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このブログは障害者問題を中心に退職者の日々の思いや脳梗塞後遺症とのつきあいの日々をつづります。この下の記事からが本文です

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ルサンチマンとは知らなかった [貧困]

 

 

漫画家・山本おさむ氏の本で知ったルサンチマンとは「怨恨・憎悪」だという。山本氏が感じたのは小学校の入学式であったという。

 

「事の起こりはランドセルである。 小学校入学のピカピカのランドセルは晴れやかなものだ。私もその日をうきうきと心待ちにしていたのだが、母親はいっこうにランドセルの話をしないし、買ってくれる気配もない。心配になった私がオズオズと尋ねてみると、「靴屋さんに用意してあるから、行ってもらってこい」と言う。私は嫌な予感がした。その靴屋さんは、靴や鞄の修理専門の店で、新品を置いてある店ではない。恐る恐る店に行くと、靴の修理をしていたおじさんは、奥から何やらうす汚れたバッグのような物をポンと投げてよこした。よく見ると、それは古いヨレヨレの変色したランドセルだった。私はわが目を疑った。それは黒でもない、赤でもない、もちろん青でも緑でもない黄土色に変色した、しかしランドセルだった。 私の街は一九五七年に大水害に遭っている。街中が二階まで水につかり、死者五00 名を出した大水害で、私の記憶にもかすかに残っている。このランドセルはその水害に 遭ったものに違いなかった。それでひとまわり縮んで小さくなり、革が黄土色に変色しているのだ。家に持ち帰って、ひび割れた革の表面の塗装をかさぶたをはがすように取 ってみると、赤い色が残っていた。元は赤のランドセルだったのだ。母親とどういうやり取りをしたのか、覚えていない。私はそのランドセルを背負って小学校の入学式に臨 んだ。同級生の顔も、先生や父母たちの顔も、その日のエピソードも全く覚えていない。

ただ拍手の音と火の出るような恥辱感だけが残っている。自分だけが他のみんなとは違う、ということを嫌というほど思い知らされたのだった。ランドセルのことでいじめられたり、からかわれたりした記憶はないのだが、みんなと違うことが何故こんなに屈辱的なのだろう。赤や黒のピカピカしたランドセルを背負った子供たちが大多数を占める学校は、そのときの私にとっての社会そのものだったかもしれない。」(『「どんぐりの家」のデッサン』)

 

私のルサンチマンは小学校の記念写真です。一人だけ学生服が白く写っています。それは兄たちからのお下がりだったからです。繰り返された洗濯で色が落ちていたのです。そのことでいじめがあったりしたわけではないのですが、忘れられない記憶となりましたが、その後、大きな病というか、屈辱が待っているとは想像もしませんでした。

 

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ボラティア頼りなのか [震災]

 

 

 

「ニュース川柳

1強の歪み市民に付けはくる

・北よりも自然の脅威ひしひしと

・人口減増えていくのは議員だけ

・北ペースがっちり握手その後は」(2018718日西日本新聞)

 

ボラティアが足りないとテレビが呼び掛ける。倉敷市長は下着が足りないという。国民の支援も大事だが、ボランティアたよりの復旧ではなく、足りない物資も国が一元化して支援を求める必要がないのか。ボランティアは自由意志。復旧は政府と自治体が責任をもつのではないか。公的支援の何が問題なのかをマスコミは伝えて欲しい。

 

「花時計

 2度も人前で泣きそうになった。九州豪雨で朝倉市の自宅が丸ごと流され、避難時に持ち出せた物以外、思い出の品などを全て失った女性に間われた。「住めない家が残り、お金をかけて解体した人もいる。うちは解体の必要はなかった。どっちが良かったんでしょうか」。痛ましい2択に胸が張り裂けそうになった。豪雨から1年後。朝倉市の被災地域で営まれた 追悼式で、被災前の集落の映像が上映された。大分の田舎出身の私にとってはありふれた風景に感じられたが、集落の人にとってどれだけ大切なものだったか。想像するうちに、感情が抑えられなくなった▽西日本豪雨で朝倉市は再び被害を受けた。今度は広島や岡山、

愛媛などで風景が一変した。涙を誘う悲しい話がまた生まれている。やるせない。(三重野諭)」(同前)

 

 

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「老人のエリート」 [高齢者]

 

 

「みんなの広場 兄は「老人のエリート」だった=78歳 毎日新聞2018718

友達から借りた本の中に「老人のエリート」という話があった。老人ホームに見舞いに行った作者が「ここではどのような人をエリートといいますか」と、園長さんに聞いたそうだ。その答えは、教養のある人でも金持ちでもなく、決まって面会に訪れる人がいるお年寄りが一番のエリートだ、とのことだった。それを読んだ時、私は昨年亡くなった兄はエリート中のエリートだと思った。

兄の長い入院生活の中、義姉やめい夫婦は、商売をやっていて忙しいのに週に1回は病院へ面会に行っていたし、私や兄弟夫婦も月に1回は見舞っていた。病院や施設に入ってしまうと、面会に来る人は激減するそうだが、兄を見舞う人は後を絶たなかったのだ。 (以下略)」

 

凄い人ですね。

私の父は昔の「老人病院」でした。父は一人っ子で我儘な人でしたので「エリート」には

なれませんでした。反面教師として育った私ですが、父の後を追っかけているようです。 

 

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もろい社会とは [寛容な社会]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「みんなの広場 障害ある人も何でもできる=小学生・11歳 毎日新聞2018714日 

 法律によって障害のある人に子供を産ませないように、不妊手術を強制的に受けさせていたという記事を読みました。私はおかしいと思いました。だれもが自分の子供を産んで育てるというよろこびを感じる権利があると思います。

「障害や病気のある人は子供を産まなければいい」と考える人たちは、「障害者は自分たちよりもおとっている」と考えているのかもしれません。でも、障害があるからといって差別するのは、まちがっていると思います。 (以下略)」

 

指摘の通りだと思います。国連が呼び掛けた内容は今も新鮮です。

 

「『だれかを排除する社会は、貧しく、もろい』

30年ほど前、国連は国際障害者年行動計画に「一部の構成員を排除する社会は貧しく、もろい」 と明記した。日本はどうか。貧しく、もろいと思う。141月、日本も障害者の権利条約を批准し たけれど、精神病床が他国と比べて桁違いに多い。精神障害や認知症の人たちも安心して暮らせて いるとはいえない。弱い者に必要な支援をしない現状は、バラバラになっていく社会の始まりとか いえる。 子どもが生まれなくなり、日本は今、「もろさ」をあらわにしている。多くの人が生きづらさや、 いきづまりを感じる今だからこそ、社会を根っこから変える、変革のチャンスにできないだろうか。 認知症は、障害を身近に感じる架け橋になる可能性がある。だれもが生まれてきてよかったと思える社会になるように、「排除しない文化」を生み出すことに生かしたい。(略)

WHOは障害をもって暮らす人を、人口の15%といい、米国、EU20%だという。日本の数字は10%以下だ。障害者手帳など独自の基準があるからだ。」(『ルポ 希望の人びと』)

 

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「天神地蔵」 [街で]

 

 

少し古い新聞記事からです。195651日に水俣病は公式に確認されたことになっていますので、この時期に話題になります。

 

「チッソ社長辞任を水俣病連絡会要求

 「救済終わった」発言

 水俣病の原因企業チッソ(東京)の後藤舜吉社長が1日に「私としては(被害者)救済は終わっている」と発言したことに対し、被害者の完全救済を訴える熊本県水俣市の「水俣病被害 者・支援者連絡会」は9日、 「苦しみ続ける被害者を無視した許し難い暴言」として、発言撤回と後藤社長の辞任を求める要望書を同市のチッソ水俣本部に提出した。連絡会は要望書で「(発言は)救済を求める人たちに対する冒涜であり、断じて許すわけにはいかない」

と抗議。(以下略)」(2018510日西日本新聞)

 

水俣病の方も地蔵に祈ったことがあるのでしょうか。祈ることで心を鎮めることをしてきたのだと思います。天神の四つ角にひっそりと地蔵があります。衣装が取り替えられたりしますので写真を撮っていると通行人が「あれ」という表情で過ぎていきます。繁華街の中にあるのが不思議で見逃しているように思います。

 

「コラム 花時計

福岡市・天神の交差点に立つ「天神地蔵」が4月、酔った男に壊される事件があった。証拠品として福岡中央署に保管された天神地蔵は「仮還付」という手続きを経て管理者の元ヘ届いたなぜ「仮」かというと、天神地蔵には持ち主がいないから。被害品の調べを終えたとは言えず、署は官報で公告して持ち主を捜している。そんな手続の一方、早く修復したい関係者の声や男の弁償する意志が尊重され、天神地蔵は修理業者に渡った。天神地蔵は約40年前、暴走族の取り締まり中バイクにはねられ殉職した中央署の警察官を慰霊するために建てられた。その後、住民有志が花を手向けるなど思いを引継いできた。誰のものでもないが、地域にしっかりと根付いていた。温かい気持ちで帰りを待ちたい。(竹中謙輔)」(同前)

 

結局は町内会が借りしていくことになったようです。

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オトコの日傘 [寛容な社会]

 

 

「ニュース川柳

・災害も長は酒席で他人事と

・選挙区に新聞読まぬ人が増え

・歌丸が孤高の世界残し逝く

・道徳の反面教師知る子ども 」(2018713日西日本新聞)

 

災害時でも政治をちゃんとしておけば酒を呑んでもいいという意見があるが、それで国民に寄り添うことができますかと問いたい。

 

シニアには男の日傘はなじめない。だが、熱中症対策というなら年寄りも利用したが良いのですが。

 

「コラム 気流

埼玉県庁で昨夏結成された「日傘男子広め隊」。今年は公式ツイッターを設け、日傘を差す男性の応援を始めた。日傘は夏の暑さ対策、熱中症対策に役立つアイテム。男性でも日傘を差しやすい環境づくりに取り組んでいる▽隊員は県環境部温暖化対策課などの職員。ヒートアイランド現象で夏の暑さが厳しい埼玉では、熱中症で緊急搬送される人の約7割が男性。熱中症を防ぐため男性にも日傘利用を呼び掛け、通勤時や昼休みに男性用日傘を差してPRしているという日傘体験イベントでは、参加者の8割以上が涼しいと感じ、 今後使ってみたいと回答。埼玉では日傘男子が増えているそうだ。九州では男性が日傘を差す文化が広がらず、日傘男子はまれ。福岡市内の百貨店では商品の動きは鈍いという。日傘の女性は涼しげ。勇気を持って一歩踏み出すか。」(同前)

 

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支えられて [高齢者]

 

 

近所付き合いは大切ですね。年寄りはできないことが増えていきますから。

 

「(ひととき)人のつながり、しみじみ 201876日朝日新聞

 突然の大揺れだった。階段を駆けおりてキッチンに入り、おどろいた。ああ、またも。

 阪神大震災の時と同じ、いやあれ以上だ。食器棚の戸が開いてガラス食器や皿が落ち、足の踏み場もない。とりあえずのどを潤し、何か口に入れたいが、冷蔵庫までも行けない。

 ぼうぜんとしていると、外から呼び声が。ひとり暮らしの私を心配してご近所の方が来てくださった。この惨状を見ると、しばらくしてご夫婦で、「片づけましょう」とスリッパ持参で来てくださる。

 軍手をはめて次々と段ボール箱に割れものを入れ、細かい破片は掃除機で吸い取って、あっという間に片付け、かなりの重さになった段ボール箱は、「うちで捨てますから」と持ち帰ってくださった。(略)

 ひとり暮らしは気楽で快適に暮らしていたが、今回、人のつながり、温かさをしみじみ感じた。感謝、感謝の毎日だ。 (主婦 79歳)」

 

報道によれば今回の豪雨犠牲者の7割が60歳以上だという。高齢者はやはり災害弱者なのですね。

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受け入れは進むか [寛容な社会]

 

 

稀勢の里の雄姿を九州場所でも見てみたい。

 

「ニュース川柳

・歯がゆいねだけど我慢よ稀勢の里

1強を助ける多弱の小競り合い

・今年またサンマが焼けぬ漁獲量

・補助金を腹の痛まぬ賄賂とは  」(2018711日西日本新聞)

 

「がいじ」は今でも使われているのでしょうか。

 

「コラム 花時計

「がいじ」は障害児の略語で、さげすみやからかいの意味で使われる言葉。「学校で使われれば学年集会が開かれ、教育委員会への報告対象になると、知人の教員が教えてくれた▽一方、外国にルーツのある子どもに関する人権意識はどうだろうか。知人の勤めていた学校では、肌の色の黒い子どもが「ゴリラ」と呼ばれていても、教員は 見て見ぬふりをしていた という。職員会議で問題 提起したが、うやむやにされたとか昨年取材した日本人と外国人のハーフの男性は「僕たちはいじめに慣れてしまっている」と悲しそうに話した。 人口減少社会になり、政府は外国人労働力の受け入れ強化にかじを切った。定住者も増えること

になるだろう。多文化共生、人権教育の施策の充実が求められている。(久知邦)」(同前)

 

外国人労働者の受け入れには私は否定的です。日本人がやりたがらない介護や農業などで受け入れるという。自分たちがやりたくないから、高い報酬を払いたくないから、貧しい国から受け入れるというのはいかかなものか。

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法律の問題以前に [障がい者問題]

 

 

「熱海の教育施設、聴覚障害者100人の宿泊断る7/10() 22:28配信 読売新聞

 静岡県熱海市の青少年教育宿泊施設「姫の沢自然の家」が今年1月、県聴覚障害者協会から約100人の団体宿泊が可能かどうか問い合わせを受けた際、「安全を確保できない」として断っていたことが、協会などへの取材でわかった。2016年施行の障害者差別解消法は、障害を理由にした差別を禁止。障害に応じた合理的配慮を行うよう求めており、施設を保有する市教委は「施設のスタッフが法律を知らなかった。断ってはならなかった」として協会に謝罪した。(以下略)」

  市教委は周知を行ったのでしょうか。差別する意図はなかったというが「差別」についての理解を教委もしていないのでは。

 

こんな投稿もありました。

 

「みんなの広場  障害者にやさしくしてほしい=67歳  毎日新聞201875

 1年前、脳梗塞(こうそく)を患った夫は、今、障害者手帳を交付してもらい、社会復帰を目指しています。 夫は、いろいろな場所に出掛けています。私が運転する車を駐車する際は、障害者枠に入れさせてもらっていますが、元気な若者の車が駐車していて困ることもあります。 また、夫がゆっくりつえをつきながらバスや電車に乗る際、シルバーシートを高校生らしい集団が占めていることもありました。スマホに夢中になったり、話に盛り上がったりしているので、年寄りが水を差すのは気が引けて、声をかけづらく、黙って夫を立たせていたこともありました。トラブルになるのが嫌いな夫も、我慢していたようです。しかし、まひの残る左足で立ち続けるのはつらいようでした。 (以下略)」

 

まだまだ障害者や高齢者にっては厳しい社会ですね。

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「生まれてきてよかったと思うか」と問う社会 [障がい者問題]

 

 

高校野球は予選大会が始まっています。よく熱中症にならないものだと思います。今年は100回大会で甲子園出場校も増え、56校になるという。だが、100周年にならない高校もあります。漫画『遥かなる甲子園』は実際のモデルがありました。http://deafcomic.jp/Kosien/Kosien2.html

「マンガ「遥かなる甲子園」

ろう学校の高校野球の話で、実際にあった話を元にしている。

一九八一年(昭和五十六年)に沖縄の北城ろう学校で野球部を創立。

 沖縄では風疹の流行によって障害を持って生まれた風疹障害児が多発した。北城ろう学校はこの風疹障害児のために建てられた学校で、単一学年しかない。風疹障害児が高校を卒業すると同時に廃校となった。この高校の三年間しか存在しなかった高校野球部。

 野球をやりたいというろう学校の生徒たちの望みは、しかし、高校野球連盟によってはばまれる。高校野球連盟に加盟できるのは普通校のみで、ろう学校は認めない、とされたのだ。 」

 

結論から言えば実際の試合をやってみて問題はないことになり参加が認められています。

漫画の作者山本おさむ氏の「『どんぐりの家』のデッサン」によれば次のような思いがあったという。

 

「沖縄の聴こえない子供たちや家族もまた、高野連加盟拒否という『ろうあ者問題』とつきつけられ、苦悩していたのである。『風疹聴覚障害教育終了記念誌』のなかに収録された手記に、母親が聞こえない自分の子供に対して『生まれてきてよかったと思うか』と問う場面が描かれている。何ということなのだろう。母親が我が子にそのような問いを発する・・・そうさせるものは一体何なのであろう。

私は地の底にたたき客とされるような感じがした。私の描こうとする物語は、もはや野球のことだけでは済まされない。その物語の背後で、障害者であるが故に差別を受けるこうした人々が「俺たちがいるのや。俺たちのことを書け」と声をあげているような気がした。」

 

多くの親が抱えてきた問いだと思います。ですが、それをバネにして施設づくりなどに励んでいるのだと思います。それは、本来は国が率先してやるべきことだと思います。そんな社会であって欲しい。それなのに不良な遺伝子だとして不妊手術を国が法で定めていて社会も容認してきた。そのことが差別の根底にあるのだと思う。

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郷土の幕末の志士を知る [歴史]

 

 

葉室麟『

影踏み鬼 新撰組篠原泰之進日録 (文春文庫)

影踏み鬼 新撰組篠原泰之進日録 (文春文庫)

  • 作者: 葉室 麟
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2017/10/06
  • メディア: 文庫

新撰組篠原泰之進日録』を読みましたが、現在の筑後市水田の志士・淵上郁太郎出身のことを知りました。葉室氏の記述からです。

 

「『いま、京の六角獄舎に長州の元奇兵隊総督赤根武人と久留米藩脱藩の淵上郁太郎という名だたる尊攘が囚われております。これら両人を広島へ帯同いたして長州の内情を探らせたならば、 随分とお役に立とうかと存じます』 となめらかな口調で言った。 近藤はわずかに眉根を寄せて考えながら、 「捕えた者を密偵につかおうというのか。しかし、その者たちを思惑通りに動かすことができる かな」 と危ぶんだ。伊東は微笑して言った。 「赤根武人は学問のある男だと聞いています。それがしが理のあるところを説きましょう。また 淵上郁太郎は同じ久留米藩の篠原君が話してくれます。」

本の主人公は新撰組篠原泰之進です。

続けて

「一方、淵上郁太郎は久留米藩領下妻郡水田村の獣医の二男として生まれた。長じて医師を開業 していたが、志を立て江戸に出ると大橋前庵に学んだ。その後、帰国して武士身分に取り立てられ、藩校明善堂の教授に挙げられた。このころから真木和泉と親しく交わり、尊撰派の活動に身を投じるようになった。」

私が育ったころの地名は八女郡水田村で村役場は水田天満宮がある水田地区でした。下妻郡は下妻という集落や小学校名として残っていました。

ネットの人名資料によれば

淵上郁太郎(読み)ふちがみ いくたろう.

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

18371867 幕末の尊攘(そんじょう)運動家。

天保(てんぽう)81020日生まれ。弟謙三とともに大橋訥庵(とつあん)にまなぶ。文久元年筑後(ちくご)(福岡県)久留米藩(くるめはん)藩校明善堂教官となる。禁門の変後薩長和解につとめ,慶応元年大坂で幕吏に捕らえられる。釈放後幕府内通をうたがわれ,慶応3218日伊東甲子太郎(きねたろう)らに暗殺された。31歳。名は祐広。変名に井村簡二,林田勘七郎など。」

 

主人公の篠原泰之進についてはWikipediaに掲載されています。

 

「篠原泰之進

篠原 泰之進(しのはら たいのしん、文政111116日(18281222日) - 明治44年(1911年)613日)は、江戸時代後期の志士。新選組隊士(諸士調役兼監察方及び柔術師範)、御陵衛士。幼名は泰輔、変名を篠塚友平、秦河内(はた かわち)。維新後は、秦林親(はた しげちか)と改名。

筑後国生葉郡高見村(現在の福岡県うきは市浮羽町高見)の豪農および石工業者である篠原元助の長男として生まれる。幼時より武芸を好み、久留米藩の森兵右衛門や種田宝蔵院流槍術師範に槍術と剣術を学ぶ。弘化2年(1845年)、良移心倒流柔術師範の下坂五郎兵衛に柔術を学ぶ。」

以下の経歴は小説で確認ください。

 

淵上郁太郎の葉室氏の記述からの転載です。

 

「大坂町奉行所に捕えられたとき、赤根は柴屋和平、淵上は林田長兵衛と名乗って大坂中之島の 島津屋藤蔵方に潜伏していたという。 泰之進はかねてから六角獄舎に入れられている尊攘派浪士を気にかけていた。赤根武人と淵上郁太郎が囚われたと聞いて、何とか救出する手立てはないか、と考えていたのだ。」

最期は次のように殺されます。

「このころ(慶応3年/引用者)九州に戻っていた淵上郁太郎が筑後柳川の山中で尊壌派によって殺された。囚われて いた六角獄舎から出されて、近藤らの長州入りに協力したため、裏切り者として殺害されたのだ。」

新撰組も内部での殺し合いがいかに凄まじかったかを葉室氏は言いたかったのかもしれないと思うほど描かれています。

 

柳川の山中というのは不明です。今の柳川市周辺にはありませんので、柳川藩のどこかというと、瀬高町辺りしか浮かんできませんがどうでしょうか。

 


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「絵を描きたい」 [平和]

 

 

201876日西日本新聞からです。無言館のことは知っていますが、作品を見たことがありません。福岡でも開かれればと思いますが・・・。

 

「『もっと描きたい』あふれる思い

戦没画学生が残した140

「無言館」の展覧会 長崎県美術館で

日中戦争や太平洋戦争に 出征し、志半ばで命を落とした画学生たちの遺作展が 長崎市の長崎県美術館で開かれている。長野県上田 の戦没画学生慰霊美術館 「無言館」の収蔵品約14 0点。無名の若者たちが残した絵に華やかさはなく、ずばぬけてうまくもない。 それでも「絵を描きたい」という純粋な思いが画面にあふれ、強い印象を残す。淡いピンクのワンピースを着た少女が屋外でしゃがみ込んでいる。斜め上から見下ろすように描いた太田章さん(享年23)の「妹・和子の像」は、妹をいとおしむ兄の視線そのもの。太田さんはこの絵を妹に残し、旧満州(現在の中国東北部)で戦病死した。遺作の多くは家族や身近な風景がモチーフ。戦地に行けば、生きて帰れる保証はない。出征を控えた画学生たちは死を覚悟したに違いない。彼らの思いを、東京美術学校を卒業後に出征した画家、野見山暁治さん (97)=福岡県飯塚市出身=は長崎県美であった講演会 でこう代弁した。 「僕らは、これだけは残 したいと、しがみつくように描いた。(戦没した画学生たちに)いい絵を描こうとか、いい絵描きになろうという野心はない。(モチーフにした人物や風景を)毎日見つめていたいという描き方をしている」(以下略)」

 

同じ新聞に戦争体験記があります。

 

「卒業式に出席 猛爆に遭わず 88

昭和20年春、旧制中学2 年生(15)の私たちは軍の命令で学徒動員を余儀なくされた。私のクラスは大刀洗製作所で戦闘機胴体部にびょうを打つ作業。その日はB29編隊による

1次大刀洗猛爆があったものの、たまたま先輩方の卒業式に全生徒が出席して いたため九死に一生を得ま した。犠牲者は千人近いと 聞いています。 甘木郊外の軍需分工場ヘ 自転車を運転中に、グラマ ン戦闘機の低空機銃掃射に 遭いました。狙い撃ちでしたが農道のあぜ道に伏せ、命拾いしました。このころすでに敗色濃く、東洋一といわれた大刀洗も、敵機のなせるまま無抵抗の状況でした。

こうして幸いにも2度の 命拾いをしました。戦争は 国民をも巻き込んだ大悲劇。終生忘れることはできません。」

 

「死隣り合わせ段姉は肺結核で  83

小倉(現北九州市)に住んでいた私の家族は、隣組内の連絡で床下に防空壕を掘らされた04年生だった私 は母に尋ねた。「家が燃えて床下にいたら焼け死ぬのでは」と。「そうね」と言った母は防空壕を物置代わりに使い、入らなかった。 昭和196月、B29が小倉を空襲した。寺の庭にあった防空壕は直撃弾を受け、入っていた一家は亡くなった。死が身近だった。その年の夏休み、私と弟は広島県三原市に母方の伯父を頼って疎開した。地元の糸崎国民学校では、少年 航空兵や少年戦車兵となる 上級生を見送った。疎開している間に、女子挺身隊の 姉が肺結核で亡くなった。2086日。広島の本社 に出張していた伯父が被爆 死した。三原市に避難して'きた人たちは傷もないのに次々に死んでいった。戦後。新制中学1年の時に新憲法と「戦争放棄」を教わった。これからは誰も 「御国」のために死ななくて良い。それがうれしかっ た。」

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「優しさを仕事に」 [支え合う社会]

 

 

NTT東日本関東病院リハビリテーション科の医師稲川利光先生のことを知ったのは脳梗塞になった後にみたリハビリ番組でした。患者の立場をよく理解されていると思ったものでした。次の記事で福岡県の出身だと知り、さらに親しみがわきました。201876日西日本新聞の「原点 「なぜ医者になったの?」 佐藤弘のよか話を聞いたとですよ」で先生らしいエピソードが紹介されています。

 

「夕食を食べていると長女が、「ねえ、お父さんはどうしてお医者さんになったの」と聞いてきました。回り道の末38歳で医師になった親の生き方が、なんとなく気になっていたのでしょう。隣にいる次女も三女も、そしていつも騒いでいる末っ子の長男までも、僕がなんと答えるか、箸を止めてじっと返事を待っていました。

「どう答えようか」。妻に目を向けたのですが、彼女もテーブルの一点を見つめて黙ったまま。私はしばらく考え、口を開きました。「お父さんはねえ、優しさを仕事にしたかったんだ。病気で苦しんでいる人に優しくすることは、そのことが直接その人のためになるなあ、と思って。だからお医者さんを)選んだんだよ」子どもたちはこくりとうなずくと、またご飯を食べだしました。うっすらと笑みを浮かべた家内も一緒に。」(一部引用)

 

さらにこんな話も。

30代半ばの医大生時代に結婚した稲川先生。妻に結婚指輪を買おうと福岡市の新天町商店街ヘ。貧乏学生ですから当然お金はなく、値切るのですが、値札を見て「指輪はいらない。気持ちだけで十分よ」という妻と押し問答に。すると当初「私の権限では安くできない」と渋っていた50歳くらいの店員さんが責任者とかけあい、3万円の指輪を2 8千円にしてくれました。 ドラマは店を出た後。2人を追いかけてきた店員さんが 自分の財布を取り出し「これでうまいもん食べな。俺の気持ちだから」と稲川先生の手に3千円を握らせた・・・。

「子どもたちに優しさを説く私こそ、いろんな人の優しさに支えられて今ここにいるんです」。稲川先生はそう言われていました。(編集委員)」(同前)

 

新天町にこんな店員さんがいたことも感銘しました。先生のプロフィールによれば、「九州大学農学部、九州リハビリテーション大学校理学療法科卒業後、福岡医療団千鳥橋病院リハビリテーションセンター勤務。その後、香川医科大学医学部に入学、」と福岡との関わりが記されています。理学療法士から医師への転身した人生に覚悟をうかがい知ることができました。

 

 

 

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若い世代に [平和]

 

 

全国的に風雨が強まり、昨年の7月5日、九州北部豪雨の再来かと思わせました。ケイタイの避難情報が鳴り、テレビは連続して情報を流します。温暖化を放置してきた結果なのだろう。5日の九州北部豪雨記念の各局の放送で「前を向いて・・・」を繰り返す放送局があった。テレビとは何なのだろう。

 

 次の投稿を読んで気分が変わりました。

 

「(声)若い世代 戦争絶対反対「ひめゆり」で誓う 17歳 201876日朝日新聞

 この4月、修学旅行で沖縄のひめゆり平和祈念資料館を訪れた。戦前、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校は「姫百合」の愛称で親しまれていた。展示室の学校生活の写真、すてきな伝統……生徒たちの楽しそうな笑顔は、普段の私たちのものと同じだった。

 しかし、戦争が始まり姫百合の教育にも軍事色が強まっていく。米軍の沖縄上陸が迫る1945年3月末、生徒と教師の計240人が、看護隊「ひめゆり学徒隊」として沖縄陸軍病院に配属され、危険で残酷な仕事を課された。そして多くの生徒が亡くなった。

 遺品の中に文房具があった。衝撃を受けた。将来を夢見て勉強する自分や友達と重なったのだ。(以下略)」

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予防が優先なのか [認知症]

 

 

次の意見の一部を引用します。それぞれに意見があるかと思いますが・・・。

 

「(耕論)認知症の予防どうする 西田淳志さん、近藤克則さん、関口祐加さん

201874日朝日新聞

 

 認知症を予防するために「もっと運動を」「禁煙を」といったさまざまな知見がある。認知症はどう防いだらよいのか。そもそも予防にこだわること自体、人を追い詰めてはいないのか。

 

 ■孤立生まない仕組み大事 西田淳志さん(東京都医学総合研究所心の健康プロジェクトリーダー)

(略)

 しかしこれらの要因を減らすことで認知症の発症が実際に予防できたという介入研究による報告は限られており、現状では因果関係についての慎重な解釈が必要だと思います。これらの要因のうちいくつかは、認知症の超初期症状でもある可能性も否定できません。九つの要因を取り除けば、予防につながるという科学的検証を今後、しっかり行う必要があると思います。

 ただ、この論文が「社会的孤立」を認知症のリスク要因と位置づけた点は、興味深いです。

 今年1月に英国で誕生した閣僚ポスト「孤独担当相」のきっかけとなった報告書には、「38%が認知症になったことで友人を失った」とあります。認知症の予防という観点からだけでなく、認知症になっても孤立を生まない社会的な仕組みを、作ることが大事なのだと思います。

 ■交流して刺激多いまちへ 近藤克則さん(千葉大予防医学センター教授)

(略)

 そこで、私たちは個人というより地域を「認知症になりにくいまち」にしていくための研究に取り組んでいます。その一つとして、愛知県武豊町にお年寄りたちが交流する場を10カ所あまり設け、体操や踊り、ゲームなどを通して楽しみながら体を動かしてもらう機会をつくりました。

 すると、活動によく参加する人はしない人に比べて認知症の発症率が3割低いという結果がでました。(略)

 安心して歩ける歩道や公園、緑地などがきちんと整備されているか。スポーツや趣味を人と一緒に楽しめる機会や場所があるか。「建造環境」とも呼ばれるそうした社会づくりは、認知症の人にとってもやさしいまちになると思います。(聞き手・田村建二)

 ■無理に押しつけないで 関口祐加さん(映画監督)

 認知症の予防は、やりたい人はやったらいい。でも、気の進まない人にまで無理に押しつけてほしくはありません。少なくとも、私はいっさいやりたくない。

 8年前にアルツハイマー型認知症と診断された母は、そのずっと前から「とにかく認知症にだけはかかりたくない」と思っていて、計算問題や漢字の練習をさかんにやっていました。彼女自身の母親も認知症で、親に顔を忘れられてしまったことがショックだったようです。

(略)

 このまま認知症の人が増え続けるのが問題だと言われますが、本人は幸せを感じていることもある。認知症が問題だとしたら、本人ではなく周囲にとって、です。

 予防もいいけど、むしろケアのプロを育てるほうがもっと大事です。病気の状態だけでなく本人の性格、それぞれが歩んできた歴史を踏まえた、その人にあったケアをできる人材です。そうしたプロによるケアは本人の安心につながり、周辺症状もやわらぎやすい。いまのように、ケアの多くを家族が負担し続けるのはもう限界にきています。(以下略)」

 

依然として認知症になったら「何もわからなくなる」という人が多い。一団意キャンペーンを行うべきです。そして、国民的議論をしていけば良いと思います。社会的に孤立させる環境をまずは改善すべきでは。

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世事に疎い [高齢者]

 

 

新聞のコラムからです。年寄りは世間とのかかわりが減ってくることが多いと思います。牛丼店の定期券など知りませんでした。

 

「コラム 気流

4月に入り、定期券を買おうか、買うまいか、思案している。電車やバスの通勤定期ではない。牛丼チェーンの吉野家が売り出した「定期券」。300円出して定期を買えば毎回、牛丼などが180円引き。グループ店では、うどん1杯ごとに天ぷらが1品無料になる▽定期

の有効期間は41日から57日までの37日間。この間に4回、食事をすれば元が取れる計算になる。定期が前回 販売された昨年秋はすぐに購入した。使えば使うほど得になるからと、10回近く通った記憶がある▽吉野家は、次回以降に使える期限付き割引券を配っていた。もともと無料でもらったものだから使わずに捨てても平気。これが買った定期だと、無性に元を取り戻したくなる。定期券の売り上げと来店回数の増加で店は大もうけ。これも行動経済学か?「定期券商法」恐るべし。」(201845日西日本新聞)

 

次の「郵便番号の旅」も想像もしていませんでした。

 

「コラム 花時計

大学1年の夏休み、学生寮の友人と郵便番号の旅」に挑戦した。0から9までの数字を無作為に組み合わせて郵便番号をつくり、その地をそれぞれ訪れるというものだ。私の目的地は京都府峰山町(現在の京丹後市)。日本三景の天橋立に立ち寄りながら、峰山駅までローカル線の旅を楽しんだ思い出がある▽この峰山駅を走る京都丹後鉄道で、乗客と一緒に農産物を運ぶ貨客混載事業が行われている。物流の効率場化と同時に、ローカル線 の増収策としても期待さ れている▽JR九州は3 月のダイヤ改正で列車の 運行本数を大幅に削減し

た。ローカル線を維持して生活の足を確保するには、採算性の向上が必須。貨客混載はその対策の一つだろう。人口減少が進む今、通勤通学以外の活用法を考える時にきている。(北島剛)」(同前)

 

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同世代の人たち [支え合う社会]

 

 

ワールドカップのベルギー戦は朝3時開始。あきらめて寝たら3時過ぎに目覚めた。年寄りには多いトイレタイムです。そこで見始めたのですが、0対0のまま。いつのまにか寝入り目覚めたときは2対2.まさかの接戦に目覚めました。

 

 女性だから苦労された方の話題が取り上げられていました。

 

「コラム 気流

明日死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい。 講演の最後に紹介いただいたインドのガンジーの言葉が心に染みた。一生の折り返しを過ぎた50代。「人生こんなものさ」と流しがちな日常を見つめ直す機会になった▽講師は、最高裁判事を昨年170歳で定年退官した桜井龍子さん。福岡県大牟田市出身。九大を卒業し、I970年に労働省。当時の霞が関は男性社会。この年に採用された キャリア官僚の女性は桜井さん1人。歓迎会で女性の先輩から「別件の2倍か3倍は働かないと認めてもらえない」 と教えられたそうだ▽労働省の課長時代に育児休業法制定を手掛け、女性局長で退職。その後、3人目の女性最高裁判事に転じた。退官後に手に入れた自由な時間は「もう一度、英語を勉強したい」。そんな前向きさを見習いたい。」(2018630日西日本新聞)

 

女性というだけの差別は日常的にありました。1960年代末に就職しましたが、朝のお茶くみは先輩であっても女性の仕事でした。今でならセクハラ行為されることが日常的にありました。女性は少数派。労働組合に婦人部がありましたがなかなか声があげづらい時代でした。今は違う意味で声が届かないのではと心配します。

 

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「歴史」を守る人たち [生活]

 

 

テレビの「ポツンと一軒家」は山奥や離島などで暮らす人たちを訪ねる番組です。1日の放送では、約1300年前に高句麗(高麗)から日本に「亡命」してきた人の生活を守っている人、 承平天慶の乱として平将門と同時期に瀬戸内海で戦った藤原純友の神社を守るために島を離れないという人、老いた母親を支える3人の息子たちは、母の意思を大事にしている。また、週1回の買い物に行くためにコミュニティバスの停留所をつくる地域の人たちの支え。それぞれが人生を確かに刻んでいることに感銘を受けます。凛としているのです。生きることの覚悟と言うべきかすばらしい人生が描かれています。人との交わりは少ないが、自然と向き合っている強さを感じました。生きるということが示されています。

 

時間の長さを感じたものに、こんな投書も。

 

「(声)1万年の時超え共感する親心  55歳 201872日朝日新聞

 東京国立博物館で始まる特別展「縄文――1万年の美の鼓動」の紹介記事(6月23日)を見て、十数年前を思い出した。

 この博物館の平成館で古代の土器を見て回り、ある土器に釘付けとなった。小さな足形が一つ押されただけ。古代の物とは思えなかった。なぜなら、我が家にも同様の物があるのだ。

 かつて陶芸部の顧問をしていた私は、我が子が生まれた喜びにその足形を陶板に焼いた。どうやって作ったか忘れたが、平成館の土器を前に想像した。

 作陶者はこの子の親か。じっとしていない幼子の足形をきれいに取るには、自ら優しく抱いたに違いない。後ろから左手で抱え、右手で子どもの右足をつかんで陶土に押しつけた――だから右足の足形なのだ。

 帰りの新幹線で、我が家の足形が右足か左足か気になって仕方が無かった。 帰宅後、真っ先に確認すると果たして右足だった。1万年の時を超えて、縄文時代の右利きの陶工と共感できたような気がした。」

 

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書けない [読書]

 

 

中学1年生だったと思います。夏休みの宿題の日記がありましたが、遊ぶのに夢中で書き忘れてしまいました。横着にも「本日も書くことなし」で済ませ提出しました。ひホームルームで宿題の提出の催促を伝えた担任は「書くことがない」と提出した人もいましたが・・・と皮肉られましたがそれ以上のお咎めはありませんでした。

 

そんな私とは無縁の書けない人に、朝ドラ「半分 青い」の主人公鈴愛がいます。漫画家です。書くことが枯渇するという。そんな折に読んだ漫画家山本おさむ著「『どんぐりの家』のデッサン―漫画で障害者を描く」に次のような件がありました。

 

「一九八七年の秋、私は「漫画アクション」(双葉社)という雑誌に連載する作品の準備 を進めていた。しかしその頃の私は、漫画を嫌いになりかけていた。子供の頃から漫画が好きで漫画家になることを願い、それなりの苦労もして、やっと漫画を描いて生活が できるようになって一O年たとうとしていたのだったが、自分のなかに描きたいことも なく、また性や暴力ばかり描く当時の漫画状況にも僻易していた。 その一0年問、私は『ぼくたちの疾走』『麦青』『ねっけつ放課後クラブ』(いずれも双葉社)といった、いわゆる青春もの高校生の日常生活を等身大に面白おかしく描くような傾向の作品を描いてきた。それは多分に私自身の高校時代の体験や感覚を投影するものだった。しかし漫画家の生活とは皮肉なもので、漫画家は漫画家になったとたん、個人としての人生を失くしてしまう。締切りに追われ二四時間机にかじりつき、ほとんど外にも出ず、限られた人としか会わないような不健康な生活が一0年間も続くと、自分の人生どころではない。それまでの蓄積を使い果たし、精も根もつき果て、ぬけがらの自分だけが残ったような感じだった。」

 

漫画家の苦労を知りました。

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子どもの支援にお金が使われていますか [寛容な社会]

 

 

「(耕論)虐待防ぐ児相のあり方 藤林武史さん、後藤啓二さん、畠山由美さん

2018629日朝日新聞

 両親から虐待を受け、亡くなったとされる東京都目黒区の船戸結愛ちゃん(5)。虐待死事件が起きるたびに、児童相談所の対応のあり方が問われる。児相はどうあるべきなのか。

 

 ■専門職増やし権限行使を 藤林武史さん(福岡市こども総合相談センター〈児童相談所〉所長)

 福岡市では2009年、子どもの虐待死事件が相次ぎ、この年だけで5件、計6人が亡くなりました。所長になって7年目。忘れもしません。

 様々な検証を行いました。現場の職員は多くの案件を抱え込み、孤立し、疲弊していました。1、2年で異動希望を出す人も多く、経験が蓄積されない。誰も児童相談所で働きたがらず、士気が下がる状態でした。虐待死を防ぐためには、十分な経験を積んだ専門性の高い職員が欠かせないと感じました。

 そこで一連の事件をきっかけに、児童福祉司の数を増やし、経験と資格を持つ専門性の高い人を多く採用しました。全国で初めて、常勤の弁護士も配置しました。現場の職員が判断に迷う時、後ろ盾になるのが弁護士です。

 例えば、虐待の確証はないが疑いが強いという時も、職員は子どもの保護や立ち入り調査をします。「勝手に連れて行かれた」と叫び、「子どもを返すまで帰らない」と居座る親もいます。親からのクレームや無理な要求に振り回され疲弊してしまいます。

 弁護士を置いて以来、親の同意を得ない職権の保護の件数は増加しました。親から何と言われようとも、法的に守られている安心感は大きく、職員に余裕が生まれました。

 子どもを虐待から守るのは、子どもを守ろうという情熱だけではなく、法律、そしてこれにもとづく権限の適切な行使です。権限を使えば、ほぼ百%、職員が子どもに会うことはできます。その権限をどう使うか、児童相談所の専門性が問われています。

 東京・目黒であった5歳の女の子の虐待死の事件は、問題点としてこれまで指摘されてきたことばかりです。こうした事件を防ぐため、2年前に児童福祉法が改正され、児童相談所の専門性が強化されました。法改正のプロセスに関わった私としては、なぜまた事件が起きたのか、残念でなりません。それぞれの児相がどれだけ専門性をもった態勢で判断をしたのかなど、冷静な検証にもとづいた、実効性のある対策を期待します。

 警察のさらなる介入や情報の全件共有を求める議論もあります。現状でも刑事事件化が想定される場合など、警察が動く方がよいと判断した際には情報提供しています。ところが情報がすべて警察と共有されると抵抗感が増して、児相への通告をためらう人が増える可能性があります。それによって必要な支援が届かず、虐待防止に逆効果になることを心配しています。

 監視社会のように、通告することだけが市民の役割ではありません。また、児相の強化だけでも解決しません。何げないあいさつや声かけといった、孤立を防ぐ地域のあたたかさこそが、虐待死を未然に防ぐと信じています。(聞き手・三輪さち子)(以下略)」

 

福岡市の例は参考になりますが、共通することしては職員の数がまず少なさすぎます。福岡市の場合は分かりませんがある地方公務員から「福祉職は出世コースではない」はないと言われたときです。福祉現場が軽視されていないかと疑問があります。事件があれば児相はしっかりせよという声が出ます。福祉の現場を変えれるのは政治です。そんなことを考えます。

専門的なことはみなさんのインタビューが参考になると思いました。

 

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