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「写憲」とは [平和]

 

 

こんなことがやられているとは・・・。

 

「みんなの広場

「写憲」で内容が心の中に=中学生・14歳  毎日新聞2018515日 東京朝刊

 先日、社会の授業で「写憲」というものをやった。「写憲」というのは仏教の経文を書き写すという意味の「写経」をもじったものであり、「写憲」は日本国憲法を写すのだ。

最初、その事を聞いた時に、僕は「こんな事をやってもつまらないだけだ」としか思わなかった。しかし、実際に写し始めると、すっと憲法の内容が心の中に入ってきて、すらすらと手が動いた。「写憲」というものを通して、本当の意味で憲法を学べた時間だった。ゴールデンウイーク中に憲法記念日があった。憲法の内容を正しく理解している人はどのくらいいるのだろうかと思った。 (以下略)」

 

試してみたいと思う。憲法問題に関心を持ってもらうのには創意工夫が必要だけど、9条守ろうというだけでは広がりがないように思う。改憲の立場からはどう読むのかも知りたい。

 

「雪はどこに降っても、そこを荘厳してしまいます。人間の犯した醜い歴史も愚かしい誤ちも、すべてを消し去る純白の雪が包んで荘厳してくれる日など訪れてくれないものでしょうか/瀬戸内寂聴」(『若き日に薔薇を摘め』)

 

国会に雪が降れば良い。

 

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戦のあとで [平和]

 

 

佐江衆一氏は元寇に触れながら水城の増築についてふれています。増築していたとは知りませんでした。

 

「元冠二年後の九州は、いずとも鼎の沸くがごとくに騒然としていた。蒙古軍の再襲来に備えて、 大宰府では長大な水城の増築がことなわれており、博多湾では宮崎から今津に至る防塁の大工事 がすすんでいた。そして元寇の敗け戦で失明したり手足を失ったりした傷病の武士の姿が目立った。とれまでみたとともない蒙古軍の火薬を使った炸裂する兵器に、眼をつぶされ手足をもぎとられた者が多かったのである。」(『わが屍は野に捨てよ』)

 

元寇の負け戦の姿に重ねて、特攻で体当たりを拒み爆弾を命中させるとした佐々木氏は、9回出撃し、生還したという。死んだことになっている佐々木の対応に軍は苦慮します。しかし、敗戦となり引き揚げてきます。

 

「浦賀の収容所に2日いた後、118日、佐々木ら復員部隊は隊列を作って収容所を浦賀 駅に向かって出発した。途中で露店が並んでいる道に出た。それが闇市と呼ばれるものだ と気がついた。 行進を続けていると、ひとかたまりの男女が叫び始めた。寄せ集めの服を着て、それでも寒さに震えているような、惨めな姿をしていた。やがて、彼ら彼女らは、復員軍人の列に向かって石を投げ始めた。佐々木にはののしる声がはっきりと聞こえた。

「日本が負けたのは、貴様らのせいだぞ!

「いくさに負けて、よくも帰ってきたな。恥知らず!

「捕虜になるなら、なぜ死なないのか!

石つぶては、佐々木の前後にも飛んできた。復員軍人達は、ちらつとその方を見ただけで、あとはうつむいて黙り込んで歩いた。

佐々木達は、貨物列車に押し込まれ、東京に運ばれた。横浜を過ぎると、列車は廃嘘の中

を走った。扉の隙間から見える無残な焼け野原に復員軍人達は、驚きと絶望の声を上げた。」

(『不死身の特攻兵』)

 

負け戦だろうが、勝ったとしても傷ついた兵士の姿は変わらない。

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体当たりしなかった特攻兵 [平和]

 

 

新聞の戦争体験の投稿欄からです。

 

「敵機からビラ 「日本負けた」92

昭和20年の夏、宮崎県のはずれの小さな町、えびの市にも一度だけ敵機が飛来して「日本は負けた」と書かれたビラをまいて去った。当時、えびの市には 熊本陸軍病院の分院があ り、傷病兵は小学校の教室に、ごろんと寝ころんでいた。粗末に扱われた姿に戦 局の厳しさ、悲惨さを感じ た 私は庶務課勤務で、患者さんと接することは、なかったが、戦局の厳しさは感じ ていた。敗戦のラジオ放送 があった日から間もなく、 近くの県道をのろのろと歩 いて来る人たちを見た。学校にいた兵隊さんたちだった 駅に着く汽車はどれも超 満員。汽車に乗り切れなかった人の列は炎天下に毛布を背負い、熊本県の方ヘ進んだ。たった1枚の毛布すら持つ力もなくなったのか、道端に捨てていく人もいた。あれから長い年月がたつた。夏休みの行楽地。人の波、故郷ヘ向かう車の列をテレビが放映するたびにあの夏の日の記憶と重なってしまう。」(2018413日西日本新聞)

 

この記事を読んだ日に詠み終わった本があります。

9回特攻に出撃して、9回生きて帰ってきた」佐々木友次さんのことを取り上げた『

不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか (講談社現代新書)

不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか (講談社現代新書)

  • 作者: 鴻上 尚史
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/11/15
  • メディア: 新書

』は、体当たりという無意味さに背き、爆弾攻撃して帰ってきた。大本営は体当たりしたということで発表したのに都合が悪い。ついに殺害計画が出されるが敗戦で免れます。

 

「日本軍の降伏を告げるたくさんのピラが撒かれた。もう佐々木が出撃する可能性はなくなった。(略)

殺害命令

佐々木はマニラ近くの捕虜収容所を経て、南のカンルーバン収容所に送られた。カンルーバン収容所は食糧事情がよく、佐々木はたくさん食べ、目に見えて体力が回復してきた。

 佐々木はそこで読売新聞の鈴木英次記者と再会する。戦争中に何度も話した相手だった。鈴木記者は佐々木が生きていることに驚いた。鈴木記者は「佐々木、お前、殺されることになっていたのを知っているか」と話し出した。 第四航空軍は佐々木と津田少尉の銃殺命令を出していたと鈴木記者は続けた。大本営発表で死んだ者が生きていては困るから、そんな命令を出したのだと。 佐々木は驚き、信じられなかった。 鈴木記者はさらに、第四航空軍の命令は、第四飛行師団の猿渡参謀長が実行するはずだった、と説明した。二人を分からないように殺すために狙撃隊まで作っていたと。」

 

特別な意図はなく、体当たりというのは無駄な死だと考えたということのようです。それを実行したのも凄いことだと思います。

 


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サイレン音 [平和]

 

 

盛田隆二著『焼け跡のハイヒール』を読みました。盛田氏の父母をモデルにしたもので、親がどう生きたかを辿るものです。昭和ひとケタ生まれの母親を軸にファミリーヒストリーが掘り起こされていきます。書く動機は両親のことをほとんど知らなかったという思いです。親子で語られることは少ないのではないか。18歳で大学進学したり、就職したりすれば語り合う機会も限られているし、余程のことがないと知りたいと思うのはもっと後の年代になってからではないか。戦時中中国を通信兵として働き、難聴になり、兵としての危機に陥ります。母は、看護学校などで学び、仕事を持つ女性としての基盤を固めていきます。だが、東京大空襲で多くの命が奪われていく姿を見ます。そのなかでの青春の思い出がタイトルになっています。

 

最近、空襲警報に似たサイレン音があるという。

 

「不気味なサイレン音

救急車とも、パトカーとも違う。外国からの武力行使があった時に使われる特別のサイレンが ある。政府のホームページで聞いてみると、どうにも落ち着かない嫌な音である。めったに鳴らないその警報が、秋田県・男鹿半島の集落で響いた。 3月中旬、政府が北朝鮮のミサイル発射を想定して実施した避難訓練である。サイレンに続いて、「発射された模様。屋内に避難を」とのアナウンスがあった。 地区の自主防災会長を務める加藤喜正さん(77)も参加した。ただ、普段から本番さながらの津 波避難訓練に取り組む加藤さんには「訓練のための訓練」にしか思えなかったという。外で掃除する人やパスを待つ人が、目と鼻の先の公民館に逃げ込むという出来すぎた設定。「実際はすぐに逃げる場所もなく、茫然とするしかないのでは」都市部での避難訓練は実施されていないが、おとといのミサイル発射では東京の地下鉄が運転を見合わせた。どうも対応にちぐはぐさが拭えない。一体どこまでの危機だというのか。政府の説明は十分とはいえない。(以下略)」(天声人語2017年1月-6月)

 

福岡市ではミサイル発射への避難訓練があったという。ミサイル発射されて頭を防護するという訓練にいかなる効果があるのだろうか。危機を煽っているようだのように見えるが・・・。私の地元では3.11に避難訓練がありました。

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暴走は誰の責任 [平和]

 

 

人工知能(AI)は自分で考えて行動していくことができるかもしれないし、そうするとAIに人間が指示されることもありうる。それで危険な場面に遭遇したり、暴走した時に、誰が補償などの責任を負うのかという議論があることを『人工知能の核心』のなかで羽生善治氏は紹介しています。ロボットに法人格を与えるという意見もあるそうです。

それに対して暴走を制御できるのかというこことを問うものも読みました。「無事な社会『制御できること』の大切さ」として哲学者・内山 節氏は次のように指摘しています。

 

日本でも、国民は 政治を制御していく手段を失い かけているように思え。 私が原発に賛成できないのは、原発には人間が制御できないものが含まれているからである。事故が起きれば制御できない事態が発生することを、福島の原発事故は明らかにした。事故が起きなかったとしても、使用済み核燃料は長期にわたって危険物質でありつづける。フィンランドでは10万年間地下に貯蔵する計画が進められている、10万年間制御しつづけることが果たして人間にできるのだろうか。とりわけ災害の多い日本では、テロや軍事的な標的に ゆされることも含め、「想定外」のことが起これば、制御できない被ばく地帯が広がってしまうだろう。制御できないものを人間はつくってはいけないのである。だから、新しい技術に対しても、つねに注意深く考える態度が必要になる。遺伝子組み換えは、想定外の遺伝子を持った、制御民できない生物を発生させることはないのか。抗生物質の乱用は、制御不能なウイルスを生みだしてしまうことはないのか。そう いうことに対しても、私たちは、 注意深さを手放してはいけない のだろう。 独裁的な権力がいけないの も、それは制御できない暴走を生みだしてしまうからである。 私たちが制御できないかたちで 展開する軍事的な暴走も、経済 や政治の暴走も、基本的にはすべて悪なのだという視点を私たちは持ちつづける必要がある。今年から、普通の庶民感覚で制御できる社会をつくっていきたいものである。みんなが手をさしのべ合えるような社会も、自律的な制御できる社会だ。もちろん権力の暴走を許さない社会もその基盤だ。人間たちの知恵や行いによって制御できる社会こそが持続性のある社会であり、無事な社会なのである。(一部引用)」(2018112日西日本新聞)

 

AIの暴走も取り返しのつかないものになるかもしれませんが、核廃棄物の廃棄とは時間の可能性としては短いかもしれない。暴走に対する不安感が広がっているのではないか。

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空は破れたか? [平和]

 

 

 

「秋の野草散策から

ハギやクズの花つぼみを野道で見かけるようになった。そろそろ秋の七草のお出ましだ。大宰府在任中にハギ、ススキ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジ バカマ、アサガオ(キキョウ)を詠み込んだ万葉歌人、山上憶良ゆかりの地・太宰府市のだざいふ遊園地内にある「七草園」には、環境省レッドリストで準絶滅危倶種指定のフジバカマも植栽されている。 「源氏物語・藤袴」の章を開くと、若い公達が持参したフジバカマの花を受け取って姫君が困惑するシーンに登場する。「おなじ野の露にやつるる藤袴」と境遇に共通点があることを口実に「あはれはかけよ」と言い寄られる薄幸の美少女・玉蔓。この姫君の胸の内を伝える歌で「藤袴」の章は結ばれる。(以下略)」(2017912日西日本新聞)

 

村田氏は「戦争で空が破れたのは今に始まったことではない」としています。ミサイルの脅威は、そのものよりそれを利用する支配者の心持に薄気味悪さを感じさせます。なぜか。その日の食べ物の心配を呑み込んでひとつの装置1000億円を超す武器が2セット買いますと簡単に決まってしまうことの恐ろしさに空が割れそうに感じます。

 

「この世ランドの眺め 村田喜代子

ふと三十年前に亡くなった祖母のことを思い出した。 戦争で空が破れたのは今に始まったことではない。規模の大小はあるが、七十二年前の太平洋戦争末期、祖母は北九州の空 がB29の空爆でズタズタに破れるのを見た。そして祖母の親戚は広島や長崎の空が吹き飛ぶのも見たのだった。 戦争を体験した祖母たち年寄りは、それからどんな孤独を噛み締めて生きてきたろうか。死者となった友達とでさえ、時代を共有できない孤絶感を味わうのに、祖母たちは共に生きていく孫や子にも共有されない記憶を抱えていたはずだ。今や戦争体験のない人間が大半の世の中で、私もその一人だ。政治家のほとんども、総理大臣もまさにそれ。天が破れた話を聞く人もなく、語れる人も稀少になった。人間はわが身の体験がすべて別なのだ。東日本震災で被災に遭った人々の体験を、わが身に置き換えることもできない。

ただ、私たちは今日までは破れた空や海を繕いながら生きてきた。人間は賢いのか愚かなの

か。私は賢い方に賭けたい。(以下略)」(同前)

 

 

 

 

 


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障害者が生きていける社会こそ [平和]

 

 

「福祉新聞1225日」で近藤原理氏の人が書かれていました。私が関係する団体で15年ほど前に講演をしていただきました。私は「なずな園」のことは知っていましたが、詳しいことは知りませんでした。新聞の訃報などで先駆者の思いを知りました。

 

「先駆者の死去

障害者と共に生き老いる  宮武剛

近藤原理さんが85歳で亡くなった。知的障害者と共に暮らした生涯であった。 かつて炭鉱でにぎわった 長崎県北松浦郡佐々町の丘陵にある自宅を「なずな園」と名付けた。6人の園生を迎えたのは1962年の秋、北欧でもグループホームが生まれた頃だ。行き場のない、主に18歳以上の障害者と「少し大きな家族」をつくった。「誰」 でも家庭で暮らすのが当たり前。どうしても無理なら、できるだけ家庭的な環境で」という揺るぎない信念だった。

原理さんは隣の佐世保市で障害児学級の教員として働いて給与を注ぎ込み、田畑を耕し、豚や鶏を飼い、栗や柿を植えできるだけ自給自足した。寄付は一切断った。逆に園生たちは保育所に草むしりに出かけた。お祭にも行く。選挙の投票もした。「受け身では発達しない。 いま住む町に溶け込んで」。 70年代初め、毎日新聞佐世保支局で駆け出し記者だった筆者は原理さんと知りて合い、なずな園を足繁く訪ねた。一見、牧歌的な共同生活だが、妻も子も妹も巻き込む24時間・年中無休の日々だ。

なぜ、それほどまでに――

原理さんの兄は長崎市で勤労動員中に被爆死した。「母と探して見つけた遺体はどす黒く、泣きながら焼いた。2度と間違った教育をしてはならない。特に障害者が生きていける社会こそ平和の証しと信じて。原理さんとなずな園は長らく孤高だった。60年代後半から障害の種別ごとに専門施設が造られ、巨大なコロニー(集団居住地)の出現に至る。大半は山間部や 海辺に建設され、家族とも 地域とも切り離された。 その大きな流れに抗し、 「なずな障害者教育福祉合宿研究会」(通称・なずな合宿研)を始めた。長崎純心大学教授に転じても各地で開き、参加者は延べ6000人を超えた。 公的な身体障害者の福祉ホーム、知的障害者のグル ープホームが登場するまで20年余の歳月を要した。 (以下略) (本紙論説委員)

 

平和と障害者が生きていく社会との関連で語られることは少ないです。ですが、周辺国の武力脅威をあおることで「選挙に勝った」とし、さらに武器購入を進める動きが、障害者にとって生きやすい時代なのかも問われてるのではないか。

 

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戦争体験の意味 [平和]

 

 

201798日西日本新聞の投稿欄からです。毎週金曜日ほぼ戦争体験が掲載されています。もう2年以上になると思いますが・・・。

 

「グラマン乱舞敗戦受け止め  78

太平洋戦争も終盤の昭和204月、疎開先の北海道東旭川村(現旭川市)の国 民学校に入学した。初めて の夏休み、親類の子どもたちで元屯田兵の伯父が管理人をしている、加藤隼戦 闘隊で有名な「軍神・加藤建夫中佐(のち陸軍少将)」 の生家跡に押し掛けた。伯父は枕元に日本刀を置き、昼寝中であった。これ幸いと6年生のいとこが、刀をわしづかみにして抜いてみせた。初めて見る刃のきらりと光る情景は、軍国少年に強い印象を残した。815日、家の前で遊んでいると、正午前に近所のおばさんがラジオを聞かせてと訪ねてきた。しばらくすると、泣きながら帰って いった。 母から玉音放送があり、日本は戦争に負けたよと言 われた。が、幼い身では何が起きたのか、理解できるものではなかった。その2日後、敗戦を現実として目の当たりにした。北の軍都旭川の上空に、ずんぐりした胴体と翼に星の マークの付いたグラマン戦 闘機の編隊が超低空で乱舞 していたのだ。 」

 

 

「明るい義兄が 寡黙の人 85

ベトナム戦争後、多くの 元米兵が戦闘の後遺症で精神に異常を来しているとニ ュースで知った。終戦日本でも同様のことが多く あった。 終戦で帰ってきた義兄。 底抜けに明るい人だったの に、寡黙の人となっていた。 当時、日本では医療制度も整っておらず、仕方なく本人の好きなようにさせていた ただの怠け者だと言う人 もいた。義兄は鉄砲に犬1 匹を連れて、山に入った。 家族は何も言わなかった。 それをよいことに、義兄は全く仕事らしい仕事をしようとしなかった。ほとほと困った両親は次男に農業を継がせた。義兄は私の姉である妻と娘の3人で暮らす道を選んだ。姉は子どもを背に負ぶってやれる仕事は何でもやった。生活を支え、最終的に子どもも3人、無事に育て上げた。軍隊で義兄に何があったのだろうか。」

 

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平和賞をヒバクシャに [平和]

 

 

「授賞式に「被爆者もいてほしい」 ICAN事務局長20171006日西日本新聞

 

 【ジュネーブ共同】ノーベル平和賞の受賞が決まった核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は6日、拠点を置くジュネーブで記者会見し、フィン事務局長は広島、長崎の被爆者を「核兵器禁止条約制定の重要なプレーヤーだ」と称賛、12月にオスロで開かれる平和賞授賞式に「個人的には被爆者もいてほしい」と述べた。

 フィン氏は、被爆者が1945年以降、原爆による悲惨な体験を語り続け世界に知らせてくれたことが核廃絶運動にとって「非常に役立っている」と語った。

 核兵器は世界平和の安定に役立っていないと強調。日本など米国の「核の傘」の下にある国に核禁止条約への署名・批准を求めた。」

 

長年の活動が世界を動かしつつあります。

 

「長崎の被爆者「報われた」 草の根これからも ICANに平和賞

 

 「ヒバクシャ」にも贈られた賞だ-。核兵器禁止条約の採択に貢献した国際非政府組織(NGO)、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞に選ばれた6日、連携しながら核兵器の非人道性を訴えてきた被爆者は、喜びと同時に「真の目標」を口にした。「今こそ、核なき世界を実現するときだ」と。

 これまで、有力候補とされた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の受賞はならなかった。構成団体の長崎原爆被災者協議会(長崎市)で発表を見守った被爆者らは、それでも拍手を送った。

 「ICANへの授賞は、これまで核廃絶に取り組んできた被爆者にも贈られたものだ」。この日、8月末に亡くなった被災協会長、谷口稜曄(すみてる)さんの後任に決まった田中重光さん(76)は、涙ぐみながら語った。

 かつて被団協代表委員や被災協会長を務めた山口仙二さん(2013年死去)や谷口さんの活動を支えてきた被災協副会長の横山照子さん(76)も笑顔で「天国の皆さんに、一緒に戦ってきた団体の受賞が決まったよ、活動が報われましたよと伝えたい」。語り部を続ける同理事の下平作江さん(82)も「被爆者は高齢。被団協受賞を期待していたので残念な気持ちもあるけど、仲間の団体に決まってうれしい」と語った。(以下略)=2017/10/07付 西日本新聞朝刊=」

 

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反応しない日本政府 [平和]

 

 

 

「ニュース川柳

・千兆円この国難も突破して

・国難を煽る未来がうそ寒い

・泥船呑み込み船出小池丸

・身を守る銃が不安を掻き立てる」(2017107日西日本新聞)

 

ノーベル平和賞に核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が決ったという。日本から見ればヒバクシャに与えられていいと思うが。反応しない日本政府の冷たさが気になります。

 

「長崎大准教授中村桂子氏

被爆者がつないだ価値観

核兵器禁止条約の採択を後押しした国際非政府組織(NGO)核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が、今年のノーベル平和賞に決まったことを心の底から歓迎している。正直を言えば、広島と長崎の被爆者にも授与してもらいたかったという気持ちはある。これまで被爆者の活動を率いてきた重鎮たちが一人一人と亡くなっていく中、一つの帰結として、そのかけがえのない力を今回認めてほしかったという思いもある。だが、被爆者たちは、ICANの活動に対して同志として二人三脚で関わってきた。被爆者が脈々とつないできた価値観を、ICANが形にして、それが受賞につながったと考えれば、被爆者たちも納得できると思う。ICANの方々も、被爆者たちが積み重ねてきた営為に思いを致しているのではないか。

核兵器禁止条約は、ヒバクシャ条約と言い換えてもいいぐらい、被爆者の思いが表現 されている。核兵器の絶対否定が条件となっている。 禁止条約が採択された後、 これからどうやって核保有国を巻き込んでいくか、普遍化していくかという段階で、ノ ーベル平和賞を受けた。これほど核廃絶の運動を後押ししてくれるものはない。ありがたい。北朝鮮の核問題がクローズアップされているが、核廃絶はもっとグローバルで、喫緊の課題だと考えている。約 万5千発も存在する核兵器が、人類にとっていかに巨大な負債であるか。ノーベル平和賞は、そこから目を背けてはならないというメッセージを送った。

同時にこれは唯一の戦争被爆国でありながら、核兵器禁止条約交渉に参加すらしなかった日本政府へのメッセージでもある。北朝鮮の核開発を「国難だ、大変だ」と言いつつ、 依然として核抑止力に依存するそうした冷戦時代そのままの思考停止を脱却しなけれ ばならないということだ。ICANが成し遂げた条約 の締結は、対人地雷禁止条約 がモデルになっている。国レ ベルでは解決できない問題を、国際NGOが間に立ち、 小さな国の声まで丁寧にすく っていった。これまで核軍縮と言えば、核保有国など大国中心の議論とされてきたが、大国が動こうとしない中、小国を含めた各国が「これは自分たちの問題だ」と声を上げ始めた。そして被爆者の思いをすくってくれた。人類は当たり前に進化していると言える。世界の大勢は、核兵器禁止条約の方向を支持している。核兵器が万一、偶発的に使わ

れたらどうなるのか。それに対する想像力が、力を持ったということだ。()」(同前)

 

 

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