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「産んでくれんで よかった」 [水俣病]

 

 

戦争体験特集からです。語り継ぎたいですね。

 

「降伏早ければもう後の祭り 80

 

 私が小学1年の時に開戦、5年の夏に終戦です。 3年までは戦争も関係ない普通の生活でした。 でも、米軍B29の編隊が上空に来るようになると、まず工場に爆弾が投下され、勤労動員の学生が大勢犠牲となりました。上級生
になると、近くの神社まで
隊列行進の参拝でした。618日の大牟田空襲で、学校が全焼。727日の空襲では、全ての学校が

消えました。校区の6割近い建物が焼失したのに、わが家は高射砲陣地の近くにあり、無事でした。夜が明け、空襲警報が解除されても煙たくて、目も開けられない。電柱も焼け倒れ、電線の火花が怖かったです。東北の兵隊さんが校庭に集結し、港から船でどこかに向かいました。その後、鹿児島の先で撃沈されたと知りました。早く日本が降伏していたら、多くの人物・金が助かったのに。当時はそのことすら分からなかったのか、と嘆いても後の祭りでした。」(2016129日西日本新聞)

 

水俣病も半世紀を過ぎています。

 

「宝子よ 胎児性患者の母たち

息子抱き2人泣いた

自責の念老いてなお

 

魚湧き、陽光きらめく海は昔も変わらない。不知火海に浮かぶ獅子島(鹿児島県長島町)。この島で生まれ育った肥田光子さん(78)は月に12回、船で不知火海を渡り、バスを乗り継ぎ、片道約2時間かけて熊本県水俣市のアパ ートに出向く。1人で暮らす長男の澄博さん (56)は胎児性水俣病患者。大きく体を揺らしながら歩くことはできるが、言葉はゆっくりで、

身の回りのことも十分にはできない。 「結婚やら、人並みの幸せを 味わわせたいし、生きとる以上、
やれることは全てやってあげたい」
たまった洗濯物を洗い、部屋を掃除し、島から持ってきたおかずを冷蔵庫に入れ、帰路につく。「仕事があるから日帰りが多い。言葉を交わす時間はわずかしかないけど」。そんな生活を20年続ける。障害者福祉事業所でペットボトルのラベルをはがす仕事で、 澄博さんが得る月給は数千円。 認定患者に支給される年金が暮らしを支え、20代後半になって、 やっと果たした念願の独立。「人並みの幸せ」を光子さんが支える。(以下略)

だが、本人には重すぎる事実でしかない。

「昨年秋20年住んだアパート
から市営住宅に引っ越した澄博さんを手伝い、荷物をほどいていると突然、大声で言われた。 何で自分ばかし、こんな体に産んだか。産んでくれんで、 よかった」、 返す言葉が見つからない。老いた母に、いつまでも世話をしてもらうことへの切なさにも聞こえた。澄博さんのそばに寄るとぎゅっと抱きしめた。「わざと、そう産んだわけじ
なか。分かって」背負い続けた自らへの責め。悔しさを母にぶつけるしかない息子。2人の鳴咽が、部屋で重なった。」(同前)

 

親としても何も言えないという事実。それを誰が責任を負うのでしょうか。

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水銀を輸出し続ける国 [水俣病]

昨日のNHK九州地区の放送からです

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線引きで切り捨てられたもの [水俣病]

 

老々散歩です。夫婦でなく私と老犬の柴犬です。時々よろけます。私も、右足の感覚障害がありますので、時としてよろけます。そこで声をかけてくるのはお年寄りです。労わられているようです。

 

今日から参院選がスタートしました。昨日、党首討論していましたね。他のことをしながらところどころ耳にしたのですが

 

コラム > デスク日記

 

 参院選に向け、市井の人々の思いを聞こうと、本紙熊本県版に計10回の連載を掲載した。バーテンダーや建設業者、ネットカフェで暮らす高齢男性、就職活動中の大学生など、県内のさまざまな10人に登場してもらった。政治への距離感も主張も違うが、自分の場所で懸命に生きている姿が、取材記者の原稿から伝わってきた。

 環太平洋連携協定(TPP)の交渉開始を前に「おいしかミカンを作って、おいしかゼリーやジュースば作るだけ」とミカン農家。3月に機械工場を解雇された40代の男性は、妻の給料では足りず、貯金を取り崩し「ぜいたくは言ってられない」と、気丈に前を向いていた。あらためて1票に込められた思いの深さ、重さを知った。「まずは現実を知ってもらう。そこから政治が動きだす」。参院選候補者たちに、水俣病患者支援施設の女性施設長の言葉を送りたい。 (吉田賢治)=2013/07/04 西日本新聞朝刊=」

水俣も救済対象が、地域や年齢で線引きされています。同じ家族で食べたものも同じなのに決められた年月より1年遅れて産まれたから、家族のうち一人だけ認定されていない。

似たような線引きは原爆症でもあり、福島でも繰り返されています。

 

「(社説余滴)原爆症認めない不実な判断 加戸靖史(社会社説担当)

 

過去2回、合わせて4年間、広島で勤務し、100人を超す被爆者の話を聞いた。

 それでも私は、68年前の広島で起きたことが本当にわかった気はしない。まして目に見えない放射線のことは。

 10年も訴訟が続く原爆症認定制度を、被爆者団体の案に沿って改正すべきだ、と6月20日付社説で書いた。被爆者全員が何らかの放射線の影響を受けているとみて、病気の度合いに応じて手当を加算するという内容だ。

 当事者の案だから賛同するのではない。いまだに全体像がつかめない被害の救済策として、もっとも合理的だと考えるからだ。

 放射線が人体におよぼす影響の研究は、ヒロシマ、ナガサキから本格的に始まった。

 戦後の日米共同研究で、原爆投下時にいた場所や行動から、浴びた線量はある程度推定できるようになった。被爆者を追跡調査した結果、線量が多いほどがんになる確率が高まることも判明した。

 国の専門家会議は、こうした研究成果をもとに原爆症認定の可否を判断する。被爆者の病気が放射線のせいかどうか、科学的に「わかる」というのが大前提だ。  だが、そんなことは実は不可能なのだ。  たとえば、がんにかかった被爆者を医師が診ても、放射線がどれほど影響しているか断定するのは難しい。浴びた線量が多い人ががんになりやすいことは統計的に言えるが、少ない人が絶対がんにならないとは言えない。放射線との関係が指摘されるがん以外の病気も、どんどん増えている。 原爆投下後に爆心地に近づいた入市被爆者が病気を訴えるケースも多い。推定線量が少ないため、なかなか原爆症と認められないが、放射性物質を体内に取りこんだ内部被曝(ひばく)を疑う説もある。要するにこの分野の研究は道半ば、わからないことだらけなのだ。裁判所も再三、この点を指摘している。 そんな不十分な科学を、被爆者の線引きに使うべきではない。「わからない」を前提に、疑わしい病気の人は救済する。それが制度のあるべき姿ではないだろうか。  原爆症と認められず亡くなった、ある入市被爆者の妻は「原爆に遭ったことも否定されたようで残念でなりません」と語った。放射線の脅威と闘ってきた人々を失望のまま終わらせる。こんな「被爆国」であってはならない。(かどやすふみ 社会社説担当)」(74日朝日新聞)

 

 

 

 

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私の原爆症の知人は病院で明日も分からない状態が続いています。戦後68年も経てもなおこの状態です。なんのための線引きか。

総理は昨日、再稼働についてはっきりしませんでした。勝てばいいのでそれまでは黙っておくつもりだろう。それが許される国なのだろう


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「私の体をきちんと診てほしい」 [水俣病]

 

 

「■ピチピチ

 化粧品のセールスの電話に出た20代の娘。「奥様ですか?」と聞かれ、「はい」と答え、「しみ、しわ、たるみなど全くないので、今後一切、電話してこないでください」と切った。きっぱりと言える娘がうらやましかった。 (山形県長井市・たぶん相手もびっくり・52歳) 」(朝日新聞「いわせてもらお」)

 

 

水俣病認定対象外 出生年で線引きの不合理

 

「水俣病の症状がある被害者の救済策に申請したが、対象にならなかった48人が20日、国と熊本県、原因企業チッソに総額2億1600万円の損害賠償を求め、熊本地裁に提訴した。救済策を巡り、訴訟が起こされるのは初めて。原告団は「水俣病の症状がある全員の救済を求める」と決意を語った。」(朝日新聞)というが、その中に、国が定めた196911月末までの生まれを対象するとしているが、1970年に産まれた人がいます。両親や兄、姉は認定されたのに、一人だけ認められていないという。

生年月日での線引きは、原爆被害者の認定でも中心地から円形にある範囲でと物理的に制限されている。福島でも同じような仕組みです。円形だけが被害を受けないのは、福島での放射能の広がりでも確認されています。それでも、物理的な範囲で見ようとしています。一人ずつの症状に合わせた判定をしないのは、この国の仕組みになっているように思います。今年から、難病の人も障害者サービスの対象になりましたが、これもまた疾患名が指定されています。個別の状態から判断するという方法をとりません。難病以外の障害でも同じような歴史があります。

 

先に挙げた方は、家族で同じものを食べているわけです。じっくり診断すれば分かるはずです。「汚染魚を多く食べたことを証明する方法もあり、へその緒を退出した水銀値は「0371ppm」あった。しかし国が目安としているのは「1Oppm」。患者認定と同じ高い値で、救済の前提となる公的検診の受診さえできなかった。「チッソ城下町」で、水俣病という言葉を口にするのもはばかられる風潮は、今も地域に厳然として残る。そこに盾突き、原告に名を連ねるのは「一大決心だった」。一律の線引きで対象外されるのは、明らかに仕組みに不備があると感じている。「私の体をきちんと診てほしい。診た上で、私が水俣病なのかどうか判断してほしい」(以上は西日本新聞より)

 

 

 

 

 

 

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