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時間はあるが [脳梗塞]

 

 

6月にひとつの役職を辞任しましたので、時間はできたのですが、体調不良になり、血圧が180程度になり、頭痛が続きました。病院に行かなくちゃと思った頃、少し下がり始めましたが、なかなか思うようにいきませんでした。体の方がもう無理だと言っているようでした。なんとか動けるようになったのは8月になってからでした。それでも時間はありますので、準備していた放送大学のテキストで学ぶことにしました。ラジオの講義でラジコを使っています。『高齢期の生活と福祉』『死生学入門』です。私が学びたいものだったので良かったのですが、計算違いだったのは、聞いたことを翌日は忘れているという事実でした。時間は得ましたが、学ぶのには適切な時期があることを思い知らされました。正式な入学ではなく、放送を聞いて、テキストだけを購入しています。

 

関心があるのは「高齢者も参加してのまちづくり」です。西日本新聞が「ここで生きる」として随時掲載しているものと重なります。次のような例もあります。

 

「お年寄りを地域で見守り 「町で暮らす」を支える 山口県平生町

福祉推進主役は住民

町社協 サポート役に徹す

 

山口県東南部に位置する室津半島。その西側を占める平生町は、箕山(標高413M)と大星山( 438M)中心とした丘陵地帯と平野部からなり、瀬戸内海に面した温暖な 気候が特徴だ。全人口(12257人、2017430日現在)65歳以上が占める高齢化率は367(3月末)と高く、平均寿命や、介護などを必要とせず日常生活が送れる健康寿命は県内1(10)。お年寄りが自宅で安心して暮らせる地域づくりが課題となる。そんな同町で平生町社会福祉協議会は高齢者への介護事業を展開、その収益をお年寄りの見守り活動などに還元している。住民自身が地域を支える取り組みを応援し、「ここで暮らして良かった」と思える地域福祉を目指している現場を訪ねた。(木下悟)(以下略)」(2017630日西日本新聞)

 

2学期はどうするかですが、聞いても忘れるだけならと逡巡しています。

 

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しびれに悩む [脳梗塞]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「蚊帳の中から 美しい蛍の舞 77

ほほほたるこい・・こっちのみずはあまいぞ・・・の童歌「ほたるこい」。開け放した部屋の蚊帳の周りに舞い込んだ蛍。その幻想的な光に見とれた少年時代が懐かしい。今では、住宅地で蛍を見ることはない。蚊帳をつりて寝る家庭もなかろう。私が小学生のころはどの家庭も蚊帳をつり、その中で夏の夜を過ごしたものだ。入梅の雨上がり、庭先のアジサイには、蛍が飛んできて光の舞。その疲れを休めるため蚊帳に止まる光景に、中から見ほれながら眠りに就いた。至福の時間で心豊かであった。蛍の命は約1週間。はかなくも美しい。湿気を含んだそよ風に吹かれて蚊帳に 舞い込む蛍に正岡子規の句が重なる。

〈人寝ねて蛍 飛ぶなり蚊帳の中〉」(201774日西日本新聞)

 

病弱で貧乏。楽しい思い出が少ないとひがんで育ったというのは後付けで、子どもの頃はそれなりに楽しく過ごしていたように思う。忘れたことも多いと思うので今更何かを思うこともない。

そんなかでも、蚊帳の中にホタルを放した場面は今も残っています。

 

脳梗塞の後遺症で右腕と右脚にしびれが残ったままです。次の投書に頷きました。

 

「汗 しびれに悩む 梅雨よ明けろ 65

雨が降らねば、困る人がたくさんいます。田植えを控えた農家、傘屋さんなど雨具関連の方・・・。湿気があると肌は潤い、若返ります。本のページを繰るにも、指が乾燥していてはうまくめくれません。 夏雨だれを聞きながら、読書 するのが好きでした。しかし10年前、脳出血を発病。運良く、命は取り留めましたが、左半身に後遺症が生じました。出血したのは右脳の視床下部。温度 と湿度を感じる所です。 梅雨になると、その視床下部が活発に働き、左半身に強いしびれと痛みが襲い ます。主治医に聞くと、それらを和らげる薬はないとのこと。気分だけで晴れるようにと、改善の薬を処方してもらっています。気晴らしの薬を飲んで、ひたすら梅雨が明けるのを待っている次第です。」(同前)

 

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寛容な対応とは [脳梗塞]

 

 

世界的な免疫学者・多田富雄氏が亡くなったのが2010年だという。唯一の接点は脳梗塞だったということです。その後、政府はリハビリ制限を打ち出し、原則180日とします。これに対し、長期間リハビリしても効果がないという政府に対し、猛烈に反論し、立ち上がられた姿が強く印象にあります。『寛容のメッセージ』という本では次のように多田氏の業績を紹介しています。

 

免疫系がウイルスに対して強力に働いてしまうと、自分の肝臓を排除するような炎症を起こします。劇症肝炎がそれです。そうなったら命にかかわります。それを回避するために、あるところで反応をやめてしまうのです。これは広く「免疫学的寛容」と呼ばれている現象の一つです。癌になるのと劇症肝炎になるのとどちらがいいということはないけれど、当面の危機(致命的な劇症肝炎)は回避できる。 この現象は、今の世界情勢と面白い比較が出来るのではないでしょうか。もちろんイラクが問題でないといっているわけではない。でもアメリカは過度に好戦的で、世界を自分が監視しているという免疫系を気取った倣慢さがある。しかし
免疫には、一度引いて共存関係を探る「寛容」というもうひとつの戦略がある。

ブッシュはそれに気づいてほしいものです。(『露の身ながら』集英社))と述べているそうです。

 

こうした考えについて、五木寛之氏は次のようなコメントを述べているそうです。

「戦後ドイツで産業復興のためにトルコ人の労働者をたくさん入れました。(略)ドイツが経済的に復興してくると、今度は失業者が増える。すると『外国人労働者は国に帰れ』という運動が出てきました。その時ネオナチなどの人たちが『免疫を見ろ、人間の身体でさえも非自己を排除しているじゃないか。われわれが異民族労働者を排除するのは免疫の理論に従っている』と言い出したのですが、それは間違っているのです。免疫には『寛容』というものがあって非自己と共存することもあることを知らない」のだと述べています。そして、政治・経済に「寛容」を持ち込むべきだとしています。

排外主義が抬頭する今、とても大事な視点のように思えました。

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誰にも障害者になる可能性が [脳梗塞]

 

 

「『おこもり小屋』に炎赤々と 畑地区で伝統行事「どんど焼き」 [福岡県]

 

 雪が一部残る豊前市畑(はた)地区で11日夜、竹やわらなどで建てた「おこもり小屋」と、古いお札やしめ縄を一緒に燃やす伝統行事「畑のどんど焼き」(市指定無形民俗文化財)があり、無病息災と五穀豊穣(ほうじょう)を祈った。

 山あいにある地区の保存会メンバーが先月29日、いろりがある小屋を完成させ、住民が飲食や歓談を楽しみ、近くの小学校の児童も訪れるなど交流の場となっていた。火のついた棒を手にした子どもたちが小屋に火を放つと、竹のパン、パンという音とともに勢いよく燃え上がり、夜空を赤く染めた。=2017/02/12 西日本新聞朝刊=」

 

私が育った地域では「おこもり」は、同級生が集まり、米を持ち寄って食事会をして泊まることでした。地域で異なるのかもしれません。

 

脳梗塞になった人の投稿です。

 

「(声)障害者にも心地のよい社会に 45歳 2017212日朝日新聞

 

 毎日、同じ時間の電車の中で、2人の障害者の方を見かけます。ダウン症と発達障害の方と思われます。お一人はたまに奇声をあげ、もう一人は時刻表を見てはぶつぶつつぶやいています。過去の私は敬遠し、同じ席に座らないことが多かったと思います。

 ですが、今は違います。なぜなら、私自身が脳梗塞(こうそく)を患い、障害者になったからです。リハビリと家族や友人、パートナーの支えでだいぶ回復しましたが、「感覚障害」という後遺症があります。痛みやしびれなど目には見えず、私の苦しみを分かってくれない方もいます。ひどい見方をされることもあり、とても悲しくなります。

 脳梗塞に襲われるまでは、私は自他共に認める健康体でした。障害と健常は、表裏一体なのです。いつ何時、何があってもおかしくありません

 「障害者差別解消法」が施行されて、この4月で1年になります。いま一度、周りを見渡し、障害者と健常者が心地よく暮らしていけるよう、社会全体で動いてもらいたいと強く思っています。

 

私も似た後遺症です。

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不自由でも [脳梗塞]

 

 

「体不自由でも 心は制限なし  52

 

人は何をしている時に幸せを感じるものだろうか。旅行?おしゃれ?おいしい食事?それとも好きな趣味に没頭している時? 人によって返ってくる答えはさまざまだろう。 30代で左半身がまひし、
つえが欠かせない。行動が制限され、楽しさも半減する。幸せが減ったら、一体
何を頼りに生きていけばよいのか分からなくなる。私が重視したいのは心の充実感だ。あれもそれもかなわないけれど、でもこれさえあれば十分と思える何かを、毎日の暮らしの中からわずかでも見つけられれば、きっと心が満たされる。もちろん、周りの人から必要とされる存在であるように努めたい。やがては認められる、役立つ仕事ができればいい。
感謝し、感謝されることで、自分自身の大切さを再認識する。それこそが何よりの幸せではないか。体は不自由でも、心まで制限された生き方だけはしたくない。」(20161117日西日本新聞)

 

脳梗塞で足が少し不自由で、加齢による衰えも加わります。そのための支える用具もあるという。

 

「脱ぎ着が簡単

「肩開きファスナー付きパジャマ」 12960

ハートフルウエアフジイ (大阪府豊中市) 電話=06 (6855) 2118

 

母親の介護をしている方か ら「パジャマの脱ぎ着を楽に できないか」という相談を受
けました。お母さんは寝たきりで左手足にまひがあるそう
です。「パジャマの袖に左腕
を通すのが大変で、おむつ交
換も一苦労」と言うのです。
写真は、肩から袖口に付いたファスナーにより袖が完全に聞くパジャマです。動かしにくい腕を袖で包むようにして着られます。また、注射や点滴などをする場合も袖口が大きく開くので楽です。

ファスナーは直接肌に当たらないよう工夫されていま す。前の合わせは面ファスナーで楽に留められます。 ズボンは、左右それぞれ腰
から膝元まで長いファスナー
が付いています。これは、おむつや下草の交換時に重宝します。ズボンの前を開けても
ズボンが落ちないように、ウエストに開閉できるベルトも付いています。

生地は綿100%、兵庫県の播州織。介護者の声に耳を傾けた工夫が満載です。(高齢生活研究所代表・浜田きよ子)

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脳梗塞とのつきあい [脳梗塞]

 

 

次の新聞の投書の方は古希前だったという。

 

「人生観変わり 読書ざんまい  80

 

今年のプロ野球は例年にない、逆転に次ぐ逆転だった。スポーツの逆転は面白い。しかし、人生において逆転は珍しい。小生、逆転と大げさには
言えないが、古希前に脳梗塞に倒れ「九死に一生」を得た。現在闘病10年余の身。 人生観が百八十度変わった 気がする。悪い方に転んだ 逆転のケースである。
病気に倒れて以来、肉体
的には苦難の日々だが、妻
をはじめ介護の人々にお世
話になり、感謝の一言である。精神的には、楽になった。外出もままならず、家で過ごす日は読書ざんまい。句歌を楽しみ、投稿して脳を刺激する。月に34日のショートステイと週3回のリハビリ。博多湾を終日眺め、癒やされる。災い転じて福となす。〈飽きもせず終日眺む秋の海〉」(20161115日西日本新聞)

 

私は還暦のときで約12年近くになります。たしかに、読書に比重がいきますが、ウォーキングに力を入れています。夜の付き合いなどは勘弁させてもらいますが、脳梗塞になったことを知らない方もいますので、怪訝に思う方もいます。相手が知っているかどうか分からないまま話してしまいますので誤解を与えることもありました。見た目には右足を少し引きずる程度ですが、しびれが手足にありますので、その痛みがつらいです。そこのところは説明が難しいです。

 ブログに書くことで貯め込まないように注意しています。

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励ましてくれる人 [脳梗塞]

 

 

 

「波多江伸子の楽しい患者ライフ

血管はライフライン

 

患者ライフには採血や注射、点滴がつきものです。慢性疾患患者になって36年。ほぼ毎月、血液検査を
してきました。単純計算をすると12カ月×36=42 0回。このほか、臨時の検
査を入れると、採血だけで 500回は腕に針を刺して います。採血場所は肘の内側の静脈です。血液の成分をつぶさないように針は太め。私の血管は細くて動きやすく、看護師泣かせです。かかりつけのクリニックの看護師さんは慣れているので、極細の血管から上手に採血してくれますが、初めての看護師さんはたいがい失敗します。青くなって「すみません」と二度三度刺し直されると、こちらの腕も皮下出血で真っ青。初対面でも、上手な看護師さんはだいたい気配で分かります。態度物腰に自信があふれでいますから。「血管
細いですよ」とプレッシャ
ーをかけても「あー、そーですね」と動じません。(以下略)」(20161112日西日本新聞)

 

通院していた頃、3カ月に1回は採血でした。欠陥が細いと看護師さんに愚痴られてもどうしようもありません。検査結果はそんなに代わり映えしません。ですが、脳梗塞の身であれば検査は欠かせません。

 そんなときに知ったのがピアニスト 舘野泉さんのことです。近況が紹介されていました。

 

「ピアニスト 舘野泉さん

傘寿を迎え、なお 制約から得られる自由

 

ピアノは両手で弾くものとは先入観でしかない。今年、傘寿のこの人の演奏を聴き、あらためてそう思い 直した。 2002年、公演中に脳出血で倒れ、右半身不随となりながらも舞台に復帰。最近、演奏するのは「初演か初演以降ずっと弾かれていなかった曲がほとんど」という。
右手で弾くのがままならず、左手だけの曲自体も少ないため自ら作曲を
依頼。そうしてできた曲は協奏曲だけで12、他のジャンルも含め約50 に及ぶ。 もともとレパートリーが広い演奏
家だ。9月下旬、「音楽と物語の世 界」と題した長崎市での公演も挑戦的なプログラムだった。一般に知られる曲は、バッハの無伴奏のバイオ
リン曲をアラームスが編曲した「シ
ャコンヌ」のみ。宮沢賢治の詩や物語を素材にと吉松隆さんに依頼した曲や、谷川俊太郎さんの詩とエストニアの作曲家シサスクさんから贈られた曲を組み合わせた「白髪の恋の物語」を取り上げ、俳優草笛光子さんの語りとの掛け合いでじわじわと聴衆を引き込んでいった。

左手だけといっても全音域を使うのは変わらない。体の動きはむしろ以前よりダイナミックだ。「片手で弾きだしたら休むところがない。大変な運動量」。ペダルを駆使して残響を効果的に用い、クラスター奏法(腕などを使って密集した複数の音を同時に鳴らす弾き方)などで右手を使うこともある。だが、耳を澄ませば両手か片手かと分ける思考自体、意味

をなさないことが分かる。身体の動きであれ曲の解釈であれ「いろいろ試している」となお貪欲に音楽を追究するひたむきさが伝わってくるからだ。
病に倒れて本格的なツアーまで2年余りを要した。左手のためのピアノ曲といえばラベルの協奏曲。好きな曲だが、弾けば「ピアニスト人生は終わり」と自ら認めるようで譜面を見るのも嫌になるほど避けていた。ある日、自宅で息子がそっと置いてくれた小品の楽譜を手にした。「左手だけでこれほど豊饒な音楽も生み出せるのか」と右手が自由に操れない喪失感から抜け出し「生き
返ったような心地」に至ったという。
再起する段階から作曲家も協力的で、最近は「左手のために書くのはおもしろい」と言ってくる。(以下略)(神屋由紀子)

 

もちろん、世界は違うが体が不自由になっても活躍していることを知っただけで励まされました。多くの人が知らないだけで存在していることで、励ましたり、和ませたりしている人が沢山いるのではないか。

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受け入れる大変さ [脳梗塞]

 

 

福岡市ではノーベル賞の大隅氏で沸いています。高校まで福岡で過ごされたそうで、最近は高校の同級生が発表時には待機していたという。福岡市は名誉市民にと言っているようです。基礎研究の大事さを訴える仕事をしたいという。実用化を求める姿勢に問題提起した形ですね。

 

次は、同病者のことです。詩人の伊藤比呂美氏の人生相談からです。

 

「弱る母笑ってほしい

60代の母は3年前に脳梗塞広なり、半身不随の不自由な体になってしまいました。ずっと人のために生きてきて、これからやっと自由に生きていけるという時を迎えたのに・・・。母はうつ病になり外出せず毎日テレビだけ見ています。母のことを考えると不安になり、

涙が出ます。私たちは大好きな母に笑ってほしいのです。(女性)

 

Aうちの母と同じだ・・・と思って相談文を握りしめてしまいました。あなた がここにいたらぎゅっとハグしてます。母は80のときに両手両足が 不随になって、病院で寝たき りになりました。最初はうつ
になって落ち込んで死にたがっていましたが、少しずつ回
復していって、やがて寝たきりの状態のまま、看護師さんたちと楽しく話して笑い、父やわたしの来るのを待って、好きな物をおいしそうに食べて話して笑って、生きて死にました。

わたしも最初はあなたと同じようなことを考えたんですよ。でもその生きる母を見ているうちに、いえいえそうじゃない、母はどんな状態であっても、一人の人間、イトウ
マスコ(母の名前)という人 間として、精いっぱい自分の 人生を生きているんだなと思
うようになりました。
前を向いてほしい、現状を
乗り越えてほしい、笑ってほ
しいとあなたは言いますが (お手紙より)、お母さんは 笑えてないから笑ってないだ
けで、笑えるくらいなら笑ってます。ただ、今の状態が精
いっぱいなんです。つまり、
この状態でもお母さんはじゅうぶん生きている。
「母は母なりに生きてるのだ、必死に生きてるのだ」とまず娘が意識を変えることが必要なんではないかと思うんです。(以下略)」(2016104日西日本新聞)

 

60代と言う若さなので衝撃もあったと思います。だから、事実を受け入れるのが困難なのでしょうか。リハビリテーションが機能回復訓練という狭い定義でなく「全人間的復権」だと上田敏先生などが主張されたのが分かります。私は、60歳で脳梗塞になり、仕事を止めました。リハビリをしてもなかなか成果は出ません。それでも、歩くことだけを続けました。すると、脳卒中患者と思しき人たちに結構出会います。無言の励ましを受けました。

伊藤氏が言われるように身近な娘さんが生き抜こうとしている母を受け入れることだと思います。そこからのスタートではないかと思います。

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「同窓会コンサート」 [脳梗塞]

 

 

先日、Eテレで「同窓会コンサート」に参加する辺見マリさんが登場していました。72歳の尾藤イサオさんやここに書いておられる西城秀樹さん。青春をなつかしむお客さん。平和な光景です。

 

「ヒデキカンレキ 昭和のスターと「同窓会」

 

今の僕の主な音楽活動の一 つになっているのが、196 0年代のスター歌手たちが出演するライブ「ヒット
ソングジャパン昭和同窓会コンサート」です。2013年からスペシャルゲスト として全国を回っています。今陽子さんやあいざき進也さん、小川知子さん、尾藤イ

サオさんら、昭和のスターがステージをつくりあげています。僕が還暦を迎えたように、

皆さんも年齢を重ねていますが、とてもパワフル。会場に は同年代の方たちが駆け付 け、元気にペンライトを振ってくれます。青春の歌を聴き、タイムスリップをしている感じなのでしょう。どこの会場
も盛況で、団塊の世代の人たちが、気軽に出掛けられるコンサートがいかに少なかったのかを実感します。地方での公演が続くと、長距離の移動とホテル住まいが体力的にきついのが正直なところ。それでも、現役でステージに立ち続けるためにやり
続けたいと思っています。
コンサートでは、進行役のあべ静江さんと、お笑いあり
の掛け合いをして、僕が楽屋裏でも歩くリハビリをしてい
ることを紹介していただいて
います。「ヤングマン(YMCA)」を歌うと、僕のファ ンだけではないはずなのに、皆さんが振り付けを知っていることには驚きます。だれもが踊れるすごい歌だったんだとあらためて思います。同窓会コンサートは、皆で元気に2度目の東京五輪を迎えようと、20年まで続けると'宣言しています。僕も頑張って続けていこうと思っています。(西城秀樹、歌手) 」(2016825日西日本新聞)

 

西城秀樹さんは二度の脳梗塞からの復帰。すごいですね。

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脳梗塞の後で [脳梗塞]



 



県立公園まで行ったら高校野球の予選が行われていました。無料なのかと勝手に思っていましたが600円とありました。いろいろ経費が掛かりますからね。帰りに山笠の帰りの男性二人に会いました。福岡市の隣市ですが、結構見かけます。今朝は4時59分から追い山笠で最終日。博多の夏祭りが終わりました。



 



デスク日記



 



 15年前、バングラデシュを旅した。首都ダッカにあるスラム街や、近郊にある石切り場で働く子どもたちを写真に収めるのが目的だった。レンズを向けると、子どもも大人も皆笑顔で応えてくれた。汗をかきながら写真を撮っている私に、水や果物を分けてくれる人もいた。



 街を歩けば「日本は友達」「いい国だ」と声を掛けられ、親日的な国だと思った。それだけに今回のテロは衝撃的だった。日本人が標的になるとは夢にも思わなかった。



 この国は国連が指定する最貧国の一つといわれ、日本は政府開発援助(ODA)による無償資金協力、幾つもの非政府組織(NGO)の活動などで長年にわたって支援を続けてきた。



 事件をきっかけに支援が滞る恐れもある。だが、犯人は一部の過激思想のテロリストであり、国民のほとんどは日本に友好的な人たちだ。昔、出会った人々の笑顔にやりきれない思いが募る。 (納富猛)=2016/07/15 西日本新聞朝刊=」



 



日本でも中国や韓国では極端に嫌う人もいますし、どこの国も似たようなものではないか。



 



二度の脳梗塞から復活した西城秀樹さんの連載が始まりました。



 



「ヒデキカンゲキ



家族が復帰の原動力



 



「いただきます」。僕が手を合わせると「いただきまー す」と、妻と3人の子どもが 声をそろえる。食事のとき、ずっと続けているわが家の習慣です。
脳梗塞を起こした僕のため、妻は肉や野菜、魚と一週間の中でバランスを考えた食事を出してくれます。食事はまず、おかずを食べて、最後にご飯をいただくご飯は一膳より少ないぐらい。今の僕はそれでおなかがいっぱいです。46歳で結婚し、長女(14) 長男(12)、次男(11)はそれぞれ中学校と小学校に通ってい
ます。
朝食後は、登校する子ども
たちを「いってらっしゃい!」と送り出します。家を空けることも多いですが、朝昼晩と、できる限り一緒に食べるようにしでいます。やはり、家族みんなで食べるのがいいですね
2度の大病を経験してもステージに戻ることができたのは、何よりも家族の支えがあったから。妻は、一貫して何も言わずに尽くしてくれます。家族で映画に行くと「パパ、気を付けて」と階段で支えるのは長女の役目。体が思うように動かなかったとき
は、長男や次男がお風呂で背中を流してくれたこともあります。病気を抱えた父親がいると、自然と子どもは成長するんですね。



僕ががんばっている後ろ姿を子どもに見せれば、感じるものがあるだろう。そういう思いも、発症後に悲観的だった僕が前向きになれた原動力でした(西城秀樹、歌手)」(2016714日)

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