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「ゲリラ豪雨」 [震災]

 

 

新聞のコラムからです。

 

「花時計

九州豪雨によって被災し、仮設住宅に入る朝倉 市志波地区の男性と話した。濁流で家が多数流され、集落には帰れない 「行政から川や道路など の復興プランが示されない。それがないと先に進めない」と、目を潤ませ話す姿に苦悩を感じた▼一方、被災地で復興への住民の議論をサポートする九州大の豪雨災害調査・復旧・復興支援団が強調するのは「住民自身が考え、自分たちの地域をこんな風に復興してほしいと行政ヘぶつける」こと ▼今回の災害は朝倉市も初体験。だからこそ住民の前向きな意見は歓迎されるはずだ。つらい日々を送る被災者には大変だろうが、ここはお上待ちの姿勢を乗り越えられないか。九大支援団の

派遣を市ヘ要請するなどして復興の未来図を集落で深めてほしいと願う。(末広浩)」(20171117日西日本新聞)

 

試行錯誤が続いているようです。ローカル放送局も続けて報道しています。

増税は何に使うのでしょう。莫大な借金はどうするつもりなのでしょうか。

 

「増税で税収増はた迷惑な話  66

「ゲリラ豪雨」は福岡県が一番多いと、博多から上京してきた友人の言。福岡県といえば、麻生太郎氏。この方の発言もゲリラ豪雨のように日本列島を襲う。衆院選の自民党圧勝を「北朝鮮のおかげもある」と自民圧勝は小池百合子氏の上から目線の排除発言で野党が分裂したからだ。 そもそも国民の多くは、選挙は必要なかったと思っている。森友、加計問題の追及をかわすための解散だった。解散権を私物化して600億円もの税金を使い、一方で税収が足りないからと消費税率を10%に上げるとはこれいかに。安倍首相はやりたいことがある。そのために増税する。これは「経営」ではない。国家経営はまず、税収を増やすために景気を良くする方策を先に考えるべきだ。2年後の消費税率の使い道変更を選挙で問うこと自体、国民にはゲリラ豪雨のようにはた迷惑な話だった。(横浜市鶴見区) 」(20171115日西日本新聞)

 

 

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彼岸花咲く地は [震災]

 

 

新聞のコラムからです。

 

「気流

外国人技能実習生の日本語能力の高さに脱帽した。5日に福岡市であった日本語作文発表コンクールで審査員を務めた。来日3年以内とは思えない流ちょうな日本語。520人から最終選考に残った10人だけに話しぶりも堂に入っている二十歳前後で祖国を離れ、異国の地で頑張る若者たち。ベトナムにいる親を心配させないよう「だんだんと日本であった嫌なこと言わなくなりました」という女性の話は同じ年頃の子を持つ親として切なくなる。長崎県南島原市の養豚場で働く男性は、ベトナ ムに戻り大規模養豚場を経営する「未来予想図」を発表。 夢の実現を応援したくなった外国人を無意識に差別している日本人が少なくない」との指摘もあった。技能実習生や留学生などの外国人労働力は九州経済に欠かせない。

われわれも変わらなくては。」(2017117日西日本新聞)

 

差別意識はあると思う。注意したい。

豪雨被災地は「限界集落」と言われていのだろうか。踏ん張る人たちもいると思うと元気が出てくるのでは。

 

「彼岸花咲く地 豪雨の惨状に 75

福岡県朝倉地域は想像を絶する被害です。7月上旬の梅雨空の下、豪雨に襲われた。緑豊かな修験道の道なれど、天空は何を怒りしか。やがて彼岸花が咲き誇るであろう地に、何という惨状。朝倉市や東峰村には、多くの友がいて、数えきれない思いて出がある。この地域こそが限界集落といっても過言ではないでしょう。日田彦山線のJR筑前岩屋駅のすぐそばに住むK君。奥さまは壊れた家と一緒に亡くなられました。「今日は帰ってこんがよかばい」がご主人への最後の言葉でした。彼女はこよなく歌を愛し、合唱サークルにも情熱を燃やし、美智子さまの前で「あさくら讃歌」を歌った一人です。そして今回の天皇、皇后両陛下の被災地訪問。彼女の歌声は届いたでしょうか。私は週3回、リハビリに通う歩行困難なときは

車椅子の使用も多くなりました。〈忌み嫌う彼岸花にも歴史あり〉」(同前)

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行方不明の人たちがまだ [震災]

 

 

九州の水害から2週間。夥しい流木に杉の植林を国策とした失敗ではないか、広葉樹林をなどとの声が聞こえてきます。素人には判断できないことですが・・。避難所がどうなっているか。熊本からの提言です。

 

「伝えたい熊本から 熊本学園大教授 花田昌宜さん(64

災害弱者に目配りを

災害は元々弱い立場に置かれている人を、さらに弱い立場に追いやる。避難所の隅で、お年寄りや障害者が「迷惑を掛けちゃいかん」と小さくなっていないか。一人一人に声を掛けて目配りする必要がある。熊本地震で、熊本学園大は熊本市の指定避難所ではなかったが、本震直後は約700人の周辺住民が避難した。最大約60人の障害者 を受け入れ、ゆっくり横になれる 専用スペースを設けて、社会福祉学部の教員と学生を中心にケアし た。当初は福祉避難所がほとんど 機能せず、他の避難所からも断られ、障害者は行き場がなかった。 被災者のニーズは、10時間、100時間、千時間と「10の累乗」で変化していく。行政のマニュアルやガイドライン通りには動かない。支援者に求められるのは、一人一人が抱える課題に寄り添った柔軟な対応だ。」(2017720日西日本新聞)

 

まだ発見されない行方不明の方の捜索が懸命に続けられているという。死者の魂が彷徨っていないだろうか。そんなトンボの話です。

 

「死者の魂宿る トンボが飛来  66

近年、すっかり見かけなくなったオニヤンマ。が、 わが家の庭には毎年、飛んで来る。今年も71日に、「暑い夏がやって来ましたよ」と自然の便りを届けるように、その雄々しい姿を現した。普通のトンボの2倍以上はあるだろうか。色彩も青緑が微妙に入り交じり、神々しいまでに美しい。池や水辺が近くにないのに、どこから飛んで来るのだろうか。

田からトンボや蛍には死者の魂が宿るという。身近にも、法要のお経が上がっている間中、トンボが柱にぴたりと止まっていたと。誰しも死者が帰ってきたと思ったそうだ。私にもこれと似た経験がある。トンボはそれほど、私たちの日常の暮らしに溶け込んだ生き物なのかもしれな い。早朝、庭に水を打っている時に見かける神聖なトンボに、今の日本の平和を 祈る。」(同前)

 

木曜日はトコさんのコラムがあります。今週は福岡市・呉服町のレトロな喫茶店「カフェ・デラジレイロ」が紹介されていました。まだ、行ったことがありません。

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忘れたころに [震災]

 

 

福岡は地震が少ない。一番大きいのでも震度3クラスです。そんういう環境に70年程度住んでいますので、現実感がありません。そんなことを言ってるとドカーンときそうですが・・・。非常食など準備が必要ですね。

 

 

「デスク日記

 

 レトルトのカレー、フリーズドライのみそ汁、サバの缶詰…。時々、こんなものがわが家の食卓に上る。温めたり、お湯を注いだりするだけの簡単な食事。昨年4月の熊本地震後に妻が買い集めた非常食である。賞味期限が迫ると、その分を食べ、減っただけすぐに補充するという。

 発生当時の勤務地は熊本県荒尾市。最大震度7が2度観測された益城町などに比べれば揺れはそれほどでもなかったが、断続的に続く余震や緊急地震速報に疲れ果てた人々は少なくない。地震直後、ライフラインは寸断。店頭の水や食料が底を突く光景は今も目に焼き付いている。

 あれから間もなく1年。自宅押し入れには、非常食の他、毛布や簡易トイレなどをそろえ、万一の避難生活に備える。半年前、福岡市に引っ越したにもかかわらず…。すごい破壊力の大地震を経験した者として、教訓を見つめ直し、味気ない非常食をかみしめながら食べる。 (木村貴之)=2017/03/30付 西日本新聞朝刊=」

三池炭鉱 002.JPG

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復興は進んでいますか [震災]

 

 

熊本市の田尻氏の連載からです。

 

「暗闇 田尻久子

 

映画館の暗闇は、いつでもわくわくする。うっすらと音楽が流れる開演前、そして始まりを知らせる音。暗闇に沈 み込むからこそ、そこは日常と切り離
される。高校生の時に、ヴィム・ヴェンダースの「ベルリン・使の詩」を映画館で観た。人間になりたくなった天使の話。
天使たちは人間の傍らにいる。人々に
そっと寄り添い、心の声に耳を傾け、
人知れず慰めたりしている。そして、
心の声のざわつきに疲れたら図書館で
休息する。そこでは、人間たちは穏やかで、心の声も静かだから。私は天使ではないが、本を選んでいるお客さんを毎日見ているので、天使が図書館でほっとする気持ちがわかる気がする。

地震の後、大人数を収容する施設は軒並み使用が出来なくなった。もちろん映画館も。お客さんは映画好きの人 が多いので、再開を待ち構えていた。だから、近所の映画館から上映のスケジュールと映画のチラシが届いた時
は、みんなで盛り上がった。ちょうど、
待ちわびていた映画の上映時間が朝番だった。出勤前に観に行けるので、
早速観にいった。伝説の写真家の最晩年を撮影したドキュメンタリー映画
「写真家ソール・ライター」でも、
その頃はまだまだ余震が頻繁にきてい
た。喜んで出かけたものの、暗い場所に閉じ込められることが不安 でもあった。大きな余震が来たら、 外ヘ飛び出してしまう人もいるのだろうか。久しぶりの開演のベルに、少し緊張する。やはり上映中に何度か揺れるが、誰も席を立つ人はいない。その暗闇は、ひととき現実世界の不安を取り除いてくれた。ソール・ライターのゆるやかな語り口と写真が、ふわふわと頭に残り、映画館を出た時は心が軽くなっていた。いまでも映画館に坐っていると、ブルーノ・ガンツが演じるおじさん天使の姿をときおり思い出す。いたらいいのにな、と思う。もしいるとしたら、映画館の階段あたりで休憩しているに違いないから、観ている間に揺れても怖くないのかもしれない。

(書店、喫茶店や主。挿絵は豊田直子さん) 」(2017217日西日本新聞)

 

余震もあっていますね。

ですが、年末に益城に行った人の感想です。解体が進んでいないのでしょうか。

 

「益城の今見た復興遅すぎる  74

熊本地震をテレビや新聞で見ても、私にはその恐ろしさの実感が湧かなかった。実際の被災地をこの目で、確かめたくなった。
地震発生から7カ月の12 月、車で熊本に向かった。
被害が大きかった益城町の
木山付近の道沿いに、1 の新しい2階建て住宅。裏 庭にいた年配の女性に聞いてみた。家具は倒れ、物が散乱、孫と車で避難所に逃げた。居残った嫁はトイ
レが揺れに強いのでそこで
過ごした。
隣接する3軒の木造家屋 は倒壊し、自宅の壁に突き 刺さってきた。夜は怖くて たまらなかったそうだ。更地の向こうには、屋根がなかったり、傾いたりした家々。道の両側の建物が押しつぶされ、ある家は玄関が上向きで倒れている。テレビとは、その広がりと悲惨さの印象が全く違う。そこに人は住めない。その壊滅的な状況に涙が出る。解体撤去工事はあまりにも遅い。なぜ復興が進まないのか。もっと町外からも撤去工事の応援を求め、被災者の生活再建の迅速化を強力に推し進めるべきだ。」(20161226日西日本新聞)

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福島を深く理解する人が [震災]

 

 

最近、黛まどか氏の『ふくしま讃歌』という本を読みました。県内の民俗などを訪ねての暮らしぶりを紹介するものです。原発避難のこともあり「フクシマ」と安易に表記していたのを恥じ入りました。

 そして、金子勝著『負けない人たち』に登場する俳優 金子あいさんは次のように語っています。

 

「『平家物語』に重ねる福島への思い 

諸行無常の鐘はどう響くのか

 

金子勝

『平家物語』は動乱期にいっそうひびくのでしょうね。

金子あい

一谷合戦では戦争を知らない 若い世代が多く犠牲になっています。これから日本でも起こり得ることで、 そのメッセージはまったく今に通じるんですね。『平家物語』は鎮魂と反戦の物語であり、残された者たちが生きるため の物語だと思います。源平の武将から白拍子まで一人で何役も語ります。何より言葉が美しい。情景描写も心情も鮮やかに描いています。原文を読み解き、場面を立体的に想像できる瞬間はたまらなく面白いです。その面白さを伝えたくて、今は『平家物語』の朗読教室も開き、約50人ほどに教えています。」

 

残された福島の人たちへに寄り添う姿勢が凄いと思いました。

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心が震えたか [震災]





震災以降、福島をフクシマと表記することが私も増えていました。原発に対する危機感でした。ですが、そこには暮らしている人たちがいることを頭に置かず、脱原発の正義から一方的に切り捨てているのではないか。そんなことを強く意識させられた、黛まどか著『

ふくしま讃歌―日本の「宝」を訪ねて

ふくしま讃歌―日本の「宝」を訪ねて

  • 作者: 黛 まどか
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 2016/09/17
  • メディア: 単行本



』という本を読みました。





そして、金澤翔子氏の思いを知り、深く感銘しました。どこか突き放してフクシマを見ている自分に唖然としました。





「小名浜港から四十五分ほどで目的地の金澤翔子美術館に到着した。金澤翔子さんは障害を持ちながらも書家の母のもとでけ研鑽を積み、類まれな才能が注目されている新進気鋭の書家である。その第一号の美術館が、2012年いわき市遠野町に開設されたのだ。美術館の館長でもある母泰子さんの言葉を引く。



被災で荒涼と拡がる瓦礫のなかで、翔子は心が震え泣いた。そしてその瓦礫の中に、小さく真っ赤に咲く花を見つけて『希望の光だ』とつぶやいた。(中略)今は何もできないけれど翔子は被災をされた方々に寄り添って居ます。そんな思いで『共に生きる』を書き、そして希望の光があると云う事を伝えたくて
これから翔子が思いを込め渾身の力で書く作品がこの美術館に集められます。



 美術館の玄関 で、大きな「不死鳥」の書が迎えてくれた。(一部引用)」





福島で暮らしている友人のことを思いながら、福島のことを考えたい。


また、NHKの「小さな旅」で取り上げられた三島町の編み組細工のことも含まれています。

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避難所の運営は [震災]

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「ピース綾部さん、活動拠点米国へ 又吉さんとのコンビは継続 - 西日本新聞」という。才能ある二人の今後の活躍に期待したいです。

 

熊本は震災の後、豪雨があり、阿蘇山の噴火がありと続いています。震災の大変さを教えてくれる報告です。

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仮の住まい益城町から(2) 開かなかったカーテン

 

 足の踏み場がなかった。熊本地震の直後、熊本県益城町の町総合体育館は、千人超の避難者がひしめき合った。アリーナから人があふれ、通路にも毛布や段ボールが敷き詰められた。「避難所の規模が大きすぎた。一つのコミュニティーにまとめるのは不可能だった」。運営を任された秋寄光輝さん(44)は、自戒を込めて語る。

 悩ましかったのは、居住空間を区切る「カーテン」の問題だった。避難者のプライバシー確保に不可欠。副作用として、孤立を助長する側面がある。換気のために開けるよう放送で呼び掛けても、応じない人が少なくなかった。

 秋寄さんは、地震前から体育館の施設管理をしていた熊本YMCA職員。長崎県出身で自宅は熊本県合志市。いわば「よそ者」だった。「閉じたカーテンを、無理やりこじ開けることなんてできない」。過酷な日々を送る避難者に対して、どこか遠慮があった。

 町内の全域から着の身着のまま身を寄せた避難者たち。町の人口は約3万3千人。昔ながらの地縁で結びつく地区もあれば、熊本市に隣接する新住民の地区もある。地域自治に寄せる新旧多様な価値観を束ねるのは難しい。地震前から抱えていたそんな課題が、避難所にも持ち込まれた。

 秋寄さんたちも決して、手をこまねいていたわけではない。

 「よかましきハウス」。6月中旬、避難所の敷地内にプレハブが建った。「避難所の公民館」がコンセプト。避難所で人と人の緩やかなつながりは、仮設住宅に移って生きると考えていた。カラオケ、囲碁、茶話会。毎日のように顔を見せてくれるお年寄りの笑顔に救われもした。

 最大の課題は、大所帯の避難所運営を、応援部隊主導から住民主導へ、いかに移していくかだった。スタッフたちは、元自治会長などに声を掛けた。「とてもまとめきらん」。色よい返事はもらえなかった。(以下略)=2016/10/09 西日本新聞朝刊=」

 

避難所をまとめるのは尻込みしそうですね。誰か担わないといけませんが。

 


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熊本を想う [震災]

 

 

 

「元気ダネ

あせも、汗かぶれを防ぐ

 

痛みを和らげるためコルセットやサポーターをしていると、その部分にじっとり汗をかいてしまう ことがあります。このような状態
が続くと、肌が赤くなったり、水泡ゆができて強いかゆみを感じたりすることがあります。これは「あせも」もしくは「汗かぶれ(汗荒 )」という症状です。かいてつ ぶすと、うんで完治までにかなり
の時闘を要することになります。
「たかがあせも〈汗かぶれ)」と油断しないでください。

予防の基本は、刺激の少ない綿のハンカチやタオルで小まめに汗 を拭き取り、コルセットやサボー
ターなどを清潔に保つよう心掛け
ることです。シャワーやお風呂で
汗を流すのもよいのですが、せっけんを使い過ぎると、肌のバリアー機能が低下します。ますます汗

かぶれが起きやすくなる恐れがあるので、風呂上がりには保湿剤を塗るように心がけることです。(以下略)」(201698日西日本新聞)

 

一介の年寄りには震災支援などできっこありません。Eテレで障害者やお年寄りが大変な生活を強いられているのをみて、嘆いたりすることしかできません。お年寄りが不安な夜の話をしていると涙がこぼれてきます。

 

「あの日から 熊本発

くすっと笑って頑張ろう  アーティスト キタカゼパンチさん

 

この欄の挿絵を描いています。市原辰昭(52)と史恵(50)の夫婦で、熊本県阿蘇市一の宮町に「北風商店」 を構え、イラストや木彫り人形、はんこなどを制作しています。福岡から阿蘇に 移り10年になります。 熊本地震の本震(416)のときは自宅にいまし た。防災用にと、浴槽にためていた水が大きな揺れで 3分の2以上はこぼれ出て、洗面所は水浸し。トイ レのタンクも壊れました。
近所の人と広場に集まり、車の中で夜を過ごしまし

た。幸い、大分県境に近い実家は被害が少なかったので、1週間ほど避難しました。店も大きな被害はなかったのですが、しばらく開けられませんでした。そんなとき、県外の方が

「復興支援のイベントに参.加しませんか」と声を掛けてくれました。宮崎や鹿児.島などで、熊本在住アーテイストの作品を集めたイベ ントに参加しました。 「揺れが少ない場所にいる」ということが、あんな
に安心だとは思いませんでした。また、主催者の方々
が寝る所や食事を用意してくださり、言葉じゃない、
その心遣いがうれしく、本当に励まされました。阿蘇はお盆や夏休みはにぎやかだったけど、完全に観光客は戻っていません。

これから冬に向かうとさらに厳しいのでは、と心配です。まだ揺れることがあるので、全面的に「来てください」とも言えず、もどかしい限り。そんな中、西日本新聞を見て、はるばる阿
蘇まで訪ねてくださる方も
いて、うれしいです。
地震や大雨など怖いこと
もありますが、阿蘇の魅力
はやっぱり自然。私たちは
その自然に固まれ、いつも
の暮らしを取。戻しつつあります。この夏はリオデジ
ャネイロ五輪に興奮しまし
た。あまり考えすぎると、
暗くなります。私たちなり
の「普通」を発信していきたいと思っています。
地震にこだわらず、何げない日常の面白いことを通り過ぎずに記録しているつもりです。震災の後だからこそ、日頃の何げない瞬間の大切さに思いを巡らしてもらえたらとも思います。私たちの絵を見てくすっと笑って頑張ろうと思ったり、震災で落ち込んだ気持ち、かりかりした気持ちがほっと和んだりすればいいな、と願っています。(聞き手・井上真由美)」(同前)

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息長い支援を [震災]

 

「元気ダネ

知ってる?「ねんりんピック」

 

リオデジャネイロ五輪が終了し 「自分も何かに挑戦してみたい」 と思っている方もいるかもしれま
せん。オリンピック出場は難しいですが「ねんりんピック」(全国健康福祉祭)なら、スポーツが苦手な人でも気楽に参加できます。

60歳以上の高齢者が中心となって競うスポーツや文化関連のイベントが行われる祭典で、マラソン
やテニス、卓球のようにオリンピックと同じ種目に加え、太極拳、グラウンドゴルフ、ダンス、囲碁、将棋、俳句など計お種類の交流大会が行われます。l今年は10月に長崎県で開催されますが、エントリーは終了しているので、来年9月に予定される「ねんりんピック秋田2017」に目標を定め、腕を磨いてみては。

長寿社会開発センター(東京都)のホームページ内の「ねんりんピック」のページで詳しい情報が閲覧できます。」(2016915日西日本新聞)

 

「ねんりんピック」は地方大会も活発のようですね。

 

村上春樹氏の動きが紹介されていました。

 

「残響 村上春樹さん 熊本再訪 たわいない「普通」こそが

 

短編「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を朗読する前、村上春樹さんは語った。ある朝、原宿の裏通りを散歩していて女の子に出会い、そのまますれ違ってしまった。「何だかむなしいような、切ないような気持ちになって、それでこの小説を書いたんです」。8日夜の熊本での出来事をそのまま胸にしまうのは惜 しいような、むなしいような気がして、この文章を書きだしてみる。 村上さん、写真家・編集者都築響
さん、エッセイスト吉本由美さん
3人が旅する企画「東京するめクラブ」。3人は昨年6月、女性誌「CREA」の取材で熊本や阿蘇、八代などを旅した。そして熊本地震直後、「CREA〈するめ基金〉熊本」を創設し、支援金を集め始めた。「すごく心配だったけど、すぐに行っても邪魔になる。基金をどう(活用)するか、見に来なくちゃというわけで」と村上さんは熊本にやってきた。8日のイベントは、チケットを入手できた約250人が熊木山内の会場で3人を囲んだ。でも、地震被害や復興について多くを語り合ったわけではない。村上さんは短編「4月の――」と「鏡」を朗読し、執筆の背景 を語った後、3人で昨年の珍道中を
振り返った。(以下略)」(同前)

 

当たり前の生活が大変な価値を持っていることを確認しようということか。

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