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国家は守ってはくれないのですか [沖縄]

 

 

沖縄を見ていると、民意が示されようがその上にアメリカに追従する国是が威圧します。内山氏はそのことを指摘しているのでしょうか。

 

「揺らぎ始めた?国家の庇護

信任する価値  内山 節

 

人間がつくった境界線のなかで一番強固なものは、国境だろう。村や県の境をめぐって戦争は起こらないが、国境は国家をつくり、ときに戦争をももたらす。

ところが不思議なのは、市町村や県、国家といったものが何によって信任されているのか

がよく分からないことである。

それらはそれぞれの機能をもっている。私もその機能に従って 、国税や地方税を払い、定められた法律や条例に従っている。海外に出かけるときはパスポートをもっていく。だがそれらは国家などがもつ機能であって、信任とは異なるもののはずである。現実に存在する国家などに組み込まれ、その機能の下で暮らしているだけであって、国家や県、市町村などをつくってほしいというような集団的な意思表示は、おこなわれた歴史が存在しない。それはこういうことだろう。国家は根本的には人々の信任を受けてつくられたものではないにもかかわらず、()

今日ではこの問題が浮上し始めているのかもしれない。原発事故によって故郷を追われた人々を、国家は庇護しているのだ ろうか。多くの基地が集中する沖縄の人たちにとって、「日本」は信任に値するものなのか。格差社会のしわ寄せを受けている人にとって国家とは何なのか。人々を庇護する能力を失ったとき、人間たちは国家や県、市町村に対して不信感を高めていくだろう。」(西日本新聞一部引用)

 

TPPに対する民意は先の選挙で自民党が東北で負けたのに関わらず、小池劇場のテレビは一顧だにしない。どこかで練られたシナリオのようにも見えてくるが、どうでしょうか。

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犠牲者は誰だ [沖縄]

 

 

「<ワンセグ敗訴>受信料制度に一石 NHK、徴収にも影響 (毎日新聞)」というのは知らなかった話です。

 

沖縄のことを考えると切なくなります。

 

「最後の「犠牲者」

北原みのり

 619沖縄県民大会 想像力

 

五月、行方不明だった女性が遺体で発見されたという 第一報から、ずっと身構え続けた。女性差別が空気のように蔓延する日本社会で、性暴力事件報道後に残酷な発言がされることは経験上わかっていたつもりだった。とはいえ「最悪のタイミング」という声が政府から漏れ、3年前に「(米軍は)もっと風俗業を活用してほしい」と発言した元政治家が、「やっぱり(発言を)撤回しない方がよかったかも」とSNSに投稿し・・・そんなことを見
聞きする度に新鮮に傷つき、苦しくなるのだった。ただ
静かに悼みたい思いで、沖縄の県民大会に参加した。
六月一九日に行なわれた沖縄県民大会には六万五00 0人が集まった。はじまってまもなく、殺害された女性 の父親のメッセージが紹介された。「娘を最後の犠牲者にして下さい はっとした。東京メディアで、彼女が「犠牲者」と呼ばれたことは、あっただろうか。正直、性暴力被害者 を「犠牲者」と呼ぶことには抵抗がある。が、「犠牲

者」という言葉からは、繰り返されてきた米軍による暴力、沖縄に犠牲を強いてきた日本政府への怒りが込められている。沖縄の歴史、沖縄の地に立って見なければ出て来ない言葉があるのだ。

登壇者の一人、「軍隊・基地を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代さんは、三五年前の早朝、一人の女性から電話があったと、話しはじめた。「私は二一歳で人間でなくなったけど、私は人間だからね、忘れないでね高里さん

そう電話してきた彼女は、ベトナム戦争のときに3人の米兵にレイプされ、その後も暴力の真っ只中にある生活だったと、高里さんにお話しされた。(略)

 

六万五000人が集まった会場は、なぜだろう、どこか穏やかで、あれほどの人がいるとは思えないほど静かに感じた。多くの人が日陰のない炎天下に黙って立ち、それぞれ一人ひとり、という感じでスピーチに耳を傾け
ていた。大学生の女性のスピーチを聞きながら、一O 前に祖母と一緒に沖縄を旅したことを思い出していた。 O歳の時に東京で敗戦を迎えた祖母は、「一度でいいから沖縄に手を合わせに行きたい」と言っており、初めて訪ねたひめゆりの塔の前で長いあいだ動かなかった。あの時の祖母を、急にそばに感じた。そう、「あなたは、私だったかもしれない」。その想像力故に、私たちは苦しみ続けるだろう。だけれど、その想像力故に、私たちは集まり、あなたを忘れないと誓ったのだと思う。」

(『世界』8月号)

 

沖縄に手を合わせたいという気持ちが切なく迫ってきます。

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忘れ物と忘れないもの [沖縄]

 

 

忘れ物が増えた。数年前まで想像もしなかった風景の中にいます。そのはずEテレ「団塊スタイル」の脳の働きのチェックでは60歳代のようです。まぐれ当たりもあるのでこれも怪しい。

 蝉を見ました。梅雨の中、少し早いのでは・・・。

 

「「JR忘れ物係、ひとこと多かった? 持ち主に「財布のお金抜かれてますよ」 

「なぜ抜かれたと分かる」 持ち主110番

 

 放った一言が命取り-。駅の忘れ物預かり所に届けられた落とし物の財布から現金を抜き取ったとして、福岡県警小倉北署は23日、業務上横領の疑いで北九州市八幡東区のJR九州関連会社社員の男(36)を逮捕した。(以下略)=2016/06/23 西日本新聞

 

忘れ物係のひとことが・・・。

 

そして、忘れがちな沖縄のことを思い出すのもいろいろですね。先日、作業所近くの公園を覗いたら石敢當(せきがんどう)がありました。慰霊の日が間もなくだと思ったものでした。

 

デスク日記

 

 九州で梅雨時の雨が本降りになる頃、無性に「そば」が食べたくなる。日本そばではない。沖縄のソウルフード、沖縄そばだ。そして、あの日が近いことを思い出す。

 今年も沖縄慰霊の日の式典が、梅雨が明けた青空の下、沖縄で開かれた。国籍を問わず「平和の礎(いしじ)」に刻まれた沖縄戦の戦没者は24万人余。その半数近くを占める民間人は砲弾の雨にさらされ、逃げ込んだガマ(洞窟)や、たどり着いた崖で自ら命を絶った。年々減り続ける体験者から聞いた沖縄戦の記憶は今も生々しい。

 戦後71年の慰霊の日は、異様な雰囲気だったという。直前に起きた、沖縄の米軍属が逮捕された女性暴行殺害事件が大きな要因。式典参列者は、事態打開の根本策を見いだせない国のリーダーに厳しい視線を向けた。沖縄戦に始まった米軍の沖縄駐留。沖縄そばのカップ麺をすすりながら、終わらない戦争について思いをはせた。(前田英男)=2016/06/25 西日本新聞朝刊=」

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沖縄慰霊の日 23日 [沖縄]

 

 

 

「元硫黄島兵士、不戦誓い合う 佐賀・石田さんと中央区・宮原さん対面 [福岡県]

 

 太平洋戦争中、硫黄島にいた旧日本海軍兵の2人が共通の友人を介して念願の初対面を果たした。福岡市中央区の宮原泉さん(87)と佐賀県多久市の石田博俊さん(91)。米軍上陸の激戦前にそれぞれ本土に戻り、九死に一生を得た。硫黄島の地図写真を見せ合いながら「多くの犠牲があって今の平和がある。戦争は二度と起こしてはいけない」と誓った。

 石田さんは1944年6月、19歳で硫黄島の地を踏んだ。「実戦経験はなく、当初は日米両国の戦闘機の違いもよく分からなかったが、蜂の巣をたたいたように戦闘機が飛び交っていた」。同年11月、上空約2千メートルで米軍機の攻撃を受けて、島の砂浜に軟着陸。衝撃で左目を負傷し、千葉県に戻った。(略)

 石田さんもうなずいた。「戦争に勝っても負けても何も変わらない。最初からしない方がいい」。平和の尊さをかみしめ、力強く手を握り合った。(一部引用)=2016/06/21 西日本新聞朝刊=」

 

戦争は誰のためにしたのか。そして、何か得るものがあったのか。平和であればよい。国民には何のためにもならない。

 

  「(声)沖縄慰霊の日、憲法考える機会 90歳 2016621日朝日新聞

 

 23日の「沖縄慰霊の日」を前に、東京の中高生が沖縄戦を考えるイベントを企画したという。戦中派としてうれしい。

 旧制高校生だった1944年10月、本紙の「那覇殆(ほとん)ど灰燼(かいじん)に帰す」という見出しの記事を読んだ。那覇が無差別爆撃を受けて焼け野原となり、150人余りが死傷したと伝えていた。私は、沖縄が陥落するならおそらく本土決戦になる、日本の勝利は無理だと直感した。

 政府は沖縄で敵を破ると言っていたが、戦況は正反対だった。米軍は沖縄に上陸し、県民の4人に1人が死んだ。戦力差のある米国や英国などとの開戦自体が誤っていた。

 今の若者には「個人の尊重」を明記する憲法13条の意味を、十分に考えてほしい。戦前の憲法では、国を統治するのは天皇とされた。個人尊重の考え方はなく、国民の命は軽んじられた。多くの若者が戦地に送られたのだ。

 沖縄慰霊の日は、そのことを考えるよいきっかけだ。中高生たちが、戦争の実態と非人間性を体得し、戦争拒否の現憲法を実践し、日本の平和を守り抜いてくれることを、心から望んでいる。」

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カネで片付ける問題か [沖縄]

 

 

「名護と国、深まる溝 「辺野古ノー」に政権一転、強硬姿勢」(2014121日朝日新聞)では「 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設をめざし、地元に手形を乱発してきた安倍政権が名護市長選の結果を受け、手のひらを返したようなこわもてぶりを見せ始めた。これに対し、再選した稲嶺進名護市長はあらゆる権限を使って着工を阻止する考え。溝は深まるばかりだ。(以下略)」と述べています。

記事によれば今後の日程は次のようになるという。

 

「 ■普天間飛行場移設をめぐる主な日程

 <2013年12月27日>

 仲井真沖縄県知事が辺野古沿岸部の埋め立て申請を承認

 <14年1月6日>

 防衛省に基地負担軽減の作業チーム発足

 <1月21日>

 政府が作業ヤード設計・調査の入札公告

 <3月以降>

 政府が上記設計・調査に着手

 <9月>

 名護市議選

 <11月?>

 沖縄県知事選」

 

 

 

カネさえ与えておけば文句は言えないだろうという姿勢で政治をやられたら困りますね。

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「(声)市長選、自立選択した名護市民 57歳 2014122日朝日新聞

 

 沖縄県名護市長選で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設反対を訴えた稲嶺進氏が当選した。私は真の住民自治を見た思いがした。

 昨年末、仲井真弘多沖縄県知事が辺野古埋め立てを承認した。知事は、基地移設容認に伴う政府からの経済支援策に両手を挙げ喜びを示したが、名護市民は市の発展にとって、米軍基地受け入れに伴う一時的な潤いよりも、自ら汗を流し、自ら知恵を絞って歩む持続可能な道を選択したのだと思う。

 名護市は2010年、国からの米軍再編交付金を突然打ち切られ、事業の一部取りやめや起債、基金の取り崩しなどで予算不足をしのいだ。しかしその後は、誘致企業が増えたことや行政努力の積み重ねなどから、13年度の一般会計当初予算は過去最高額だったという。

 自民党の石破茂幹事長が「500億円の名護振興基金を検討している」と発言したことは、逆に有権者の反発を招いた。原発マネーに頼った自治体が自立できないまでに疲弊している現実を考えると、今回はカネをちらつかせた旧態依然の手法が通用しなかった歴史的な選挙と言えるのではないだろうか。」


慰霊塔と遺骨収集 [沖縄]

沖縄では地上戦時に集団で亡くなった方を弔う慰霊塔があるが、高齢化で管理者がいなくなりつつあるという。もうひとつは、遺骨のDNA鑑定ができるようになり、遺族に返す事業が進みつつあるという。NHKの九州だけの放送だと思いますが

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沖縄のことを考える [沖縄]

 

昨日は、てんかん協会の役員会と例会に参加。久しぶりに北九州市に。北九州市にはサラリーマン時代に快速電車4年間通勤しました。1時間半ほどかかり、帰りはよく新幹線を使いましたが、その頃は、新幹線定期代は出ませんでしたので、在来が多かったですね。今はどうでしょうか。

 

都議選もありましたが、やはり沖縄のことをもっとメディアはとりあげるべきではと思いました。NHKは九州エリアでの特番をやっていましたが、全国放送にならないことに違和感があります。

 

「(天声人語)沖縄の「慰霊の日」

  先日、6年前の番組の再放送をたまたま見るまで、うかつにもその存在を知らなかった。NHKの特集が紹介したのは、沖縄の演芸集団がつくって注目されているコント「お笑い米軍基地」だ▼その代表作の一つ。テレビ通販の社長が言う。今回ご提供する商品は普天間基地です、と。沖縄が基地を長らく「独り占め」にしてきたので、「今回特別に本土の方に分けてあげようと思いましてね」。たまに墜落、炎上する大型ヘリもおまけにつけて、「お値段たったの8千億円!」▼あくまでコントである。だが、笑いを通じ、国策が沖縄に強いる負担と苦難が見る者に突きつけられる。本土との間の深い溝を直視させられる。胸を突き刺す刺(とげ)の痛みを感じずに、笑うことはできない▼脚本、演出の小波津正光(こはつまさみつ)さん(38)が書いている。基地問題は本来笑える話ではないが、沖縄の人々にとっては久しく生活の一部でもある。「嫌だ、嫌だといってもそこには基地があるわけさ」。沖縄芸人が基地をネタにしないでどうするのか、と。泣くが嫌さに笑うて候(そうろう)、の気合か▼根底にある怒りは深い。「基地があることがあまりに普通すぎて、当たり前すぎる」。小波津さんの言葉に打ちのめされる。きょうの「慰霊の日」をはさんで、9年目の公演が沖縄本島を縦断していく▼思えば4月28日、沖縄が日本から切り離された日に政府は「主権回復の日」の式典をし、沖縄の人々の憤激を買った。安倍首相はきょうの追悼式に出て何を語るだろうか 」(623日朝日新聞)

 

 

 

 

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「主権回復の日」とはなんだったのか。

 


「木の上の軍隊」が語るものは [沖縄]

「木の上の軍隊」が語るものは

   

なかなか風が抜けません。体力の衰えでしょうか。

 

「【社説】 復帰の日に考える 井上ひさしさんと沖縄   2013515東京新聞」では、「木の上の軍隊」につてふれています。過日、テレビでも放送されましたので、私はそこで少し理解できました。

 

   ◆「言葉奪う」と怒り

  井上さんはずいぶん前から、沖縄戦に限らず、沖縄のことを書きたいと思っていたようです。沖縄には、かつて琉球国という日本とは別の国家だった歴史があります。日本国とされたのは、江戸時代の島津侵攻や明治時代の琉球処分によってです。日本への同化は、本土による支配のみならず、沖縄の人から沖縄の言葉を奪うことも意味します。学校では沖縄方言を使った生徒に罰則として「方言札」を持たせたり、首に掛けさせたりして標準語の使用が強制されました。戦時中は方言を使えばスパイ扱いです。 表現者として言葉を大事にした井上さんです。「沖縄の言葉を奪うことは、沖縄の文化を奪うことだ」という怒りが沖縄を描こうとした原動力になったのでしょう。」

こうした歴史が子どもたちに伝えられているのでしょうか。

 

◆県民の痛みを思い

 きょうは一九七二年に沖縄の施政権が米国から返還されて四十一周年の記念日ですが、沖縄にはなお在日米軍基地の74%が集中しています。芝居の舞台となった伊江島では、米海兵隊の飛行場が今も島の面積の三割以上を占め、オスプレイの訓練も行われています。

 基本的人権の尊重をうたう日本国憲法よりも、米軍人らの特権的地位を優先する日米地位協定が幅を利かせるのが沖縄の現実です。同じ日本に生きる者として、沖縄県民の痛みに何をすべきか。それを深く考えることが、沖縄をめぐる井上さんの問題意識に応えることになる、と思うのです。」

 

 

 

 

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自民党は県連の県外移転方針を認めるが、政党としては県内移設を変えないそうだ。地元、漁協は、県外を認めるなら埋め立て同意を撤回するという。県民の分断と本土の無視で沖縄はさらにつらい日々を送っているのではないか。

 

 


沖縄問題を切り捨てているのは [沖縄]

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昨晩は、NHKのEテレでてんかんのことが取り上げられました。運転免許でのパッシングはてんかんというものがどういうものか理解していない人の思い込みからの非難も多かっただけに、こういう番組が増えることが期待されます。

今朝は、じゃがいもの収穫の手伝いに。小さい畑なので30分ほどで終わりましたが。

 

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沖縄旅行は楽しかったけれど 43歳

 

 10年前の夏、家族4人で沖縄旅行に出掛けた。空港からレンタカーで北上しながら、水中観光船で海の中を楽しんだり、ビーチで初めてヤドカリに遭遇して親子で大はしゃぎしたり。透明な海水を堪能し、水族館やパイナップル園、植物園、鍾乳洞など数えきれないすてきな思い出を作り、「楽しかったね」と帰ってきた。今思い出しても胸がときめくような旅であった。

 しかし、沖縄返還40年に伴う様々な記事に触れて、当時、基地問題に思いをはせることもなく、ただひたすら楽しんで帰ってきたことを、今更ながら恥ずかしく思った。私たちの旅は、数多くの基地の間を擦り抜けながらの旅だったのだ。先日の記事で、鳩山由紀夫元首相が普天間飛行場の「県外移設」を唱えたとき、日本人は彼を支えなかった、と沖縄の方が語っていた。この言葉が胸に突き刺さる。

 沖縄だけに苦難を押し付けてはなるまい。原発事故があって初めて、電力がどのように賄われているのかを知ったように、40年を機に、全国的に議論が広まってほしい。2012522日朝日新聞電子版」

 

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鳩山氏が「悪くても県外移設」と言ったのを嘲笑したのはマスコミだったと思います。日本人全体が支えなかったというより、情報操作した人たちがいたことも大事な問題ではないかと思います。沖縄には独立する権利もあると思います。投書の方が指摘しているように、沖縄の問題を知らないでいるのはメディアの姿勢が大きいと思いますが、私たちもまた知る努力が必要なのかもしれません。沖縄では史上最大の原告団による騒音訴訟が起こされていることがどれほど報道されているでしょうか。


秘められた思い [沖縄]

 
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バスでも、私鉄、JR、地下鉄もICカード1枚で利用できるようになったが、チャージ忘れが多い。乗り物によって残額表示が異なり、めがねをかけていないとよく見えないのもあるが、分かりにくいものもあります。今日もまた市役所前のバス停で降りたら料金不足ですよと言われました。女性の運転手でやさしかったのですが。それで思い出したのが電車の車掌さんに新人の人が乗っていて、動作確認を大声でやらされています。あまりの大きさに何事かと振り返る人もいます。しかし、見習い期間が終わるとそんな大声出す人はいません。その意味が分からないのですが。

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ウルトラマンについて西日本新聞に是枝裕和氏が次のように書いていました。

「転機が訪れたのは1971 年に放送された「帰ってきたウルトラマン」、「怪獣使いと少年」の回だった。もはやあまりにも有名になってしまったこの回のあらすじはこうだ。 川崎あたりだろうか、河原の廃屋にひとりの老人と住むみなしごの少年は町の人々から宇宙人だといじめられ、差別を受けていた。実は宇宙人は老人のほうで、少年は河原に埋められた彼の宇宙船を掘り出す手伝いをしていたのだ。強烈だったのはこの少年が食べようとしていたおかゆの鍋を集まった少年たちが蹴ってひっくり返ずシーンだ。泥まみれになった米を拾おうとするのを「拾って食うのかよ。この宇宙人野郎」と少年たちは下駄で踏み潰すのだ。結局老人は、恐怖を感じた街の人に殺され、その後老人の怒りが乗り移ったようにムルチという怪獣が登場する。そのムルチをウルトラマンは倒そうとしないのだ。僕の中でいつものウルトラマンの「正義」が大きく揺らいだ瞬間だった。この物語にどのような社会的問題を重ねて見るか。脚本を書いた上原正三が、まだ本土復帰前の沖縄出身だったことを考え台わせると、やはり日本人である私たちが目をそらし続けている自らの「加害性」がテーマになっていることは疑いようがない。」

 
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そして、上原氏がこめた思いは普天間問題でも引きずっているように思います。私など感情が込み上げてきてすぐにブログなどで書いてしまいますが、多くの人たちにメッセージを送るのには能力が前提ですが、思いの強さも大事かもしれません。「琉球処分」の延長線上に今も私たちがいるのかもしれません。嘉手納では裁判史上最大の原告団による騒音訴訟が今年提訴されましたが、本土のマスコミはほとんど取り上げませんでした。