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家庭血圧が基準では

 

 

血圧については医療機関。製薬メーカーの思惑が絡んでいるように思えます。新聞の広告で130からが高血圧だとしていますが、年齢が70歳超えても130だというのでしょうか。

 

「(老いとともに)血圧、どこまで下げれば?201753日朝日新聞

    血圧が高いと、脳卒中や心筋梗塞(こうそく)などを起こす危険性が高まる。最近、これまで考えられていたよりも「低め」がいいとの研究結果が出て、話題になった。でも、低くなりすぎることで起こるめまい、ふらつきも心配だ。高齢者は血圧をどこまで下げればいいのか。

 

 ■米で「120未満に効果」

 「衝撃データ」「『血圧は120以下に』は本当か?」。一昨年秋、複数の週刊誌にこんな見出しの記事が出た。米国であった臨床試験の結果を受けたものだ。(略)

 日本高血圧学会が示す降圧の目標値は、65~74歳で140未満。75歳以上は150未満で、薬の副作用の問題などがなければ140未満をめざすとしているが、SPRINTの結果だと「もっと低めの方がいい」ように見える。

 ただ、この研究は「血圧の測定法が特殊」と指摘されている。参加者は医師や看護師らのいない場所で5分間安静にし、自動式の機械で測ったとされる。この方法だと医療スタッフの前で緊張して血圧がふだんより高めになる「白衣高血圧」を避けやすい。

 この研究で120だった人が、診察室で測ったとすると値はどれくらいか。帝京大の浅山敬(けい)准教授が過去の調査をもとに算出すると、135くらいになった。「これだと、日本で目標とする140未満とさほど変わらない」(浅山さん)。また、75歳以上で120未満をめざした人たちが実際に到達した値は、123が中心だった。

 学会は、測定方法によって値がどう異なるのかを日本人でも調べる研究を始めた。今の目標値をすぐに見直そうという動きにはなっていない。

 

 ■歩けない人、逆効果も

 血圧が高いと、血管が傷んで脳卒中や心筋梗塞などの「心血管病」で亡くなる危険性が高まる。国内の調査でそんな傾向は、高齢者でも示されている。桑島巌・東京都健康長寿医療センター顧問は「年齢が高くても高血圧はきちんと治療する。その意義がSPRINT試験でも確かめられた」とする。

 ただ、同じ年齢でも人によって健康状態はさまざま。高齢になると高血圧以外にもいろいろな不調を伴いやすい。(略)

 ■目標値、個々の症状に応じて

 高齢になるにつれ血管のしなやかさが失われ、血圧が大きく上下するようになる。立ち上がったときや食後に急に血圧が下がり、ふらつきや立ちくらみなどが起きやすくなるのはこのためだ。

 治療に使われる降圧薬は、血圧が急に下がりすぎないよう、高齢者の場合は通常の半分の量から始める。気温が高まるこれからの時期は一般に、冬に比べて血圧は低めになるといい、状態に応じて薬を調整する。

 高血圧を招きやすい塩分のとりすぎにも注意が必要だ。食塩摂取の目標は高齢者でも1日6グラム未満。ただし薄味のせいで食べる量が減り、低栄養になる恐れがある。阪大の楽木さんは「無理に減塩するより、まずしっかり食べてもらい、塩分を体外に出す作用のある利尿薬を少し使う。患者によっては、そんな対応があってもいい」と話す。

 血圧の上がりやすい時間帯が朝の人も夜の人もいて、とくに高齢者では個人差が大きい。久留米大医療センターの甲斐久史・副院長は「同じ血圧値でも立ちくらみが出る人と出ない人がいて、特徴がぜんぜん違う。数値だけを見ていてはだめです」。安全な目標値は、それぞれに応じて設けることが大切という

 個人の状態を知るために重視されるのが、家庭での測定だ。上腕につけるタイプの機器で朝と夜、リラックスしてから測る。数値は、記録して医師に伝える。診察室で測るよりも低めに出やすく、学会の降圧目標値なども診察室での値より5だけ低く設定されている。

 宮川内科小児科医院(横浜市)の宮川政昭院長は、診察室での値が高血圧の基準に達していても、家庭血圧が長い間、安定して低い場合は、薬をやめて様子をみることがある。「家庭血圧はいわば『ふだん着』の血圧。よそ行きの診察室血圧より、その人本来の値を示しやすい」。宮川さんはそう話す。(編集委員・田村建二)」

 

 

例えば、130以上が高血圧とすれば、70歳以上の人の平均値が140を超えるそうなので多数が高血圧になります。不安を煽ることなく、儲けのことを抑えたげんばになるような診療になるようにしてもらいたい。

 

 

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こわいと思われる? [精神障がい者]

 

 

障害者差別解消法は昨年度から施行されています。しかし、相模原障害者施設殺傷事件の対策として政府が出したのが措置入院などの強化です。しかし、それはまずいと指摘されると事件とは関係なく提案したと詭弁を弄しています。これでは、精神障害者が危険な存在だと政府が思っていることではないのか。その影響を取り上げた記事が掲載されています。

 

「障害者手帳、あの日から見せられなくなった201753日朝日新聞

■「みる・きく・はなす」はいま ゆがむ事実

 障害者46人が殺傷された相模原事件。人の命に優劣をつける考え方が事件の背景にあると指摘された。ところが、政府は再発防止策として、むしろ精神障害者の「監視」を強めるような法改正案をまとめた。障害がある人たちは「むしろ偏見を助長する」と批判する。

 

 3月。たにぐちまゆ(44)は大阪梅田の映画館で、楽しみにしていたアニメを友人と見た。統合失調症の精神障害があり、障害者手帳を窓口で見せれば、割引が受けられる。でも、あの日から手帳を見せられなくなった。

 「こわいと思われるんじゃないかって」

 昨年7月26日。相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺された。逮捕、起訴された植松聖(さとし)被告(27)は「障害者は生きていてもしかたがない」と語り、パーソナリティー障害と診断された。事件後、ネット上には「精神障害者はみんな病院に入れておけばいい」といった言葉があふれた。たにぐちは、「精神障害者=危険な存在」という偏見が再び噴き出したと感じた。

 たにぐちまゆは仮名だ。十数年前に結婚した妹は、夫に「姉は修道院にいる」と言った。「妹に差し障りがあるといけない」と実名を伏せて暮らす。その頃から「たにぐち」と名乗り、自らの障害をブログやSNS、講演で語る。少しでも精神障害への偏見がなくなればと考えるからだ。

 昨夏の事件で、いままでの積み重ねを壊された思いがした。「氷を解かすように少しずつやってきたのに……」。彼女が心配するのは、世間の「視線」だけではない。人の命に優劣をつける考え方こそ問題のはずなのに、国の再発防止策はむしろ、たにぐちら障害者を「危険視」して管理しようとする方向に進んでいるからだ。

 政府は今年2月、相模原事件を受けて、精神保健福祉法改正案を国会に提出した。精神疾患で自分や他人を傷つける恐れがある人を強制入院させる「措置入院制度」について、警察や自治体の関与強化が柱となった。これに先立ち、厚生労働省の有識者チームは、植松被告は事件の約5カ月前に措置入院先から退院していたことを踏まえ、行政や医療機関が退院後に十分支援していれば、「事件の発生を防ぐことができていた可能性がある」と指摘。法改正に道筋をつける報告書をまとめた。

 しかし、有識者チームの一人は「措置入院制度の改正を議論した認識はないが、政府の意向を受けて『制度的な見直し』が報告書に盛り込まれた」と指摘。あるメンバーは「医療や福祉的な支援があれば事件を防げたと考えていた人はいないだろう」と話す。

 国の統計では精神障害者の犯罪率は障害がない人より低い。一部の野党は改正案を「精神医療を犯罪防止に使うのはおかしい」「警察の関与は監視につながる」などと批判する。

 「措置入院制度に不備があったから事件が起きたという理屈は、政府による問題のすり替えだ」と、刑法学者で九州大名誉教授の内田博文(70)は改正案に反対する。「誤った政策を通じて偏見が社会に広まれば、市民が差別の担い手になる。差別された人たちは社会の反発を恐れ、声を上げられなくなる」

 影響力がある人の誤解を招く発信も、差別や偏見を呼び覚ます恐れがある。

 元民放アナウンサーの長谷川豊(41)は昨年9月、ブログに書き込んだ。「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ! 今のシステムは日本を亡(ほろ)ぼす」

 患者団体などから「透析患者らへの偏見を助長する」と批判され、長谷川は後に会見で謝罪。4月に改めて取材すると「自業自得の人と本当に困っている人をひとくくりにしたつもりはなかったが、そうみなされる隙があったと反省している」と語った。

 「精神障害が相模原事件の原因ではありません」

 4月30日、神戸市の繁華街。身体障害があり、車いすに乗る石地(いしじ)かおる(49)は月1回、「障害者は力が弱く、価値の小さな存在との印象が社会全体で作り上げられ、命を軽視する思考につながった」と訴える。

 道行く人に「障害をもって生まれてきたんやから、しゃあないやろ」と言われたことも。「障害者は目の前にいない方がいいと、心の中で思う人は多いのでしょう」と石地は言う。でも「見えない壁」をなくす希望は捨てていない。

 「直接相手と向き合って、私はあなたと同じ人間だと伝え続ける。偏見をなくすにはそれしかない」=敬称略(保坂知晃)」

   

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言葉が多すぎる [寛容な社会]

 

 

茨木のり子氏の作品からです。

 

「賑々しきなかの  

 

言葉が多すぎる

というより

言葉らしきものが多すぎる

というより

言葉と言えるほどのものがない

(以下略)」

 

言葉が漂っている社会はむなしい。

 

「『辞任は当然』地元・佐賀 今村復興相更迭

 

 衆院比例九州選出の今村雅弘氏は佐賀県鹿島市出身で、小選挙区では過去5回当選の経歴を持つ。地元の佐賀県の人たちからは「恥ずかしい」「情けない」と批判の声が上がった。

 「被災者の心をいたぶるような言葉。辞任は当然だ」。東日本大震災の後、岩手県に約2年半移り住んでボランティア活動を続けた武雄市の会社員吉田秀敏さん(63)は憤った。今村氏は今月4日には福島第1原発事故による自主避難者の帰還を「本人の責任」とも発言。被災者の感情を逆なでする失言の連続に「東北にいる被災者やボランティア仲間がどれだけ悲しむか。到底、許せない」と話した。

 復興支援のため、宮城県産米を使った日本酒造りの活動を続ける吉野ケ里町の西村一守さん(68)は、郷土出身の閣僚を励まそうと今村氏に日本酒を贈ったことがあるという。「復興に取り組む人たちの活動を踏みにじった。被災者に失礼だし、佐賀県人として恥ずべきだ」

 今村氏の地元、鹿島市の関係者も驚きと落胆を隠さなかった。市観光協会代表理事の中村雄一郎さん(68)は「誤解を招く発言は慎んでほしかった。地元出身の大臣として東北復興に力を注いでほしかった」と無念さをにじませた。

 市内の男性(65)は「地元では期待する声が多かったのに、こういう形で辞めるのは情けない。被災地をどう思っているのか、腹の中が分からない」と語った。=2017/04/26西日本新聞朝刊=」

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「ひよっこ」の時代の定年 [高齢者]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「将棋と新聞に 共通するもの 86

 将棋の最年少プロ棋士、 藤井聡太四段(14)が注目の的である。彼は中学3年生。昨年10月、プロ入りして公式戦14連勝の新記録で勝ち進んでいる。46日付本紙に彼が登場していた。「局面見極める目を養う」を読んで驚嘆した。新聞を読むことは何が大事か考えること。将棋の先を読むことと同じで、共通点があるという。まさに慧眼であると思う。普段の情報源は新聞で、テレビは見ない。インターネットは将棋の研究以外にはあまり使わないという。ちまたの中学生たちとは、まるで異質の存在だ。最年少プロとして面目躍如たるものがあり、近い将来、記録的な若さでタイトル獲得も夢ではない。公式戦ではないがあの

羽生善治3冠も破った。いやはや、目が離せない逸材である。」(2017429日西日本新聞)

 

藤井聡太四段が破った加藤一二三氏も若かりし頃は天才的なデビューだったと思いますが凄いですね。

 

朝ドラ「ひよっこ」を興味深くみています。生きた年代が近いからかもしれません。集団就職していく場面ですが、高度成長期に就職した私にとっても仕事が得やすい時代だったと思います。夜間大学・夜間高校に行く人も多かったように思います。それは学歴で給与や出世が決まりやすい時代にとって必然的な動きだったように思います。50年前、まだ、定年は55歳が主流だったと思います。資料によれば大正時代の頃も定年は55歳で、男性の死亡年齢が61.1歳だったという。定年後5年程度死亡しています。働くために生まれてきたように思います。平成21年では男性の引退が65歳、男性の死亡 80.8歳で、定年後15年という。近所の方は55歳定年で90歳超えている方がいます。この方の老後は35年を超えています。老後の生活を支える仕組みが時代に合っているか考えさせられます。『下流老人』によれば生活保護費以下の状態で暮らす人たちが少なくないという。さらには、若い人もまた老後の不安から消費せずに貯蓄にまわす傾向があるとも指摘しています。

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40年?前の福岡 [街で]

 

 

ニュース川柳

日本海カール・ビンソシやがて着く

・裁決は潮騒もどき農と漁に

・ふるさとは30ロ圏再稼働

沖縄の心も埋める辺野古沖」(2017429日西日本新聞)

 

新聞の「随筆喫茶『そこに油山がある限り』」で門田 陽氏が昔の福岡市の繁華街について記しています。

 

「変わらないようでいて変わるのが福岡です。那珂川沿いにあった城山ホテルはいつなくなったのかなあ?このそばを通ると僕のカラダの血流は時をかける少女になります。 その昔この辺にはピカデリ1とピカデリ2という映画館がありました。中学時代、初デートをして異性と初めて手をつないだ場所。それがもうありません。あの日は確か「ベンジー」〈小犬が活躍する映画)を観た後に中洲の交差点そばにあったカレーの湖月でランチをして健全に帰りました。ふだんは着ないボタンダウンのシャツで出かけましたっけ。流石にまるで昨日のようにとは言いませ んが、まるで40年前のことのようにはっきりと甦ります。親不孝通りのどん突きにあった水域学園の近くや今はソラリアプラザになった福岡スポーツセンターのそばを歩いても同様の記憶が一気に駆け巡ります。

懐古主義ではないです。新しもの好きでも あるのですが、僕の中のどこか一部がまだ昭和のままなのかもしれません。ミーナ天神は 今でもマツヤレディスな気がするし、福岡パルコは岩田屋本館のほうがしっくりきます。 ジュンク堂よりも積文館や金文堂で買わなく ちゃと思ってしまう。文房具ロフトやハンズではなく、とうじや復古堂じゃなきゃいか んでしょ。 変わるのは仕方ないし、変わって新しくなったものはどれも素敵です。そんな中、いつ 帰省してもあの油山だけはいつもの姿で僕を 迎えてくれます。相変わらずの冴えない感じでやさしく迎えてくれるのです。麓のほうは以前よりずいぶん開けて家も増えましたがそれ以外は昔のまんま。ただ心なしか「オレは変わらずここにいるぜ!」とそびえ立っているように見えます。ま、気のせいでしょう。(一部引用)」(同前)

 

私の記憶から消えていたのは「ピカデリー1と「ピカデリー2」。12では入り口の色が違っていたように思いますが?カレーの湖月は馬出で復活したとあります。まだ、てんかん協会と出会っていなかった頃の福岡です。

 

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福祉避難所機能せず [認知症]

 

 

ゴールデンウイークといっても毎日がそんなものだからいいんですけど、やはりどこかに行ってみたい気もします。ビアガーデンがオープンしたというけど10年以上行ってない。というか、体が受け付けなくなった。福岡パルコに泊まれる本屋さんがオープンしたという。本は読み放題だけど販売はしないという。支払いがカードだけというのも年寄りにはなじみにくいか。

 

認知症の人たちも当事者がリードする活動になっているという。

 

京都で認知症国際会議

災害時どう支援

福祉避難所機能せず

熊本地震課題浮き彫りに

仮設で孤立症状悪化

世界各国から認知症の人や家族、専門家らが集まり、 地域情つくりや最新の科学的知見を話し合う「第32回国際アルツハイマー病協会国際会議」の開会式が27日午前、京都市の国立京都国際会館であり、実質的な議論が始まった。29日まで。日 本での開催は2004年に続き2004年ぶり2回目。国内では25年に高齢者5人に1人が認知症という時代を迎える。会議には認知症の人が自ら企画、運営に携わっており、これまでは介護の負担軽減など家族や介護者ら「支える側」の視点に偏りがちだった国の 施策を、本人の意思重視へ と転換させる後押しになりそうだ。(略)

 

 京都市で27日に議論が始まった国際アル ツハイマー病協会国際会議では「認知症と 災害」が主要テーマの一つになった。熊本地震では認知症の人や高齢者、障害者 を受け入れてくれるはずの福祉避難所が機能せず、1年たった今も、孤立を防ごうと本人や家族への支援が手探りで続く。関係者の話からは、備えや支えの難しさが浮かぶ。

 

 閉めきった部屋

 「こんにちは」。今年4月、介護福祉士の安藤俊行さん(51)が地震で最も被害が大きかった熊本県益城町 の仮設住宅を訪れた。桜の花びらが舞う陽気にもかかわらず、閉めきった部屋でジャンパーを着込んだ認知症の男性(90)が座っていた。安藤さんは介護や看護の専門職で作る「ライフサボートチーム」のメンバー。 町の委託で仮設住宅を回っている。男性は持病があるが、妻(81)も認知症のため薬を管理できず、チームが毎日確認している。他人の目が届く避難所では何とか生活できていた認知症の人が、仮設住宅で孤立し、症状を悪化させるケースは少なくない。チームは仮設住宅15カ所を巡回し、認知症の人や高齢者を重点的に訪問。必要に応じてケアマネジャーなどにつなぐ。

安藤さんは「仮設出ても、なじみのない土地で暮らすようになった時にどう支えるか。先が見えない」と打ち明ける。(以下略)」(2017428日西日本新聞)

 

福祉避難所の必要性は浸透しつつあるのでしょうが、実際機能するかはどこもなれていないのでマニュアルが必要な気がしますが・・・。

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テレビは何を伝えていますか [テレビ]

 

 

朝ドラ「ひょっこ」は私などとほぼ同世代ですので興味深く観ています。中学を出て集団就職していきます。私のところでは集団就職というより農業や大工などを継いだりしていました。進学するのは半分以下でした。15歳で働きに出るということがどれだけのことか自分の子ども15歳の頃の姿を見て思ったものです。

 テレビでいえば、先日、ソフトバンクホークスは日ハムの連敗を止めました。大谷の存在が大きかったのか、それとも偶然なのか。テレビは160キロ超したなどもてはやしましたが、その無理がけがにつながっているのではないと心配します。日ハムは人気選手の育成では経験があるはずなのにと思います。

 近未来小説『野良ビトたちの燃え上がる肖像』では次のように述べられています。

 

「河川敷にはあいかわらず市民の憩いの光景が広がっていた。野宿者の屋根のない小国は全国各地で次々勃興しているのに、その情報を流すことは新たにできた「不景気煽動罪」にあたるということで、マスコミも、ネットももはや一切流さなかった。国によって禁止されれば、逆にジャーナリズムの責任を果たしていないと責められることもなく、なって、内心胸を、なで下ろしているふうだった。当然、ぼくが河川敷で見聞きしたことをレポート記事にして送ったって、返事があるわけもない。ひとりだけこっそり会いに来た新聞記者もいたけれど、所詮組織の一員でしかない彼個人にはどうにもできないのだった。組織に歯向かったとしても、即クビにされておしまいである。自分たちの高収入と特権的立場を失いたく、ないために長いものに自ら巻かれたメディアは連日連夜、金メダルがどうの、銀メダルがどうのと、芸能界とスポーツ界の人気者をフル動員して繰状態さながらに東京世界スポーツ祭典の情報ばかりを報道し、まるで自国の兵士の優秀さを誇るように結果をだした選手をほめたたえる政府の姿勢を無批判に拡散させた。人々もまた、経済の破綻隠しと国威発揚に完全に利用された祭典のムードに呑み込まれるままに、日本の選手の競技結果にヒステリー状態で一喜一憂していた。」

 

この国は、報道の自由度世界ランキング72位と昨年と同じです。私たちが知らされていないことが、外国では報道されていることになります。テンションが異常に高いアナウンサーが人気アナランキング上位になるというのも気になります。

 

 

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義務教育では [障害者福祉]

 

 

義務教育では

 

 

 

「認知症予防に 食生活改善を 70

 

  近くの総合病院主催で健康教室があった。各種検査後、医師による講演が行われた。生活習慣病と並んで興味を引いたのは、認知症についての話だった。「朝食を食べたかどうか、 分からなくなれば認知症。何を食べたか、思い出せないのは、単なる物忘れ」とのことであった。 質問が飛んだ。「朝、薬 を飲んだか、分からない時 がよくあります。これは認知症でしょうか」。ベテラ ン医師はにっこり笑って 「心配ありません。それは 単なる物忘れです。私にも よくありますよ」との温かい返事であった。

 

よわいを重ねることは悪いことばかりではない。弱くなった体は人さまの親切を大変ありがたく感じ、感謝の念が強くなる。物事を考える力も増してくる。病院にかかることはお金と時間を無駄にする。まず食生活を見直し、体と家計ダイエットに取り組もうと思う。何より認知症、予防のためにも。」(2017424日西日本新聞)

 

 

 

衰えるだけではないということか・・・。

 

 

 

デスク日記

 

約4カ月、けいれんが頻発して苦しんでいた障害のある息子(11)の発作がほぼ収まった。特別支援学校への通学を再開したものの、妻がマイカーで行き帰りを送迎する日々も戻ってきた。往復約30キロを1日2回。息子のように、たんの吸引など医療的ケア(医ケア)が必要な子どもは、スクールバスの利用が限られているのだ

 

 学校には医ケアに携わる看護師がいる半面、バスへの配置はなし。調子が良ければたんが出ない息子はここ数年、帰宅時だけバス利用が認められていたが、けいれん騒ぎで様子見…となった。運転を苦にしない妻でも負担は相当なもの。そもそも免許を持たなかったり、不慣れだったりする親も少なくない。

 

 こうした障害児支援のため医療や教育の連携推進を自治体の努力義務とする法律が施行されて間もなく1年。マイカーがなくても子どもの通学を保障する学校が増えてほしいと切に願う。 (三宅大介)=2017/04/26付 西日本新聞朝刊=」

 

 

 

みんながマイカーがあるわけではないし、なければ通学をあきらめるしかないのだろうか。義務教育ではないか。国も義務を負うべきでは・・・。国民だが義務を負うというものなのか。

 

 

「認知症予防に 食生活改善を 70

  近くの総合病院主催で健康教室があった。各種検査後、医師による講演が行われた。生活習慣病と並んで興味を引いたのは、認知症についての話だった。「朝食を食べたかどうか、 分からなくなれば認知症。何を食べたか、思い出せないのは、単なる物忘れ」とのことであった。 質問が飛んだ。「朝、薬 を飲んだか、分からない時 がよくあります。これは認知症でしょうか」。ベテラ ン医師はにっこり笑って 「心配ありません。それは 単なる物忘れです。私にも よくありますよ」との温かい返事であった。

よわいを重ねることは悪いことばかりではない。弱くなった体は人さまの親切を大変ありがたく感じ、感謝の念が強くなる。物事を考える力も増してくる。病院にかかることはお金と時間を無駄にする。まず食生活を見直し、体と家計のダイエットに取り組もうと思う。何より認知症、予防のためにも。」(2017424日西日本新聞)

 

衰えるだけではないということか・・・。

 

「デスク日記

約4カ月、けいれんが頻発して苦しんでいた障害のある息子(11)の発作がほぼ収まった。特別支援学校への通学を再開したものの、妻がマイカーで行き帰りを送迎する日々も戻ってきた。往復約30キロを1日2回。息子のように、たんの吸引など医療的ケア(医ケア)が必要な子どもは、スクールバスの利用が限られているのだ

 学校には医ケアに携わる看護師がいる半面、バスへの配置はなし。調子が良ければたんが出ない息子はここ数年、帰宅時だけバス利用が認められていたが、けいれん騒ぎで様子見…となった。運転を苦にしない妻でも負担は相当なもの。そもそも免許を持たなかったり、不慣れだったりする親も少なくない。

 こうした障害児支援のため医療や教育の連携推進を自治体の努力義務とする法律が施行されて間もなく1年。マイカーがなくても子どもの通学を保障する学校が増えてほしいと切に願う。 (三宅大介)=2017/04/26付 西日本新聞朝刊=」

 

みんながマイカーがあるわけではないし、なければ通学をあきらめるしかないのだろうか。義務教育ではないか。国も義務を負うべきでは・・・。国民だが義務を負うというものなのか。

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なんでも遅くなる [高齢者]

 

 

なんでも遅くなる

 

 

 

女性の投稿欄からです。

 

 

 

「紅皿 ゆっくりでいいよ

 

 

 

今年も熊本県南阿蘇村に「一心行の大桜」を 見に行った。昨年は阿蘇を訪ねた1週間後に、 あの地震が起きたので、本当に驚かされた。 行きの車からも、あちこちに満開の桜が見て 取れた。山裾の緑の中、堤防に1列に並んで咲く姿が実にきれいだ。道中どこも満開だったので、現地に着くとがっかりしだ。まだ二分咲き程度で満開には程遠かったのだ。 気晴らしになればと1人暮らしの母も連れてきていた。「残念だったね」と声を掛けると「年取ると何でも遅くなるからね」と母は言う。そりゃ、そうだ。樹齢430年の桜の木。「年を取る」なんて言葉では言い表せないほど古い。頭が下がるほど古い。それでも、大きく長く伸びた枝の先まで、数え切れないくらいのつぼみを、びっしりつけている。まるで、これからもここでちゃんと生きていこうという意欲を見せているようだ。きっと木が、自身の持てるエネルギーを隅々まで行き渡らせるのに、とても時間がかかるのだろう。「ゆっくりでいいよ。満開を見たいと思ったのは私の勝手。いつ満開にするかはあなたの勝手。頑張れ 心の中で呼び掛けた。(61歳)」(2017425日西日本新聞

 

 

 

高齢者になれば、できるまでの時間がかかったり、できなくなったりします。

 

読者の投稿欄では、「健康不安」という避けられないものも待っています。

 

 

 

「山に向かって すすり泣く夫 71歳

 

 幼いころ、祖父を見舞った。馬屋からぶつぶつ言う声が聞こえた。競走馬を育てている病気の祖父が、馬と話をしているのである。「早く大きくなってレ一スに出るんだよ」。じいちゃんが独り言を言っている。馬に話したつて返事しないのにと思っていると「ヒヒィ!ン」と鳴いた。祖父はその1カ月後、逝った。それから65年、今2階の窓から見える耳納の山は、話し掛けても何も言わないが、心が落ち着く。昨年、夫は重い病に侵された。決して弱音を吐かず、元気に振る舞っていた。ある日、外出から帰ると、すすり泣く声。「何でこんな病気になったのか」と肩を震わせ、山に向かって独り言を言っている。それから3カ月後、夫は黄泉の国に旅立った。頭では誰でも、永久の別れが来ることは分かっている。私も山に向き合う。寂しい。祖父の馬のいななきのように、夫の声が返ってきたら、どんなにうれしいだろうか。」(同前)

 

 

 

 ある作家のお父さん韓国から日本に来た人だったという。亡くなったときに医師から相当痛みがあっただろうに一言も痛いなど言わなかったと驚嘆していたという。作家は息子に何かを伝えようとしていたのかもしれないと思ったという。誰もいないところで泣いたことがあってもいいのではないか。「終末、死」とも向かい合うことになります。高齢者の生活には、悠々自適とは少し違う生活もあるのでしょうか。総決算になるのでしょうか。

 

 

 

 

女性の投稿欄からです。

 

「紅皿 ゆっくりでいいよ

 

今年も熊本県南阿蘇村に「一心行の大桜」を 見に行った。昨年は阿蘇を訪ねた1週間後に、 あの地震が起きたので、本当に驚かされた。 行きの車からも、あちこちに満開の桜が見て 取れた。山裾の緑の中、堤防に1列に並んで咲く姿が実にきれいだ。道中どこも満開だったので、現地に着くとがっかりしだ。まだ二分咲き程度で満開には程遠かったのだ。 気晴らしになればと1人暮らしの母も連れてきていた。「残念だったね」と声を掛けると「年取ると何でも遅くなるからね」と母は言う。そりゃ、そうだ。樹齢430年の桜の木。「年を取る」なんて言葉では言い表せないほど古い。頭が下がるほど古い。それでも、大きく長く伸びた枝の先まで、数え切れないくらいのつぼみを、びっしりつけている。まるで、これからもここでちゃんと生きていこうという意欲を見せているようだ。きっと木が、自身の持てるエネルギーを隅々まで行き渡らせるのに、とても時間がかかるのだろう。「ゆっくりでいいよ。満開を見たいと思ったのは私の勝手。いつ満開にするかはあなたの勝手。頑張れ 心の中で呼び掛けた。(61歳)」(2017425日西日本新聞)

 

高齢者になれば、できるまでの時間がかかったり、できなくなったりします。

読者の投稿欄では、「健康不安」という避けられないものも待っています。

 

「山に向かって すすり泣く夫 71歳

 幼いころ、祖父を見舞った。馬屋からぶつぶつ言う声が聞こえた。競走馬を育てている病気の祖父が、馬と話をしているのである。「早く大きくなってレ一スに出るんだよ」。じいちゃんが独り言を言っている。馬に話したつて返事しないのにと思っていると「ヒヒィ!ン」と鳴いた。祖父はその1カ月後、逝った。それから65年、今2階の窓から見える耳納の山は、話し掛けても何も言わないが、心が落ち着く。昨年、夫は重い病に侵された。決して弱音を吐かず、元気に振る舞っていた。ある日、外出から帰ると、すすり泣く声。「何でこんな病気になったのか」と肩を震わせ、山に向かって独り言を言っている。それから3カ月後、夫は黄泉の国に旅立った。頭では誰でも、永久の別れが来ることは分かっている。私も山に向き合う。寂しい。祖父の馬のいななきのように、夫の声が返ってきたら、どんなにうれしいだろうか。」(同前)

 

 ある作家のお父さんは韓国から日本に来た人だったという。亡くなったときに医師から相当痛みがあっただろうに一言も痛いなど言わなかったと驚嘆していたという。作家は息子に何かを伝えようとしていたのかもしれないと思ったという。誰もいないところで泣いたことがあってもいいのではないか。「終末、死」とも向かい合うことになります。高齢者の生活には、悠々自適とは少し違う生活もあるのでしょうか。総決算になるのでしょうか。

 

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主人と呼ばれて [寛容な社会]

 

 

少し古いAERAを借りて読んでいます。小島慶子氏のコラムを楽しみにしていますが、今回は「主人」。

「『主人』は女性の立場を貶める呼称だから使うべきではないという意見には納得しているのですが、コスプレとしてやってみたかったのですね。やがて自分の気持ちに気づきました。『どう?気が強くて男性と対等に仕事をしている私だけど、こんなできた妻でもあるのよ。ますます優秀でしょ』という本音に(一部引用)

 

わが家ではどうでしょうか。あまり気を付けていませんが「主人」と使っていることもあるようです。訳もなく気持ちよくなっている自分がいます。失敗が多い人生です。無条件に立ててくれる環境があってもいいのでは。女性を貶めることになると言われるとそうかもしれませんが・・・。

 

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医療者と患者を誰がつなぐ [医療]

 

 

医療者と患者を誰がつなぐ

 

 

 

 

 

「がん患者に対話と交流を 「がん哲学外来」樋野氏講演

 

病気になっても病人になってはならない。「がん哲学外来」の提唱で知られる順天堂大医学部の樋野興夫教授(63)、が福岡市で講演し、がんを告知されて死を意識したときの生きざまを説いた。日本人の2人に 1人ががんにかかるといわれている。樋野教授は「どんな境遇でも役割がある。困っている人に手を差し伸べて」と呼びかけた。(略)

 

樋野教授は「人間には最後に『死』という大切な仕事がある」と表現。「若い時に華やいだ生活をしようが苦しい生活をしようが、人生は最後の5年間をいかに過ごすかで決まる」と指摘し「がんも一つの個性。人間には使命があり、病気でも病人にならない社会づくりが必要」と語った。医師に対しては「患者と同じ目線を」と訴えた。(以下略)」(2017424日西日本新聞)

 

 

 

がんカフェの様子をテレビで見ましたが、患者と家族の声を傾聴する場が必要ですね。その意味では、下記の報道は残念ですが、新しい動きが必要ですね、

 

 

 

「苦情が医療者の認識変えた

 

患者の権利オンブズマン

 

活動18年 福岡市で解散報告集会

 

 

 

患者や遺族から苦情を受け付け、医療機関などに対応を迫ってきた福岡市のNPO法人患者の権利オンブズマン(久保井摂理事長)の解散報告集会が23日、同市、・天神であった。「苦情 に学ぶ」を合言葉に、患者 側と医療機関が対立する訴訟ではなく、対話による解決を目指した活動を関係者が振り返った。514日の臨時総会で解散する。欧州の苦情解決制度を参考に、19996月に発足。研修を積んだボランティアが相談に応じ、医師や看護師、弁護士らが助言 して約6600件を受けてきた。同様の取り組みは関 東や関西などにも広がつた。 同集会では冒頭、副理事長の平野亙・大分県立看護科学大准教授が解散の背景に入手不足や財政難などがあったと説明した。 続いて5人がパネル討 論。発足時からの相談員、 福山美音子さんは「話をするたびに元気になり対医療機関の『気持ちを理解できず申し訳なかった』という、一言で納得された相談者がいた。患者や家族の思いを 受け止める場がいかに大切かを知った」と報告。医師 として活動に協力してきた熊本市西区の病院長、赤木健利さんは、患者によるカルテ開示請求が珍しくなくなったことに触れ「活動は

 

医療者の認識を変えた」と評価。宮若市の病院長、有吉通泰さんは「医療には近年厳しい目が注がれておりこうした組織はより必要になるのではないか」と解散を惜しんだ。」(同前)

 

 

 

 

 

「がん患者に対話と交流を 「がん哲学外来」樋野氏講演

病気になっても病人になってはならない。「がん哲学外来」の提唱で知られる順天堂大医学部の樋野興夫教授(63)、が福岡市で講演し、がんを告知されて死を意識したときの生きざまを説いた。日本人の2人に 1人ががんにかかるといわれている。樋野教授は「どんな境遇でも役割がある。困っている人に手を差し伸べて」と呼びかけた。(略)

樋野教授は「人間には最後に『死』という大切な仕事がある」と表現。「若い時に華やいだ生活をしようが苦しい生活をしようが、人生は最後の5年間をいかに過ごすかで決まる」と指摘し「がんも一つの個性。人間には使命があり、病気でも病人にならない社会づくりが必要」と語った。医師に対しては「患者と同じ目線を」と訴えた。(以下略)」(2017424日西日本新聞)

 

がんカフェの様子をテレビで見ましたが、患者と家族の声を傾聴する場が必要ですね。その意味では、下記の報道は残念ですが、新しい動きが必要ですね、

 

「苦情が医療者の認識変えた

患者の権利オンブズマン

活動18年 福岡市で解散報告集会

 

患者や遺族から苦情を受け付け、医療機関などに対応を迫ってきた福岡市のNPO法人患者の権利オンブズマン(久保井摂理事長)の解散報告集会が23日、同市、・天神であった。「苦情 に学ぶ」を合言葉に、患者 側と医療機関が対立する訴訟ではなく、対話による解決を目指した活動を関係者が振り返った。514日の臨時総会で解散する。欧州の苦情解決制度を参考に、19996月に発足。研修を積んだボランティアが相談に応じ、医師や看護師、弁護士らが助言 して約6600件を受けてきた。同様の取り組みは関 東や関西などにも広がつた。 同集会では冒頭、副理事長の平野亙・大分県立看護科学大准教授が解散の背景に入手不足や財政難などがあったと説明した。 続いて5人がパネル討 論。発足時からの相談員、 福山美音子さんは「話をするたびに元気になり対医療機関の『気持ちを理解できず申し訳なかった』という、一言で納得された相談者がいた。患者や家族の思いを 受け止める場がいかに大切かを知った」と報告。医師 として活動に協力してきた熊本市西区の病院長、赤木健利さんは、患者によるカルテ開示請求が珍しくなくなったことに触れ「活動は

医療者の認識を変えた」と評価。宮若市の病院長、有吉通泰さんは「医療には近年厳しい目が注がれておりこうした組織はより必要になるのではないか」と解散を惜しんだ。」(同前)

 

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少しの援助で自立生活が [障害者福祉]

 

 

少しの支えがあれば自立した生活が送れます。

 

「(ひととき)感謝、笑顔、幸せの日々 2017421日朝日新聞

 

 私には生まれつき障害がある。脳性マヒで手足の動きや言葉が不自由だ。でも両親や周りの人たちのおかげもあり、短大でのキャンパス生活も、プログラマーとして働くことも経験できた。縁にも恵まれ、同じく障害者で優しい伴侶と結婚し、今はヘルパーさんたちに支えられつつも、夫婦2人だけで生活している。

 これまでつらく苦しいことももちろんあった。いじめもあったし、6年前には障害が重くなり、それまで自分でできていた食事や入浴に介助が必要になった。以来、夕食は夫に食べさせてもらっている。でも生来の性格なのか、まったく悲観していないし前向きだ。

 上肢のしびれはあるが、まだまだ自分の意思で動かせる左手に絵筆を持ち、食べ物や花など身近なものを絵手紙風にして描いている。もともと絵は好きで学生時代も描いていたが、本格的に描くことを勧めてくれたのは、自分も色鉛筆で素晴らしい絵を描いている夫だ。将来もっと動くのが大変になった時に、家で完結できる趣味を持つのは大切だと。そして、僕はあなたの絵のファンだとも。 絵を描き、見てもらうことで誰かを笑顔にできる。それが何よりの幸せだ。 (兵庫県赤穂市 無職 42歳)」

 

国が推奨する「共生型サービス」になったらどうなるのでしようか。生産性を福祉の現場に求めるのだが、結末はどうなるのでしょう。

 

話題はごろりと変わって・・・。

 

「純文学は既存の価値観を壊す」藤野可織さん

「エンタメは社会への問題提起」千早茜さん

女性作家対談

同世代の女性作家2人 が11日、佐賀市であった「九州芸術祭文学カフエin佐賀」で、「作家を志した瞬間~想像から創造ヘ」をテーマに語り合った。話題は 小説を書くようになった経緯から純文学と娯楽小説の違い、創作の訓練法にまで及んだ。1980年生まれの藤野さんと79年生まれの千早さん。藤野さんは2006年に「いやしい烏」で文学界新人賞を、千早さんは08年「魚神」で小説すばる新人賞をそれぞれ受賞し、デビューした。(略)

創作におけるテーマについて、藤野さんは「既存の価値観を壊すのが純文学。 全然違う価値観を提案できる」一方、千早さんは「エ ンタメは社会の不条理や虐げられた人の苦しみに主題 がいく。問題提起の部分が 大きい」と語った。「小さい頃からメモ魔」 という千早さんが「映画を見ながら情景を文字でスケッチする。映画をいかに文字で書くかを練習している」と話すと、藤野さんも「それは小説を書く上で役に立つ訓練。感情は要らないから、見えたものを見えたまま正確に書き起こすことが大切」と応じた。(江藤俊哉) 」(2017217日西日本新聞

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祈る [支え合う社会]

祈る

 

「理解できない 教育勅語称賛  70

  41日付「春秋」を書き写していたら、途中でペンが止まりました。「教育勅語の愛国教育を『素晴らしいと聞いている』と言う首相や『教育勅語の核の部分を取り戻すべきだ』と国会答弁する防衛相」との文章があったからです。エープリルフールかと錯覚しました。教育勅語は親・ 孝行や友愛など、現代社会 で希薄になっている大切なことも説いています。それは前段だけ、本質は天皇を頂点とした国家体制であり、軍国主義です。その悲惨 な結末は周知の事実です。にもかかわらず、なぜ逆戻りの発想が浮かぶのでしょうか。いかなる理屈を並べても到底、理解できるものではありません。「森友学園」問題を政権が必死になって火消しに奔走する姿。そこには何らかの意図、疑念すら感じます。教育は国家の基本です。同じ過ちを繰り返さない固い信念を持つべきです。」(2017420日西日本新聞

 

ちょっと前の時代ではこんな発言したらどうなっていたのでしょうか。事態の急展開についていけません。

 

久しぶりに 「SWITCHインタビュー 達人達(たち)422日土曜」を観ました。 

福島智×柳澤桂子」でした。番組HPでは次のように説明しています。

 

障害者を取り巻く問題を当事者として研究する東大教授の福島智。難病と闘い、思索と執筆を続ける生命科学者の柳澤桂子。自らの体験を交え「生きるとは何か」を語り合う。

 

9歳で視力を、18歳で聴力を失った福島。指点字という方法で周りとコミュニケーションをとりながら勉強を続け、バリアフリー研究者となった。一方、柳澤は女性の大学進学がまだ珍しかった時代に米国留学、最先端の遺伝子研究に取り組むが31歳で突然、原因不明の難病に襲われた。以来、病と闘いながら生命科学について思索をめぐらせている。番組では福島が2日間にわたって柳澤の自宅を訪ね、命と存在をめぐる対話を重ねる。

【出演】バリアフリー研究者、東京大学教授…福島智,生命科学者柳澤桂子,【語り】吉田羊,六角精児」

 

福島氏の発言にはいつも触発されます。昨日はたしか柳澤さんからだったと思いますが、紙などとは無関係に「祈る」ことの意味が語られました。自分の力ではなんともしようがない運命に遭遇した二人にとっての「祈る」ということはどういうことでしょうか。人間としての希望を見出すためにも「祈る」ことで希望をつなぐということか。そんなものとも違うように聞いた。なんと説明したらよいか。

 

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博多塀 [歴史]

 

 

福岡市の「赤煉瓦文学館」で開かれている立石光世写真展「博多べい」を見に行きました。いろいろと教えられました。そこで配布された資料には次のように述べられています。

 

「博多のシンボルとも言える『博多べい』 (正式名称「博多練り塀)は、1587(天正15)に豊臣秀吉 が多々良浜の戦いや島津氏侵攻の戦いなどで荒廃した博多の町を復興するために行なった『博多町割り』の際、兵火による焼け石、焼け瓦を粘土で固め築いた土塀ですが、『博多べい』の外観は瓦を積み重ね築かれた熱田神宮の『信長塀』に極めて似ており、私はこの『信長塀』が『博多べい』の原型ではないかと考えて います。さらに、『博多べい』には韓国伝統的な土塀の要素も加えられたのではないかと想像しています。 秀吉の朝鮮出兵の折に朝鮮から連れて来られた陶工が、有田の窯業地で窯や仕事場周辺を取り囲むように築いた『トンバイ塀』や遣新羅便の航路上に位置する山口県上関町の祝島で見られる石積土塀の存在が その大きな理由です。このことは歴史的観点からも当時の日本と朝鮮を結ぶ大きな手掛かりになるのではないかと信じています。また、韓国の慶州や安東河回村には現在も『博多べい』に似た風情を持つ石積土塀 が多く見られることから推察しても、『博多べい』のルーツの一端は朝鮮半島にあるのではないかとの想 像に至りました。

『博多町割り』にも関わったとされる嶋井宗室は、酒造販売業、金融業、朝鮮貿易などを生業とし、時の 大名である黒田如水、毛利輝元、茶人の千利休との親交や、晩年の織田信長にも面識があったことなどから 政治的にも大きな影響力を持っていたと推察されます。

また、博多の復興は秀吉の朝鮮出兵(592年・文禄元年)に備えての拠点、づくりで、あったことは明らか で、当時宗室は秀吉の朝鮮出兵には強く反対し、その状況を回避すべく対馬の宗義調(そうよししげ)、義智 (よしとし)らと協力して博多聖福寺の住職景轍玄蘇(けいてつげんそ)に日本の国使として朝鮮との交渉役を委ね、町割り開始の翌年1588(天正16)には宗室本人も派遣団の一人として朝鮮に同行するなど 奔走しています二それだ、け宗室が隣国の朝鮮を大切に想っていたことが窺えます。 こういった背景から宗室は、日本と朝鮮の平和を願い宗室独自のアイデアでこの『博多べい』を築いた のではないでしょうか。

結局、当時は1592(文禄元年)1597(慶長2)の二度にわたる日本軍の朝鮮侵攻により朝鮮の 国土は荒廃、民衆の心のよりどころである寺院は全て焼き払われたのです。平和を願っていた宗室や朝 鮮派遣団一行の想いは残念ながら叶いませんでした。(一部引用)

 

「信長べい」「トンバイ塀」「祝島」及び韓国との関連については初めて聞きました。

 

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太宰府馬車鉄道 [歴史]

 

 

 

連載「天神大牟田線物語」は「鉄路延ばす『宰府詣で』」です。

 

「県内で初めて、道路に敷設したレール上を運行する「軌道」で開業したのは太宰府馬車鉄道でした。1902(明治35)年の菅原道真公千年忌大祭に合わせ、二日市駅から天満宮参道まで開通させています。天神大牟田線も、最初は
福岡市と太宰府天満宮や二日市温泉を結ぶ電気軌道として構想されました。久留米市までのインターアーバン(都市間鉄道)に変更された後も「宰府詣で」の需要は経営の大きな要素で、太宰府軌道(動力を蒸気機関に変えて馬車鉄道から改称)と早々に経営を一体化させました。菅公1025年忌大祭の1927(昭和 2)年、線路を敷き変えて 電化したのが現在の西鉄太宰府線です。
乗り合いバスも同じよう な歴史があります。都市内 の輸送が先行したと思われがちですが、県内で最初の バス路線は1913(大正 2)年の国鉄二日市駅-太宰府。やはり「宰府詣で」の輸送が目的でした。2番目のバス路線は鉄道で結ばれていなかった福岡-飯塚で、福岡や北九州の都市内にバス路線が開設されるのはもっと後年のことになります。(西鉄広報課吉富実)」(2017419西日本新聞

 

これだけの信仰を集めた菅原道真公の力とは・・・。鉄道でなく、歩いての参拝者も多かったという。そのルートを解明した本も出されています。

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40歳で衰え [支え合う社会]

 

 

「仲畑流・万能川柳  毎日新聞2017418日 東京朝刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

 

☆消音で見ると愉快なトランプ氏 いわき バッパさん

さすらいの旅の途中か蟻一匹 安曇野 荻笑

景品が尽きて5等は美女のチュー 白石 よねづ徹夜

有識者便利屋さんのように見え さいたま 高本光政 (以下略)」

 

40歳でも大変になのだ。

 

「人生相談 40歳独身 身体の衰え感じる=回答者・高橋源一郎

 毎日新聞2017417日 東京朝刊

昨年40歳になり、これからの人生に漠然とした不安を覚えています。夜中にトイレのため目覚めるようになり、白髪も目に付くようになりました。身体面の衰えだけでなく、仕事や生活についても不安があります。独身で、介護が必要になったらどうしようかなどと思ってしまいます。還暦までの20年、どのような心構えが必要なのでしょうか。(40歳・男性)

 (以下略)」

 

私の息子たちもいつのまにか40歳を超えています。夜中のトイレ起きは1回では済まなくなった私。白髪は消え、紙そのものが消滅寸前です。だが、私たちの時代は働きすぎなどは労働組合がありましたが、今は歯止めがない。改革と叫んでも100時間の残業は認めるという。

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名前を書きたい [社会]

 

 

「読み書き」を学ぶことができなかった人たちがいることは衝撃的でした。それに増してそのことの苦難と書ける・読めることの喜びの大きさにも。

 

「震えて書いた、ひらがなの名前

  初めて自分の名前を書いた時のことを覚えていますか。
多くの人は、幼くて覚えていないかと思います。 よみかき教室の生徒さんの願いは実にさまざまですが、 おそらく一番多く、かつ一番切実な願いは、名前と住所を書けるようになりたいというものです。多くの生徒さんは、ひらがなも十分に書けませんでした。初めて教室に来られた方には聞き取りを行うのですが、開校当初は「ひらがなも書ききらん」「名前も書ききらん」という方がほとんどでした。
おそらくいろんな葛藤がある中で、勇気を奮って教室ヘ来られています
。せっかくですから、自分の名前を書く経験をしてもらおうと、スタッ フがその方の名前をうすい線
で書き、それを鉛筆でなぞってもらおうとしました。 しかしながら、鉛筆を持ったことのない方は、その持ち方も力の入れ方も分かりません。力を入れ過ぎて芯が何度も折れます。また、私たちスタッフが見ていますので、ものすごく緊張されます。そのために手が震えます。
「書けん」と言いながら、何度も何度も書き直し、ものすごく時間をかけて、初めて自分の名前をひらがなで書き上げた瞬間、その方の目には涙が浮かんでいました。ひらがなではありますが、初めて書いた自分の名前、なめらかな線は一つもなく、震えてゆがんでばかりだけれど、その字には生徒さんのこれまでの人生がぎゅっと詰まっているように思えました。私も、涙をこらえきれませんでした。(よみかき教室スタッフ、九州大教授)」(2017418西日本新聞

 

次に テロ対策は現行法でもできると言われる。何のための法制化が進められているのでしょうか。

 

「保安林キノコ採取処罰も「テロ対策」

対象犯罪の数え方曖昧

法相「ルールない」答弁

金田勝年法相は17日の衆院決算行政監視委員会で、「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案の対象犯罪277について「数え方に一定のルールはない」と述べた。政府は廃案となった従来の共謀罪法 案よりも対象犯罪を半数以下に絞り込んだとしている

民進党の山尾志桜里氏「以前は別罪としていたものが今回まとめて1罪とカウン卜されている」と指摘。

(略)

犯罪実行の「計画」とともに共謀罪の成立要件とさ れる「準備行為」に関し、 金田氏は「計画内容を紙に書き留める行為は実行準備行為に当たらない」との見解も明らかにした。
安倍晋三首相は「共謀罪」法案について「G7(先進7カ国)で日本だけが国際組織犯罪防止条約に入っておらず、国際的な要望があるテロに関する情報の共有犯罪者の引き渡しに必要

だ」と強調した。(豊福幸子)」(同前)


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残されるもの [高齢者]

 

 

エッセイストの吉沢久子さんは、かつて「女一人残されたら大変」だと夫に言ったら「男だって同じだ」と言われたという。大方、そうだと思いますし、自分が先だと勝手に決めていますが・・・。

 

敬愛する詩人・茨木のり子氏の「梅酒」という作品の中では次のように記されています

 

「後に残るあなたのことばかり案じてきた私が

 先に行くとばかり思ってきた私が

 ぽつんと一人残されてしまい

 梅酒を見るのも厭で

 台所の隅にほったらかし

 梅酒は深沈と醸されてとろりと凝った琥珀いろ」(一部引用)

 

残された茨木氏はたくさんの業績を残してくれました。

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テレビの動き [テレビ]

 

 

最近読んだ新聞のコラムなどからです。

 

NHK番組名「やばいっす」 72

「あさイチ」「ひるブラ」「ごごナマ」「シブ5時」「ロクいち!福岡」・・・。これは情報番組を含む一日のNHKテレビ番組のタイトルだ。

何とびっくり、今どきの若者言葉の羅列。わが国唯一の公共放送機関として、日本語使い方には違和感を禁じ得ない。明らかに民放意識してのネーミングだろうが、私たちの受信料で運営されている中で、こんなにも視聴率を気にしなければならないのか、甚だ疑問だ。先月、作家五木寛之氏の
講演会で日本語の持つ意味深さを再認識した。長い歴史を経て、心に深く刻まれ た日本語文化を後世に伝え ることが大切との憂いある 論調が心に染みた。

NHKが、正しい日本語 を使うことは大事ではない か。民放とは違うのである。
最近のNHKの番組タイト ル「まじーやばいっすよねえ」・・・。」(2017417日西日本新聞)

 

このなかのいくつかの番組を観ますが、タイトル名については思いが至りませんでした。次のコラムを読むと、視聴率を相当気にしているようです。どんな番組にも芸人をかり出すのが仕組みとして定着しているとの指摘もあります。

 

「風車

春のテレビ番組改編が出そろったが、中にはドラマ番組以上にドラマチックな編成の内幕が話題になっている報道系の番組もある。
例えばNHKの夜の改編である。 深夜に近い午後11時「ニュースチェック11」のキャスターコンビが、その人気上昇ぷりから、そのまま夜の 顔「ニュースウオッチ9」に起用された。そのあおりで「ニュースウオッチ9」の男性キャスターは降板、女性キャスターは午後7時「ニュース7」に回り、「ニュース7」のキャスターは「クローズアップ現代+」をウイークリーで担当することになった。

放送界の事情通によると、起点は3月までの有馬嘉男・桑子真帆コンビ「チェック11」の魅力にあったらしい。あえてラジオのスタジオのような狭い室内空間を設営し、そこに醸し出される若々しく歯切れのよい話 運びがネット空間でも話題になって
注目度を高めていた。その活力をそっくり、不振にあえぐ「ニュースウオッチ9」に持ち込むことから動いたのが今春の編成替えだった、という。
新「ニュースウオッチ9」はまずまずの滑り出しのようだが、玉突きで急ごしらえの関連番組は何かとほころびを見せている。「チェック11」 キャスターに起用された海外取材の 経験豊富なベテラン記者が、若い気象予報士から画面を邪魔する頭の位置をいじられたり、カメラ目線と同調できず視線が浮いたりで、不慣れな役柄をこなしきれずにいる。女性アナ日替わりの「クロ現+」は1年でダウン、その救援キャスターの表情も硬い。大河ドラマ不調のNKが、報道番組編成の裏話でドラマっぽい話題を提供しているのは、春の異変だろうか(竹若丸)」( 2017413日西日本新聞)

 

「ニュースウオッチ9」は政権の意向をくんでの放送が多いとも聞く。ほとんど見ないが、このコラムを読んでから見てみました。桑子アナは「ブラタモリ」で親近感があります。2度ほど見ただけではよく分かりませんが、テンポは心地よいと思いました。

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「この失敗にもかかわらず」 [読書]

 

 

昨晩、「ハートネットTV」でがんカフェの紹介があっていました。ひたすら傾聴するという。その間、痛みを感じないというのに共感しました。痛みが心の動きに関係していることを示していました。

 

「この失敗にもかかわらず   茨木のり子

 

五月の風にのって

英語の朗読がきこえてくる

裏の家の大学生の声

ついで日本語の逐次訳が追いかける

どこかで発表しなければならないのか

よそゆきの気取った声で

英語と日本語交互に織りなし

 

その若々しさに

手を休め

聴きいれば

 

この失敗にもかかわらず……

この失敗にもかかわらず……

そこで はたりと 沈黙がきた

どうしたの? その先は

 

失恋の痛手にわかに疼きだしたのか

あるいは深い思索の淵に

突然ひきずり込まれたのか

吹きぬける風に

ふたたび彼の声はのらず

あとはライラックの匂いばかり

 

原文は知らないが

あとは私が続けよう

そう

この失敗にもかかわらず

私もまた生きてゆかねばならない

なぜかは知らず

生きている以上 生きものの味方をして」

 

思い出すたびに赤面するような失敗をどれだけしたのでしょうか。この詩を読むたびに自己嫌悪に陥ります。「この失敗にもかかわらず/私もまた生きてゆかねばならない」で救われます。

 

いただいた金谷美穂子歌集からです。難病との生活を描きながら

 

・夫も子も無ければ背かるることもなもなし一人気侭に曳く車椅子

・病む故にひと日の愛し寒茜木々燃え立たせたちまちに消ゆ

函館の青柳町に憧れし十五の頃の懐かしきかな

 

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