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力強い歴史—先駆者の願いは [支え合う社会]

 

 

 民生委員は役所が作ったものだろうという色眼鏡で見ていました。

 

「民生委員100年 宮武剛

時代を支え時代を拓く

民生委員制度は、191 7(大正6)年、岡山県で 「済世顧問」として発足し、 翌年、大阪府が「方面委員」を設け、全国ヘ広がった。 ことし1世紀の歳月を刻み、7910東京で記念大会が開かれる。困窮者の相談支援に努める長い歩みは、日本の近現代を生活現場から映し出す歴史である。

創設期は「米騒動」から 世界恐慌、昭和恐慌ヘ庶民を奈落の底ヘ突き落とす時代だった。我が国初の救貧法制「救護法」は29(昭和4)年、ようやく制定されたものの、膨大な軍事費の重圧で財源がなく施行のめどさえ立たなかった。方面委員たちは、その実 施を求める運動を展開し た。日本の「資本主義の父」であり「福祉の先駆者」でもあった渋沢栄一翁は、主治医の反対を押し切り病身で蔵相らを訪ね、その後、寝込んで死去した。福岡正道・埼玉県代表は、「無い袖は振れない」と突さ放す蔵相を弾劾し、悲憤慷慨の余り倒れて亡くなった。委員たちは、ついに天皇への「上奏」に賭ける。

「陛下の赤子20万今正に 飢餓線上を彷徨するを見るに忍びず・・・」。 烈々たる気迫が歳月を超 えて伝わる。上奏は天皇に届いたのか、定かではない。だが、政府は周章狼狽し、救護法は32年やっと施行された。

苦肉の策で競馬法を改正して馬券発売を認め、収益も 財源にされた。同年開催の 第1回「日本ダービー」が救護法を牽引したのだ。 しかし、既に満州事変が勃発し、救貧も福祉も戦争に蹴散らされていく。敗戦後の46年、民生委員と改称・改革され、翌年、 初めて「福祉」が法律名に 入った児童福祉法制定で児童委員兼任となった。 戦後の委員たちの活躍も,また時代を映し出す。闇米を拒否し餓死する裁判官さえ出た生活苦の中で「世帯更生運動」を始め、「心配ごと相談所』開設、「助け合い資金」設置、 「世帯更生資金」創設など に取り組んだ。 高齢化社会を迎えた73年には、我が国初の『居宅ねたきり老人実態調査」を実施した。20万人を超える要介護者の存在は高齢化への 対応を迫った。 いま委員は231000 人。女性が6割、60歳代が 6割強。欠員も目立つ中で、都市部では1200~400世帯を担当する。被保護世帯は増え続け、児童の相対的貧困は先進国中最悪である。虐待、ひきこもり、ゴミ屋敷、悪質商法など新たな課題が地域に渦巻く。庶民の良き相談相手という役割の大変さと大事さに改めて感謝したい。(本紙論説委員)』(福祉新聞626日)

 

放送大学の『高齢期の生活と福祉』のテキストによれば、相談件数は710万(平成24年度)を超えており、「民生委員1人による1月当たりの活動は、相談支援件数が約3件、訪問連絡調整回数が約19件、その他が約10件で、平均活動日数は11日となっている」という。印象からすれば、地域行事への参加も多く、もっと多忙のように思う。

 

 

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出しゃばることも [支え合う社会]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「甘夏ミカンの酸っぱい魅力   79

夏日になった日、甘夏ミカンを食べた。とても爽やかで、美味であった。近所の家の庭の隅にある大きな に木から取れたものである。 化成肥料を使わず、無農薬で育てられている。落ち 葉や食材の残りで堆肥を作るどのこと。その家の方は害虫にやられず、毎年よく なりますと話しであった。 私もダニやカイガラムシ などがなぜ、発生しないのか分からない。木が元気なので、きっと寄せつけないのだろう。

甘夏ミカンは酸っぱさが嫌われて、最近はあまり人気がない。収穫する人がなく、木になったまま放置されているのをよく見かける。もったいない。その酸っぱは体温を下げてくれる。暑さ対策には、最高の果実である。見直そう。」(2017525西日本新聞)

 

 

「(声)認知症、他人も出しゃばろう 37歳 2017529日朝日新聞

 農作業を手伝いに早朝、実家に行ったら見知らぬ高齢女性がいらっしゃいました。両親に聞くと、一人で歩いていた認知症の方を保護したそうです。独居という彼女を私が車で送ることにしました。

 私は体調不良で退職したものの介護福祉士です。車を出してすぐ、彼女の病気の深刻さに気づきました。まず会話が成立しません。なんとか住所を聞き、送り届けたお宅は実家から9キロ先の山奥。家の前にライトをつけっ放し、エンジンもかけっ放しの車が斜めに止められていました。「車が勝手に車庫から出てきて怖くなったから歩いて逃げた」とおっしゃいます。

 彼女が自宅に入り、玄関の鍵を内側から掛けたのを見届けた足で、私は市役所の高齢福祉課へ参りました。「かなり急を要する事態です。1人にしておくと人命に関わります」とお伝えするために。

 父は私に申しました。「親類縁者がいるはず。他人のお前が出しゃばるな」。でも、あえて申し上げます。皆様、出しゃばってください。一人歩きの彼、彼女は、あなたの助けを必要としています。」

 

でも、専門職だからできることかもしれません。素人がどうするかは行政窓口の周知しかないのでしょうか。

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祈る [支え合う社会]

祈る

 

「理解できない 教育勅語称賛  70

  41日付「春秋」を書き写していたら、途中でペンが止まりました。「教育勅語の愛国教育を『素晴らしいと聞いている』と言う首相や『教育勅語の核の部分を取り戻すべきだ』と国会答弁する防衛相」との文章があったからです。エープリルフールかと錯覚しました。教育勅語は親・ 孝行や友愛など、現代社会 で希薄になっている大切なことも説いています。それは前段だけ、本質は天皇を頂点とした国家体制であり、軍国主義です。その悲惨 な結末は周知の事実です。にもかかわらず、なぜ逆戻りの発想が浮かぶのでしょうか。いかなる理屈を並べても到底、理解できるものではありません。「森友学園」問題を政権が必死になって火消しに奔走する姿。そこには何らかの意図、疑念すら感じます。教育は国家の基本です。同じ過ちを繰り返さない固い信念を持つべきです。」(2017420日西日本新聞

 

ちょっと前の時代ではこんな発言したらどうなっていたのでしょうか。事態の急展開についていけません。

 

久しぶりに 「SWITCHインタビュー 達人達(たち)422日土曜」を観ました。 

福島智×柳澤桂子」でした。番組HPでは次のように説明しています。

 

障害者を取り巻く問題を当事者として研究する東大教授の福島智。難病と闘い、思索と執筆を続ける生命科学者の柳澤桂子。自らの体験を交え「生きるとは何か」を語り合う。

 

9歳で視力を、18歳で聴力を失った福島。指点字という方法で周りとコミュニケーションをとりながら勉強を続け、バリアフリー研究者となった。一方、柳澤は女性の大学進学がまだ珍しかった時代に米国留学、最先端の遺伝子研究に取り組むが31歳で突然、原因不明の難病に襲われた。以来、病と闘いながら生命科学について思索をめぐらせている。番組では福島が2日間にわたって柳澤の自宅を訪ね、命と存在をめぐる対話を重ねる。

【出演】バリアフリー研究者、東京大学教授…福島智,生命科学者柳澤桂子,【語り】吉田羊,六角精児」

 

福島氏の発言にはいつも触発されます。昨日はたしか柳澤さんからだったと思いますが、紙などとは無関係に「祈る」ことの意味が語られました。自分の力ではなんともしようがない運命に遭遇した二人にとっての「祈る」ということはどういうことでしょうか。人間としての希望を見出すためにも「祈る」ことで希望をつなぐということか。そんなものとも違うように聞いた。なんと説明したらよいか。

 

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40歳で衰え [支え合う社会]

 

 

「仲畑流・万能川柳  毎日新聞2017418日 東京朝刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

 

☆消音で見ると愉快なトランプ氏 いわき バッパさん

さすらいの旅の途中か蟻一匹 安曇野 荻笑

景品が尽きて5等は美女のチュー 白石 よねづ徹夜

有識者便利屋さんのように見え さいたま 高本光政 (以下略)」

 

40歳でも大変になのだ。

 

「人生相談 40歳独身 身体の衰え感じる=回答者・高橋源一郎

 毎日新聞2017417日 東京朝刊

昨年40歳になり、これからの人生に漠然とした不安を覚えています。夜中にトイレのため目覚めるようになり、白髪も目に付くようになりました。身体面の衰えだけでなく、仕事や生活についても不安があります。独身で、介護が必要になったらどうしようかなどと思ってしまいます。還暦までの20年、どのような心構えが必要なのでしょうか。(40歳・男性)

 (以下略)」

 

私の息子たちもいつのまにか40歳を超えています。夜中のトイレ起きは1回では済まなくなった私。白髪は消え、紙そのものが消滅寸前です。だが、私たちの時代は働きすぎなどは労働組合がありましたが、今は歯止めがない。改革と叫んでも100時間の残業は認めるという。

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本質とは違う [支え合う社会]

 

 

相模原障害者施設事件を理由に措置入院などの問題があるとして改正法案が審議されているが、改正理由からその理由を削除したという。事件を利用したと言われても仕方がない。

そんなことが他にも、道徳教育強化で「いじめ」をなくすというが・・・。

 

「『尾木ママ』こと尾木直樹さん は「道徳教育をどんなに強化しても、いじめの克服には役立たない」と強調する。 尾木さんは、道徳を教科化するきっかけとなった2011年 の大津市での中2男子いじめ自 殺事件で、第三者調査委員会の 委員を務めた。
「いじめがいけないことだと 分かっていない子どもはいない」というのが尾木さんの 持論。なぜいじめがいけないか を尋ねたり、議論したりすることにあまり意味はないという。
いけないことだと分かって いるのにいじめてしまう心理や、格差や子どもの貧困といっ
た社会的な背景を考えることが 重要で、いじめ問題を道徳に封じ込めたら駄目
」と言い切る。また、教科化に伴い、教諭は子どもたちを「評価」することになる。「道徳という心の内面を評価できるのか」といった声に対して、合田課長は「O×かではなく、子どもたちがいかに自分のこととして考えているかを先生には見てほしい」と言う。ただ、尾木さんは、高い「評価」

を得ようと「いい子」を演じようとする子どもたちがこれまで以上に増えることを懸念する

「いい子を演じる子の中には、自己嫌悪に陥って苦しむ子も多い。文科省は全く現場を知らず、大津の事件を教科化の理由に挙げることに強い怒りを覚えます」(伊東秀純)」(2017416西日本新聞

 

尾木さんの意見がまともだと思う。道徳教育を強化して子どもを育てたい政権が事件を利用しているように感じます。

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義務教育で手話を [支え合う社会]

 

 

茨木のり子氏没後の詩集『歳月』を読んでいます。

 

「最後の晩餐

 

明日は入院という前の夜

あわただしく整えた献立を

なぜいつまでも覚えているのかしら

箸をとりながら

「退院してこうしてまた

 いっしょにごはんを食べたいな」

子供のような台詞にぐっときて

泣き伏したいのをこらえ

「そうならないで どうしますか」

モレシャン口調で励ましながら

まじまじと眺めた食卓

 

昨夜の残りのけんちん汁

鶏のから揚げ

ほーれん草のおひたし

 

我が家での

それが最後の晩餐になろうとは

つゆしらず

入院準備に気をとられての

あまりにもささやかだった三月のあの日の夕食」

 

モレシャンがどれだけの人に通じるかと思いつつ、通じる私ににやりとして。

さて、次の意見には全面的に賛成です。テレビ手話講座でなんとかならないかと思いましたが、なかなか難しい。小さい時から学んだが良いのでは。

 

「(声)義務教育に手話を取り入れて 14歳 2017320日朝日新聞

 

 「聴覚障害者には唇を見せて」(2月7日)を読んだ。投稿者は聴覚障害者で、「マスクをずらして、唇が見えるようにして頂きたい」と訴えていた。私も同じ意見だ。

 私には聴覚障害の祖母がいる。祖母の苦労をこの目で見てきた。例えば、レジで店員さんが「○○円です」と言っても、祖母の耳には届かない。祖母は金額表示を見て、代金を支払う。それに気づいた店員さんが口の動きを大きくして、再度金額を言ってくれることもある。

 聴覚障害は外見で判断しにくく、相手はなかなか気づかない。そのため、コミュニケーションに苦労することが多い。相手が聴覚障害者だと分かったら、口の動きを大きくしたり、身ぶり手ぶりを加えたりしてほしい。

 一つの提案をしたい。義務教育の必修科目に「手話」を取り入れることだ。将来、手話を使える人が増えれば、聴覚障害がある人もない人も、もっといろんな人との交流が可能になり、人生が豊かになるのではないかと思う。」   

 

国連の障害者権利条約は「手話」は言語として認定しています。そして、国内でも言語つまり国語であるという活動が広がっています。ただ、年配者は難聴者も多いので別の問題もありますが・・・。

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こんな学校が [支え合う社会]

 

 

やりきれないニュースでした。障害者が親から殺されるという事件です。

 

「娘殺害容疑で61歳母親逮捕 「介護に悩んでいた」

  20日、福岡県北九州市で、36歳の娘の首を絞めて殺害したとして、61歳の母親が逮捕されました。母親は、「娘の介護に悩んでいた」と話しているということです。

 殺人の疑いで逮捕されたのは、北九州市八幡西区の無職・木野惠子容疑者(61)です。木野容疑者は20日午前2時半ごろ、自宅アパートで同居する娘の千秋さん(36)を首を絞めて殺害した疑いが持たれています。取り調べに対し、木野容疑者は「首を絞めて殺害した」と容疑を認めたうえで、「娘には重度の知的障害があり、介護に悩んでいた」と供述しているということです。(2107:30)RKB毎日」

詳しいことは分かりませんが、悩んでいたのでしょう。先日読んだ記事を思い出しました。

 

 ブログ「自由の森日記」にはこんな記事があるという。その一部を引用させてもらいます。私が知りたいことが述べられていますので、勝手な引用をしています。

 

2016年度 自由の森学園高等学校 卒業式 校長の言葉

20170312 | 自由の森のこんなこと

 

 自由の森学園において授業というものの持つ意味は深く重いものだと思っています。

ここで話すいわゆる校長の言葉も、みなさんにとっての最後の授業というつもりで私は臨んでいます。 私は昨年の夏からずっと「 生命(
いのち )の重さ 」について考え続けていました。 昨年の7月に起こった相模原の事件、何の罪もない無抵抗の障害者の方々19名が犠牲になり、また多くの方々が深い傷を負い、そしてまた、私たちの社会に大きな衝撃を与えました。みなさんの中にも、この報道に接してどのように考えていったらいいのか立ちつくしていた人もいたかもしれません。
私もその一人でした。 9月の全校集会では、この事件について共に考えていこうといった呼びかけが教員の中からありました

(略)

全盲と全ろうの重複障害を持つ 福島 智( さとし )さん( 東京大学先端科学技術研究センター教授 )は次のように書いています。

 

 
こうした思想や行動の源泉がどこにあるのかは定かではないものの、 今の日本を覆う『 新自由主義的な人間観 』と無縁ではないだろう。労働力の担い手としての経済的価値や能力で人間を序列化する社会。そこでは、重度の障害者の生存は軽視され、究極的には否定されてしまいかねない。しかし、これは障害者に対してだけのことではないだろう。

 生産性や労働能力に基づく人間の価値の序列化、人の存在意義を軽視・否定する論理・メカニズムは、徐々に拡大し、 最終的には大多数の人を覆い尽くすに違いない。

 「 役に立つ/立たない 」といった人間や生命を価値的に見ていく考え方は、いずれは自分も含めた全ての人の生存を軽視・否定することにつながっていくのだと福島さんは述べています。

 人間の価値、生命の価値、生きる価値、そもそも人間や生命という言葉に「
価値 」という言葉をつなげるべきではない、

 私はそう思っています。人間には、そして生命には「
尊厳 」があるのです。

 尊厳とは「
どんなものによっても代えることができないもの・存在 」と言うことができるでしょう。ここにいるみなさん一人ひとりもそうです。(略)

学ぶことによって、自然とつながり、社会とつながり、芸術とつながり、他者とつながり、そして、自分とつながる、

そんな学びをみなさんにはこれからも続けていってほしいと願っています。

 最後に、ある詩をみなさんと共有したいと思います。

 吉野弘さんの「
生命( いのち )は 」という詩です。

 有名な詩なので、みなさんも出会ったことがあるかもしれません。

 私は昨年の夏以来この詩が胸の中にあります。

 

    『
生命 ( いのち ) は 』        作:吉野 弘

 

   生命 ( いのち )は

  自分自身だけでは完結できないように

  つくられているらしい

  花も

  めしべとおしべが揃っているだけでは

  不充分で 虫や風が訪れて

  めしべとおしべを仲立ちする

 

  生命 ( いのち )は

  その中に欠如を抱き

  それを他者から満たしてもらうのだ

 

  世界は多分 他者の総和

   しかし 互いに

  欠如を満たすなどとは

  知りもせず 知らされもせず

  ばらまかれている者同士

   無関心でいられる間柄

   ときにうとましく思うことさえも許されている間柄

   そのように 世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?

 

   花が咲いている

  すぐ近くまで

  虻 ( あぶ ) の姿をした他者が

  光をまとって飛んできている

   私も あるとき

  誰かのための虻 ( あぶ ) だったろう

  あなたも あるとき

  私のための風だったかもしれない

 

卒業おめでとう。みなさんの健闘を祈ります。

自由の森学園高等学校

 校長 新井達也」

 

この詩の「他者の総和」が感じられにくい社会なのでしょうか。


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普通電車は社会人だった??? [支え合う社会]

 

 

目覚めて、テレビに目をやったらタレントの衣装係は何と言っていたかと頭が問う。ですが、出てきません。ネットで「タレント・衣装係=スタイリスト」と簡単。ことほどさように忘れることが多い。認知症当事者が、認知症になって記憶できないのが悲しいという人も多いが、病にならなくてもどれだけ記憶しているのでしょうか、と問うという。私は、ほとんど昔のことは断片しか記憶していませんが、認知症の短期記憶が消える大変さはあると思いましたが。

 

次の投書には5年前との違いが気になりました。

 

「(声)優先席に感じる優しさの不在 39歳 201739日朝日新聞

 

 今年初めに第2子を出産しました。第1子を産んだ5年前と比べて、如実に変化を感じるのは、電車やバスの優先席の様子です。

 妊娠中の通勤時から乳児連れで外出する現在に至るまで、優先席には身体などに支障がなさそうなサラリーマンや学生風の方が増えました。特に、その多くを男性が占めています。妊婦や乳児だけでなく、年配の方や体が不自由な方がいても、自ら席を立ち、譲る人はまれです。

 もちろん、皆さんも仕事や学業でお疲れのことでしょう。優先席は、お年寄りや体の不自由な方々、妊婦、乳幼児連れの「専用席」と決まっているわけでもありません。

 だからこそ、私は妊娠中に立っているのがつらくても、どうすることもできませんでした。弱い立場の者が「譲ってください」と声をかけるのは、本当に難しいことなのです。

 私が妊娠中、マタニティーマークやおなかに気づいて譲ってくださったのは、ほとんどが女性です。男性にも4回譲ってもらいましたが、3回は外国の方でした。このことをどう考えればいいのでしょうか。」

 

東京ではそういうことが多いのかと思いました。私が住む地域でも若者が優先席を占領しています。ですが、先日、朝9時台に普通電車に乗ったらたまたま空いていました。ですが、空いているにも関わらず立っている若者が多かった。終点までいくつもの空き座席が・・。

ですが、地下鉄に乗ったら学生主体です。優先席は占領され、スマホに夢中です。その差って何ですか? 普通電車は社会人だった?

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もらい風呂 死語に [支え合う社会]









「お互いさまの 精神はいずこ  86



 高齢者の会合に参加すると決まって「昔は良かった」との言葉を耳にする。昔はお金も食べ物もなく、何一つとして満足なものはなかったが、確かに人情があり、人と人との結び付きがあった。うっかり不足すれば、隣近所にみそやしょうゆを借りに行った。農作業でも、人手不足の折は結で助け合った。農繁期で遅くまで働き、風呂を準備することができない時は、もらい風呂して世間話をした。お互いざまの精神は今の比ではなかった。金さえあれば、何でも手に入る時代。一方で、殺人やいじめ、虐待、詐欺は後を絶たない。どうしてこんなことになってしまったのか。老人が集まるたびに、ため息が出る。悲しい。」(2017216西日本新聞





田舎では共同風呂から家庭風呂に変わる頃でしたので「もらい風呂」は数えるしかなかったと思います。五右衛門風呂がこわくて入らなかったように記憶しています。そして、老いて車の運転が問題に・・・。便利になったのかどうか・・・。





「花時計



久々に実家に帰省し、
兄と弟、わが息子と娘、
そして今年で75歳になる 父の3世代で警察署に行 った。父の運転免許証を
自主返納するためだ。高
ドライバーの事故が各地で頻発しており、家族で父と話し合った結果だった▽40年超の運転歴で事故はほぼゼロ。ゴールド免許の有効期限が3年残る父の説得は容易ではなかった。自治体によってはバスやタクシーの利
用券を支給したり、県営
パスの乗り放題パスを安
価で販売したりと特典を
設けるが実家がある自治
体は未導入。最後は長生きを願う孫の力を借りた▽悲惨な事故を防ぐため、返納促進の施策を行政に期待したい。返納手続きが終わり、警察署の玄関3世代そろって記念撮影をした。英断を下した父に倣い、私もいずれ自身で決断しようと誓った。(坂本信博)」(同前)



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移住者が2割の村 [支え合う社会]

 

 

哲学者の内山節氏は群馬県に住んでいるという。

 

上野村の正月

求める世界がここにはある

内山節

私がはじめて群馬県の上野村 で正月を過ごしたのは、197 0年代に入った頃のことだった。当時この山深い山村に舗装
道路はなく、凍結した細い道で車をすれ違わせるのは、けつこ

う大変だった。元日の朝、村の有線放送のスビーカーから、村長の年頭のあいさつが流れた。当時は高度成長の真っ盛りである。しかし村'長のあいさつの方向性は違っていた。「焦るな」と村長は呼びか けていた。「経済成長に乗ろうとして焦って、村を壊してしまったら何にもならない。それよりも村の自然を守り、村の共同体を守り抜こう。そうすれば必ず上野村は日本のトップランナーになる日が来る」。このあいさつ
を聞いて、私は面白い村長がいる村だなと思ったものだった。(略)

ところが10年もして80年代に入ると雰囲気が変わってくる。都会の仕事や暮らしが、それほどよいものではないということも分かってきたし、両親たちは村の暮らしの良さを感じるようになっていた。

収入はけっして多くないが、お金では買えない良さが村にはある。自然、共同体、村の歴史や文化、そういうものと結ばれながら暮らす安心感が、村の暮らしのなかにはある その頃、都会の若者が村に移住しはじめたことも、大きかった。(略)

いまでは上野村の人口の約2割が移住者である。そのうち、半分くらいになるだろう。元からの村人がもっている技や知恵
と、移住者たちの能力がうまく結び合えれば、力のある村づくりができるかもしれない。一昨年の村の中学生に対する意識調 査では、「将来どこで暮らしたいか」という質問に対して、全員が「上野村」と答えている。自然と共同体を守り、その世界に新しい人たちも迎え入れる。
その成果が、こんなかたちでも表れているのである。
今年も上野村の正月は落ち着いた時間とともに流れていった。葉が落ちた森の木々の聞から青空が見え、親たちも帰ってきた子どもたちも村の正月を楽しんでいる。はじめてこの村に出かけた頃のように、都会で「成功」している子どもを自慢するという雰囲気もなくなった。これからも村を守っていこうという空気が、上野村の正月に、ひろがっている。
私がこの村で正月を過ごすようになって半世紀近くがたつけ
れど、この間に人々の気持ちは
ずいぶん変わったのである。自然とともこある暮らしや、結び合って生きるを会が憧れになったという変化もあった。その一 方で非正規雇用や格差が拡大 し、都会の暮らしの厳しさも増 していった。」(2017113西日本新聞

 

豪雪地帯の村では生きていくことも大変ではないか。政治の力も必要なのでしょう。

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