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自宅で看取る [高齢者]

 

 

児童はかま姿変わる卒業式 79

家の前のMちゃんは小学校を卒業したかわいい女の子。卒業式の日、外出から帰ったら、家の前ではかま姿でにこにこしている姿にびっくり。小学生のはかま姿を見るのは初めて。しかも、よく似合っている。思わず抱きしめたくなる。普段から私たち年寄り夫婦に「おじちゃん」「おば
ちゃん」と親しんでくれ、 2人暮らしには何ともうれしい存在。早速、並んで写真を撮ってもらう。 それにしても、卒業式のはかま姿は大学生とばかり思っていたが、今や小学生
でもそうなのかと驚く。着物姿の同級生は12人だった とか。友達3人一緒に、彼
女の家で着付けてもらった そうだ。知らないうちに世の中、変わってきているんだなあと、改めて感じ入る。Mちゃん、これからもじいちゃん、ばあちゃんを驚かせてね。」

201746日西日本新聞)

 

はかまという着慣れない形を素直には喜べないのですが・・・。

ノルディックウォーキングポールを利用して散歩している人が増えました。歩くのがラクになるというが、まだ、その気になれません。その方たちも含めて健康寿命を延ばしたいというのは切実な思いだと思うが、衰えは避けられません。友人からのメールによれば10歳くらい若い元同僚ががんで余命いくばくもないという。年寄りのメールには生死までが登場します。多分、「良いネットワーク」とされる支える人たちに恵まれていたから実現できたのではと想像しました。

 

「自宅でみとる約束果たせた 57

旅立ちの季節を前に母が突然、天国に旅立ちました。春の足音とともに49日が近づいた。 仕事との両立が難しくなり、介護と向き合う日々。 1年もたたずに終わってしまった。
病状の悪化や変化、ハプ ニングに戸惑いながらも、夫婦で力を合わせ、その一つ一つに対応し、乗り越えていった。母を囲んで笑い声が絶えなかったのは、自分に時間のゆとりがあった,からだと思う。

ただ、今でも「もう少し・・・たら」「もっと・・・れば」 と、反省する。良いネットワークに囲まれ、在宅でみとる約束は果たせた 最後の1カ月は指一本でさえ、自分で動かせなくなった。その不自由さは、耐え難かったととだろう。あの我慢強い母が弱音を吐いていた。介護にもっとどっぷり漬かる覚悟をしていたのに、あまりにもあっけなく逝ってしまった。ちゃんとお別れの言葉が言えなかったお母さん、よく頑張ったね。もう少し、一緒に居たかったけど、今までありがとうね。」(同前)

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時間が追いかける [生活]

 

 

 

 

「仲畑流・万能川柳  毎日新聞201742日 東京朝刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

死にそうとメールしたのに了解と 千葉 姫野泰之

先生の「今日はここまで」だけが好き 宝塚 忠公

独居でもトイレに鍵の几帳面 武蔵野 竹とんぼ

立ち止まること許されぬラッシュアワー 座間 ぼうちゃん
(以下略)」

 

東京のラッシュで後ろから押し込まれた乗車した記憶は消えません。

 

「(声)都会と田舎、流れる「10分」違う 37歳 201744日朝日新聞

 

 ある朝ラジオをつけたら、どこかの首長さんが、鉄道のダイヤ改定で、ある区間が「10分」も短縮された、と誇らしげに話していた。その「10分」が物流や企業活動に恩恵をもたらすという。

 私は田舎町で86歳から2歳まで、4世代9人家族で暮らしている。この暮らしの中の時間軸と、ラジオから流れる時間軸とのあまりの違いに少し戸惑う。

 2歳の子は、おやつのヨーグルト食べるにも、スプーンを振り回し、食卓を汚し、あっという間に「10分」経つ。足の悪い大ばあちゃんが、部屋から玄関までたどり着くのにも「10分」かかる。

 その「10分」で、都会では町を一つ越えてしまうのだ。どちらがよくて、どちらが悪い、という話ではない。

 ただ、経済活動を巡る時間の効率化を重視する考え方が、世の中の主流になってしまうと、少し息苦しいな、と思う。」

 

長崎新幹線は着工されたが、在来線より26分短縮するという。投資額は2600億円超。さらに実質的には10分超しか変わらないという。たかが10分。されど10分。

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さげもんとセッちゃん [自分史]

 

 

西日本新聞コラムからです。

 

「 春秋

 

 先週末、神奈川県横須賀市から乗った京急電鉄の車内広告は、中づりを含めて「柳川雛(ひな)祭りさげもんめぐり」で占められていた。ポスターの隅に記された広告主の名は福岡の西鉄だった

ひな壇の脇につり下げる「さげもん」(鶴や金魚といった縁起物の布細工など)の実物も添えてあった。「九州にはこんなひな飾りもあるんだね」と親子連れの乗客を和ませていた。柳川雛祭りは、あすの「流し雛祭り」で締めくくられる

▼流しびなは各地にそれぞれの形で伝えられ、3月3日か、その数日内に行われる所が多いようだ。わが娘の健やかな成長を願って流したり、園児や小学生が願い事を書き添えて流したり…

▼先週初めの朝のNHKラジオは、江戸期から続く鳥取市の用瀬(もちがせ)の流しびなを紹介していた。旧暦の桃の節句に行われる。今年のその日3月30日には女児が和装で参加し、わらで作った桟俵(さんだわら)に紙びなを乗せて手を合わせた

▼物忌みの行事として伝わり、紙びなをなでて災いを人形(ひとがた)に移して川に流したという(用瀬の「流しびなの館」ホームページから)。重松清さんの直木賞受賞短編小説集「ビタミンF」の「セッちゃん」にも出てくる。いじめに遭った少女の物語。作中で流しびなは「身代わり雛」とも

▼世情を映して時代の川を流れて行く流しびなもあるのだろう。こんな句を添えたくなった。〈流し雛堰(せき)落つるとき立ちにけり〉=2017/04/02付 西日本新聞朝刊=」

 

読んで、柳川近くの出身の母が「さげもん」を作っていたことを思い出しました。貧乏生活でしたからそんなに頻繁に作ってはいなかったでしょう。母の名前は「セッちゃん」こと。セツです。晩年は少しボケましたが90歳を超えていたので当然でしょう。老いてから落ち着いた生活を送れたのが救いですが。

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どう呼ぶかも大事だ [障がい者問題]

 

 

かつて、「てんかんの〇〇さん」か、「〇〇さんにはてんかんがある」という議論をしたことがあります。てんかんが人格を表現しているはずがないし、てんかんからだけで見られるのは困ります。しかし、就職結婚という重要な場面では、この違いが決定的に結果を代えてしまいます。

 

認知症の場合も無同じ事があるようです。

 

「PWD日本語に訳せば「認知症をもつ人、認知症のある人」。つまり、病は、その人の「一部」であるということだ。ディメンテッド・ピープル(呆けた人)だと、その人「すべて」が空っぽで、人格を否定する響きがある。この違いを説明して理解を求めた。糖尿病やがん、心臓病なら、どうだろうか。確かに、その人を丸ごと表現する言葉として「糖尿病の人」「がんの人」とはいわない。」(『ルポ 希望の人びと』)

 

障がい者分野でも、私たち抜きで決めないでと言うのが合言葉になっています。当事者の声が無視されたのは、認知症は何もわからなくなるので聞く必要がないといったのが支配的だった時代が長かったからでしょうか。

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「覚悟」を支えて [介護]

 

 

「仲畑流・万能川柳  毎日新聞201741日 刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

☆死んでみろ暑い寒いもないんだぞ 福岡 蔵田正章

スーパーが空き家見回る新サービス 北九州 お宮参る

人間は管だと知った内視鏡 宮崎 佐土原ナス  (以下略)」

 

知人が、がんと分かって2か月でこの世を去りました。やがてくるその時のことなどどうなるか分かりませんが、年齢を考えればありうることです。そんな私たちの終末を看取る医師たちの記録が出版されたという。こういう医師が増えないと安心して逝けないのかもしれません。

 

「納得できる「最期」のために

訪問診療に取り組む後藤医師

40人のみとりを本に

終末医療で納得できる
「最期」を迎えるために、 患者と家族、医師はどうすればいいのか。訪問診療 に取り組む福岡市の「にのさかクリニック」に勤める後藤勝弥医師(76)が、特徴 的な患者40人の事例を検証した「逝くひとに学ぶ」(木星舎)を出版した。 にのさかクリニックは、末期がんなどの患者を自宅で診ている。開院から20年余りでみとった患者は約800人。後藤さんは二ノ坂保喜院長と2人で過去のみとりを1年かけて振り返り、うち高齢者から若者まで約40人の事例を対話形式でまとめた。

登場するのは、大病院の手術や放射線治療でも回復せず、痛みと不安で絶望しかけた患者たち。在宅に切り替えて、次第に落ち着いていく様子が描かれている。例えば、子宮がんの再
発で病院に事実上見放され、大泣きした女性は、自宅に帰って家族と好きな食事を取ることで立ち直り、穏やかな最期を迎える。「患者はみんな怖がっている、医師はその気持ちを理解して、ベストなケアを 患者と一緒に考えなくて は」。そのために、後藤さんと二ノ坂さんは、患者の
長い人生を謙虚な姿勢で聞き取ることを勧める。2人 は患者の戦争体験や仕事の 話にじっくりと耳を傾け る。患者たちは過去を語る ことで人生を総括し、覚悟
を固めていくという
また、家族と周辺の人々には、患者から逃げずに、支えてほしいと訴える。後藤さんはいう。「患者の苦しみに共感し、共に見送ることで、コミュニティーも成長できるのです」「逝くひとに学ぶ」は福岡県内の主要書店で販売(税別1600)。木星舎=092(833)71400(三村龍一)」(201741日西日本新聞)

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介助犬は [障害者福祉]

 

 

毎日散歩しますが、春先には日ごろ見ないお年寄りがゆったりと歩かれている姿がなんとも心地よいものです。先日は、わが家の老犬と散歩していた頃に、一人で2匹の柴犬を連れていた人と会いました。大分、足が弱ってきた老犬になったと思いました。

 

身体障がい者補助犬には、介助犬・聴導犬などがいますが、圧倒的に養成の仕組みが不足していると過日、福岡のテレビ局が取り上げていました。そんななかで計八事業が行われたそうです。福祉にもっとお金をまわしてもらいたい。

 

「『介助犬を知って』 福岡市でキャンペーン

身体障害者の日常生活をサポートする介助犬を知ってもらおうと福岡市介助犬普及キャンペーン(市主催)がこのほど、同市・天神であった。落とした携帯電話を介助犬が届ける実演

や、来場者が車いすに乗ってペットボトルを渡してもらう体験などが行われた。(以下略)

介助犬育成支援などの問い合わせはNPO法人九州補助犬協会(糸島市)092(327)0364ヘ。」

2017330日西日本新聞)

 

こんな本があるそうです 

 

「本

「本当に偉いのか」 小谷野敦著

作家で評論家の著者が、アレクサンドロス大王からヘレン・ ケラー、夏目激石、宮崎駿に至 るまで古今東西の「偉人」80人 余を、本音100パーセントで 批評する。 例えば、福沢諭吉の「学問の
すすめ」に対しては、「当時は まだ個人の先天的能力差という ことまで考え及はなかったか、 それを書いておかなかったか ら、能力のない者まで無理して 勉強して大学ヘ行き、そのためにABCから教える大学ができるという惨状を生み出した」といった具合。「そんな見方もできるのか」という知的な楽しさよりも、不満の方が大きければ、「反論大歓迎」「『これこれこういうわけで偉いのだ』と反論してくれたら、それはそれでありがたい」という著者の呼び掛けに応じてみては?(新潮新書・799)」(同前)

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すべてを受け容れて [読書]

 

 

茨木のり子氏の没後に刊行された詩集からです。公開されることを願ったことかどうかは分かりませんが、魅力的な言葉に包まれています。

 

「一人のひと



ひとりの男(ひと)を通して

たくさんの異性に逢いました

男のやさしさも こわさも

弱々しさも 強さも

だめさ加減や ずるさも

育ててくれた厳しい先生も

かわいい幼児

美しさも

信じられないポカでさえ

見せるともなく全部見せて下さいました

二十五年間

見るともなく全部見てきました

なんて豊かなことだったでしょう

たくさんの男(ひと)を知りながら

ついに一人の異性にさえ逢えない女(ひと)も多いのに」(茨木のり子詩集『歳月』)

 

ここで気になったのは「弱々しさ」「だめさ加減」「信じられないポカ」という負の側面を含めて、豊かな人生を見せてもらったと言う視点の太さです。男は逞しく、強くないといけないという呪縛にとらわれてます。それを解き放っています。

フリーアナウンサーの小島慶子氏は、夫の退職により、自分が稼いで家族を守らないという立場に立たされます。大黒柱と言う呪縛とその大変さを知ります。世の男どもよその大変さに耐えるだけではなく、もっと主張していいのではという趣旨の発言をしています。(正確にはこれからの家族の話をしよう』参照ください)

茨木氏は、男が示すいろんな姿を包み込むのは、男の豊かさを見る力があったのだとも言っているかのようです。     

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福島原発もこんななのに [原発]

 

 

「福岡空港のフードコート「ザ タイムズ」は開放的な雰囲気

福岡空港に行けば旅気分

 

旅じゃなくても空港に行っ
てみませんか。 トコはサッカーJ2、アビスパ福岡の応援でレベルファ イブスタジアム(福岡市博多)に向かうため、福岡空港 からスタジアム行きのシャトルパスに乗るのよ。そのときせっかくなので空港に寄ります。

現在、ターミナルビルは工事中で不便ですが、空港のロビーはいつも活気があります。こんなにたくさんの人が 福岡空港を行き来しているの
だと知ると、自分も引っ込んでいる場合じゃないーとエネ ルギーが湧いてきますよ。 旅行者でなくても気軽に利 用できるレストランも続々オ ーブン。お気に入りは国内線
ターミナルビル2階の「ザ フードタイムズ」。ここは福岡のローカルフードや、九州 の有名店が手掛けたメニュー が並んでいるの。因幡うどん
に、井手ちゃんぽんのカツ丼、 三日月屋のクロワッサンサンドなどなど。(以下略)

 (トコ日コラムニスト)」(2017330日西日本新聞)

 

裁判所は再稼働を認めました。どういう理由なのか分かりませんが、福島の状態をどのように理解しているのでしょう。果てしもない負の財産を残しているのに。

 

「福島事故6年まだ右往左往  81

福島第1原発で汚染された放射能の除染作業に命懸けで携わっている方には、頭が下がります。そんな中、テレビの映像で除染後、帰宅許可が出た家屋の周りでも、まだ基準の20倍の放射能が測定されていました。これでは帰宅なんて、とても無理です。しかも、除染されていない地域もたくさんあります。 そこの土が風で舞い上がり、他地域ヘ飛来しないと
いう保証はないのです。子どものいる家庭では、不安で帰れるわけがありません。大人だけの集落をつくっても、すぐに過疎が待っています。 除染は命の保証が第一のはず。そこがクリアできて
初めて、農作物、畜産業の風評被害も払拭できるです。除染土の処理も不確

実です。原発事故から6年もたつのに、廃炉の確実な方法もなく、右往左往しているのが現状です。このような制御できない、未完成な危険な物を造り、人の命より経済を優先する国が本当に幸福な国といえるのでしょうか。」(同前)

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新聞とつきあったのはリタイア後 [ジャーナリズム]

 

 

過日、通勤時刻の電車に久しぶりに乗りました。現役時代の癖で改札口で新聞を買い、車内で読み始めました。現役の頃、新聞を読むのは車内の20分程度。久しぶりの車内で新聞を読んでいる人はゼロ。ほぼスマホ。新聞も読まれない時代になっているのだと実感しました。

新聞社は電子版に切り替えているから読者層は変わらないのでしょうか。リタイア後は、毎日、舐めるように読んでいます。

 

デスク日記

 

 高校生の頃、どれだけ新聞を読み込んだだろう。テレビ欄で番組をチェックし、地域版で地元のニュースを探すぐらいか。文章を味わうなんてことはなかった。

 先日、高校生の長男が持ち帰った学校の図書館だより。本紙1面の「春秋」に関する生徒の文章があった。海洋汚染の話題が落語で始まるという展開に目を奪われたとして「全く関係ないと思われる両者を関連付け、読者を主題に引き込んでいます」と分析。「こうした着眼点や発想は、私たちにもいかすことができます」とまとめていた。

 よく読んでいるな、と感心した翌日、朝刊の特集のページで春秋の筆者がこう書いていた。「関係がなさそうな話から入って読み手の興味を引き、一転、本題につなぐ」。これが醍醐味(だいごみ)であり、難しさであると。筆者の思いをしっかり受け止めている若い読者の存在を、改めて思い出した。私もしっかりした文章を書かねば。 (鎌田浩二)=2017/03/26西日本新聞朝刊=」

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忘れたころに [震災]

 

 

福岡地震が少ない。一番大きいのでも震度3クラスです。そんういう環境に70年程度住んでいますので、現実感がありません。そんなことを言ってるとドカーンときそうですが・・・。非常食など準備が必要ですね。

 

 

デスク日記

 

 レトルトのカレー、フリーズドライのみそ汁、サバの缶詰…。時々、こんなものがわが家の食卓に上る。温めたり、お湯を注いだりするだけの簡単な食事。昨年4月の熊本地震後に妻が買い集めた非常食である。賞味期限が迫ると、その分を食べ、減っただけすぐに補充するという。

 発生当時の勤務地は熊本県荒尾市。最大震度7が2度観測された益城町などに比べれば揺れはそれほどでもなかったが、断続的に続く余震や緊急地震速報に疲れ果てた人々は少なくない。地震直後、ライフラインは寸断。店頭の水や食料が底を突く光景は今も目に焼き付いている。

 あれから間もなく1年。自宅押し入れには、非常食の他、毛布や簡易トイレなどをそろえ、万一の避難生活に備える。半年前、福岡市に引っ越したにもかかわらず…。すごい破壊力の大地震を経験した者として、教訓を見つめ直し、味気ない非常食をかみしめながら食べる。 (木村貴之)=2017/03/30付 西日本新聞朝刊=」

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すてきな社会に [障がい者問題]

 

 

「仲畑流・万能川柳 毎日新聞2017328日 東京朝刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

CMのように生えれば禿はゼロ 神奈川 カトンボ

眼鏡拭く課長の肚は持久戦 川越 麦そよぐ

妻ならば値切る三途の渡し賃 生駒 鹿せんべ  (以下略)」

 

手話を義務教育にという意見を私も読みました。同感です。

 

「(声)コミュニケーション力には手話  55歳 2017328日朝日新聞

 

 「義務教育に手話を取り入れて」(20日)という意見に賛成だ。

 以前、さまざまな障害のある人たちと一緒にタイに旅行に行った。現地の障害者グループと交流したとき、皆が片言の英語でぎこちなく会話をしている脇で、聴覚障害者の女性同士だけは楽しそうに笑いあっていたログイン前の続き。

 日本語とタイ語の手話は違うはずなのに、どうして仲良くなれたのか。きっと手話を使う人たちは、コミュニケーションとは何かを知っている。身ぶり手ぶりで何とか意思を伝えようという気持ちがあるから、理解できるのだ。

 小学校の英語教育が強化されようとしているが、語学力とコミュニケーション力はイコールではない。小学校の3~4年生くらいまでは、英語よりも手話を教えた方がいいような気がする。聴覚障害者が道に迷ったとき、小学生に手話で尋ねればちゃんと答えが返ってくるようになったら、ちょっとすてきではないか。

 

ごく普通に誰もがコミュニケーションできる社会は平和な風景でもあるのでは。

 

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家族でなくとも [高齢者]

 

 

日曜日はNHKスペシャルでは認知症が取り上げられていました。ですが、年寄りも含めて自分の問題として考える人は少ない気がしています。それが介護問題の根幹に影響していないのか。そんな思いが最近強くなってきました。年寄りの問題を取り上げる人の少なさがあると思います。業界筋の方は多いのですが、その範囲外の方が少ないように思います。介護保険では軽度者は対象外と言うか、自治体任せになっていますが、認知症のことでは介護度が軽い人も多くいます。そうすると、介護度の判定基準は今のままでよいのかということになります。このように漠然とした老後の不安は年寄りを重たく包んでいます。

 

「(声)語り合う相手がいる老後は幸せ 80歳 2017324日朝日新聞

 

 生前に一面識もなかった人の七回忌の法要に招かれた。故人は身寄りのない老人。法要を取り仕切ったのは、バングラデシュ出身の大学准教授とその家族だった。その場に故人の血縁者は一人もいなかった。

 准教授の一家は十数年前、生きる意欲を失った故人と知り合い、7年間、実の親子以上の深い付き合いをしてきたという。准教授が年寄りをたぶらかして財産を奪おうとしていると、うわさする人もいたようだ。だが、孤独だった故人は、この家族と幸せな老後を過ごし、97歳で亡くなった。財産と言えるような遺産などなかったようだ。

 准教授は無宗教だそうだが、自分が喪主となり、故人を希望通り仏式で送った。そして6年間、お仏飯を供え、朝晩、仏壇に手を合わせてきたという。七回忌には、故人の思い出を語り合えるよう故人と親しかった人を招いた。准教授と故人のつきあいに興味を持っただけの私も、招いてもらった。

 法要に出席し、幸せな老後とは、周りに語り合える人がいることだとつくづく感じた。相手は必ずしも家族でなくていいのだとも。」

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糖尿を案じて [平和]

 

 

糖尿についての投書です。

 

「糖尿の主治医それはあなた 63

生まれて初めて入院した。昨年、どうにもこうにも体が悲鳴を上げて、高い血糖値とともに3週間の入院生活に突入した。
主治医の先生より「原因も治し方も分かっていますから、安心してください」 と心強い言葉を頂き、治療に専念して退院にこぎ着けた。 元々凝り性なので、糖尿病用の食事を栄養士さんに聞いた通り実行した。ぐんぐん血糖値が安定してき
た。食品交換表を使い、白米を豆や芋、パンに置き換えて食す。足りない時は海藻、キノコ、こんにゃくで 補充して11600キロカロリーを維持する。 お医者さんの「糖尿病の 主治医はあなた自身ですよ」という言葉を心にしっかりと受け止め、運動は家の片付けが一番と日々、頑張っている。しかしながら、日本では4人に1人が糖尿病らしい。何ともはや・・・。」

(2017325日西日本新聞)

 

私も米食中心ですので・・・。だが、こんな投書を読むと平和がなければと思いました。

 

1日に米10粒 餓死の悲惨さ
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ご飯の炊きあがったおいしそうな匂い。幸せの一瞬。が、「110粒」と呪文のような言葉が頭をかすめる。親友のお父上は40代で戦死。餓死だったそうだ。手を尽くして、やっとそ
の消息が分かったのは、彼女が50代になってから。 以来、何度もかの地に慰霊の旅をしている。昨秋に 訪れたとき、現地の人が「台風の後、またまた骨が出てきて・・・」と、気の毒そうに言ったそうだ。戦場は激戦の地、フィリピンのレイテ島。白骨街道と呼ばれたそうだ。大の男が敗走に次ぐ敗走の中で、1日米10粒。餓死するまでの苦しみを思うと、あまりにも悲惨である。敗戦後の引き揚げ以来、私たちにも食料がほとんどない時代があった。100歳になった母がきっぱり言い切った。「一人も子どもを死なせなかったことが、私の一番の幸せです」と。」(2017324日西日本新聞)

 

平和の大切さが改めて感じられます。同じ日の投書にはんなものもありました。

 

「原爆で娘失い 自分責めた母  70

 母が昨年暮れ、96歳で逝った。広島原爆に遭い、長女の手を引き、死の灰と燃え盛る炎の中を必死に逃げた。が、数日後、長女はバラック小屋の病院で、配給のたった1本のろうそくの薄暗さの下、5歳という短い生涯を終えた。 娘に会うのを楽しみに帰還した父を待っていたのは、何と四十九日の法要だったそうだ。
その父も戦争の後遺症で 35歳の若さで、2歳の弟と7歳の私を残して旅立った。それから私が嫁ぐまで、母の寝姿を目にした記憶が

ない。母のたくましさには本当に頭が下がる。昨年、オパマ米大統領が広島を訪問した映像を見て、母は涙ぐんでいた。「ごめんね」と、仏壇の長女に手を合わせていた。死ぬまで自分を責めていた。母に原爆のことを尋ねたことがある。「本土決戦になっていたら、さらに多くの犠牲者が出ていただろうから・・・」と意外な言葉が返ってきた。つらい過去を背負って生きた母だった。「今までありがとう」と一筆添えて、父と姉の写真も一緒にひつぎの中に、そっと入れた。」(同前)

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「生きる意味」 [認知症]

 

 

茨木のり子の夫は医師だった。

 

モーツアルト  茨木 のり子

 

鬱病の治療には

最近

モーツアルトをきかせる方法もある

と精神科の医師が語った

 

一日患者の訴えに耳を澄まし

それがいかにしんどいことであったか

疲れて帰宅したあなたは

飢渇(うかつ)を癒すかのように

モーツアルトの流れに身を浸した

だったらあれは

無意識の自分自身への治療だったのでしょうか

どこかに暗さと寂寥(じゃくりょう)とを隠していたひと

深く考える者にはさけられない

鬱(うつ)へのかたむき

 

<伯父さんのコレクションは趣味がいい>

甥がきて

若々しい手つきで

ひらり一枚のレコードをかけると

部屋いっぱいに

天上の音楽は溢れ

久しぶりに聴く」

 

モーツアルトは血圧の安定にも良いということでパソコンに取り入れています。

 

認知症を理解することはなかなか難しい。次のように述べられていました。 

 

認知症当事者はこう言うそうだ

「『生きる意味が、私を支えている』

生きる意味?

「幸せになるコツは?どうしたら幸せになりますか」と尋ねた時も。ポールはこう答えた。

「自分の人生に意味があるということ。『夜と霧』の著者で知られるフランクル(精神医学)は、アウシユビツツで生き残った人は、人生に理由があって生き残ったと書いている。ある人は生き残って家族の歴史を書きたい、(略)

二人の生きる意味――アルツハイマーは「空っぽの人間」だという偏見を打ち砕き、診断後のもっとも苦しい早期の人々への支援の輸を広げること。そして「いま」を味わって楽しく生きること。これが病にならなければ出会わなかった二人のプロジェクトだ(一部引用)

 

当事者の参画という点でも認知症当事者は進んでいます。最近は、ドライバーの認知症検査についても要望を出されたと聞きます。正しく理解することが大切だと思います。

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「清冽-凛としたたたずまい」 [高齢者]

 

 

タイトルは詩人茨木のり子氏の評伝のタイトルです。西日本新聞の1面コラムは「春秋」です。それにならった読者の「春秋」の募集で優秀で新聞に掲載されたものです。

 

「丸 山孝子さん(62)

題材

戦後70年の昨年は茨木のり子さんの詩〈わたしが一番きれいだったとき/まわりの人達が沢山 死んだ/工場で海で名もない島で・・・〉(「わたしが一番きれいだった とき」)を読み返す人が増えた今月17日 で没後10年になる茨木さんの最期を思い返
す人も増えたかもしれない。思い返すたび に、「戦後現代詩の長女」と評された人らしくキリッとしていた、と思う▽40代で夫
に先立たれ、独りで暮らしていた茨木さんは79歳で急に病気で亡くなった。親しかっ た人たち、お世話になった人たちへの「お別れの手紙」を、自分で書いて印刷も終えていた。親族が日付と病名を書き加えて郵送した▽〈このたび私・・・この在におさらば
することになりました。これは生前に書き置くものです〉で始まり、葬儀やお別れ会などは何もしない旨を添え〈「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます〉と書いていた▽50代の時の随筆「花一輪といえども」(1994年の随筆集「1本の茎の上に」筑摩書房・所収)の中に「送りかた送られかたはいろいろであっていい」「『このようにする』と言い残すことはできる」とあるどうして自分は死ななければならないのか、と誰かに聞くこともできずに戦争に命をもっていかれた人々の、たくさんの無念にも思いをはせさせてくれる送られかただった、とあらためて思う。(昨年27日掲載)」(2017321日西日本新聞)

 

 これを読んだのが茨木氏の死後刊行された『歳月』という詩集を読んだばかりで深く同意したように感じました。それは私の勝手な思い込みなのですが・・・。

 

そして、丸山さんは次のように述べています。

 

「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます。 これは、27日の春秋に掲載された茨 木のり子さんの生前書かれた「お別れの手紙」の一部だ。まさに私自身、常々こう思
っている。「冠婚葬祭」が苦手で特に葬式 のセレモニーに違和感を覚える。 出席しながらいつも「私は葬式はいらな い」とつぶやく。かつて私を知った人が私 の死を心で悼んでくれたら、それで十分だと思っている。茨木さんは「送りかた、送られかたはいろいろであっていい」とも書かれている。

若い頃から死をみつめて生きてきた。子供の頃、病床に伏して横たわっていることが多かったからかもしれないが、それは大人になるにつれ明確になってきた。まず物は減らしている。突然、事故で自分が家に戻らぬことがあってもいいように、できる限り部屋は整えている。かつて
の部屋の主として魂だけは戻ってきている かもしれないから。そして荷物でなかなか捨ててきれないのは、新聞記事のスクラップ や本、映画などの感想を書いたノート、という活字にまつわるものが多い。しかしこれとて興味のない人にとってはただの紙くずだ。燃えるゴミにすぐに出せるようまとっている。

服もコートスーツなど、シンプルで丈夫な物が私とともに年を重ねている。体形 はほとんど変わらないまま、今に至っているので服が極端に増えることはない。すっきりしたクロゼットやタンスをみるたびに心の中まで、さっぱりする。かつては本にうもれていたが、一番重いのでほとんど処分した。だらだらと書きつづった日記は、一年前の物から年末に処分

ている。ただ思い出深い若い頃の日記だほ捨てきれず残している。「終活」などという言葉も好きではなく、もともと物のない空間がおちつくので常々そうありたいと思っているだけだ。しかし茨木さんのように「お別れの手紙」書くほど知人がいないことに私は気づい

た。父母の病、そして死をみつめるうちに、自分の人生からあらゆるものをそぎおとして生きてきた気がする。 「あとは死ぬだけ」と、ときどき自分につぶやく。そして植物や動物たちの小さな手でふれるたび「長く生きるんだよ」と心を寄せている。」(同前)

 

 

私が50歳代のころ、どう死ぬか考えることがあると話したところ、当時、還暦近かった人から、そんなに若いのにと驚かれました。それは、私には死を還暦近くまで考えないというのに驚きました。茨木のり子氏の死を「孤独死」だったという報道がありました。しかし、生前用意されていた「お別れの手紙」は200通もあったという。それを孤独死とはいうまい。今月、ひっそりと古い友人が逝った。重い病と知ったときはもう最後に近いと家族は言っていたという。静かに送りたいという家族の思いは悲しみの深さを感じました。合掌。

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ダウン症の日 [障がい者問題]

 

 

「(声)ダウン症の日、社会の成熟望む 41歳 2017321日朝日新聞

 「最終的に独り立ちし、楽しんで生活してくれれば」。私が勤める塾に子どもが通うご父母の方々とそんな話をしました。塾には、ダウン症や自閉症など様々な理由で学びが困難な子や若者が多く通っています。

 私にも6歳の息子がいます。出産前はどんな子に育つか、夢がふくらむばかりでした。でも落ち着きなく動き回る子に育児の大変さを痛感、親の願いは冒頭の言葉に尽きると感じています。障害の有無に関係なく。

 一方、障害のために普通学級を諦めざるをえなかったり、特別支援学校の高等部では職業教育が中心になったり、学びたいという子どもの欲求が制約される例を耳にします。学んでも、就職がままならない状況も。

 胎児の染色体異常を調べる新型出生前診断を受ける人がいるのも、異常が確定した方の94%が中絶を選んだのも、こうした現状への不安からでしょう。診断を受けるかどうかは親の価値観の問題と見る人もいるようですが、社会の成熟度の問題ではないでしょうか。

 3月21日は「世界ダウン症の日」。これを機に関心をもつ方が増え、改善への力が少しでもふくらんだらと願っています。」

   

相模原事件では犯人は「障害者はいないほうがいい」という。それについての社会的背景を次のような指摘があります。

 

「優生思想を克服できていない私たち

 障害者はいないほうがいいという考えは、はたして私たちの日常から、かけ離れたものでしょうか?

 ダーウィンの進化論を背景にした「優生思想」は、20世紀初めに英国のゴルトンが提唱し、世界各国に広がりました。不良な子孫の出生を減らし、優秀な子孫を増やそうという考え方です。ベースには、役に立たない人間はいないほうがよいという発想があります。当時は遺伝学に基づく科学的で革新的な考え方として受け取られました。

 極端な形でそれを実行したのがナチス・ドイツでした。ユダヤ人の収容・殺害より前の1939年から、精神障害者、知的障害者、神経疾患の患者などを安楽死させる「T4作戦」を秘密に進め、20万~30万人を「価値なき生命」として抹殺しました。ただし優生思想はナチスの専売特許ではなく、米国や北欧諸国でも、断種法による障害者への強制不妊手術が第2次大戦後も長く行われていました。

 日本では38年に設置された旧厚生省が「民族優生方策」を掲げました。戦時中は本格的に実行されませんでしたが、戦後の48年に制定された優生保護法により、精神障害者や知的障害者らに約1万6500件の強制不妊手術が行われました。ハンセン病患者にも事実上の強制不妊手術が行われました。いくつかの地域では「不幸な子どもの生まれない運動」が行政主導で展開されました。

 「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことをうたった優生保護法は、96年に母体保護法に改正されるまで存続していました。わずか20年ほど前のことです。その後も優生保護法に関する公的な検証や謝罪はまったく行われていません。

 現行の母体保護法に、胎児の障害を理由に中絶を認める条項はありません。しかし、現実には出生前診断が広く行われています。近年は母親の血液検査で精度の高い染色体異常の判定が可能になり、胎児の障害を知った親の多くが中絶しています。

 障害者を不幸な存在、社会のお荷物と見る考え方は珍しくない。むしろ、ありふれています。私たちの社会は、優生思想を克服していないのです。」(
コラム  原記者の「医療福祉のツボ」  相模原事件再考(下)「乱暴な正義」の流行が、危ない素地をつくる2017317日読売新聞)

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震災が過去に [障害者福祉]

 

 

先日まで震災後6年という報道が続いていました。新聞は何ページも割いて今の被災地を伝えました。ですが、何ページも新聞を読むことに慣れていないので、力作なのでしょうがあまり読めませんでした。報道する側には思い入れもあるのでしょうが、ご馳走を並べて満腹でも食べろと言われているみたいでした。喩えが悪いですが・・・。

 

障害者福祉の現場はどうなのでしょうか。

日常的に実態が伝えられればと願うのですが・・・。

 

「東日本大震災から6年今、福島は  デイさぽーとぴーなつつ施設長 郡 信子

 

福島の今

ふと気づけば梅の花が咲き始めています。喜びの春を待ちながらも、あの大震災を経験した私たちは、震災の年を数えるのが身に付きました。そう、もう、6 年です。

2月初め、「第一原発2号機格納容器内推定 530シーベルト」という報道がありました。格納容器内調査ロボットが、2号機の中では、2時間足らずで 壊れる計算らしいです。人は数十秒被ばくすれば死亡 するレベル。原発の収束は、人力ではまだまだ及ばな いのではないでしょうか。そのような中、この春に
は、福島第一原発事故の避難指示解除の町や村\地域 が一気に増えます。原発再稼働も聞きますが、福島の現実をもっともっと見つめていくべきと思います。

 

 障がいのある人たちの今~相談支援の現場から

最近、仮設住宅から復興住宅へ引っ越したGさん (60代女性) 。仮設住宅では度々転倒して、あざや、
肋骨骨折がありました。精神疾患で夏には入院もしま した。しかし、週6日、11-2時間ヘルパーさん に食事や買い物入浴をしてもらい、精神状態が安定 して過ごせていました。転居に向けて、人手不足と言
いながらも、週1回、掃除の時間を増やし、生活支援 相談員の訪問もお願いできました。今後、全盲で知的 障がいのある男性(60)も仮設住宅から復興住宅に 引っ越します。独居の新生活を支えるのはとても厳し
いです。昨年末から復興住宅入居が進み、1か所に5 階建の棟が8つくらいありますが、他町村の人たちも 混在します。ご近所さんが誰かわからない不安の中で の新生活の始まりです。

 南相馬市の小高区は昨年7月に避難指示が解除されずでしたが、1割の1000人程度の帰還らしいです。高齢 者がほとんどで、障がいのある方もいます。仮設住宅で生活している視覚障害のTさん(80)は、「小高までヘルパーが来てくれない」と帰還に足踏みと聞きます。震災後、脳梗塞で半身マヒになったKさんの家族も、Kさんのために浴室や家をリフォームしたけれ ど、リハビリなど小高の家には来てくれないから復興住宅で生活すると言っています。視覚障害のYさん (70)は、5月に小高の家に息子夫婦と帰還が決 まっていますが、小高では同行援護は使えない(ヘル
パーが行けない)と言われ困っていると相談がありま した
。自宅周辺は以前とは変わり一人では歩けないた
め同行援護を使って覚えたいと訴えています。 生活介護事業所利用希望に、養護学校を卒業する脳 性マヒの生徒、自傷他害のある自閉症の生徒、4月に 仕事の関係で南相馬に戻るが、発達障害、情緒不安定 で目が離せない娘さんの相談もあります。今、ヘル パー不足、職員不足で事業を縮小、重度の方の受け入
れが厳しいという大きな壁に直面しています。 .震災を風化させない

震災では、弱者が厳しい状況に置かれました。命を 守ることが求められました。自立支援協議会の災害部 会が立ち上がり、震災時の検証をし、福祉避難所の指
定・運営のためのセンター化、要配慮者名簿の更新、 個別避難計画の必要性等を話し合ってきました。現在 は、災害検討会という形で、やはり「命を守る」とい う観点、で災害時に使えるものを目指して話し合っています。

労働人口が少ない中、関係者と知恵を絞って障がい のある人たち・地域に向き合っています。熊本鳥取 の地震、台風や豪雨、火山噴火、豪雪様々な災害が 日本国中を脅かします。いつでもどこにでも起こりう る災害に、経験したことは風化させない。語り継ぎ、 考え続けていくことが大切と思います。」(日本障害者協議会 すべての人の社会 2017.3月号)

 

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義務教育で手話を [支え合う社会]

 

 

茨木のり子氏没後の詩集『歳月』を読んでいます。

 

「最後の晩餐

 

明日は入院という前の夜

あわただしく整えた献立を

なぜいつまでも覚えているのかしら

箸をとりながら

「退院してこうしてまた

 いっしょにごはんを食べたいな」

子供のような台詞にぐっときて

泣き伏したいのをこらえ

「そうならないで どうしますか」

モレシャン口調で励ましながら

まじまじと眺めた食卓

 

昨夜の残りのけんちん汁

鶏のから揚げ

ほーれん草のおひたし

 

我が家での

それが最後の晩餐になろうとは

つゆしらず

入院準備に気をとられての

あまりにもささやかだった三月のあの日の夕食」

 

モレシャンがどれだけの人に通じるかと思いつつ、通じる私ににやりとして。

さて、次の意見には全面的に賛成です。テレビ手話講座でなんとかならないかと思いましたが、なかなか難しい。小さい時から学んだが良いのでは。

 

「(声)義務教育に手話を取り入れて 14歳 2017320日朝日新聞

 

 「聴覚障害者には唇を見せて」(2月7日)を読んだ。投稿者は聴覚障害者で、「マスクをずらして、唇が見えるようにして頂きたい」と訴えていた。私も同じ意見だ。

 私には聴覚障害の祖母がいる。祖母の苦労をこの目で見てきた。例えば、レジで店員さんが「○○円です」と言っても、祖母の耳には届かない。祖母は金額表示を見て、代金を支払う。それに気づいた店員さんが口の動きを大きくして、再度金額を言ってくれることもある。

 聴覚障害は外見で判断しにくく、相手はなかなか気づかない。そのため、コミュニケーションに苦労することが多い。相手が聴覚障害者だと分かったら、口の動きを大きくしたり、身ぶり手ぶりを加えたりしてほしい。

 一つの提案をしたい。義務教育の必修科目に「手話」を取り入れることだ。将来、手話を使える人が増えれば、聴覚障害がある人もない人も、もっといろんな人との交流が可能になり、人生が豊かになるのではないかと思う。」   

 

国連の障害者権利条約は「手話」は言語として認定しています。そして、国内でも言語つまり国語であるという活動が広がっています。ただ、年配者は難聴者も多いので別の問題もありますが・・・。

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日本生まれの点字ブロック [障がい者問題]

 

 

これは誇りにしたいことです。

 

「【コラム】    
筆洗        
2017
317東京新聞

 

  ウォークマンにクオーツ式腕時計カッターナイフにインスタントラーメン、液晶電卓カメラ付き携帯電話と、日本が世界に送り出したとされる発明品は数々あるが、中には「これが日本生まれ!?」と驚かされるものもある。目の不自由な人たちのための「点字ブロック」だ世界で初めて、点字ブロックが敷設されたのは、岡山県立盲学校近くの歩道。一九六七年三月十八日に生徒が渡り初めをしたというから、明日がちょうど半世紀の節目岡山で旅館などを営んでいた三宅精一さん(一九二六~八二年)が、道路を渡っていて車にはねられそうになった視覚障害者の姿を見て思い立ち、試行錯誤を重ねて作りだした▼最初は行政に相手にされず、私財を削って百枚単位で寄贈する形で普及させていった。それが国内だけでなく、世界中で使われるようになったのだから、世界に誇るべき日本発の発明品だろう▼だが、目の不自由な人たちの足元は今も危うい。駅のホームからの転落などによる悲劇が繰り返されているが、日本盲人会連合などの調査によると、視覚障害者の三割がホームから転落した経験があるという。ホーム上で困ることとしてはほとんどの人が「点字ブロックの上に荷物を置く」「スマホを操作している人とぶつかる」と答えたそうだ▼あらためて足元を見直したい、「点字ブロックの母国」である。」

 

ですが、転落死が続いています。視覚障害者が社会参加するには壁が高すぎます。それは、高齢者・幼児にも似たような危険がホームなどにあるということではないかと思います。お互いの注意で防げる危険もあるのではないかと思う。

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70歳過ぎると・・・ [高齢者]

 

 

「働き方改革  期待せず47% 求職登録の主婦調査 毎日新聞2017318

 

正社員と非正規労働者の不合理な待遇差をなくす「同一労働同一賃金」の実現や、長時間労働の抑制を目指している安倍政権の「働き方改革」について、求人・求職サイトに登録している主婦のうち「期待していない」と答えたのは47.2%で、「期待している」の42.8%を上回ったことが民間企業の調査で分かった。安倍政権は女性の社会進出を促そうとしているが、働く意欲のある主婦は冷ややかに受け止めている形だ。
(以下略)」

 

「同一労働同一賃金」の本来の意味はなんだろう。「不合理な待遇差」をどう解釈するかでどうにもなるという発想では解決にはならないと思うが・・・。

 

たしかに40歳がいつのまにかやってきたという記憶があります。ただ、慌ただしく過ごしたように思います。今の年になるとそんなあわただしさは消えたのに早い。脳の酸素吸入量で時間感覚が変わるという説がありますが・・・。

 

「花時計

 

30を過ぎると1年はあっという間だぞ」との上司の言葉を「大げさな」と鼻で笑う・・・そんな新人時代が最近のことのように思えるが、気付けばもうすぐ中年の仲間入り▽今は1年なんてあっという間だが、思えば小学生の頃は1年どころか1日がとても長かった。それまで生きた時間と比べると、10歳にとっての1年と30歳の1年は感じ 方が違うのは当然か。では4歳になるわが子の1年、1日、そして1分は?抱っこをせがまれ「ちょっと待って」と我 慢させている時聞は、本当に子どもにとっても
「ちょっと」だろうか▽新人だった私に上司が伝えたかったのは「今を大切に」ということだと今なら分かる。たくさんの「今」をおざなりにしてきた反省も踏まえ、子どもの「今」くらいは大切にしよう。(河津由紀子)」(2017318西日本新聞

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