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平和賞をヒバクシャに [平和]

 

 

「授賞式に「被爆者もいてほしい」 ICAN事務局長20171006日西日本新聞

 

 【ジュネーブ共同】ノーベル平和賞の受賞が決まった核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は6日、拠点を置くジュネーブで記者会見し、フィン事務局長は広島、長崎の被爆者を「核兵器禁止条約制定の重要なプレーヤーだ」と称賛、12月にオスロで開かれる平和賞授賞式に「個人的には被爆者もいてほしい」と述べた。

 フィン氏は、被爆者が1945年以降、原爆による悲惨な体験を語り続け世界に知らせてくれたことが核廃絶運動にとって「非常に役立っている」と語った。

 核兵器は世界平和の安定に役立っていないと強調。日本など米国の「核の傘」の下にある国に核禁止条約への署名・批准を求めた。」

 

長年の活動が世界を動かしつつあります。

 

「長崎の被爆者「報われた」 草の根これからも ICANに平和賞

 

 「ヒバクシャ」にも贈られた賞だ-。核兵器禁止条約の採択に貢献した国際非政府組織(NGO)、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞に選ばれた6日、連携しながら核兵器の非人道性を訴えてきた被爆者は、喜びと同時に「真の目標」を口にした。「今こそ、核なき世界を実現するときだ」と。

 これまで、有力候補とされた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の受賞はならなかった。構成団体の長崎原爆被災者協議会(長崎市)で発表を見守った被爆者らは、それでも拍手を送った。

 「ICANへの授賞は、これまで核廃絶に取り組んできた被爆者にも贈られたものだ」。この日、8月末に亡くなった被災協会長、谷口稜曄(すみてる)さんの後任に決まった田中重光さん(76)は、涙ぐみながら語った。

 かつて被団協代表委員や被災協会長を務めた山口仙二さん(2013年死去)や谷口さんの活動を支えてきた被災協副会長の横山照子さん(76)も笑顔で「天国の皆さんに、一緒に戦ってきた団体の受賞が決まったよ、活動が報われましたよと伝えたい」。語り部を続ける同理事の下平作江さん(82)も「被爆者は高齢。被団協受賞を期待していたので残念な気持ちもあるけど、仲間の団体に決まってうれしい」と語った。(以下略)=2017/10/07付 西日本新聞朝刊=」

 

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反応しない日本政府 [平和]

 

 

 

「ニュース川柳

・千兆円この国難も突破して

・国難を煽る未来がうそ寒い

・泥船呑み込み船出小池丸

・身を守る銃が不安を掻き立てる」(2017107日西日本新聞)

 

ノーベル平和賞に核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が決ったという。日本から見ればヒバクシャに与えられていいと思うが。反応しない日本政府の冷たさが気になります。

 

「長崎大准教授中村桂子氏

被爆者がつないだ価値観

核兵器禁止条約の採択を後押しした国際非政府組織(NGO)核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が、今年のノーベル平和賞に決まったことを心の底から歓迎している。正直を言えば、広島と長崎の被爆者にも授与してもらいたかったという気持ちはある。これまで被爆者の活動を率いてきた重鎮たちが一人一人と亡くなっていく中、一つの帰結として、そのかけがえのない力を今回認めてほしかったという思いもある。だが、被爆者たちは、ICANの活動に対して同志として二人三脚で関わってきた。被爆者が脈々とつないできた価値観を、ICANが形にして、それが受賞につながったと考えれば、被爆者たちも納得できると思う。ICANの方々も、被爆者たちが積み重ねてきた営為に思いを致しているのではないか。

核兵器禁止条約は、ヒバクシャ条約と言い換えてもいいぐらい、被爆者の思いが表現 されている。核兵器の絶対否定が条件となっている。 禁止条約が採択された後、 これからどうやって核保有国を巻き込んでいくか、普遍化していくかという段階で、ノ ーベル平和賞を受けた。これほど核廃絶の運動を後押ししてくれるものはない。ありがたい。北朝鮮の核問題がクローズアップされているが、核廃絶はもっとグローバルで、喫緊の課題だと考えている。約 万5千発も存在する核兵器が、人類にとっていかに巨大な負債であるか。ノーベル平和賞は、そこから目を背けてはならないというメッセージを送った。

同時にこれは唯一の戦争被爆国でありながら、核兵器禁止条約交渉に参加すらしなかった日本政府へのメッセージでもある。北朝鮮の核開発を「国難だ、大変だ」と言いつつ、 依然として核抑止力に依存するそうした冷戦時代そのままの思考停止を脱却しなけれ ばならないということだ。ICANが成し遂げた条約 の締結は、対人地雷禁止条約 がモデルになっている。国レ ベルでは解決できない問題を、国際NGOが間に立ち、 小さな国の声まで丁寧にすく っていった。これまで核軍縮と言えば、核保有国など大国中心の議論とされてきたが、大国が動こうとしない中、小国を含めた各国が「これは自分たちの問題だ」と声を上げ始めた。そして被爆者の思いをすくってくれた。人類は当たり前に進化していると言える。世界の大勢は、核兵器禁止条約の方向を支持している。核兵器が万一、偶発的に使わ

れたらどうなるのか。それに対する想像力が、力を持ったということだ。()」(同前)

 

 

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「かたばみ紋」 [平和]

 

 

明日をも知れない戦国武士には強い思い入れがあったのでしょうか。

 

「雑草をシンボルにした日本人

 日本の家には、代々続く「家紋」と呼ばれるものがある。 古くから人気の高い家紋で、日本の五大紋の一つにも数えられているものに「かたばみ紋」と呼ばれるものがある。かたばみ紋は、特に、戦国武将が好んで用いていた。 しかし、不思議なことがある。かたばみ紋のモチーフとなったカタバミは、けっして珍しい植物ではない。道ばたや畑などにどこにもあるありふれた雑草である。しかも草丈は10センチにも満たない(略)

戦国武将にとって大切なことは、家を絶やすことなく、繁栄させていくことにあった。

どこにでも生えているカタバミは、じつにしつこい雑草である。抜いても抜いてもなくならないし、そこら中に種子をばらまいて広がっていく。戦国武将たちはこの小さな雑草のしぶとさに、自らの子子孫孫までの家の繁栄を重ねたのである。 カタバミは、けっして強そうな植物には見えない。しかし、戦国武将たちは、そのカタバミの強さを知っていたのである。」

(『植物はなぜ動かないのか』稲垣栄洋)

 

カタバミはクローバーに似たものです。雑草とりをしたら大抵見かけます。でも、それを知っていたということに惹かれます。本当は安穏に過ごしたかったろうに。争いの日々の時代に産まれて。でも、子どもたちよ カタバミにならって生き続けようではないか。そんなに強くは生きられないのだ。

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静かな中に込めて [平和]

 

 

 

「西日本文学展望 茶園梨加

 

90を過ぎた父方の祖母は認知症である。十年以上前のこと。あれは雷の音だったか、筑豊の実家で何か大きな音がして祖母が驚いたことがある。その時に祖母が言った。「坑内でまた事故があったっちゃなかね」。もちろん、既に筑豊の炭鉱は閉山していた。祖 母は炭鉱の購買部で働いたことがあり、結婚後も炭住に住んだことがある。予期せぬ音が、若い頃の記憶を思い出させた。物忘れが多くなる中で、長い間記憶を大切にしまっていたことに、愛おしさを感じずにはおれなかった。(以下略)」(2017831日西日本新聞)

 

記憶の底から呼び起こされる落盤などの炭鉱事故が心に残る。

そして、被爆者谷口稜曄さんの訃報は、具合が悪いとは報道されていたのですが、残念です。

今年は、かの国の核弾頭の問題もありましたが、私もまた「長崎平和宣言」を貪るように読みました。

 

「怒りがにじむ 長崎平和宣言   61

810日の朝刊に「長崎平和宣言」全文が掲載された。日常、戦争や平和に思いを致すことは少ない。まして核兵器を巡る国際情勢を考える機会はほとんどない。でも、この夏は違う。 国連で核兵器禁止条約が採択された一方、国際社会の非難をあざ笑うかのように激しい口調の挑発とミサ イル発射をやめない北朝鮮の姿勢などのためである。正直に言えば、これまで広島、長崎の平和宣言を気に留めたことはなかった が、今年は宣言文、安倍首相あいさつに目を通した。中でも「長崎平和宣言」は印象的だった。被爆者の高齢化への焦り、核兵器禁止条約交渉に参加しなかった政府の対応に対する怒りがにじむメッセージ性に富む内容だったと思う。一方、首相は同条約に触れることすらしなかった。唯一の戦争被爆国である日本が果たすべき役割についf)て、もっと具体的に語ってほしかった。加計学園や自衛隊日報問題だけでなく、このことにも注視していきたい。」(同前)

 

長崎原爆資料館のホームページでは賛同しますかというコーナーがあり、初めて賛同しました。当たり障りない行政文書でなく、核兵器禁止条約への参加を強く願うものになっていました。

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忘れられない日 [平和]

 

 

822日の西日本新聞によると、栄養ドリンクが苦戦しているという。女性向けとか、エナジードリンクに食われているそうです。今年の夏、散歩しているとペットボトルのお茶では物足りなくなり、自販機を覗くとオロナミンCとリポビタンDがありました。120円と150円でしたが、それより10円高いところもあります。お茶では自販機よりコンビニが安いので、栄養ドリンクも安いかもしれないと思いましたが、税込みだと150円を超えていました。細かいことですが、そんな「発見」もありました。みなさん、ご存知のことかと思いますが・・・。

 

 

先のドリンク記事と同じ新聞の女性投稿欄からです。

 

「忘れられない日

テレビの調査で、815日が何の日か若い人 に尋ねたら「知らない」と答えた人がかなりの 割合に上ったと聞き、ショックを受けた。 暑い日であった。ラジオの前に正座させられ 天皇陛下のお言葉を聞いた時、子ども心にも何か大変なことが起こったのだと思った。空襲警報のサイレンの音に脅かされることはなくなったが、それからは、父や母、そして多くの国民にとって、生きていくための長い闘いが始まった。

空襲で家を焼かれバラックに住み、荒れ地を開墾し芋やカボチャを作り飢えをしのいだ。あるとき、その小さな 畑に泥棒が入った。何を取られたのか 忘れてしまったけれど、捕まったのは 優しそうなお兄ちゃんであった。ただただ、ぶるぶる震えている姿を70年以上たった今でも忘れることができない。きっと、おなかがすいていたのだろう。当時はみんな飢えていたのである。教師だった父は何事もなかったように一緒に食事をさせ、お兄ちゃんは帰っていった。その時の青年のことをふっと思い出すことがある。悲しい、つらい思い出である。(主婦・77歳)」

 

5歳程度年上の方ですが、まもな1歳になるときだった私には15日の記憶はありません

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半径1キロの中で [平和]

 

 

太宰府参道の突き出し屋根 は「付庇」となり、参道は公道なので違法状態になるという。そこで、条例改正して適法化するという。天神の新天町も公道だそうで課税するかどうかという問題が上がっているという。いい知恵はないものか。

 

平和についても知恵が必要ですね。この際に乗じて軍備拡大にしか関心がないように見える人たちにも考えてももらいたい。

 

「【戦争への想像力】 平野 啓一郎さん 

◆日常と原爆つなぐ「声」

 半径1キロの円というと、人はどの程度の区域を思い浮かべるだろうか? あるいは、2キロ、4キロ…となると?

 直線距離で1キロというと、歩いても大したことはないと思うだろう。半径4キロの円となると、もう自転車や車、電車での移動となろうが、いずれにせよそれらは、世界地図の上では区別のつけようもない小さな「点」である。

 長崎の原爆資料館を訪れて、その被害を、爆心地から「1キロ以内の区域(人畜は強力な爆発圧力および熱気によってほとんど即死……)」、「4~8キロ以内の区域(人畜は爆風にともなう飛散物によって一部重軽傷を負い……)」と同心円の距離によって解説する展示を見ながら、私はその意味について考えていた。

 このほぼ半径10キロ以内というスケールに接して、「意外と小さい」と感じる人がいるかもしれない。今し方述べた日常感覚もあれば、原爆投下という世界史的な事件との一種のギャップもあろう。更(さら)に威力を増した今日の最新の核兵器との比較も恐らくある。

(略)

 私は長崎市を訪れる度に、いつもその町の美しさに心惹(ひ)かれる。海があり、周囲を山に囲まれて起伏があり、中華街や教会といった異国情緒があり、こぢんまりとしていて、全体に言い知れぬ穏やかさがある。人の言葉も優しい。被爆地として訪れた外国人の私の友人たちも、その観光地としての魅力に深く感動する。広島や長崎には、ぜひとも足を運ぶべきだが、それは何も、原爆被害の悲惨さを知るためだけではない。今の町の平穏こそは、核兵器への最も痛烈な批判の根拠である。

 同じ半径1キロの円と言っても、日常の世界と原爆投下後に出現する世界とでは、時空間の感覚はまったく違う。

   ---◆---

 1945年8月9日の意味を生涯考え続けた小説家の林京子さんが、今年の2月に亡くなられた。代表作「祭りの場」には、原爆投下直後、地獄と化した長崎の町で、瀕死(ひんし)の男性から薬を求められた主人公のこんな場面がある。

 「お医者さんを呼んであぐるけん、元気にしとかんばですよ、となぐさめると『だいでん、そげん言いなっと……ばってん来ならん』と言った。ばってん来ならん、男の言葉は今でも私の胸にある。男の怨念を感じる。」

 林さんの小説の被爆者たちが口にする長崎弁は、半径数キロ以内の日常世界に生きる人々が、人類史的な巨悪に見舞われた直後に発した言葉として、どの一つを採っても読者の胸を締めつける。それは、決して数字には抽象化されず、また世界地図にも反映されない、私たちが生身で、等身大で感じ取るべき声である。

 原爆が投下され、故郷が焦土と化した時、私たちは、自分の最も慣れ親しんだ方言で、誰に向け、どんなに言葉を発するだろうか? 私たちが考え始めるべきは、そうした地点からである。=2017/08/20付 西日本新聞朝刊=」

 

私が原爆が投下されたとき、どう言葉を発するか。それは分からない。「ごめん」?。

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戦後の平和に感謝 [平和]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「唯一の被爆国 核禁止不参加  60

国連の核兵器禁止条約が 採択された。昭和208月、 多くの犠牲者を出した広 島、長崎への原爆投下後、 核兵器を違法とする条約が 国連で採択されたのは初めてのこと。私も妻も被爆2世。条約は喜ばしく、心から歓迎したい。

国連に加盟する193カ国のうち、6割を超える120カ国以上が参加、採択では122カ国が賛成した。米国の「核の傘」の下にあるオランダは反対を投じたが、自国の考えを主張した。

一方、唯一の被爆国である日本は、交渉会議に参加しなかった。米国の「核の傘」に頼ることを安全保障の基本としているからだ。被爆国として核廃絶の先頭に立つというのであれば、会議に参加し、核軍縮の議論をリードするべきだ。悲惨な原爆投下から72年。世界にはまだ15千 発を超える核兵器が存在す る。被爆者の母は90歳にな る。「再び被爆者をつくらない」が被爆者共通の願い だ。」(201784日西日本新聞)

 

核兵器禁止条約ができた。だが、日本政府は参加していません。戦後、まがりなりに。沖縄を除いてと言わないといけないのかもしれません。8月は平和の意味について毎年考える好機だと思います。

 

「96歳 戦病死の夫へ恋文 糸島の大櫛さんが平和授業 [福岡県]

 

 「毎日、貴方(あなた)と呼んでラブレターを書いています」。戦後70年を機に戦争で亡くなった夫への恋文を書き続けている糸島市の大櫛ツチヱさん(96)が4日、同市志摩小金丸の志摩中学校(藤井浩幸校長)で平和の尊さを語り掛けた。戦争で引き裂かれながら変わらぬ愛を貫く夫婦の“物語”に生徒たちは真剣な表情で聞き入った。

 大櫛さんは20歳の時に、顔も知らなかった四つ年上の仁九郎さんと結婚した。「いい夫婦になろうね」と仁九郎さんに言われ、美術館や映画館に行き、恋人のようにデートを楽しんだ。しかし、幸せな日々はわずか1年2カ月で終わりを迎える。長男勝彦さん(74)が生まれて間もない頃、赤紙が届き戦地へと旅だった。

 1945年8月、玉音放送が流れた。「無条件降伏してどうなるのかと思ったけれど、夫が帰ってくると思うと喜びに変わったの」。だが無情にも届いたのはパプアニューギニアで戦病死したという連絡だった。幼い子ども2人を抱え、子育てや仕事に励み、夫への思いは封印した。戦後70年のある日、雲を見ていて夫への思いがこみ上げた。「貴方、貴方、貴方」と毎日、恋文を書きつづった。

 約400人の生徒たちは、大櫛さんを取材したテレビ番組のDVDを見た後、大櫛さんの話を聞いた。生徒会長の桃井歩美さん(3年)は「一緒に暮らせることが貴重な時間だと思いました」とお礼の言葉を述べた。大櫛さんも「若い力をいただき元気になった。日本の平和を守ってください」と未来を担う若者たちに呼び掛けた。=2017/08/08付 西日本新聞朝刊=」

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長崎平和宣言 [平和]

長崎市平和・原爆 長崎平和宣言

Nagasaki City - Peace & Atomic Bomb

 

 

 

長崎市平和・原爆 長崎平和宣言

 

Nagasaki City - Peace & Atomic Bomb

 

 

 

平成29年 長崎平和宣言

 

 

 

 「ノーモア ヒバクシャ」

 

この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

 

 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

 

 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

 

 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

 

 

 

 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

 

 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 

 

 

 日本政府に訴えます。

 

 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

 

 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

 

 

 

 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。

 

 

 

 あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

 

 

 

 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。

 

遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

 

 

 

 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

 

 

 

 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

 

 

 

 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7,400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

 

 

 

 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

 

 

 

 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

 

 

 

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

 

2017年(平成29年)8月9日

 

長崎市長  田上 富久

 

 

 

http://nagasakipeace.jp/japanese/peace/appeal.html

 

原爆資料館

 

 

 

長崎平和宣言に賛同される方は、「賛同」ボタンをクリックしてください。

 

  

 

 


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人道支援こそ [平和]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「第二の人生は 主夫の道歩む  60

今春で、定年退職した。妻がぼけ防止のため再雇用を勧めたが、私は「主夫」を選んだ。 祖父は55歳で逝き、父は59歳の時、脳内出血で重度の身障者となった。私は高血圧や痛風で薬のお世話になっているものの、その時の2人の年を超えた。 平均寿命まであと20年、 自分で自由に行動できる健康寿命はあと10年と考え、 元気なうちに四国八十八カ 所も歩いてみたい、海外旅 行もしてみたいとあれこれ 考えていた。 主夫になり、毎日の行動 計画を作成した。着替えをするウオーキングをするひげをそる。1週間の行程表も作った。共働きだったので、家事や子育てにも協力してきたつもりだったが、弁当やタ食を準備した妻の負担がいかに大きかったか。パソコンで夕食のレシピを検索する。無限に出てきて、どれを選択するか迷う。私の酒量抑制のため、妻を車で送り迎えしている。妻は「重役待遇」と言いつつ、駅までの往復を歩かなくなったのでウオーキングマシンを買って室内で歩いている。妻の定年まであと6年。主夫業が続く。」(201773日西日本新聞)

 

夜明け頃のウォーキングは今頃多いです。日が昇れば暑いからですね。

福岡では中村哲氏のことは知られていると思います。が、全国区として知らせるべきだと思います。

 

「人道支援こそ 日本の役割だ  73

今日もまた、世界のどこかで繰り返されているテロの何と多いことでしょうか。最近では、英国やフランスなど欧州で頻発しています。 劇場という無防備な場所で起きた自爆テロ。罪なき少女の人生を情け容赦なくはぎ取ってしまう残酷卑劣なやり方に、地球の裏側にいる私たちも身震いするほどの怒りと悔しさにさいなまれます。ご遺族を思うと、 やり切れなさで胸がつぶれる思いです。 過激派組織「イスラム国」などの自爆テロは、貧困であるがゆえの無知、環境の劣悪さがなせるわざと思わざるを得ません。「人道支援こそテロ根絶」。まさにその通り。ペシャワール会のアフガニスタン用水路建設。代表の中村哲氏は医師でありながら、長い年月、人道支援に労力を惜しまず、携わってこられました。同じ日本人として誇りであり、本当に頭の下がる思いです。目には目を・・・ではなく、貧困からの救いこそが、平和の国日本が果たすべき役割と思う。

唯一の被爆国として核廃絶もしかり。平和憲法を守ることこそ「積極的平和主義」です。」(同前)

 

集団的自衛権による駆け付け警護などが平和をもたらすでしょうか。

 

 

 

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6月19日は [平和]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「たくあん添えおにぎり渡す 77

ある春の日、自転車で子どもの見守りパトロールをした。海岸で休憩していると、遠足の小学生たちに出会った。すると、1人の子が走り寄って、リンゴ一切れを渡し「おじいさん、いつもありがとう」と言って仲間の方ヘ走り去った。 70年近く前になるか。思い出した。福岡大空襲で両親を失った同級生が小さな漁村の祖父母に預けられ、私と同じ学級に来ていた。 ズックはなく、はだしか草履だった。弁当は時々、サツマイモがあるくらいで、いつも独り外に出ていた。当時級長だった私はほぼ毎日、先生のおにぎり1個を持たされ、自分のたくあんを添えて渡した。みんな一貧しかったけど、いじめはなく、登校拒否もなかった。遠足の時は私と56人からおにぎりをもらい、数個をおばあちゃんにと持ち帰っていた。リンゴ、バナナは絵でしか知らなかった。リンゴ一切れを味わいながら、平和を願った。」

 

619日と20日にかけての爆撃で多くの方が亡くなられました。むごい戦争を始めた人たちは後に免責され、政治の場に出てきた人もいます。亡くなるのは庶民です。


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