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変化しながら [寛容な社会]

 

 

黛まどか氏は次のように述べています。

 

「巡礼者だけではない。これまで道ですれ違った数えきれないほどのお年寄りが、痛む足を引き摺りながら、田畑を耕し、庭の草を引き、どぶを浚い、遍路道の手入れをし、懸命に生きていた。(略)

生きるとは変化を受け入れることだと、ある哲学者が述べていた。転勤、災害、病、老化、死・・・人生は変化に満ちている。そしてそこには痛みや苦悩がつきまとう。しかし変化をしなやかに受け入れ、何かを諦め何かを捨てて前へと進み、歩き続けていれば、いつか恵みを受け取るに違いない。波音を聞きながら歩いていると、最愛の人を亡くし、四国を巡るお遍路さんたちの顔が次々と浮かんだ。」(『奇跡の四国遍路』)

 

生きることは変化を受け入れることだというが、アンチエイジングの年寄りの社会では老いるという変化を拒絶しているように見えます。しかし、人の名前などが出てこなくなり、歩く距離が短くなってきます。それにたじろぐ自分がいます。九州豪雨の被災者で70歳代の方が話していました。復興と言っても年寄りには難しいが、やれるだけのことはするという。諦めを抱えながらも進んでいこうとしているように見えた。

 

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縄文の話題 [歴史]

 

 

先日、福岡市内に出かけた帰りに書店に寄りました。『死ぬまで歩くにはスクワットだけすればいい』を探しました。簡単に見つかりました。入り口には健康関連本が山積みです。この本もたくさん積んでありました。テレビの力かも。毎日歩いているのですが、ここ2カ月ほど歩く力の低下を感じていましたら、筋肉量の低下が影響するという。定められた方法でのスクワットをすれば筋肉量が回復するという。

 

今日の話題は縄文時代。

 

「原点としての縄文

新たなモデル、増す存在感  古家嘉章

日本列島のあちこちで、 現代の私たちのアイデンティーを縄文時代の文化と繋げる企てが目につく。その「私たち」には、様々なレベルがある。「日本人」というナショナルなレベ

ル、「東北人」や「津軽海峡人」や「八ヶ岳山麓人」や「信濃川流域人」といったリージョナル(地方的)なレベル、「茅野市民」や「三内丸山人」といったローカルなレベルまで、「私 たち」は入れ子状になって おり、「私たちの縄文文化」 が、それぞれに対応する地 元の縄文遺跡・遺物を活用 して構築される。現在の行 政単位が縄文時代の文化的単位と一致するわけではないし、現住民の祖先が縄文時代から何千年も同じ土地に住んできたと考えるのも現実味を欠く。つまり現住民を「地元の縄文人」と直結するのは無理がある。そ れでも、地元の縄文遺跡や 縄文人と繋がっていると感じたい、この願望こそが「縄文ルネサンス」の核にある。(以下略)」(201838日西日本新聞)

 

九州南部で縄文遺跡が出てこなかったが、姶良カルデラ噴火で隠れてしまっていたという。こんなことが起こる地域に原発というのはどういうものか。

また、次のような話もありました。

 

『縄文の思想』(瀬川拓郎)によれば

「・縄文時代のイレズミは、成人儀礼や通過儀礼として男性も女性もおこなっていた。しかし、『魏志倭人伝』 (三世紀)では男はみな顔や体にイレズミおこなっているとあり、弥生時代には男性の習俗になった。

 

・さらに森浩一は、古代の南九州で狩猟漁携を中心に農耕も営み、王権から異民族的集団とみなされていた隼人のイレズミにも注目しています(森一九九三)

 

イレズミは古代文化の一つだったという。いつ頃、一般的でなくなったのでしょうか

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孤独感とSNS [寛容な社会]

 

 

「(コラムニストの眼)人間関係の質の低下 孤独の病、助長するSNS デイビッド・ブルックス」(2018428日朝日新聞)によれば孤独感を感じるアメリカ人は80年代と比べて倍増し40%になり、SNSが孤独感を助長するという。

下重暁子氏もSNSなどが増えればそれだけ孤独感は増すと次のように述べています。

 

「他人とのコミュニケーションの手段が増えれば増えるほど、淋しさは増すのだ。 友だちとLINEでつながる。いとも簡単に返事が戻ってくる。そこで心が通じたと感じるのだろうか。うまくいってるときはいい。恋人同士でも友達でも、仲良く会話が出来た時はいいか

もしれないが、そうはうまくいくまい。いつまでたっても返事が来なかったりすると、気でも悪くしたのだろう、病気でもしているのではないかと気にかかる」(『極上の孤独』)

 

スマホも持っていないので何とも判断はつきません。孤独感をもつ人が増えているのではないかとは感じることがありますが、テレビが出てきたときなど新しい道具が出で来るたびに警告が発せられました。行く末はまもなくでるのかもしれません。

 

 

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見過ごされた問題 [てんかん]

 

 

旧優生保護法に基づく強制不妊手術について取り上げられることになりました。ドイツのT-4作戦という障害者虐殺は問題になりましたが、日本の「断種」は問題になりませんでした。てんかん運動に関わったものとして忸怩たるものがあります。旧優生保護法があった頃、女子大生が授業でてんかんも対象であるとの講義があり、ショックを受けたという相談がありました。教授にてんかんは遺伝病ではないので法自体に誤りがあるという意見を贈りましたが、法がある以上教えるのは当然だという意味の返事がありました。それ以上の展開には知恵は浮びませんでした。

 日本における障害や病気に対する遺伝性だという考えは根深いものだと思います。そして、下記のような背景も加わります。

 

「(社説余滴)「声なき声」をきく力2018427日朝日新聞社・高木智子

 ことの本質は同じなのに、なぜ見過ごされてきたのか。20年ほど前からハンセン病の取材を続けてきた私の、反省を込めた率直な思いである。

 旧優生保護法に基づく強制不妊手術のことだ。今年になって60代の女性が、謝罪と慰謝料を求め、国を相手に裁判をはじめた。

 国家権力によって子どもを持てない体にされ、人生の可能性が奪われた。「知らないうちに」「施設の人につれていかれて」。家族にさえ隠し、語れずにいた苦しみを語り出す人が後に続いた。

 思い起こしたのが、2000年ごろ、やはり国を相手に強制隔離政策の非を問う裁判を起こしたハンセン病の人たちを取材した時のことだ。

 「一番、言いたくないことを、話さなければ、だれも分かってくれません」

 「断種」と呼ばれる不妊手術をされた過去を、鹿児島の療養所に暮らす上野正子さん(91)と夫(故人)が勇気を振り絞って、証言した。

 戦後の日本で、非人道的な政策が行われていたのは、優生保護法に基づく強制手術も同じだ。この時、私たち社会が強制手術の被害にも正面から向き合うことができていれば、その後の展開は違っただろう。

 優生保護法はハンセン病、知的障害、遺伝性疾患などを理由に不妊手術を認めた。96年の法改正までに約2万5千人が手術を受けた。うち1万6千人は本人同意のないもので、障害者たちだ。

 これまで障害者と支援団体は再三、国に謝罪と補償、実態の解明を求めてきた。国連の女子差別撤廃委なども日本政府に勧告を出した。

 だが、振り向かれない。私も気づけなかった。なぜだろう。冒頭の裁判にヒントがあった。原告の女性の姿が会見場にない。(以下略)(たかきともこ 社会社説担当)」

 

障害当事者が語るのは困難ではないか。それでも誰かが語られねばならない。

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ボラティアの中に被災者が [寛容な社会]

 

 

熊本震災から2年です。

 

「熊本地震から2年 重い負担、続く人口減

 熊本、大分両県で20万棟超の住宅が被災した熊本地震は14日、最大震度7を最初に記録した前震から2年を迎える。熊本県では全半壊建物の公費解体はほぼ完了し、各地で復旧・復興が進むが、人口の社会減がこの1年で2060人(前年5512人減)に上るなど、被災の影響が続いている。(以下略)=2018/04/14付 西日本新聞朝刊=」

 

阪神淡路大震災で妻と幼い娘さんを亡くした人は遍路に出かけ、震災があればボラティアに行くという。悲しみの深さに言葉もない。

 

「ふいに前方から逆打ちの男性お遍路さんが現れた。大きなリュックに鍋や釜を持ち歩き、托鉢しながら歩いていた。立ち話をしているうちに、少しずつ身の上を語り出した。 男性は阪神淡路大震災で妻と幼い娘さんを亡くしていた。ご自身は単身赴任中で助かった。必死で自宅のあった場所にたどり着いたが、焼け野原で家の跡も家族も、一片の骨さえも見つからなかった。「七年間は失綜者という扱いで、弔うこともしてやれんかった」。そこでお遍路を始めた。帰る家はない。「悲しみは少しずつ癒えますか?」。私の問いに、男性は俯いた。「悲しみが癒えることはないですね・・・特に夜が辛い。目を瞑ると子供の顔が走馬灯のように浮かんでね・・・」。男性がテントの中で過ごした数えきれない慟哭の夜を思った。東日本大震災や熊本地震の時は、一時遍路を離れ、瓦礫撤去に駆けつけたそうだ。

倒れるまで回り続けるつもりだと言う。「最近は、早う迎えに来てくれと、毎日祈っています」。そんな思いをある札所のご住職に漏らしたら、「供養しているうちは死ねんよ」と言われたと苦笑した。」(黛まどか『奇跡の四国遍路』)

 

 

 県によると、3月1日時点の人口は176万2729人で、前年比8968人減。減少幅は、2016年比で1万2227人減だった17年より縮小したが、転出数から転入数を差し引いた社会減に歯止めはかからなかった。

 

 減少率が大きかったのは地震の被害を受けた山間部の自治体が目立ち、山都町(前年比2・75%)▽美里町(同2・69%)▽南阿蘇村(同2・28%)。県外避難している被災者は少なくとも25都府県に481人に上るという。

 

 住まい再建を巡っては、全半壊した建物の公費解体は、申請のあった3万5676棟のうち99・9%が完了。解体から生じるがれきなどの災害廃棄物は2月末現在で、推計量を超える303万トンが処理された。

 

 仮設住宅や、自治体が民間賃貸住宅を借り上げる「みなし仮設」で暮らす被災者は3月末で3万8112人。県は、みなし仮設に住む2万7600人のうち4~5月に入居期限が切れる3764世帯について、約半数の入居を1年間延長する。

 

 震災関連死はこの1年で熊本県で43人増えて209人となり、大分県3人と合わせて212人となった。直接死50人などを含む犠牲者は267人に上る。

 

 熊本地震は16年4月14日夜の前震に続き、同16日未明に、観測史上初めて2度の震度7を記録した。

 

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遍路への憧れ? [読書]

奇跡の四国遍路 (中公新書ラクレ)

奇跡の四国遍路 (中公新書ラクレ)

  • 作者: 黛 まどか
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2018/03/07
  • メディア: 新書

 

新聞の書評を読んで注文したのが、黛まどか著『奇跡の四国遍路』を読みました。いろいろと感じたことがありますが、黛氏は「おわりに」のなかで次のように述べています。

 

「遍路を終えて半年余りが経つ。「遍路とは自分との和解である」。1400キロ歩き継いで辿り着いた、私なりの答えの一つだ。一巡で和解できなければ、二回、三 回と巡る。歩行による円環運動は、巡礼者を螺旋状に少しずつ高みへと引き上げてゆく。 やがて桎梏から解き放たれ、自らを赦し、和解を果たしていくのではないか。 結願の後、三か月間にわたって『東京新聞』で遍路での経験を連載した。連載を通じてわかったのは、いつか「歩き遍路」をしたいと願っている人が、潜在的に多くいることだ。新聞の一般読者はもちろんのこと、私の周辺にも「実は以前からお遍路をしたいと思っていた」「遍路をしたことがある」など、思いがけない反響があった。」

 

遍路は憧れますが1時間の散歩さえ気合を入れないといけませんので生涯実現することはないでしょう。可能性を残しているのは車で回るということぐらいでしょう。黛氏は歩いて88か所巡っています。言われる円環運動による螺旋状に昇るというのは想像さえできませんが・・・。だが、読んでいる中で感じることがいくつもありました。お薦めしたいです。

 


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お父さんの目線は [支え合う社会]

 

 

PHSが終了するという。95年にサービス開始だというから20年余の寿命です。私が50歳ころでした。ちょうど、外回りの仕事をしていたので重宝しました。最初は大きくて手提げかばんに入れていました。やがて持ち歩きやすく、安価なケイタイの普及で消えていきました。

 

母の背中を感じていたのだろうか。手を引かれた思い出はあるが・・・。

 

「(声)かあさんのせなか あこがれ抱き見つめ続けてきた 2018421日朝日新聞

 ■みんなで語ろう かあさんのせなか   高校生 17歳

 私には生まれた時から、お父さんがいない。生まれてから17年間見てきたのは、お母さんの背中である。

 1歳になるころには、私は保育園に入園していた。一人で歩けなかった時も、歩けるようになった後も、おんぶをしてもらったことがない。そのため、お母さんの背中の大きさを体験できたことは一度もないが、どんなに暑い日も、雨の日も、寒い日も、大きな背中を後ろから見ていた。

 小さな私を保育園に預けて仕事に向かう後ろ姿は、年齢を重ねるにつれ、どこかさみしい背中に見えるようになった。お母さんの背中を見る機会はほとんどなくなったが、ふとした瞬間に見ると、なぜか小さくなった気がする。(以下略)」

 

音楽家の坂本龍一さんの「ファミリーヒストリー」を観ました。視線を合わせない父子だったが、父は息子の出演する番組などをチェックしていたという。龍一氏にうっすらと涙がにじんでいた。

 

                       

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社会貢献事業は [経済]

 

 

日曜日、天神の人ごみに疲れたわけでもないと思いますが、体調は芳しくない。少し滅入った気持ちで帰り路を急いでいると、あしなが育英会の募金活動のパンフを渡され、振込用紙もついていた。給付型奨学金の創設なども伝えています。少しでも力に成れればと思うが所属する団体も募金活動をしています。

 社会にはお金があればという事業活動がたくさんあると思います。こんな投稿を読むと救われます。

 

新聞の投稿欄からです。

 

「がん社員支え 絵本贈る企業  77

久しぶりに心温まる記事が目に留まった。「がん社員と二人三脚」とのタイトルで、1216日付本紙夕刊が報じていた。働く年代にもがん患者が増える中、治療しながら仕事を続けることは当人はもちろん、企業側にも雇用の面で大きな課題である。そうした状況下、病院紹介や医療費補助など手厚い制度を創設し、無理なく働けるよう意識改革に取り組んでいる企業があると。それは伊藤忠商事。万一、社員が亡くなれば、子どもの教育補助、配偶者の雇用にも努める。岡藤正広社長自身、大病の経験もあり、がん治療中の社員から「日本で一番いい会社」とのメールを受け、心動かされたという。実は、私も伊藤忠商事に老後の生きがいと夢を与えてもらった。戦争で両親を失った私を支え、生きる力を与えてくれたのは本だった。私は本への恩返しと、子どもたちに本大好きになってもらいたいとの願いから70歳の時、自宅を開放、家庭文庫を開いた。その折、伊藤忠商事から,100冊の絵本を寄贈してもらった。昨年また30万円の支援も頂いた。心から感謝します。」(2018110日西日本新聞)

 

私たちが知らない事業がたくさんあればいいと思う。

 

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障害者福祉はどうなる [障害者福祉]

 

 

根は深いと思いました。

 

「姫路の施設 知的障害者の首から「私はうそつき」のカード毎日新聞2018420

 

知的障害のある入所者の首に「私はうそつきです」と書かれたカードを掛けさせる虐待をしたなどとして、兵庫県姫路市は20日、同市西庄の障害福祉サービス会社「実る」(室井千香子社長)に対し、隣接する場所で運営する「ぐるーぷほーむ みのる」の事業者指定を同日から6カ月間停止すると発表した。同社は6日に事業所の廃止届を提出している。

 市によるとグループホームには知的障害のある女性3人が入所。室井社長は2016年3月、このうち20代の1人に対し、就寝時や入浴時以外にカードを首から掛けるよう強要した上、私物の携帯用音楽プレーヤーを1年以上にわたって取り上げたという。またスタッフに対し、「時間内に食べない場合は食事がなしでもいい」などと指示。市はこうした行為が、障害者の人格尊重義務を定めた障害者総合支援法違反にあたると判断した。(以下略)」

 

ここにあるのは障害者福祉の思想ではなく、懲罰の考え方です。

障害者に寄り添うのでなく、懲らしめることで「改善」するという障害者援助の考え方ではありません。それをもたらしている要因のひとつに、営利企業の参入を認めることの是非があります。真剣に取り組んでいるところもあるかと思いますが、A型事業所の撤退・廃止による解雇が相次ぐと、利益優先の民間開放の是非が論議されないといけないのでは。

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出会い [寛容な社会]

 

 

 

「コラム 気流

ノーベル平和賞を受賞したケニアの環境保護活動家、故ワンガリ・マータイさんが世界に広めた「もったいない」。日本では忘れ去られてしまったか。国民の代表が国政を論じる国権の最高機関、国会。首相にまつわる森友学園問題、加計学園問題に1年余りを費やすとはもったいない▽対応を迫られた霞が関の官僚。うそを隠すために国会でも平気でうそをつくとはもったいない。決裁文書を改ざんして一人は国税庁長官のポストを去り、記憶を失った一人は再び国会で「首相案件」の説明を求められる▽出会い系サイトで知り合った女性に金品を渡して交際していたと認め辞職する新潟県知事。やっと当選したのにもったいない。週刊誌のセクハラ疑惑の報道を受け辞任する財務事務次官。被害者が名乗り出たのにセクハラと認めない。これは、みっともない。」(2018420日西日本新聞)

 

いい出会いというのは少ないですね。それは自分の責任なのですが、救われた人、数少ない友人・・・。だが、多くが鬼籍に入りました。救われた私が生き残っているのは申し訳ないが。

 

「学ぶ環境といい出会い

不登校生徒の卒業式で、そ の子のためだけの式辞を墨書 して読み上げた広島県の福山 市立大成館中の元校長、友道 健氏先生(59)1人の生徒を心を込めて送り出そうとする 校長の姿は、教職員の心にも 火を付けました。

××

式を終えて職員室に帰ると、年配の教員が大声で同僚に呼びかけていました。「ワシらは本当に生徒に寄り添うとったんか。もう少しあの母親の気持ちを理解できんかったんかの。どうせやっても無駄じゃ言うて逃げとることはなかったんじやろう か。あの親子からワシらは学 ばんといけんのよ。もっと動こうや、教員は動いてナンボ じゃけえ」自分を変える力は、その人自身にしか備わっていないのではないでしょうか。

子どもたちに合唱が好きになってもらおうと思ったら、先生が子どもの前で思いっきり歌えばええんです。勉強も 一緒。分かることがこんなに 面白いんかということを親が 子どもに見せてやるんですよ。水は器によって形が変わる。われわれ教員の役割は子どもらが学ぶ環境を調えて やることと、いい出会いに巡り合わせること。そうすれば、みな伸びるんです。(略)

昨年1月、そんな友道先生 を多発性骨髄腫という血液の がんが襲いました。全身の血 を入れ替える大手術を受け、 今、自宅療養中です。職場復帰はかないませんでしたが、 私はこれを機に「世間大学」の校長として全国行脚してほしいと思いました。そうしたら何と、九州大の佐藤剛史助教のプロデュースで818日、福岡市で講演するという知らせが届きました。詳細は後日。今から楽しみです。(編集委員)」(同前)

 

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3.11は繰り返された [歴史]

 

 

伊丹十三賞に磯田道史氏が選ばれたという。映画にもなった「無私の日本人」の他「江戸の家計簿」などもいつものように読みやすく工夫されていました。最近読んだ『日本史の内幕』

には、こんなくだりがありました。歴史から学ぶ必要性を示唆していると思いました。

 

 

「熊本城サグラダ・ファミリア計画

熊本で大地震が起きた。一報をきいた時、私は「やられた」と思った。悔しく思ったのには理由がある。約四OO年前にも慶長三陸地震といって東北に大津波がきたことがあった。この四OO年前の東日本大震災のあと最初に大地震が襲ったのが「熊本」であった。1611

年に慶長三陸地震がきたあと八年後に肥後八代地震(161914年後に肥後熊本地震(1625)がきた。前回は8年後、今回は5年後であったが、まさかこんなに忠実に東北震災のあとに熊本を地震が襲うとは思ってもみなかった」

 

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「コンビニ婚」 [高齢者]

 

 

徳野氏は大学で過疎地の構造などの研究で知られていました。今は退官されていると思います。

 

「極小化する世帯 増える「コンビニ婚」

トクノスクール主宰 徳野貞雄氏

「コンビニ婚」が増えている。コンビニ婚とは、人間と結婚せずにコンビニと結婚することである。暮らしのパートナーを人間同士ではなく、コンビニという貨幣が媒介するサービス業に依存している人々である。コンビニと結婚しても子どもは生まれない 2015年国勢調査では、生涯未婚率は男性的234%、女性14.1%である。男性で4人に1人、女性の7人に1人が生涯未婚となりつつある。日本の未婚率が急速に上昇し始めるのは、1980年代からである。また、日本のコンビニ店舗数が急激に増加 していくのも80年代である。 偶然の相関ではない。未婚率 とコンビニ婚は、かなり深い 関連が潜んでいる。 結婚の種類を「恋愛婚」や「見合い婚』とかに分けるが、それは結婚に至るきっかけの分類であって結婚の本質ではない。結婚の本質は「生活婚」である。日々の暮らしをパー トナーと協力し合い、無事に 人生を生き抜くための結合関係が結婚である。この結合関係は必ずしも簡単ではない。 人間の関係だからデリケートでもあるし、意外と、エネルギーと気遣いなどハードルの高い営みである。しかし、80年代までは結婚しなければ、お茶もごはんも食べられないし、洗濯もお風呂にも入れない。だから、ハードルが高くても98%は生活婚をしていた。しかし、80年以降は気疲れするよりも、コンビニに行けば必要限度の生活ができる。,だから、都市でも農山村でも生活婚をしない人が増えた。このコンビニ婚の背後にあるのが世帯の極小化だ。(以下略)」(201832日西日本新聞)

 

さっきコンビニに寄りました。通販本屋の支払いに利用しています。カードを利用して電子ブックというのが安くて手間がかからないのですが、紙の本になじみがあります。コンビニでの話ですが、比較的通りが少ないコンビニを利用するのですが、お年寄りに会うことが多いです。弁当を買っていくお年寄りが多い。「コンビニシニア食」とでも命名しますか。

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ひそかなエールを [支え合う社会]

 

 

年寄りにとって妻より先に逝くかどうかは切実な問題です。ある先輩は年上の奥さんだったのですが、奥さんに先に逝かれての落胆ぶりを知っていますので、その大変さを感じていました。たが、高齢者はあきらめもつきますが、働き盛りでは奥さんの背負うものは大きいでしょうね。

 

 

「女性投稿欄 紅皿 「頑張って」心でエール 

仕事帰りの電車に乗っていると、隣に小学生くらいの女の子とお母さんが座った。お母さん の膝の上にいる女の子がかわいくて「お母さんとお出掛け、いいね」と話しかけると、女の子ははにかみ、お母さんが「大きいんですけど2 年生なんですよ」と話し始め、おしゃべりに花が咲いた。ふと「主人、亡くなっていないんですよ」と言われて私は驚き、とっさに「うちもよ。娘が4歳、3歳の時に亡くなったのよ」。 聞けば、一周忌が終わったばかりとのこと。 それからすぐ、私が降りる駅が近づき、 まだ話したいと思っていたが、「子どもがいるから頑張れる。だから頑張ってね」と手を握りながら言うのが精いっぱいで電車を降りた。(以下略) (ヘルパー・51歳 福岡市東区)」(2018417日西日本新聞)

 

読んだ私もエールをおくります。

 

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人生の危機 [寛容な社会]

 

 

人生には貧困の3度の危機があると言われているという。「1回目は自分の子ども期、2回目は結婚して自分の子どもを育てている子育て期、3回目は子どもが独立し、自分が引退した高齢期である」(『社会福祉実践の理論と実際』)。人生の危機はどうなのでしょう。

 

「抱え込まずに悩みを話そう 29

15歳から29歳までの死因の1は自殺です。相談したい。でも、相談できる人がいない。専門の相談窓口も開設されていますが、死にたい気持ちを誰にも話せず、独りで抱え込んでしまう人がいます。最近はネットを通じて人とつながり、自分の気持ちを発信している人たちもいます。でも、匿名で誹誘中傷を受けたり、悪用されたり・・犯罪に巻き込まれる 危険もあります。やはり、 自分の気持ちを話せる人や 専門の窓口ヘ相談してほしいです。 私は心の悩みから死にたい気持ちを抱え、自傷行為 を繰り返していました。悩みを相談することで、少しずつ心が落ち着くようになりました。(以下略)」(2018120日西日本新聞)

 

15歳から29歳までの死因の1位が自殺というのも酷なことです。それだけに相談窓口にと思うが「いのちの電話」も相談員の確保が大変だという。公的な機関もあるがどうなのでしょうか。

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体当たりしなかった特攻兵 [平和]

 

 

新聞の戦争体験の投稿欄からです。

 

「敵機からビラ 「日本負けた」92

昭和20年の夏、宮崎県のはずれの小さな町、えびの市にも一度だけ敵機が飛来して「日本は負けた」と書かれたビラをまいて去った。当時、えびの市には 熊本陸軍病院の分院があ り、傷病兵は小学校の教室に、ごろんと寝ころんでいた。粗末に扱われた姿に戦 局の厳しさ、悲惨さを感じ た 私は庶務課勤務で、患者さんと接することは、なかったが、戦局の厳しさは感じ ていた。敗戦のラジオ放送 があった日から間もなく、 近くの県道をのろのろと歩 いて来る人たちを見た。学校にいた兵隊さんたちだった 駅に着く汽車はどれも超 満員。汽車に乗り切れなかった人の列は炎天下に毛布を背負い、熊本県の方ヘ進んだ。たった1枚の毛布すら持つ力もなくなったのか、道端に捨てていく人もいた。あれから長い年月がたつた。夏休みの行楽地。人の波、故郷ヘ向かう車の列をテレビが放映するたびにあの夏の日の記憶と重なってしまう。」(2018413日西日本新聞)

 

この記事を読んだ日に詠み終わった本があります。

9回特攻に出撃して、9回生きて帰ってきた」佐々木友次さんのことを取り上げた『

不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか (講談社現代新書)

不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか (講談社現代新書)

  • 作者: 鴻上 尚史
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/11/15
  • メディア: 新書

』は、体当たりという無意味さに背き、爆弾攻撃して帰ってきた。大本営は体当たりしたということで発表したのに都合が悪い。ついに殺害計画が出されるが敗戦で免れます。

 

「日本軍の降伏を告げるたくさんのピラが撒かれた。もう佐々木が出撃する可能性はなくなった。(略)

殺害命令

佐々木はマニラ近くの捕虜収容所を経て、南のカンルーバン収容所に送られた。カンルーバン収容所は食糧事情がよく、佐々木はたくさん食べ、目に見えて体力が回復してきた。

 佐々木はそこで読売新聞の鈴木英次記者と再会する。戦争中に何度も話した相手だった。鈴木記者は佐々木が生きていることに驚いた。鈴木記者は「佐々木、お前、殺されることになっていたのを知っているか」と話し出した。 第四航空軍は佐々木と津田少尉の銃殺命令を出していたと鈴木記者は続けた。大本営発表で死んだ者が生きていては困るから、そんな命令を出したのだと。 佐々木は驚き、信じられなかった。 鈴木記者はさらに、第四航空軍の命令は、第四飛行師団の猿渡参謀長が実行するはずだった、と説明した。二人を分からないように殺すために狙撃隊まで作っていたと。」

 

特別な意図はなく、体当たりというのは無駄な死だと考えたということのようです。それを実行したのも凄いことだと思います。

 


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「歴史は現代の鏡」 [歴史]

 

 

歴史は作られるというが、創られるものかもしれません。最近読んだ本で『不死身の特攻兵』というのがあり、特攻兵として9度出撃し、生還したという。特攻なのだから死んだことになっているとして、何度も突入を命じられ帰ってくるので殺害計画が持ち上がり、家族にも戦死したと伝えられます。本人の言い分は爆弾を落として沈めればいいというものだったようです。詳しくは一読ください。特攻を支えた理念が「神風」その由来の蒙古襲来について次のような史実があるという。

 

「近況往来 「蒙古襲来と神風」刊行 九州大学名誉教授 服部英雄さん

元寇史の虚実 視線は今に

「元冠の原因は従来、日本の服属拒否とされてきたが、火薬製造に必要な「硫黄の確保」が目的だったと考える。厚遇された捕虜がいたことも具体例を挙げている。蒙古襲来によって途絶えたとの説もあった貿易も、文永の役(1274) と弘安の役(1281) の間、弘安の役の直後にも 盛んだったことを示す。 そして「神風」については、貴族や神職・僧侶が「神のご加護」と舞い上がった例を示す。一方で、日本側の兵船や農作物にも甚大な被害が出て凶事と捉える考えもあり、台風後にも両軍が激戦を展開したことも紹介する。「船が沈んだことは確か。風雨にやられて火薬が使えなくなった面もあったはず。それが誇張され、 伝説化した」とみる。「神風」の言葉が登場してくるのは40年ほど後、南北朝時代の直前だ。「日本の根底 にあった『神国思想』というものを完成させる一番大きな要素」と考える。(一部引用)」(2018228日西日本新聞)

 

そして、「『元冠十万屠りしところ』 と歌う1931年制定の福岡市歌や、軍隊で上官が「必ず神風は吹く」と訓示した ことなどを記し、さまざまな書籍から特攻隊の実情を述べ、特攻隊の美化ヘ警鐘を鳴らす。「本当に神風が吹いて日本が勝つとかなり信じられていた」と神風に焦点を当てた理由を語る。神国や神風は為政者らに都合がいい部分だけを抽出してつくられた神話だ。(一部引用)」(同前)

 

歴史は創られ、偽造されるという。今の時代も・・・・。

 

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在宅死への誘導は [高齢者]

 

 

 私が購読している新聞は4月から紙面構成も変わり、2面の右端にあった社説が中ほどの読者投稿欄と同じところに移りました。2面の右端は編集委員などのコラムになっています。ところが、新しいコラム欄を見落としていることがほとんどでした。どうしてなのか、考えていたのですが、社説欄の読み方に気づきました。見出しは確実に見ていましたが、中身は関心のある時だけでした。長い間の習慣からでしょうか。私の中での意識は社説を敬遠していたのか、それとも、別の要因なのでしょうか。

 

今日の話題は、人生の最期の医療・介護の在り方について政府から熱心なガイドラインが示されています。病院での死亡が相変わらず高いことから在宅死のススメということでしょうか。死に方も指示されるということでしょうか。

 

「コラム 在宅死の時代、家族と医療・介護職が共に悼む場2018413日読売新聞

 

「十分な弔いが高める「死の質」

 近年は葬儀の簡略化が進み、近親者だけで行う「家族葬」や、さらには通夜や告別式を行わず、遺体を火葬するだけの「直送」も一般的になってきました。その一方で、終活・葬祭情報サービス会社「鎌倉新書」(東京都中央区)が2017年に行った調査では、約45%の人が「きちんと弔えなかった経験がある」と回答しています(第1回終活<ライフエンディング>に関する実態調査)。現代では、「故人を弔いたい」という気持ちを持ちながら、その思いが満たされない場合も少なくないようです。

 古くは、ネアンデルタール人が、死者に花を供えて弔ったとも考えられているそうです。彼らは私たちの直系の祖先ではないようですが、亡くなった人を悼む心は、太古の昔から人類に備わっているのかもしれません。

 「超高齢社会」の先には、最大で年間170万人が亡くなる「多死社会」が待っています。これまで以上に「死」の在り方が問われる中で、日頃の取材を通じて、「『よりよい死』とは、去りゆく人だけのものではなく、残される人が、その先の人生をしっかりと歩んでいくためのものでもある」と感じています。そして、十分な弔いが、見送った側にとっての「死の質」を高めるとも思うのです。

 国は、病院のベッドを減らす方針を示しており、今後、生活の場で看取られる人が大幅に増えると予測されています。家族の枠を広げ、人生の締めくくりを共に支えた人たちが故人を悼む「遺族会」が、新しい追悼の形として広がっていくかもしれません。〔飯田祐子 ヨミドクター副編集長〕(一部引用)

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健康寿命とは [高齢者]

 

 

「コラム 花時計

「世界の地震・火山学者が住みたくないと言う国は日本なんです」と研究者が教えてくれた。南海トラフ巨大地震が今後30初年以内で発生する確率は「7080%」。別の研究者は「富士山はいつ噴火してもおかしくない」と言う▽「新燃岳が噴火すると大地震が起こる」。先日、インターネットで話題になっている臆測を専門家に尋ね「直接関係はない」との見解を記事にした。「〇〇は地震の前兆か?」などネットにあふれる書き込みは、一 人一人の危機感の表れに見える▽熊本地震から14日で2年。(以下略)(吉田真紀)」(2018412日西日本新聞)

 

野菜は健康に良いのかもしれませんが、テレビなど見ると肉や卵を摂る人が人が多いように思うが・・・。

 

「元気ダネ!

厚生労働省が昨年発表した20 16年簡易生命表によると、わが国の平均寿命は男性が80.98歳、 女性は87.14歳で、男女ともに 香港に次ぐ世界第2位です。 しかし、健康上の問題がなく 日常生活を送れる期間を表す「健康寿命」は16年時点で男性 72.14歳、女性でも74.79歳にとどまっています。 つまり、男性は約9年、女性の場合は12年以上を自立できて いない状態で過ごさなければならないということです。 そこで、人生の最期まで他人の世話にならずに元気に過ごせるように、同省が提案しているのが3つのアクション+l です。 「アクシ当ン」とは(1) 苦しくならない程度の早歩きを毎 日10分程度行う「適度な運動」

⑵トマト半分、野菜妙めなら半皿分など、1日にあと70グラム野菜を食べ足す「適切な食生活」 ⑶健康を損なうたばこをやめる「禁煙」です。(以下略)」

 

+1は想像してみてください。

 

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無用の時間『日本軍兵士』を読む

無用の時間『

日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 (中公新書)

日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 (中公新書)

  • 作者: 吉田 裕
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/12/20
  • メディア: 新書

』を読む

 

美術家という肩書で紹介される篠田桃紅氏は105歳。次のように述べています。

 

「無用の時間を持つ

 用を足していない時間というのは、その人の素が出ます。 その人の実像は、何もしていない状態に表れます。 でも、何かをやるときになったら、こういうこともできる、ああ いうこともできる、という可能性を持っています。 人は、いつも何かに対応しているというのでは、一種の機械です。 ただ、何かの用を足しているにすぎまぜん。 無用の時間、用を足していない時間を持つことは、非常に大事なことだと思います。私は、毎年二か月ほど、富士山を望な山中湖で、無用の時聞を過ごしています。」(『桃紅105歳好きなものと生きる』)

 

用を足していない時間/リタイアしたサラリーマンなどもそうでしょうか。無用の時間は大切な時間なのですね。

読書の時間は「無用の時間」の消化なのでしょうか。最近読んだ本です。

この本のことを紹介した幅広い視点から書かれているとありました。知的障害者、戦争神経症など病者や障害者のことも詳しく紹介されています。

 

「知的障害者の苦悩

西沢保の回想にもあるように、知的障害者の入営も新たな事態だった。これには、先述した一九四O年の陸軍身体検査規則の改正による検査基準の緩和が影響しているもの と考えられる。 国府台陸軍病院の軍医として、各部隊で「智能検査」を実施した浅井利勇によれば、 部隊によって差異があるものの、多いところでは、「精神薄弱」が34%に達したと いう(『第二次大戦における精神神経学的経験』)。 軍は知的障害者の存在に関心を持つようになるが、それは軍務に適応できない彼らが 脱走や自殺を試みることが多かったからだろう。一九四二年六月、新江省杭州の第二二師団野戦病院で小銃自殺したある陸軍一等兵の事例を見てみよう。彼は補充交代要員として、同地に到着したが、原隊出発から同地到着の聞に、「ほとんど無口にして戦友と談笑せるが如きこと一度もなく常に孤独」の状態にあった。部隊到着後もほとんど戦友と談話することはなく、四日目に自殺している。その後の調査によれば、「本人は頭脳明断を欠き」、「小学校尋常科第三学年を修了せるのみにして片仮

名を書き得る程度」であり、同地到着後に実施した「智能検査」でも、「水準以下」と判定されていた」(「日本軍兵士」)という。

 戦争末期徴兵年齢が引き上げられ、検査基準もゆるめられ、従来不合格になったような人も徴兵されたそうです。犠牲になった障害者がいたというのです。

 

 


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ゆっくりと [生活]

 

 

Eテレの講座でイタリアの諺として「ゆっくり行く者は無事に遠くまで行く」というのを紹介していました。「ゆっくり行く者」とは奥行きがあるようです。

 

新聞の投稿欄からです。

 

「投稿続けた母最期まで気丈  70歳

私は「こだま」に投稿させていただいていた小松うめの娘です。今年17日、母の93歳の誕生会を自宅で子、孫、ひ孫を含め16人で開きました。入院中の母も病院から帰宅許可をもらい、大変喜んで涙を流しておりました。その母が同18日に体調が 急変、翌日に亡くなりました。(略)

膵臓がんで入退院を繰り返しながら、年賀状も病院のベッドで毛筆で書き続けていました。死後、子や孫、ひ孫一人一人に宛てた遺書が出てきました。その用意周到さには驚きです。まさに、母の「こだま」にあった「最後のラブレター」です。最期まで気丈で立派な母でした。」(2018224日西日本新聞)

 

見事な生き方ではないか。忙しくも「ゆっくりと歩いた」方なのでしょうね。

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