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戦のあとで [平和]

 

 

佐江衆一氏は元寇に触れながら水城の増築についてふれています。増築していたとは知りませんでした。

 

「元冠二年後の九州は、いずとも鼎の沸くがごとくに騒然としていた。蒙古軍の再襲来に備えて、 大宰府では長大な水城の増築がことなわれており、博多湾では宮崎から今津に至る防塁の大工事 がすすんでいた。そして元寇の敗け戦で失明したり手足を失ったりした傷病の武士の姿が目立った。とれまでみたとともない蒙古軍の火薬を使った炸裂する兵器に、眼をつぶされ手足をもぎとられた者が多かったのである。」(『わが屍は野に捨てよ』)

 

元寇の負け戦の姿に重ねて、特攻で体当たりを拒み爆弾を命中させるとした佐々木氏は、9回出撃し、生還したという。死んだことになっている佐々木の対応に軍は苦慮します。しかし、敗戦となり引き揚げてきます。

 

「浦賀の収容所に2日いた後、118日、佐々木ら復員部隊は隊列を作って収容所を浦賀 駅に向かって出発した。途中で露店が並んでいる道に出た。それが闇市と呼ばれるものだ と気がついた。 行進を続けていると、ひとかたまりの男女が叫び始めた。寄せ集めの服を着て、それでも寒さに震えているような、惨めな姿をしていた。やがて、彼ら彼女らは、復員軍人の列に向かって石を投げ始めた。佐々木にはののしる声がはっきりと聞こえた。

「日本が負けたのは、貴様らのせいだぞ!

「いくさに負けて、よくも帰ってきたな。恥知らず!

「捕虜になるなら、なぜ死なないのか!

石つぶては、佐々木の前後にも飛んできた。復員軍人達は、ちらつとその方を見ただけで、あとはうつむいて黙り込んで歩いた。

佐々木達は、貨物列車に押し込まれ、東京に運ばれた。横浜を過ぎると、列車は廃嘘の中

を走った。扉の隙間から見える無残な焼け野原に復員軍人達は、驚きと絶望の声を上げた。」

(『不死身の特攻兵』)

 

負け戦だろうが、勝ったとしても傷ついた兵士の姿は変わらない。

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