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病気と闘うだけでなく [医療]

 

 

がんを患った小林麻央さんが亡くなった。闘病の大変さもあったでしょうが心から哀悼の意を表したい。各局も夫君の会見など放映されましたが、土曜日の朝のテレビで、BBC放送が、世界の人びとに感動や影響を与えた「今年の100人の女性」に選ばれたときに、麻央さんが、がんとの闘病生活以前に結婚子育ての時間があっことなどすべての時間が私にはあったとする趣旨のコメントが紹介された。それに対するコメンテーターの話が全くかみ合っていなことに気づきました。がんとのことだけが小林さんの人生ではないことを本人が語っているのに、それに気づかないでいます。

 その後に聞いた自死を扱ったラジオで、現在は「死は生の終わりの一瞬」だと受け止められているのではないかと述べられていました。死が見えなくなっているという流れの中での藩士ですが、亡くなる瞬間は小林さんはがんとの闘い(この言葉もどうか)だったとしても人生ががんに支配されていたわけではありません。本人を支えてくれた母などの家族との生活、仕事・子育ての・夫との出会いなど人生にはいろんなことがあったという趣旨の言葉が紹介されました。凄い方だと思いました。がんの小林麻央だけが私ではないと述べているのだと思います。

 例えば、がんの〇〇さんとレッテルを貼れば、がんの面からしか見ることができなくなります。どんな障害があっても、日常の生活があります。そこでの生活を捨象して、病名でで可哀そうだとかなどにならないか。人生はそんな薄っぺらではないのではないか。小林さんはそんなことを言いたかったのではないかと思ってみたのでした。

 

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抗がん剤をやめるとき [医療]

 

 

薬をやめることは死につながりますが、それでも続けるかどうか。判断が求められるという。大変なプレッシャーですね。

 

「抗がん剤をやめるという決断 二ノ坂保喜

森本義夫さん(享年64) 2012年、腰の痛みが 取れずに整形外科を何軒か 回った後、九州医療センター(福岡)で肺がんの骨 盤転移と診断されました。 既に最も進行した「ステー ジ4」で手術できず、骨盤 の放射線治療全身の抗がん剤治療を受けました。抗 がん剤は効果を見ながら種 類を変えていきますが、9種類自の薬で、担当医に「最後の薬です。今後はどうしますか」と問われました。146月、森本さん夫婦は私の所に相談に来ました。胃がん末期でありながら当院でボランティア活動を続けた池本タエ子さん(連載4回目で紹介)の夫と義夫さんが同級生で、同時期に闘病中だったタエ子さんの在宅療養の話を聞いていたのです。 森本さん夫婦は重い病と 宣告されたとき「最期まで 寄り添って生きていこう」 と決めていました。入院仲 間の話や様子から「この薬 になったら抗がん剤治療を やめよう」とも話し合って いました。 私が診てきた進行したがん患者にとって、抗がん剤治療は薬の選択や副作用対策なども難しいのですが、最も難しいのは「いつやめるか」という見極めです。抗がん剤が効果を表すこともありますが、ほとんどは最終的にがんが体を支配します。次第に体が弱って抗がん剤は効果がなくなる一方、副作用は変わらず体を 襲います。「死ぬまで続け る」という医師は多いので すが、私は少しでも回復力 が残っているときに抗がん 剤をやめればよりよい生活を維持できると考えています。(以下略)(にのさかクリニック院長、福岡市)

 

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科学的だけでは足りないと [医療]

 

 

 

「迫田陽子さんのチョイ・オーイ ベトナム

伝統医療の歴史学ぶ

ゴールデンウィークも過ぎましたね。ベトナムも4 30日から4連休でした。 いつもはバイクや車であふれる道路もすいていて、バイクの運転も快適でした。用事ついでに、普段あまり行かないエリアに足を伸ばしてみました。 ホーチミン市中心部から15分ほどのところに、製薬会社が運営する「ベトナム伝統医学博物館」があると聞き、訪れました。住所をたどっていくと、静かな住宅地に伝統家屋風の建物が。博物館には見えず、周囲をぐるぐる回っていると、近所の人が「あっちが受付よ」と教えてくれました。入館料は12万ドン(6 00)。ベトナムでは割高です。公立の博物館や美 術館は大体2万ドン前後。 ふらりと入るには高かった かな、とも思いましたが、 結果的には満足しました。館内では伝統医療の歴史が紹介され、英語ガイドさんが説明してくれますし、案内ビデオも公立のものよりはるかに分かりやすかったです。

ベトナムの伝統医療は、王族の健康維持のため、家来が中 国に医学を学びに行ったのが始まりと か。そのため、薬の原 料も使い方も漢方に 似でいます。ベトナムでは「ウォン・チャ ・モッ・ガイ・サー・バ クシー」(11杯の お茶は医者を遠ざける)と言われ、館内に もお茶を煎じる器具が多く展示されていました。ミュージアムショップにもさまざまなお茶があって、薬草をブレンドしたお茶を買いました。伝統医療の力を味方に、日々健康に過ごしたいものです。(ベトナム・ホーチミン在住ジャーナリスト)」( 2017515日西日本新聞)

 

1991年にEBM(科学的根拠に基づく医療)という主張が強まり、精神科医療でもエビデンスということが強調されました。疫学的な根拠に基づく医療の提供ということですが、それには行き過ぎがあったということで「NBM narrative-based  medicine 物語に基づく医療」と言うことが提唱されたそうです。物語とは「闘病記」などです。例えば、てんかん発作は天候や気圧に左右される人がいる」というのは、エビデンスがないとして排除されますが、NBMでは重要な情報として尊重されます。現場でどうなっているかは知りませんが、科学的根拠が証明されないから排除するというのでは患者との距離は縮まらないのでは。

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医療者と患者を誰がつなぐ [医療]

 

 

医療者と患者を誰がつなぐ

 

 

 

 

 

「がん患者に対話と交流を 「がん哲学外来」樋野氏講演

 

病気になっても病人になってはならない。「がん哲学外来」の提唱で知られる順天堂大医学部の樋野興夫教授(63)、が福岡市で講演し、がんを告知されて死を意識したときの生きざまを説いた。日本人の2人に 1人ががんにかかるといわれている。樋野教授は「どんな境遇でも役割がある。困っている人に手を差し伸べて」と呼びかけた。(略)

 

樋野教授は「人間には最後に『死』という大切な仕事がある」と表現。「若い時に華やいだ生活をしようが苦しい生活をしようが、人生は最後の5年間をいかに過ごすかで決まる」と指摘し「がんも一つの個性。人間には使命があり、病気でも病人にならない社会づくりが必要」と語った。医師に対しては「患者と同じ目線を」と訴えた。(以下略)」(2017424日西日本新聞)

 

 

 

がんカフェの様子をテレビで見ましたが、患者と家族の声を傾聴する場が必要ですね。その意味では、下記の報道は残念ですが、新しい動きが必要ですね、

 

 

 

「苦情が医療者の認識変えた

 

患者の権利オンブズマン

 

活動18年 福岡市で解散報告集会

 

 

 

患者や遺族から苦情を受け付け、医療機関などに対応を迫ってきた福岡市のNPO法人患者の権利オンブズマン(久保井摂理事長)の解散報告集会が23日、同市、・天神であった。「苦情 に学ぶ」を合言葉に、患者 側と医療機関が対立する訴訟ではなく、対話による解決を目指した活動を関係者が振り返った。514日の臨時総会で解散する。欧州の苦情解決制度を参考に、19996月に発足。研修を積んだボランティアが相談に応じ、医師や看護師、弁護士らが助言 して約6600件を受けてきた。同様の取り組みは関 東や関西などにも広がつた。 同集会では冒頭、副理事長の平野亙・大分県立看護科学大准教授が解散の背景に入手不足や財政難などがあったと説明した。 続いて5人がパネル討 論。発足時からの相談員、 福山美音子さんは「話をするたびに元気になり対医療機関の『気持ちを理解できず申し訳なかった』という、一言で納得された相談者がいた。患者や家族の思いを 受け止める場がいかに大切かを知った」と報告。医師 として活動に協力してきた熊本市西区の病院長、赤木健利さんは、患者によるカルテ開示請求が珍しくなくなったことに触れ「活動は

 

医療者の認識を変えた」と評価。宮若市の病院長、有吉通泰さんは「医療には近年厳しい目が注がれておりこうした組織はより必要になるのではないか」と解散を惜しんだ。」(同前)

 

 

 

 

 

「がん患者に対話と交流を 「がん哲学外来」樋野氏講演

病気になっても病人になってはならない。「がん哲学外来」の提唱で知られる順天堂大医学部の樋野興夫教授(63)、が福岡市で講演し、がんを告知されて死を意識したときの生きざまを説いた。日本人の2人に 1人ががんにかかるといわれている。樋野教授は「どんな境遇でも役割がある。困っている人に手を差し伸べて」と呼びかけた。(略)

樋野教授は「人間には最後に『死』という大切な仕事がある」と表現。「若い時に華やいだ生活をしようが苦しい生活をしようが、人生は最後の5年間をいかに過ごすかで決まる」と指摘し「がんも一つの個性。人間には使命があり、病気でも病人にならない社会づくりが必要」と語った。医師に対しては「患者と同じ目線を」と訴えた。(以下略)」(2017424日西日本新聞)

 

がんカフェの様子をテレビで見ましたが、患者と家族の声を傾聴する場が必要ですね。その意味では、下記の報道は残念ですが、新しい動きが必要ですね、

 

「苦情が医療者の認識変えた

患者の権利オンブズマン

活動18年 福岡市で解散報告集会

 

患者や遺族から苦情を受け付け、医療機関などに対応を迫ってきた福岡市のNPO法人患者の権利オンブズマン(久保井摂理事長)の解散報告集会が23日、同市、・天神であった。「苦情 に学ぶ」を合言葉に、患者 側と医療機関が対立する訴訟ではなく、対話による解決を目指した活動を関係者が振り返った。514日の臨時総会で解散する。欧州の苦情解決制度を参考に、19996月に発足。研修を積んだボランティアが相談に応じ、医師や看護師、弁護士らが助言 して約6600件を受けてきた。同様の取り組みは関 東や関西などにも広がつた。 同集会では冒頭、副理事長の平野亙・大分県立看護科学大准教授が解散の背景に入手不足や財政難などがあったと説明した。 続いて5人がパネル討 論。発足時からの相談員、 福山美音子さんは「話をするたびに元気になり対医療機関の『気持ちを理解できず申し訳なかった』という、一言で納得された相談者がいた。患者や家族の思いを 受け止める場がいかに大切かを知った」と報告。医師 として活動に協力してきた熊本市西区の病院長、赤木健利さんは、患者によるカルテ開示請求が珍しくなくなったことに触れ「活動は

医療者の認識を変えた」と評価。宮若市の病院長、有吉通泰さんは「医療には近年厳しい目が注がれておりこうした組織はより必要になるのではないか」と解散を惜しんだ。」(同前)

 

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「強い人目線で世の中見るな」 [医療]

 

 

野田聖子氏が障害者福祉などに寄与されているのは事実だと思う。自民党の大きな勢力と相いれない部分があるのかもしれませんが、そことのパイプ役にもなってもらっているのではないか。好き嫌いや支持する、しないはあっても、目標に向かって手をつなぐことが今強く求められていると思います。

 

「息子が心臓に持病、社会の壁の厚さ知った 野田聖子さん朝日新聞デジタル 3/4()

3月8日は国際女性デー。衆院議員の野田聖子さんは「やらないで後悔すると一生残る。自分の心に素直に動こう」と語ります。

     

 40歳前までは「男」でした。

  1993年に初当選したとき、自民党の女性衆院議員は私1人だけ。目立つ存在以前というか、希少生物といった扱いでした。

  職場のスタンダードが「男」なので、女性のロールモデルは誰もいない。若い女性が政治家になるもんじゃないという有権者も多くて、応援してくれる人ほど、私に「女を捨てろ」と言ってきました。結婚もするな、子供も産むな。そのくらい犠牲を払わないと男性と同格に見てもらえない。ある意味、悲壮感が漂っていました。(略)

私も結婚して子供を産んでいいんだという解放感がありました。自分が封印してきた、結婚して、相手の子供を産むという人生を追求できるんだと。そういうのを押し殺したまま、政治家のキャリアを積み上げてきた自分から解放された感覚がありました。

 

■国会議員の息子でも…

 親になって? 最高です。私の骨格を作ってくれたのが今の夫なら、血や肉を作ってくれたのは子ども。本当にそう思います。

  50歳で長男を産んでから、自分の政治のスタンスに温かみが生まれた。誰のために政治があるのかなと思うと、困っている人が生きやすくなるためだ、という原点。

  国会議員って、強い人の集まりなんです。生活もそんな困っていない。権力があって、口も立って、80歳近くでも元気でしょ。国会議員とだけ付き合っていたら、基本的に強い人ばかりの世界しか分からない。

  でも、私の息子は弱っちいわけですよ。心臓などに複数の先天性の病気があって、2歳3カ月まで入院生活を送ったんです。国会議員の息子でも、弱っちいから社会の壁は厚いわけです。私が子どものころに当たり前にできたことが、彼はできないんです。毎日家に帰ると、その息子がいるわけです。「強い人目線で世の中見るな」って説教されているようなものです。(以下略)」

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高血圧の基準は [医療]

 

 

サプリメントの広告などでは130以上になれば高血圧としていますが、高血圧学会のページでは140以上としています。ところが、私などの高齢者の場合は次のようになっているとしています。平均値の場合、60代 男性142/84 女性 140/8270代 男性146/80 女性 145/79。資料によって1.0ぐらいの違いがありますが。正常値とされる人の割合は18%から22%です。これでは、60代以上の人はほとんどの人が高血圧治療の対象になります。

ここには、いろんな思惑が込められているように思う人は多いと思いますので、高齢者に限っては「目標値」だと説明していると書かれていました。

 私の以前の主治医は、140超えると薬を増やしましょうと何度も言われました。私は自宅でのデータを毎回持参してそんなに変動していないと説明していました。しかし、白衣高血圧というか、病院では高めになります。私の疑問は、たまたま年代別の平均値を知ってからです。

 

 でも今は、時々、高めになることがあります。隠れ脳梗塞などや塩分の取り過ぎなどもあるようですが、そんなことに気をつけながら過ごしています。しかしながら、学会の基準は問題ではないか。

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在宅ホスピスを知りたい [医療]

 

 

学会が久留米であるそうです。市民講座があると聞いていますが、公表されているものは学会の一部のように理解できます。落合恵子氏や二ノ坂保喜氏の講演があるようなのですが・・・。二ノ坂保喜氏の講演は二度ほど聞いたことがあります。西日本新聞に連載が始まりました。

 

「続 死を見つめて生きる  二ノ坂保喜

 

皆さん、お久しぶりです。 200628月、西日本新聞で「死を見つめて生きる」を25回にわたって連載しました。あれから11年。 在宅での終末期医療に携わる「在宅医」として多くの 方の死と生に触れ、学びを 重ねてきました。
この間、在宅医療を取り巻く状況は大きく変わりま
した。政府は「多死社会」を前に持続的な社会保障を確保するためにも、在宅医療を推進しています。06年に「在宅療養支援診療所」が制度化されました。翌年にはがん対策基本法が施行。全国どこでも同じレベルのがん治療が受けられる体制が整備され、がん患者が在宅で過ごすことも重視されるようになりました。
地域包括ケアも全国的に広がり、市町村の積極的な取り組みが見られます。
九州、福岡でも在宅に関 わる医師や看護師が増え、 少しずつ在宅ホスピスが市民に認知されてきました。 しかし、まだまだ病院の医 療者に、在宅療養が可能で あること、それがより豊か な生と死を生み出すことが十分に伝わっていません。患者や家族、市民にもそれは言えます。

1992年に発足した市民団体「日本ホスピス・在宅ケア研究会」は、ホスピス運動と在宅ケアの普及と質の向上を目的としています。医師や看護師、介護士など医療・福祉の専門職

と、患者・市民が対等に語 り合うことが特徴です。毎年、全国大会で交流と学びを深めており、今年は2 45日に福岡県久留米市で開催します。私が大会長を務めます。

テーマは「いのちを受けとめる町づくり」。高齢社会から多死社会ヘ移りゆくとともに、医療の場も病院から在宅、在宅から地域や
コミュニティーへと広がっています。
私は外科の救急医として
出発し、がんをはじめとする病気と向き合ってきました。手術や高度な医療機器
を使って病気と対決してき
ました。やがて、治療して
もうまくいかない人、がん
が再発した人、治らない病戸
気の人などとも出
会い、死を迎える
人たちとも出会いました。いつしか患者としてではなく、人、生活者として向き合うようになり、その人の人生や家族、家庭、そして地域へと目を向けるようになりました。いのちに関わる仕事は医療だけの役割ではなく、教育、行政、警察や消防、それにお寺や教会なども含めたコミュニティーの役割も大きいことを学
ひました。
大会のサブテーマは「日本のホスピスが忘れてきたもの」。日本にホスピスが
輸入されて約40年、ホ スピスの理念は根付いたで しょうか。がん末期患者の みを対象とし、施設(病棟) に限定したホスピス、在宅 や地域への視点を持たない
ホスピス・・・。日本のホスピスを見直す時ではないでしょうか。全国大会では、多様な視点からホスピスを見直します。」(2017112日西日本新聞)

 

自分が在宅での最期を望んでも家族が対応できるかどうかは分かりません。延命治療も必要ありません。自然と最期が迎えられればいいのですが。

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100歳時代という [医療]

 

 

100歳を超える人が普通の社会とは想像できませんね。

 

「私の視点)人生100年時代 多様なステージ設計を リンダ・グラットン

20161210日朝日新聞

  

 人間の寿命は延び続けています。近著「ライフ・シフト」では、2007年に生まれた日本の子は107歳まで生きる確率が50%ある、という試算や、人生100年時代には80歳まで働くことになる、といった試算を紹介しました。(以下略)」

 

健康であればいいが、老化による衰えは避けられないでしょう。日本社会はどのように受け入れるか準備をしなければならないと思う。

 意識の面で差別が残らないだろうか。出生前診断で障害者という可能性が判定されればほとんどが産まない選択をするという。てんかんなども遺伝性と信じる人が多くて敬遠されました。今もそう思っている人がいると思います。

そんななかで次のニュースを読みました。

 

「民進・原口氏、骨の難病公表 20161211日朝日新聞

 民進党の原口一博元総務相(衆院佐賀1区)が10日、骨の難病と診断されたことを自身のツイッターやホームページで明らかにした。「先日、検査の結果が出て私が骨の難病であることが正式に診断されました。遺伝性難病です」と公表。その上で「復帰はすぐです」とも述べ、衆院議員を続ける考えを示した。」

 

別の記事では、遺伝性であり、親族にも影響があり、公表をためらったそうです。どうか普通に公表できる社会であってほしい。

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言われれば気が滅入る [医療]

 

 

「元気ダネ

 「アクアチャージ
とろみ付き粉末飲料」 1324

アサヒグループ食品(東京都渋谷) フリーダイヤル={0120) 889283

 

知人のAさんは脳梗塞になってから、嚥下障害の症状が 出るようになりました。水を飲むとむせることがあり、水分を控えてしまうのですが、
医師に「脱水症になる恐れが
ある」と注意されました。Aさんのような方にお薦めしたいのが、写真のとろみ付き粉末飲料(18本入り)。これは水分摂取効率を考えて、ナトリウムと糖類のバランスに配慮したもので、14グラムで15キロカロリー。コップ1杯分のお湯や水に混ぜながら溶かして23分ほど置けば、薄いとろみが付きます。 とろみがあるためむせにくく、水分としても吸収がよい。かばんに入れておけば手軽に作れますし、ホットでもアイスでも簡単にとろみが付くのが使いやすい点です。乳酸菌飲料の風味で、好みはありますが、飲みやすい味です。低カロリーで塩分控えめですから、高血圧の方や糖尿病の方も安心です。その点からもシニアに配慮した水分補給剤と言えます。(高齢生活研究所代表・浜田きよ子) 201691日西日本新聞)

 

自分は脳梗塞をしましたが、飲み込みが悪いとはあまり感じませんでしたが、最近は少しあります。加齢の影響でしょうか。

医師の仕事は大変だと思うが・・・。

 

「医者の言葉の. 冷たさに困惑  71

 

「かかりつけの医者と私の見立ては違います。他になければ終わります」。何と冷たい言葉でしょう。心 に突き刺さった。女医は私を一べつすると、パソコンヘ向かった。そこに、患者と共に病と闘っていきましょうと励まし、寄り添う優しさはない。
地域最高峰の大学病院で、最新医療を期待してい
た。患者にしてみれば、医者を選ぶすべもなく、目の前の医者が全てである。医者の使命、信条とは何だろうか。

ビジネス優先か、患者の心に届く診療はどこへ?これが今どきの病院なのかと心がなえた。

老い先短い私でも、人の優しさと一筋の明かりは欲しいのです。病院には、人を癒やしてくれる「天使」と人を傷つける「冷たさ」が、同居しているようです。」(201695日西日本新聞)

 

病院と言うのは責任が大きい。だけに、働く環境がどうなのかとも思います。

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「死ねば死にきり」 [医療]

 

 

 

「この世ランドの眺め  村田喜代子

 

死ねば死にきり

自然は水際立っている。  

高村光太郎」(2016128日西日本新聞

で作家・杉本章子さんのことを知りました。もちろん、名前は知っていましたが・・・。村田さんか゛ガン友達というもう1人の作家は稲葉真弓さん。

 

「女友達は隣の部屋にいる。 仕事の終わった夜中に親しい人と話がしたい。リーン、リー ン、と電話の呼び出し音を三回
も鳴らすと、「はいよ」と出て
くる。隣の部屋ほどの近さ。
けれど深夜、今は耳を澄ましても隣の部屋に人の気配はない。そこにいた人はっと立ち上がり、どこかへ引き揚げて行ったのだ。行き先は生者の私にはわからない。

「『ねえ信じられる?私、ガン から五年よ。もう死なないよう な気がするわ』 私もそんな気がした。だがそ
の後、急に病勢が進んで八月三
十日に亡くなった。
その日の夕方、私は日課の散
歩で近くの公園の楠の大樹の下
を歩いているとき、ふいに胸が張り裂けるほど涙が溢れ働突した。彼女の臨終は午後六時四十分で、ほとんど同時刻だったのを後で知った。」という。こんな話が結構ありますが、私は未経験です。

次に、杉本章子さんのことです。

 

「杉本章子さんは地元福岡の在で、高樹のぶ子さん、夏樹静子さんなど女性仲間で出かけるときは、私は松葉杖の彼女のカバン持ちをした。「はい、バッグ」と私が手を出すと、「有り難う」と小さなハンドバッグを差し出した。
彼女に乳ガンを打ち明けられ
たのは、五年前、私がX治療 を終えて家に帰ったときである。「ぶじにすんで良かったね」 と喜んでくれた後で、「私もガンになったけど治療はしないのよ」と言った。乳ガンの告知を受けてすでに一年は経っていたようだ。私は耳を疑った。「手術や抗ガン剤治療をすると、
ひと月くらいは松葉杖がつけないでしょ。入院して寝てしまったら筋肉が衰えてしまう」 幼いときからの小児麻痩で両足共に動かない。松葉杖で片足を支えるのと、両足を支えるの
とでは力の入れ方が倍も違う。
彼女は自分の二本の腕で全体重を吊り上げて歩くのだ。 「ダンベルやると肩凝り治るよ」 と私に教えてくれたダンベル 体操は、杉本さんにとっては自力で歩くためのものだった。

子どもの頃の友達は、猫だったの」と言う。猫に毬を投げて遊んでいた。たまに猫がいないときは、縁側に這って出て表の道を行く人の姿を眺めた。その距離感が自分に妙に合った。その距離が近世の江戸と似ているという。

積極的治療を放棄して足掛け六年余り、杉本さんは死の数日前まで江戸の小説を書いた。

ガンの入り口は一緒でも、その後の生き方はみな違う。杉本さんは治療放棄して生きることを選び、稲葉さんは自分なりの方法でやり抜いた。生きられるだけを生きた二人。

隣の部屋は水を打ったように、今はただ静かだ。」

 

小児まひで足が不自由。入院すれば松葉杖で歩くこともかなわない。それは避けたいというのが杉本さんが治療をしないという理由のようです。人によって選択は異なりますし、生活背景もあります。それは仕方がないことでしょうか。人の命の尊厳を考えつつ。

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