安全・安心が求められるのですが [社会保障]
22日に福岡市の障がい者施設支援市民団体「さざなみ会」のバザーが10時30分から荒江のYMCA専門学校で開かれます。作業所の支援だけでなく震災の支援も兼ねています。ぜひ、ご参加ください。
北九州市で元警察官が暴力団から襲撃されたという。ジャーナリストの鳥越俊太郎氏はテレビで、暴力団が手榴弾とか、自動小銃を持っているのは福岡県だと言っています。警察が甘かったツケだというのですが。これでは、暴力追放などに市民が参加するのも危険にさらされるのではないかと心配です。
庶民の安心はどうでしょうか。
「高齢者に負担増の春が来た 77歳
後期高齢者の健康保険料や介護保険料が4月値上げされた。健康保険料を例にとると、福岡県の場合、均等割、所得割ともに上がり、全体で約1割の値上がりになる。 誰もが均等に負担する均等割額は 5万5千円を超える。これに所得の10%強が加算される。福岡県は、東京都、神奈川県、大阪府、愛知県に続き、全国第5位の高額保険料だ。
一方公的年金の支給額は4月から0・3%下がった。毎年の物価変動を反映させるようにしたからだ。保険料は物価と関係ないとされるが、釈然としない。福岡市では国民健康保険料は据え置きというから、弱者いじめ、高齢者いじめではないか。 民主党の公約では後期高の保険は廃止するとなっていたはずだが、その後議論されていれのか。後期高齢者の保険料は、高齢者の人口が増えて医療費が増えると、際限なく上がっていく仕組みになっている。このままなら、払えない人が今後続出するのではないかと心配だ。
私の周りでも、保険料が払えなくて保険証を取り上げられたり、差し抑さえられたりする話も耳にする。健康保険料と介護保険料の値上げ、年金の減額、まさに三重苦だ。高齢者が安心して老後を過ごすことが無理な世の中になったのだろうか。」(2012年4月14日朝日新聞)
若い人たちも大変だと思いますが、年寄りも精一杯です。もちろん、一部には裕福な方もあるかと思いますが、投書の方のように悩みながら、安心して暮らせるように願っている人たちもいます。
障害者自立支援法改正の障害者総合支援法は問責決議との関係で来週採決されるという。障害者団体は徹底審議を求めています。新法だと言い張る民自公の3党は参議院で3時間の審議で採決しました。新法であるなら慎重に、徹底した審議が必要なのではないか。
ICカードで本人特定しストーカー・共通番号の危険性も同じでは [社会保障]
ICカードで本人特定しストーカー・共通番号の危険性も同じでは
暖かくなりましたね。保育園の子どもたちが公園に沢山出てきていました。私が住んでいる地域は小山を造成した30年前のニュータウン。福岡市のベッドダウンとして急速に開発が進んだ地域も高齢者が主流となっています。朝刊によれば市制40周年記事で、若い頃は高いところを気にすることもなかったが、というお年寄りの感想が載っていました。午前、帰ってくるときに、坂道を何度も振り返るお年寄りと一緒でした。
「東京メトロ駅員、パスモ悪用しストーカー
履歴を投稿東京メトロなど首都圏の私鉄やバスで使えるPASMO(パスモ)
東京メトロの30代の男性駅員が昨年、駅の業務用端末を使って、ストーカーの標的にしていた30代の女性の乗車履歴を引き出し、インターネット上に公開していたことがわかった。女性から被害の申告を受けた東京メトロは昨年3月、駅員を懲戒解雇した。
女性によると、駅員は2009年ごろから、帰宅時に女性の勤務先で待ち伏せるようになった。食事などにしつこく誘われ、夜道で尾行されたこともあった。 女性は、氏名や生年月日を登録する記名式のIC乗車券「PASMO(パスモ)」を使っていた。昨年2月、ネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」で自分の乗車履歴に関する投稿を発見。自宅の最寄り駅など約1カ月間に利用した首都圏の9駅と乗降した日付、利用したバス会社名などが書き込まれていた。 」(朝日新聞電子版以下略)
そこで、心配なのが、消費税導入とセットで検討されている「共通番号(マイナンバー)」制度です。このカードでは、税の他に「医療・介護・福祉・年金・労働保険」などの情報が書き込まれます。病院や福祉施設などの端末機で職員の人たちが取り扱います。病歴や収入などが分かることになる危険もあります。それなのに、この実態はほとんど知られていません。大手メディアが消費税推進の立場だからかもしれません。
定年引き上げは妥当か [社会保障]
定年引き上げは妥当か
政府は社会保障の節約として65歳以上を高齢者とするのをやめようとしています。医師の日野原重明さんは朝日新聞の連載で次のように提案しています。
「少年 5~17歳
成年 18~34歳(選挙権は18歳に変更)
壮年 35~74歳(定年75歳に変更)
老年 75~99歳
百歳者(センテナリアン)100歳以上」
日野原重明さんの意見には大体同意できるのですが、これには賛成できません。75歳ということになれば、それまでに亡くなってしまう人も少なくないのです。社会保障の裏付けもなく定年を引き上げられたらどうなるのでしょう。定年を引き上げなくても、選択できるのが良いと思います。
「人生一生使い切り型モデル」という橋下氏 [社会保障]
「人生一生使い切り型モデル」という橋下氏
こんなに寒い日が続くなんて、福岡では珍しいことです。雪が昼間にこんくなに降るなんて。
「競争に勝たないと生活維持できないとことん努力を」という見出しで朝日新聞が橋下氏へのインタビュー記事を掲載しています。そのなかで、社会保障費について次のように述べています。
「社会保障では『人生一生使い切り型モデル』を考えています。ある程度資産ができた人は、老後の生活をまずそれでやってもらう。資産のある人には掛け捨て型の年金もありかなと。究極の所得の再分配です」
70歳や80歳になっても、努力しなければならないのですか。
「何歳で努力から解放されるかは制度設計次第で、役人にはじいてもらわないと具体的には言えません。常識的には60歳あたりでしょう」
ーちょっと逃げてません?
「それは役人が担当する領域です」
||橋下さんは強い人ですが、世の中は強い人ばかりではない。そうかいう人にはどう言葉をかけますか。
「では、日本の生活のレベルを落としますか?東南アジアレベルにしますか?今の日本を維持しようと思えば、そりゃ努力をしないといけないですよ」(2012年2月12日朝日新聞)
橋下氏は競争だと言っていますが、制度としては役人が考えることだとしています。不公平税制・正規雇用と非正規雇用など新自由主義でこわれた社会はそのままのようです。そのままにして、「競争に勝て」というのはアリなのかと思うのですが。
政権中での社会運動 [社会保障]
政権中での社会運動
私たちの世代にはなつかしい「ザ・タイガース」の復活コンサートをテレビで聞きました。岸部一徳さんが「60を過ぎて大事にしたいものが見えてきた」みたいな発言をされていました。それは友だったという。数少ない友達を50歳までに先立たれてしまった私には切ない話でもありました。その友に生かされているのかもしれませんが、もっとも病弱だったのは私なのに。
反貧困ネットワーク・元派遣村村長だった湯浅誠氏の「社会運動の立ち位置」(世界3月号)という論文を読みました。政権交代によって市民運動のリーダーたちが与党内で仕事をすることになりました。自殺問題での清水氏。少し毛色は違うかもしれませんが官邸広報担当の下村氏。もちろん、湯浅氏もそうです。障害者分野でも、内閣府の制度改革の事務局の東氏などの人たちと、会議を仕切った藤井氏。総合福祉部会55人の多数を担った障害者団体の人たちや座長の佐藤氏なども、今度は、要求するだけでなく、自らが政策を決定し、法制化するという役割を担うことになりました。それから約3年。政権の質は変化・弱体化し、政権内での社会運動出身の人たちの活動は大きな課題に立ち向かわないといけなくなります。それが、広い意味での政治の中での「調整」という仕事だと湯浅氏は定義しています。
「利害関係者間の調査を〈政治〉と言う。この意味での〈政 治〉は、社会的領域(世間、地域)にも政治的領域(「霞が関」、 「永田町」)にも偏在している。政治的領域の特徴は決定にあ り、調整過程の終結にある。「こっち側」(社会的領域)と「あっち側」(政治的領域)を貫く政治的・社会的力関係総体の終 わりのない調整過程のある時点で、その力関係を切り取り、 固定化するのが政治的決定である。」と湯浅氏はしています。そこに関わる人たちは「政党、政治家、官僚、省庁、省庁内部の担当課、国・県・市町村、マスコミ、圧力団体、政策と予算、税と財政等々、あらゆる利害関係が複雑かつ重層的に絡み合い、それぞれの課題の先には生活のかかった利害関係者の存在があり、それぞれが必死の思いで働きかけていた。」という。それをくぐり抜けないと政治的な決定には至らないという膨大なエネルギーを消費せざるを得ない。そんなものは待っておれないという風潮がまん延し、「強いリーダーシップ」が望まれているのではないかと湯浅氏は指摘し、その危険性についてふれています。それは、別にふれるにして、今は、政権与党の弱体化の中で、社会運動からの働きかけは困難をきわめています。障害者自立支援法を廃止すると裁判での和解とされたのに、名前だけ変えればいいだろうという揺り戻しにあっています。その結果、様々な悲観論・シニカルな意見も聞こえてきます。政権交代前までは、運動側は実態を告発し、政策化し、政治的な形にするのは、国会と官僚の責務だとされていました。政権交代後、政策化し、政治決定にする仕事という初めての経験をすることになりました。今は、その困難な課題と立ち向かっています。これは、いつかは乗り越えなければならない仕事だったと思います。今うまくいかないから駄目だというものではないと思います。私たちにかけていたものは何か。そのために、今、何が必要かを整理する時期だと思います。悲観的にも、自虐的にもなる必要はなく、たしかな、一歩を築いていくチャンスだと思います。私たちは、絶えず、政治決定にコミットしていく必要があり、政権立場での思考が求められる時代に遭遇しているのだと思います。
ディ一セント・ワークの具体的な課題は [社会保障]
ディ一セント・ワークの具体的な課題は
障害者分野でもディ一セント・ワークが課題として取り上げられています。ディ一セント・ワークとは「働きがいのある人間らしい仕事」と説明されています。例えば
「福島第一原発で事故処理にあたっている現場下請労働者は十分な安全対策がとられないまま被曝の危険にさらされ、かつ五重、六重に及ぶ請負構造(間接雇用)のもとで中間搾取状態におかれている。日本社会の病ともいうべき「雇用の劣化と働き方の貧困」がここに凝縮されている。今回の大震災からの復興にあたっては、「雇用の劣化と働き方の貧困」をもたらすもととなっている輸出に偏重した、いびつな経済・産業構造への回帰ではなく、その転換をめざすべきである。」(『ディ一セント・ワークと新福祉国家構想』)とされています。しかし、このような実態は今に始まったものではありません。『ディ一セント・ワークと新福祉国家構想』によれば、憲法が保障する勤労の権利、生存権、個人の尊重、幸福権の追求などを包摂するものとされ、ディ一セント・ワークとして課題として挙げられるようになったのは、雇用環境のこの20年のさらなる悪化によるものだとされています。ディ一セント・ワークという理念が、今の経済構造の中で実現可能なものか、という根本的な疑問もあります。ここ10年前以上の「労働ビッグバン」として日本型雇用形態が壊れて、非正規雇用を主流とするものになってきています。それには、労働組合運動の衰退・堕落が重なります。これらを総合するとディ一セント・ワークと呼ばなければならないものは何か。具体的な課題は何かを示さないと力にならないように思う。ディ一セント・ワークと福祉国家が連動して語られています。『新たな福祉国家を展望する』では、社会保障基本法が提示されています。すると、ディ一セント・ワークは福祉国家でしか実現が難しいのであろうか。これらの著作には、生活していくうえでの様々な困難と制度の不備が鋭く提起されています。それでもなお、ディ一セント・ワークの定義がどのようなものであり、どのようにして実現していくのか。そのことをこれらから私は理解できなかった。特に、障害者分野では「きょうされん」などがこの問題にアプローチしています。さらなる具体的な課題設定と当面する目標を掲げる必要があるように思う。なぜなら、国との和解内容でさえ、あっさりと否定されてしまう政治。そうすると、最低限、必要な仕組みは「社会保障基本法」として獲得されるべきものだろうか。
共通番号制への疑念も示さないで [社会保障]
共通番号制への疑念も示さないで
NHKで山田太一脚本の「キルトの家」というドラマを見ました。あこがれのマンモス団地だったところの50年後のお年寄りと人間の助け合い。「(お年寄りは)弱いから助けを求めているわけではない」というメッセージもありました。随分昔の「男たちの旅路」を思い出すドラマでした。キルトのように余り布がどうなっていくのか。
西日本新聞の1面トップに共通番号制の周知が進まずとし、低所得対策になるという説明をしています。こうした政府発表を無邪気に繰り返す報道に疑問があります。社会保障制度の中で、介護保険・障害者自立支援法共に国保連合会を通じての給付になっています。残るのは、医療全体だと言われています。
石村耕治氏(白鴎大学法学部教授)は次のように指摘しています。
「六月三O日に出た政府の「社会保障と税の一体改革」案は、子育て支援、就労促進、医療・介護、年金、貧困対策の五分野からなる。これには「総合合算制度」、いわゆる「社会保障世帯口座管理」の提案が挿入されている。この仕組みは、世帯ごとに各人の共通番号を使って社会保障(医療・介護・保育・障害など)にかかわる異なる制度政利用者負担を合算し、世帯の負担額に上限を設ける制度である。この仕組みは、世帯の総額負担の抑制につながるとしても、負担に比べて給付の多い障害者などが厄介者扱いされたり、保有資産で精算を求める方向につながりかねない。社会的助け合いの制度である社会保障制度を大きく変容させる可能性を秘めている。また、共通番号で個人情報が世帯ごとに国家管理されることにもつながり、家族のくらしに権力が手を突っ込んでくる。そもそも、一体改革案実現のためには巨額の 財源が必要であり、その展望はまったく見えていない。」
低所得者に役立つ制度としながら、導入にかかる費用は5千億円以上とされるが、正確な額は把握できていないという報道もあります。最低額5千億円だとしても、住民基本台帳ネットワークの導入費用約400億円に比べ 13倍近く、公的情報システムの導入費用では過去最大規模となる見通しだという。これだけの巨費を投じて低所得対策をするというのは信じられない。社会保障の現物給付から現金給付への転換のために「低所得者対策」を前面に出しているのだという説明が分かりやすい。西日本新聞が言うような低所得対策というありがたい意図があるなら、まず、障害者自立支援法の1割負担を廃止したがほうが経費的に安上りではないか。今、政府は1割負担にこだわっています。それとの整合性がないことの疑問さえ示していない報道に疑念を感じます。
息災で・そして「総合合算制度」 [社会保障]
息災で・そして「総合合算制度」
昨晩、友人の奥さんから電話がありました。友人は若い頃から心臓などに病気を抱えていて、最近はがんもありました。電話に不吉な感じがしましたが、師走に脳内出血で入院し、ようやく呼びかけに反応があるという。倒れた日は、外出して地下鉄駅から歩いて帰宅したという。普通なら体のこともあり必ず奥さんが迎えに行っていた。気分良かったから歩いて来たと話したそうです。そういえば、私が倒れた日も、会議が終わっていつもは車で送ってもらうのに、その日は、地下鉄に乗っていました。なぜ、そうしたのか。後になってもよく思い出せません。なにか不思議な気がしました。
12月30日・政府の5大臣が協議した「税と社会保障の一体改革」には「総合合算制度」が次のように明記されています。
「○ 税・社会保障の負担が増加する中で、低所得者の負担軽減により所得 再分配機能を強化する。そのため、制度単位ではなく家計全体をトータル に捉えて、医療・介護・保育等に関する自己負担の合計額に上限を設定する「総合合算制度」を創設する。
☆ 制度実現には、番号制度等の情報連携基盤の導入が前提であるため、平成 27 年度以降の導入に向け、引き続き検討する。」
医療・介護・障害・保育にかかった費用の合計額が上限額を超えた場合は「公費負担」も含めて検討するという報道が続いている「ありがたい」制度です。「持続可能な制度」のためにと負担を求めているのに、公費負担をしてくれるという。どうも狙いは「共通番号」にありそうです。番号には「税務、医療(健康保険等)、介護保険、年金、労働保険、福祉の「6分野の情報」」が国の一元管理になります。税金の管理と支出である社会保障費を管理できるので、いつでも上限撤廃ができるし、「社会保障は「必要に応じた給付」から「代金に応じた商品」の関係に変質する危険性が高い」という指摘があります。共通番号制度には莫大な費用がすするそうです。そこまでして、「ありがたい」政策を導入するという主張を受け入れるメディアの人の良さ?も明確になっています。
先の政府の文書の概要説明には社会保障は「共助・連帯」の考え方で進めると冒頭に書かれています。公助は含まれていません。
来年の課題・社会保障法への準備段階へ [社会保障]
今年もありがとうございました。個人的には老年化は自然の摂理で仕方がないことですが、気持ちまでが後ろ向きになることが多くてザンネンという気がしたりしています。こういう人間についてイチロー選手は今年の不振を振り返って次のように喝破しています。(西日本新聞)
「生命体が誕生した瞬間からの定め(老化)で片付けてしまうのは、つまらない人たちだなあと思います。だいたい、そういう人たちって、話していて面白みも深みもない」という。そう面白くない人間として進化しています。
さて、来年ことを少し考えてみたいと思います。『困っているひと』で有名な大野更紗さんは次のように述べています(きょうされんTOMO)
「何がどうなってもおかし 誰がどんな(障害者になることも含めて)「クジ」を引いてしまってもおかしくない。 そのことはもはや震災で結果として証明されてしまった。日本の 社会福祉は本当に貧困で、被災者 一人すらなかなか助けることがで きない。 今までは「どうせ障害者だから:・」 という考えがあったかも知れないけれど、「潜在的当事者」意識が これほど強い時はかつてないので はないかと思います。 今まであたりまえだと思ってきたことをもう一度社会に提示していかなければならない。ありのままを伝えていくことが逆に社会から求められているのではないかと思います。
障害者にとって生きやすい社会は、誰にでも生きやすい社会だということはとても分かりゃすいのですが、そこでもう一歩先に踏み込まなくてはダメだと思いますね。攻めていくことが大切で、ノーマライゼーションとかインクルーシブとかいう「看板」ではなくて「実態」を表現していくことが大切だと思います。」
攻めていくことが大事なのでしょうね。私なりに考えているのは、障害者総合福祉法については通常国会で一応の決着がつきます。その後の課題は、差別禁止などがあるのですが、消費税による社会保障制度と対峙するしかないかと思います。そのためには、個別福祉制度の改悪に反対するだけでなく、年金制度を含めて、福祉国家への道への転換を求めて、社会保障法を現実の運動課題にしていく必要があると思っています。憲法25条の生存権の保障のための基本的な法律としての社会保障法があります。既に、専門家による試案が出されています。運動課題として提示されていく必要があるのではないかと思っています。
エビで鯛を釣り上げる「一体改革」 [社会保障]
エビで鯛を釣り上げる「一体改革」
20日に「一体改革」の素案が見直されました。障害者施策では、増税後の障害年金の増額についてもふれています。低所得者を直撃することを前提にした施策なのです。昭和の末期では富裕層の所得税率は70%。そして、今の富裕層のもっとも高い人でも40%。1980年代の税制に戻すだけで消費税増税の必要はないという人もいます。
それでも、社会保障のために増税と言うことを国民の意識に植え込んできました。二宮厚美氏は次のように指摘しています。
「福田内閣は「社会保障兵糧攻め作戦」に修正を施し、社会保障機能強化の方を前に打ちだして、消費税増税をものにする作戦に転じた。これは「社会保障のエビで消費 税増税の鯛を釣り上げる作戦」と呼ぶことができる。「一体改革」の一石二鳥の作戦は、内容からみれば、 この「エビで鯛を釣り上げる」式の「消費税増税釣り上げ作戦」にほかならない。 菅政権は、その発足当初、「消費税増税釣り上げ作戦」を「強い財政・強い経済・強い社会保障の一体的実現」の名で継承したが、最後にいたるまで、「社会保障を囮にして消費税増税を図る作戦」に対する国民の警戒心を取り払うことはできなかった。菅政権がやったのは、「消費税増税釣り上げ作戦」に対する国民の警戒心を払拭すべく、一つの工夫を施すことであった。それは、消費税を社会保障目的税に衣替えし、消費税財源を社会保障と強く結びつけることである。」(消費税増 オトリにした 社会保障変質週刊金曜日 2011.9.23)
消費税10%で「障害者は1人当たり約4万5千円の負担増」というが、その根拠がよくわかりません。そこまでしてやる前に、税制の見直しが先決のように思えますが。改革案では「給付・負担両面で、世代間のみならず世代内での公平を重視した改革を行う。」として、公平性を強調していますが、貧富の差はそのままにしていくように見えます。これで、公平とは言えないように思えます。






