出場は難しいですが「ねんりんピック」(全国健康福祉祭)なら、スポーツが苦手な人でも気楽に参加できます。

60歳以上の高齢者が中心となって競うスポーツや文化関連のイベントが行われる祭典で、マラソン
やテニス、卓球のようにオリンピックと同じ種目に加え、太極拳、グラウンドゴルフ、ダンス、囲碁、将棋、俳句など計お種類の交流大会が行われます。l今年は10月に長崎県で開催されますが、エントリーは終了しているので、来年9月に予定される「ねんりんピック秋田2017」に目標を定め、腕を磨いてみては。

長寿社会開発センター(東京都)のホームページ内の「ねんりんピック」のページで詳しい情報が閲覧できます。」(2016915日西日本新聞)

 

「ねんりんピック」は地方大会も活発のようですね。

 

村上春樹氏の動きが紹介されていました。

 

「残響 村上春樹さん 熊本再訪 たわいない「普通」こそが

 

短編「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を朗読する前、村上春樹さんは語った。ある朝、原宿の裏通りを散歩していて女の子に出会い、そのまますれ違ってしまった。「何だかむなしいような、切ないような気持ちになって、それでこの小説を書いたんです」。8日夜の熊本での出来事をそのまま胸にしまうのは惜 しいような、むなしいような気がして、この文章を書きだしてみる。 村上さん、写真家・編集者都築響
さん、エッセイスト吉本由美さん
3人が旅する企画「東京するめクラブ」。3人は昨年6月、女性誌「CREA」の取材で熊本や阿蘇、八代などを旅した。そして熊本地震直後、「CREA〈するめ基金〉熊本」を創設し、支援金を集め始めた。「すごく心配だったけど、すぐに行っても邪魔になる。基金をどう(活用)するか、見に来なくちゃというわけで」と村上さんは熊本にやってきた。8日のイベントは、チケットを入手できた約250人が熊木山内の会場で3人を囲んだ。でも、地震被害や復興について多くを語り合ったわけではない。村上さんは短編「4月の――」と「鏡」を朗読し、執筆の背景 を語った後、3人で昨年の珍道中を
振り返った。(以下略)」(同前)

 

当たり前の生活が大変な価値を持っていることを確認しようということか。

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被災地支援がニュースにならない [震災]

被災地支援がニュースにならない





 



「高速道の割引 被災者無料に  57



 



 九州全域の高速道路を対象に、今月15日から利用料金の割引が始まる。ETC 利用で3日間、どんなに走つても普通車6500円、軽自動車5200円の定額で利用できる。熊本地震で 打撃を受けた九州観光振興 策の一環で実施される。九州の玄関口、福岡県としては願つてもないことだ
ろう。福岡県を基点として、
九州観光が本州、四国など全国からの遠来客でにぎわってほしいものと願う。ただ、肝心の熊本県被災者らの生活支援が忘れられているのが気になる。彼らに熊本県を通る高速道を無料開放する話は出なかったのだろうか。第2弾の割引制度に加えてほしい。被災地の避難生活は厳しい。倒壊した家のローン支払い、仮設入居待ち・・・。こうした苦境にあえぐ人々に、せめて地元高速道の無料使用特典くらい許されていい。」(201677日西日本新聞)



 



国は何をしているのかニュースが伝わらない。何かをしていると思うがニュースにならないのはなぜか。観光はこんな様子だという。



 



「あの日から熊本発 



観光 旅館経営者 西上佳孝さん



 



あんなに大きな地震の後に本震が来るなんて思ってもみず、私が経営する旅館は満室でした。お客さまを 混乱なくロビーや駐車場ヘ誘導できたのは、停電時でも点灯する誘導灯のおかげです。誘導灯や避難経路図の設置は消防法などで義務付けられていますが、その大切さをあらためて実感しました。
いつ通常営業に戻れるか
分からない中で、経営者として「雇用だけは守らなければ」という思いでした。パート従業員にはやむなく一時休んでもらいながら、機動隊や復旧工事関係者の宿泊を受け入れ、営業を続けてきました。



私が理事長を務める熊本県旅館ホテル生活衛生同業組合には約420の旅館、ホテルが加入しています。今なお営業を再開できていないところもあるものの、国の交付金を使って旅行代
金を割り引く「九州ふっこう割」効果で、地震前のようににぎわってきました。
ただ、外国人客は戻っておらず、「ふっこう割」も12 月まで。来年1月以降はまだ見通せない状況です。
地震による打撃が長引き
そうなのは、個人客向けの宿泊施設ではなく、むしろ大型ホテルでしょう。団体ツアーや修学旅行がことごとくキャンセルになった上、来年、再来年に向けた修学旅行の売り込みも難しくなりました。旅行ルートはいったん変わってしまう、となかなか戻らないもので、悩ましいですね。
復興の鍵は、阿蘇を中心
とした観光ルートの再構築です。阿蘇大橋が崩落し、国道57号で土砂崩れ が起きるなど、主要道が寸断されましたが、阿蘇は熊本だけでなく九州観光の 要。復旧を急ぐ必要があり
ます。同じく甚大な被害を受けた阿蘇神社(阿蘇市)や熊 本城(熊本市)は、元の姿に戻るのを待つのでなく、再生のストーリーを見せるのがいいと思います。復興の旗印にして、「今はここまで再生しました」という過程を見てもらいながら、何度も来てもらうのです。



同時に、組合を挙げて防災対策を強化し、「旅館やホテルにいれば安心」と思われるくらいまで徹底したいと考えています。(聞き手・山田育代)」( 201691日西日本新聞)



 



こうした意見はどごが受けとめてくれるのでしょうか。




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熊本は [震災]

 

 

8月の最終日も震度5だったという。収束には向かわないのかとと思ってしまうが・・・。

 

「花時計

熊本市東区から熊本県益城町に入るところで,車道が片側2車線から1車線になる。その辺りから路面の様子が変わる。ひび割れたり、盛り上がっていたり・・・。車の速度が30キロほどに落ちた▽熊本地震の前震から3カ月の14日、益城町で「生活は変わりましたか」と聞いた「だいぶ穏やかになりました」「生活に支障はありません」と答える人がいる一方で、「何も変わっていません」と
涙を浮かべて答える女性も。半壊した女性宅は今も断水が続いており、糸のように出る水を浴槽にためてトイレや洗濯に使 っているという▽復興に向けた明るいニュースを耳にするとうれしくなるが、落ち着いて暮らせない人はまだまだいる。それぞれの被災者にほっとできる日々が戻るまで、自分にできることを続けたい。(後藤希)」(2016722日西日本新聞)

 

西日本新聞に来年度復興予算で後押ししているとの見出しがあった。公共事業中心ではないか。集落再生の支援員は配置されるのでしょうか。

 

「集落再生を助ける「支援員」配置を

熊本地震 

 

山肌に土砂災害の爪痕が深く残る古里に 戻れるのか。「地域つくり」の視点から、 熊本地震の被災地復興をサポートしようと、熊本県内外の地域づくり団体や研究者らが「熊本大分新(震〉興ネットワーク」 を立ち上げた。目指すのは、住民が将来への不安を募らす中で、過疎高齢化が進む山里の再生を後押しすることだ。代表で熊本大名誉教授の徳野貞雄さんに聞いた。

 

復興とは何か。そこに住み続けたいと願う人たちが、暮らせる状況を再生す ることだと思います。例え
ば、東海大の学生が亡くなった南阿蘇村の黒川集落。
住民に話を聞いたら、多くが「できれば戻りたい」と言う。戻るには地盤の安全確認が必要だが、行政も専門家も簡単には安全保証はできない。時聞がかかる。
住民が住み続けるのに不
安を抱く集落は黒川だけで
はない。そうした集落に、
支援員が張り付きサポート
した前例がある。2004 10月の新潟県中越地震で、新潟県が設けた「地域復興支援員制度」です。

中越地震で、復興支援員は被害が大きかった中山間地の集落復興を支えた。08 年から最大52人が住民と対 話を重ねて信頼関係を築 き、集落と県や市町をつな ぐ中間支援の役割を担った。単に住民の要望を行政
に伝えるだけでなく、住民
が自ら取り組める課題は努

力を促したり、共に動いたりした。

熊本でも同様の制度をつくるため、新潟から専門家を招くなど勉強を進めています。震災復興 で行政が担うの は、道路や橋の 復旧、農業や産 業の復興など骨 格部分。一方で、
そこで暮らす人
たちにとって決定的に重要なのは、地域の
コミュニティーが維持できるかどうか。そうしたソフト部分を再生する仕事は行政だけでは出来ません。

中越復興の鍵を握ったのが、地方が自由に使える「復興基金」だ。財源は654億円で、大半は国が地方交付税で賄う。被災者二―ズに沿い、集落内の神社再建や農家食堂の建設、規模農地の復旧など、既存の事業や制度にないものを提供 した。この基金事業の刺用
で住民と行政をつなぎ、住
民のやる気を引き出しなが
ら、住民主体の集落再生を
支えたのが復興支援員だっ
た。震災ボランティアや青
年海外協力隊の経験者らが担い、人件費や活動費を基金が補助した。

集落維持や再生などについては、住民自らが話し合いを重ねることが最も重要です。(以下略)」(同前)

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